愛しそうに抱き締めているそれ
何時の間にか、街の外に居た。
基本的に宿は街の外側に位置しているものではあるのだが、それにしても街の外に出る筈は無い。
何故なら入口には必ず門番が立っているものだし、もし門番がいなかったり何か休憩などで持ち場を離れている場合には警報器が鳴る様になっているものだ。
実際に過去にやらかした事があるから、これは確実だ。
……しかし実際、ジークルトは街の外に居た。
その両腕の中にはしっかりとユノを抱えている。
村娘では到底着ない様な、勿論街の娘であっても特別な日にしか着ない様なちょっとしたおめかしをした少女をしっかりと抱きしめている様はそれなりに目立つ。
かといって、何だろう。
今この腕の戒めを解いてしまうと、ユノはふっと消えて居なくなってしまいそうだ。
胸中を静かに満たしていくこの焦燥感は何だろう。
「見付けたわ、お人形ちゃん」
はっと我に帰る。
上から掛かった声に反応して、そちらを見やる。
辺りには草花や表面が露出した地面が見えている。
広い広い空間であり小高い丘だとか岩などの高さのあるものはない。
でも声は確実に上から聞こえ、そして彼女本人も少し上に立っていた。
「男連れとは驚いた。
それもそんな奴だなんて……何時から趣味が変わったの?」
立っていたと言うよりも、浮いていた。
それは構わないのだが何故大きくスリットが入っているスカートで仁王立ちなんだ。
はためいてる風でスカートがはためいてる頼むから足はせめて閉じろ何故なら――
「見えてるんだけど」
「下着の一つや二つで恥ずかしがる女なんて幻想よ」
まじでか。
世の中の女共って結構オープンだったりするんだな。
思わず納得しかけたけれど、頭を振って邪念を追い出す。
相手が片方の口元だけを釣り上げている時点で、からかわれた事だけが解った。
ジークルトの身長よりも高い位置に彼女の靴がある。
距離も少しある為にどれくらいの位置かは解らないが、少なくとも二階から見下ろすよりは高い。
腰まで届く長い髪は青光りする漆黒。
長い睫毛に縁取られた瞳も同じ漆黒。
肌は驚く程に白く透き通り、口元は鮮やかな紅。
身体を覆う衣装も漆黒だが、此方は所々に紋様のような何かの模様が、金糸で刺繍されていた。
腕を含め上半身を覆うのは上品な柄のレースのボレロ。
少し肉感的な太股辺りまでのスリットが入ったマーメイドスカートに、金の鎖が何重か腰の部分に巻き付いている。
存在感を主張するしっかりした胸の二つの膨らみの上には、繊細であるが複雑な紋様の銀細工が垂れ下がっていた。
「それよりも、貴方は一体何なのかしら?」
紅の唇が言葉を紡ぐ。
「愛しそうに抱き締めているそれは、ただの人形よ」
片手で口元を覆い隠して笑みを漏らす。
妖艶ではあるが何だか心がざわつく笑い方だった。
「人形? 何を言っているんだお前」
思わず腕の中のユノへ視線を向けた。
……また何時もの無表情に戻っている。
「ユノは生きている、温もりがある」
だから。
「当たり前じゃない。
最強の術式師であるユンゲニール・レーラズ・ドラシィルの作品よ」
「作品?」
「そう、その子は単なる術式具でしかない」
ジークルトは再び腕の中の少女を見る。
何の、反応も、示さない。
けれど解った事が一つ。
ユンゲニール・レーラズ・ドラシィルとは……恐らく、ユノが会いたいと言ったその本人だ。
ユンゲニールの名前なら聞いた事が有る。
過去も今も恐らく未来も含めて、最強の術式師だ。
何故全て含めてなのかと言うと、術式自体を生み出し作りだしたのが彼であるから。
文字が読めるのならば知らない人間はいない、とすら言われている。
術式師でなくても、彼の名を知らないと言うだけで無教養だと罵られる位だ。
勿論ジークルトでさえ知っている。
ただ自分は術式師ではないので、名前と何をしたか……程度でしかないのだが。
「私はその子を破壊する為に、追い掛けているの」
はっと顔を上げる。
空を歩きながら、彼女は此方へ近寄って来ていた。
どうやら彼女は自分の足元の空気を凍らせて、歩んでいる。
残念ながら術式という物にはとんと係わりが無いもので、どのような仕組みかは見て判断するしかない。
実際に旅をしていると、術式師と出会う事もある。
彼ら彼女らと友好的な関係を気付けた場合は仕組みなどを説明してくれる事もあるのだが。
まぁ大抵は術式などは己かその弟子くらいにしか継承していかないものではあるようだ。
完全独自の高度な術式をたった一つ、知識として販売すれば普通の人間ならば半生は遊んで暮らせ節制すれば一生は暮らせると言われており、高価で貴重なのだ。
取り敢えず彼女は此方の腰くらいの高さまで降りてくると、その場所でしゃがみ込んだ。
腕の中のユノはそんな彼女から目を逸らさない、瞬きすらしている様子はない。
「フィアナ……」
「人形が人の名前を気安く愛称で呼ぶものじゃないわ」
一瞬、彼女の漆黒の瞳が赤く燃えた。
ユノは動じずに、再度言葉を口に上らせる。
「……フィノリアーナ」
再度名前を呼ばれたフィアナは、ユノを強く睨み付けた。
が、直ぐに表情を軟化させてジークルトに向き直る。
「初めまして。
フィノリアーナ・ゲフィオン・ドラシィルよ」
にこりと魅力的な笑みを浮かべる。
……これだけ見ていたなら、もしかしたら印象は全然変わったかも知れない。
しかし残念ながら先程まで彼女がユノに対して向けて居た視線や表情を見てしまった。
流石にその顔を見て、このフィアナの笑顔をそのまま受け止めるほど……残念ながら若くない。
自分の重ねた歳と経験をほんの少しだけ疎ましく思いながら、言葉を返す。
「ジークルトだ」
ふと名乗ってから、彼女の家名に違和感を覚えた。
「……ドラシィル?」
繰り返すと、フィアナはくすくすと笑んだ。
ユノと比べるととても良く笑う。
無邪気で魅力的ではあるが、完璧過ぎる様にも思える。
「ユンゲニール・レーラズ・ドラシィルは、私の曾祖父よ」
そう言いながら、胸元の銀細工を少し持ち上げて見せて来た。
嗚呼、成る程。
あれはドラシィル家の家紋なんだろう。
何かの果実の周りに広葉樹の葉が被さり、その周りを弦が巻き付いて覆い隠している。
その弦が家紋の下まで垂れ下がって、フィアナの胸元へ視線を流していた。
「成る程」
いきなり情報が増えた。
少し頭の中の情報を整理する為に、時間が欲しい所ではあるが……そうも言っていられないのだろうな。