私から離れられないようにするの
目の前には豪華な館があった。
二本の円柱に支えられたアーチには、様々な華が咲き乱れて彩を添える。
その中に嵌め込まれた格子門は紋様が描かれており、とても美しい。
乳白色の壁には硝子窓が並び、円錐型の翠の屋根は鮮やかだ。
庭の木々には小鳥が羽を休めており、芝生は丁寧に手入れがされているのが解る。
こんな辺境の街にしては、確りと設えられている館。
ともすれば周りから浮いてしまいそうな建物ではあるのだが、館の周りには大きな湖があり少し隔離された印象も受ける。
「さて、と」
フィアナは腕組みをしてその館を見上げる。
いつもと違うのは、彼女のその格好だろう。
身体の柔らかな線を表現するかのような漆黒の衣装を脱ぎ捨てて、白を貴重とした衣装へ着替えている。
足首まで長いスカート部分には象牙色のオーガンジーが幾重にも重ねて設えられていた。
同じく象牙色のレースがあしらわれたチョーカーを首元につけて、蘇芳色のストールを羽織り、手には真珠色のレースの手袋をしている。
左の胸元には鮮やかな真紅の薔薇が一輪添えられていた。
そっと門を押し開けて、館の方へ向かう。
すると玄関前で、メイドが二人立っていた。
一人は確かに黒を貴重としたワンピースドレスに、白のエプロンを付けた定番のメイド。
薄い赤茶の髪は後ろにて真珠色のシニョンで一つに纏められている。表情には穏やかな微笑が浮かぶ。
しかしもう一人は、何故か膝丈のスカートであり中にパニエでも入れているのだろう、スカートがふんわりと広がっていた。
若緑色の髪をゆるく編みこんでおり、頭にカチューシャを添えていた。まだ表情が少しぎこちないように思える。
そんな二人に対して、フィアナは声を掛ける。
「突然の訪問をお許し下さい。
わたくし、フィノリアーナ・ゲフィオン・ドラシィルと申します。
どうかロイジウス・ベルヴァルト・リーヴスラシル侯へお目通り願いたく、参上させて頂きました。」
そこまでの名乗りを上げるとメイドのうちの一人、薄い赤茶の髪の彼女が一歩前へ足を進めた。
「ドラシィル家のフィノリアーナ嬢でございますね。
御当主様をお呼びいたしますので、どうぞ館内にてお待ち下さい」
そう言い終わると、優雅に跪礼する。
次に若緑色の髪の彼女が一歩前へ足を進め、同じく跪礼してから言葉を紡ぐ。
「どうぞ、こちらへ。
ご案内させて頂きますね」
彼女の後ろに付いて行くと、玄関のホールから二階へ上り、応接間へ通される。
部屋の硝子窓からは太陽の光が室内を暖かく照らし、部屋の隅には豪奢な暖炉があった。
中央には同じく装飾の美しいテーブルが置かれ、その上には紫のテーブルクロスが敷かれている。
「今しばらく、お寛ぎ下さい」
ぺこり、と勢い良くお辞儀をする若緑色の髪のメイド。
頭を上げてから、慌てて跪礼し直して、更にまた頭を下げてからぱたぱたと小走りで退散する。
どうにもまだ反射的に動いてしまうようだった。
本来なら挨拶はきちんと跪礼を行い、優雅に立ち去るべきなのだ。
かといって、フィアナは別段メイドがどのような挙動をしても気にならない。
実際にドラシィル家では、同じ年頃の友人を作るよりも家に仕えるメイドと話をする事の方が圧倒的に多かった。
そうそう外に出る事も無かったという理由もあるのだが、そもそもが彼女は生家と曾祖父の館が基本の居場所だったのだ。
その為必然的に話し相手は館に使える使用人になる上に、実は意外と使用人には術式師の素質を持つ物も多い。
勿論術式師だけではなく、暗殺者であったり騎士であったりそれに順ずる素質を持つものは多かった。
けれどなりたいものを望めばなれる、というものではなく基本的には使用人になる事が定められているものは使用人にしかならない。
稀に自分自身の才能に気付くか、勤め先である館の主が使用人の才能に気付いて、寛大にもそちらの道を進めるかのどちらかとなる。
フィアナは術式師の勉強を行う過程で、使用人を何人か巻き込んだ事があった。
何かをけしかけたという事もないのだが、術韻や術詞を暗唱する時などに、使用人に対して確認をお願いしたという程度だ。
だが元々素質を持っていた何名かの使用人は、その確認の最中に自分の才能に気付いてしまう。
本来ならば館に仕えている以上は他の道へ進むなどは以ての外、でもあるのだが。
良くも悪くもドラシィル家は、ユンゲニールのお陰で術式を学ぶ事は許容されていた。
実際にユンゲニール直々に術式師の才能のある使用人を集めて、講習を行う事もあったくらいだ。
窓辺へ歩を進め、縁に手を沿えて外を見やる。
大きな館だ、とてもこんな辺境の街にあるような建物ではない。
しかしこの館はこう在らねばならず、そして勿論そう在る事を求められている。
「大きくなりましたね、フィノリアーナ」
はっと振り返ると、開かれた扉に一人の男が立っていた。
太陽の光の様に鮮やかな金髪は少し長めで肩まで。
深緑の色の上着に金色の縁取り、そして白のスカーフ。
少し釣り目ではあるがどこか安心できるような笑みを浮かべて、その男はフィアナの名を呼んだ。
フィアナも少し驚いてはしまったものの、優雅に身体を半回転させてからの跪礼。
顔を上げてから、やわらかく微笑んで続けた。
「ご無沙汰しております、ロイジウス侯。
この度は突然の訪問、大変申し訳なく思います」
「そんな畏まる必要などどこにありますか?
昔のように、おじ様と呼んで頂けた方が遥かに嬉しいですよ」
ニコニコと言われてしまって、フィアナは白い頬を朱に染めた。
レースの手袋でそっと頬を隠すように押さえ、イヤイヤをするように首を振った。
「やめてください、その様な幼少の話は。
とても不躾で無礼な言動をしておりまして、とても恥ずかしく感じます」
そんなフィアナを見ながら、ロイジウスは一度頷いた。
「確かに、とてもヤンチャではありましたね。
けれどもそれでもフィノリアーナがとても可愛い女性だと言う事は、昔も今も変わりませんよ。
そんな、可愛い幼少時代を思い出して頬を染めるフィノリアーナは、やはり魅力的ですね」
むぅ、と小さく唸る。
昔からこの男はこうやってからかって来る。
自分の幼少時代を知っている、二十も上の男にこのように褒められても、嬉しいと言うよりもただただ恥ずかしい。
確かに昔は少し憧れる気持ちが無い訳ではなかったが、当然のように相手には婚約者がいた訳で。
そもそもそう言った感情を持ち続ける余裕がフィアナには無かったので、結局はそれきりだ。
どちらにしろ小さな少女が年上の男性へ恋心を持つなんて事はそう珍しい事でもない。
例に漏れずフィアナもそうであった、というだけの話であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
けれど昔とも殆ど変わらない表情で此方を見つめてくるロイジウスに対して、やはり少しのときめきも蘇る。
「褒めても……何も出ませんわ、おじ様」
そっと顔を背けながらも、そう呟く。
フィアナのその言葉を聞いて、ロイジウスは笑みを強めた。
「そう、そう呼んで頂くのが私は好きですよ」
ふと思い出した。
そう言えば良くロイジウスの現奥方である、当時の婚約者が言っていた。
『あの人は本当に女性がお好きなの。
それも、自分に好意を持っている女性が取り分け好きなのよ。
だから私は誰よりもあの人を愛して、あの人が私から離れられないようにするの』
当時はそんなものか、と納得したが。
良く考えると、単なる浮気性なのではないのだろうか。
若しくは天性の女誑しと言うべきか。
このような、息をするようにさらりと女性を褒めるような男に、下手に地位があると問題が起きそうだ。
何と無くそう心配したものの、結局はフィアナには関係のない事だった。




