道標は全てあの人に繋がる
「結局、どういう事なの?」
何とか誤解も解け、警戒を薄めて貰う事が出来た。
いやぁ、不安がなくなった後の酒は旨いねぇ!
半ば自棄になりながら、辛い酒を煽る。
話が長くなりそうなのを察して、娘は仕事着から普段着に着替えてきている。
…とは言っても、エプロンを外しただけにほぼ近い。
しかし口調は明らかに砕けており、彼女なりに業務中と日常は分けている、という事なのだろう。
纏めていた髪をほどいて、手櫛で梳きながらも目線は此方から逸らさない。
立ちっぱなしもなんだから、と椅子を勧めると浅く腰かけて一息吐いた。
…しかしまぁ、本題に入る前にどうしてこのような徒労を味合わなければならないのだろう。
普段の行いだろうか…否、そこまで酷い生活を送っているつもりは…多分無いと思うのだが。
頭をガシガシかきむしってから、膝を叩いた。
「俺にも良く解らない。
幼さ故の無知なのかそれとも…しかしそれにしては、知能は決して低くは無いと感じる」
知識は明らかに欠如している。
しかし会話をしていて、知能…特に理解力は悪くない。
寧ろ自分より遥かに――自虐にしかならないから、これ以上は言わない。
「しかし元々着ていた服はどうした?
あの時、周りには何も落ちてはいなかったと思うが」
こちらを無表情で見つめてくる少女に、問う。
少しだけ間が空いたが、直ぐに淀みなく答えが返ってきた。
「男の一人が持っていった。
素材が良いから高く売れるのでは、という話だった」
素材が良い服を着ていた?
…と言うことは、本当に何処かのご令嬢だったりするのだろうか。
それか、もしくは――
「私が購入したものではないので、値段は解らない」
一瞬浮かんだ、とても不愉快で胸糞の悪い想像は、淡々とした言葉によって霧散した。
暴れだしたくなるほどの不快さが消えたことに安堵する。
「まぁそうだろうなぁ」
改めて向き直ったが。
どう贔屓目に見ても、この少女が服を楽しく選んでいる所など想像が付かない。
「服、服ねぇ…」
頬に指を這わせながら、娘が言葉を紡いだ。
「私が小さい頃着ていたものでも良ければ、持ってくるわよ?」
「それは物凄く有り難い。俺にはよく解らん」
「幾つ位の時のが良いかしら?
ぱっと見は…九、いえ十位かな?」
娘にそう問われて、少女は淡々と答えた。
「十三です」
「じゅっ…?」
「あら、十三か。
ならこれから益々綺麗になっていくわね」
見た目以上の実年齢に、思わず驚愕を口に上らせてしまうところだった。
流石客商売をしている娘は特に動じた風も無く、にっこりと微笑み掛けている。
「私はレオノーラよ。お名前は?」
「ユノ」
「それではユノ、僅かながらお洋服をお持ち致します。
どうか今しばらく御歓談下さい」
片足を斜め後ろへ引き、もう片足を少し曲げて恭しく跪礼。
…気取っているつもりなのは解るのだが、残念ながらこの少女には意味が伝わらないだろう。
頭を上げ爽やかな笑顔を残して、レオノーラは退出した。
しかし、扉を開け放して行くんじゃないこちらを伺おうとする食堂に居る他の客の目線が痛いとても辛い。
仕方なく扉をしっかりと閉じる。
と同時に、後ろから妙な視線を感じて、恐々と振り向いた。
紅玉の瞳が目茶苦茶こっちを見ている。
「名前を聞いていません」
ぽつりと呟いた。
あぁそう言えば教えていなかった。
会話を成り立たせる事に精一杯で、相手の名前にも自分の名前にも気を配っている余裕が無かった。
少しだけばつが悪く、敢えて無造作に頭をボリボリと掻き毟りながら答えた。
「ジークルトだ」
「ユノ」
再度、名乗られた。
一体なんだと言うのだろう、この不思議な会話の調子は。
取り敢えず鷹揚に頷いてから、手近な椅子に腰掛けた。
「何故ユノはあんな場所にいた?」
疑問だった。
結果的に彼女は荒くれに絡まれては居たものの、そもそもは他の娘が狙われていた…と言う様な事を言っていた。
もしそれが正しいのならば、彼女がわざわざ路地裏に居た理由に説明が付かない。
普通ならば縁が無い場所であるし、ユノの場合は特に何かに興味を持って裏路地に立ち入る、という事も無いだろう。
落ち着いて考えると違和感が多い。
もし彼女が何か目的を以って路地裏に入ったというのなら、それはもしかして。
「猫が、居たから」
少しだけつっかえながらも、答えが返ってくる。
しかし猫。猫だって?
どうにもこの少女が無邪気に猫を追い掛けている様が、想像付かない。
「猫を追い掛けていたのか、またどうして?」
「道標」
「道標…?」
「そう」
何と無く、彼女との会話のコツが掴めそうだ。
取り敢えずユノは、尋ねられた事にはきちんと返答を返してくれる、らしい。
しかし尋ねた事以外には完全に無頓着。
こちらの思考を読み取って追加の情報を…人によっては蛇足に近い様な情報ですら、追加して返す事は無い。
無愛想な訳では無いのだろうが、どうしても表情も無く淡々と返してくる所がある。
「猫を道標に裏路地に入った、と」
「そう」
「一体何の道標なんだ?」
「知らない」
おい、解らないのかよ。
思わず床に熱烈な接吻をかます所だった、すんでの所で踏み止まる。
強く床に脚を打ち付けたからか、床に穴があいた…気がするがきっと気のせいだきっと。
ほんの少し前の思考を、改める必要が或る様だ。
結局ユノの会話の方向性が読めない、彼女こそ猫みたいなものではないだろうか?
普段は特に何処にも信仰を捧げていないジークルトではあったが、思わず天を仰ぎ見る。
嗚呼、もし何処かに属していればこんなユノとも楽しく談笑出来るのだろうか。
「でも」
思わず熱心に何処かの神へ祈りを捧げてしまいそうになっていた所を、ユノの言葉が辛うじて引っ張り戻してくれた。
…でも正確には、この少女の事でどこぞの信者に成り得る所だったので素直には喜べない。
「道標は全てあの人に繋がる」
小さな体躯が僅かに震えているのを感じる。
自らの体を抱き締める様にユノは蹲り、そして小さく囁いた。
「ユングにあいたい」
震えるような、振り絞るよな、それでいて切ない声音だった。
一日すら経たない短い付き合いだが、その言葉は胸に突き刺さる強さ、鋭さを秘めていた。
会話としては全く成り立っては居ないが少女が発したその言葉は、充分に意味があった。
「よし、解った。
そのユング? とやらにあえるまで、俺が一緒に居てやるよ」
「……」
蹲る時にユノは顔を伏せていた為、表情が見えなかった。
返事も無いが、返事が無いのは肯定の証だと誰かが何処かで言っていた気がする。
「最近は目ぼしい情報もなかったし、何時までも同じ所でふらふらとしている訳にもいかないからな。
どうもユノは無警戒が過ぎる所もあるし、今後何かあっても俺の目覚めが悪いし。
だから暫くは――」
そこまで述べると、ユノが顔を上げた。
表情は相変わらず、無い。
「ジークルトには関係の無い事」
淡々と言われ、一瞬言葉に詰まった。
「そもそも何故そのような申し出を。
現在特に、困っている事はありません」
追撃された。
心が折れそうだ…いくら美少女だからと言って、残念ながら罵倒される趣味などない。
美人のお姉さんにならヒールで踏まれても良いかもしれないけどいやでもやっぱりそういう趣味はない。
「見ていて心配だ、気に掛かる。
迷惑ならそう言ってくれて良い」
心で涙を流しながら、取り敢えず応じてみた。
ユノは少しだけ間を空けて考え込むような素振りを見せた。
…でもこれきっと何も考えていないのだろうな。
「解りました」
ぺこりと頭を垂れた。
「宜しくお願いします」
絹の様に細く繊細な白銀の髪が、さらさらと流れた。
全体的に白く儚げな少女と、年相応よりは少し無骨な青年は、暫くの時を共に過ごす事となった。