それで良いのか客商売
取り敢えず、向かい合って食事をしながらレオノーラを待っている事にした。
一体ユノがどのような食事を好むかが解らなかった為に、食堂のメニューから適当に目ぼしいお勧め料理などを選んで注文していた、その数五皿。
……辛い料理はいらなかったかもしれない。
食べる事が出来ない位にとても、辛い。
思わず苦い顔をしてしまった。
向かいのユノを伺うと、特に変化はない。
煮込み料理、なのだろう。
唐辛子や黒胡椒をふんだんに使い、野菜や肉も味が濃く強いものが多い。
刺激の強いハーブも使われていて、しかもしっかり煮込まれていて、熱い。
舌先から口内、そして唇に至るまで辛くて熱い。
辛いものマニア向けのようなその殺戮的な辛さは、ちょっと口に合わない。
「辛いです」
ぽつりと漏らすと、ユノは片手で皿をこちらに押し付けてきた。
あ、やっぱり辛いのか。
翌々確認すると、僅かに……ほんの僅かにだけ、幼い顔立ちの少し上部に位置する眉毛が気持ちつり上がっていた。
完全に無表情ではないらしい。
今みたいに何か、心が動くことがあるならば変化も表に現れてくる様だ。
そんなユノは年相応に可愛らしく思える。
「取り敢えず頼んだだけだから、好きなものを自由に摘まめ」
「はい」
促すと、残り四皿にそれぞれ手を伸ばしていく。
……思った以上に好き嫌いが多い様だった。
否、食わず嫌いと言った方が正しいのかも知れない。
食べないものを勧めると少し逡巡した様子を見せたが、直ぐに口へ入れた。
一度口に入れて味を知った後は、此方から勧めることもなく次も食べるようだ。
ある程度ユノが食事を終えてから、後を片付けるつもりで余った料理へ手を伸ばす。
料理は、とても美味い。
普段は適当に街道などで投げ売りされている黒パンなどを買って、適当に済ませている。
気が向いたら野菜も買って、かじる程度。
持ち家もなくふらりと旅立つ可能性を普段から秘めているジークルトには、落ち着いて食事をする機会など殆ど無いに等しいのだ。
たまに宿に泊まるときなどは、ここの食堂に足を運ぶ。
しかし安いスープ一つを頼み、持ち込んだ黒パンを浸して食べるのが基本だ。
手持ちの貨幣などは貴重なのだ、使わずに何とかなるならばそれが何より。
「食べ終わりました」
ユノが、机に使用していた木彫りのスプーンを置いた。
予想以上には食べたようだが、まだまだ。
残った料理の量としては大体三皿分か。
勿論ジークルトはまだ此れから食べ進めていくつもりだが、少し量が多かったかもしれない。
残った料理の内、最初に口をつけたあの極悪な辛さの料理もまだ丸々残っている。
「おう、レオノーラが来るまで少し休んでて良いぞ」
ユノに声をかけながら、辛めの酒にて喉を潤す。
あの辛い料理は、どの様に食べれば良いのだろうか……頼んだことを少しだけ後悔した。
せめて酒を甘いものにしておけば……いやいや。
どちらにしろ、あの皿は最後の敵だ。
一先ずは回りの料理から取り掛かると決意して、手元に皿を引き寄せる。
「お待たせ、ジークルト」
背後から、声を掛けられた。
「おう」
振り返らずに答えると、小さな溜め息と肩を竦める気配がした。
特に何を言うこともなくレオノーラは、部屋の奥にいるユノの近くまで歩み寄る。
両手一杯の色とりどりの多種多様なドレスを持って……待て、何でドレスなんだ。
「お待たせ、ユノ。
いくつかもって来たから、ちょっと着て見せてくれる?」
部屋の角に置いてある棚へ一度押し込んでから、何着かを器用に抜き取る。
何と言うか。
そのどれもがとても華やかで、滑らかで……。
「何でそんな、パーティーにでも行くような服を持ってんだよ」
明らかに普段着ではない。
そもそも、宿屋の娘が何故そんな衣服を持っているのか理解に苦しむのだが。
「小さい時に、お母さんが人形とお揃いのドレスを手作りしてくれたの。
ほら、ユノってお人形みたいに可愛いじゃない? きっと似合うわ」
鼻唄すら交えながら、レオノーラはユノの前にドレスをあてがっている。
「髪がとても綺麗な白銀だから、清楚な青も鮮やかな黄も穏やかな緑も似合いそう。
瞳も綺麗な赤だし、何を着ても映えるわね」
白銀に赤、か。
……小柄なのも合間って、小兎みたいだな。
少し口許が緩むのを自覚しながら、俯き気味に残った料理と格闘する。
ふと視線を感じて顔をあげると、呆れたようなレオノーラの顔がそこにあった。
「あのね?」
隣には相変わらず無表情のユノ。
「女の子が着替えるのだから、退室するとかそう言った思考を持ち合わせてほしいものね」
「とは言ってもな……まだ俺、食ってるんだけど」
後は二皿。
一つはあの、激辛の料理だ。
「それに……ちょっとこれ、辛過ぎはしないか」
苦笑いしながら、問題の皿を指差す。
レオノーラは微笑みながら、答えてきた。
「激辛サービス!」
どうだ、と言わんばかりのその表情は止めろ。
店のメニューとしてこの辛さはどうなのか、と心配していたらこれだ。
要するにこう言うことだろう?
本来はここまで辛くない料理なのに、迷惑にも彼女は辛さを増し増しサービスしてくれた、と言うことだ。
……余計なことしてんじゃねぇよ!
「辛過ぎだよ馬鹿野郎。
勿体無いけど此れは――」
申し訳無いが食べきる自信がない。
そう答えようとして口を開く前に。
笑顔で目の前まで接近していたレオノーラが、その人差し指を此方の唇へ押し付けてくる。
「駄目ですよ?」
物凄い輝くような笑顔。
「んぐぁ」
いや、でも。
そう答えようにも、口が開かない。
くぐもった、蛙の鳴き声のような妙な声が漏れた。
多少荒れているものの、年頃の娘らしく手入れをきちんと行っているらしいレオノーラのしっとりした指が確りと此方の口を塞いでいる。
色気の欠片もねぇな!
そのまま彼女は片手で器用に残りの料理を一皿に纏めると、ジークルトに皿を押し付ける。
……激辛料理の量が増えた。
「お残しは、許しません。
外で食べてながら待っていて下さいね」
笑顔は営業用。
しかもこれは、店のルールを守らない問題児に向ける笑顔。
其にしても、過度なサービスのせいで食べられなくなった料理を食べきれとは中々……。
思わず固まっていると業を煮やしたのか。
レオノーラに服をぐいぐいと引っ張られて、ジークルトは立たされた。
「はい、殿方は退室なさい」
見た目より遥かに強い力で猫の子を掴んで捨てるかのように、扉の外に追い出された。
食堂奥の個室から叩き出されたジークルトへ、無遠慮な視線がこれでもかと刺さる。
此れでは何の為に、割高の室料まで支払って個室へいたのか解らない。
背中の扉向こうではレオノーラがきゃっきゃと着せ替え人形遊び……もとい、ユノへ衣服を勧めて着用させている声が聞こえる。
それで良いのか客商売。
何のかんのと言ったところでレオノーラの気が済むまではこの、ファッションショーは続くのだろう。
仕方無しにジークルトはカウンターへ腰かけると、持たされた激辛料理を制覇すべく匙を握った。