たまには役に立つのね
……天井が、見えた。
「あっ――」
近くで、小さく息を飲む声が聞こえる。
顔をそちらに向けるのが辛くてそのままでいたら、パタパタと走り去って行く音が
した。
だるいな、と思った。
瞼が重くて重くて、視界が狭まる。
じわじわと襲い来る睡魔もあって、つい眼を瞑ってしまう。
少しの時間、暗闇の中に身を置いた。
拙い記憶を辿るが一体何があったのか――良く解らない。
けれど何だか鼻の奥がツーンとして、じんわりと目頭へ熱いものが伝い、そして閉
じた双眸から涙が零れた。
良く解らない、けれど。
どこかで取り返しのつかないことをしてしまった……そんな焦燥感と虚無感があっ
た。
流れる涙もそのままに微動にせず身を委ねていた。
どうやら柔らかいベッドに寝かされているようだった。
どうしてこんな所にいるのか、そもそも起きる前の記憶がなかった。
何か大切な夢を見た様な気もするが、どのような内容だったのかも覚えていない。
(それより、私……何をしていたのだったかしら……)
疑問を思い出し、瞼を開く。
同時に部屋に人が入ってきた気配を感じた。
一人ではなく二人かそれ以上、しかしまだ視界には天井しか映らない。
「……フィアナ」
抑揚はないが、心配を滲ませた声音。
反射的にだるい身体を無理矢理動かし、部屋の入り口へ顔を向ける。
白銀の髪が顔に掛かるのにも気を止めず、紅玉の瞳は真っ直ぐにフィアナを見てい
た。
何も応えないで居るとそっと小さな白い手を、こちらの頬に添えてくる。
「無事で、良かった」
僅かに口元に笑みを浮かべて、少女は言った。
「無茶はしないで」
何を言われているのか一瞬解らずに、瞬きを二度。
それでも解らずに首を傾げると、少女はぐっと身を乗り出して此方の頭を抱き締め
た。
人間では有り得ない程低いその体温を直に感じて、顔が強張る。
声が出るかは解らないが、震える唇を開いて息と共に発声を試みる。
「ユ、ノ……」
普段よりも擦れた声音ではあったが、無事に声を出すことが出来た。
続けて首を横に振ると、此方の意図が伝わったのかユノは身体を離す。
そんな彼女の後ろからジークルトとレオノーラが、様子を伺う為に此方を覗き込ん
でくる。
「お加減は如何ですか? フィノリアーナ嬢。
何か欲しいものなどありますか?」
「そうね、ありがとう……。
出来ればお水を頂きたい所」
「畏まりました、直ぐにお持ち致しますね」
レオノーラに要望を伝える事も出来た。
問題なく対話を行えた事に安堵しながら、言葉を続ける。
「ジークルト……」
呼び掛けると、彼は近くまで歩み寄りこちらの口元に耳を寄せる。
思ったより、声の音量は低い様だ。
そんな彼の耳元に、ゆっくりと声を届ける。
「……女性の寝姿を、見るものではないわ」
「心配してんだろ?! 流石にその発言はあんまりだ」
「だって本当の事だもの……。
なので少し下がっていて」
困惑したように頭を撫でながら、それでも安堵の表情を浮かべてジークルトはフィ
アナから少し離れた。
倦怠感はそのままだが何とか上体を起こして、壁に身を預ける。
右腕を上げて、服の袖で目元を拭った。
頬に涙が伝った後が感覚で残っていて、執拗にごしごしと擦る。
じっと此方の仕草を見ているユノの様子を伺うが、表情に特に変化は無かった。
「良く、覚えていないの。
私……どうして此処に居るの?」
「倒れた、から。
ジークルトに運んで貰った」
「たまには役に立つのね?
その調子で普段から役に立ってくれても良いのよ」
「まずはお礼からじゃないのかよ……」
半眼で此方を見てくる、ジークルト。
けれどその瞳は怒っている訳ではなくて、軽い呆れ。
何かを仕出かして、怒られるのではなく呆れられるなんてどれ位振りだろうか。
それも失望ではなくて、仕方ないな、とでも言いた気な表情で。
そう言えば、アレッサも確か――
自然とそう考えてから思い出す。
「確かアレッサが……」
「フィアナ?」
「あぁ、思い出してきた。
私がまた、やってしまった事を」
「フィアナ」
「なんて事を……私はまた、なんてことを」
「フィノリアーナ!」
冷たいユノの手が、フィアナの手に重ねられる。
ぎゅうと握られて反射的に振り解こうとするが、些細な抵抗位では振り解けないほ
ど強い力。
ふるふると首を振ってから少女は言葉を発する。
「落ち着いて。
フィアナが悪くないとは言わない。
でも何も無かった、何も無かったよ」
何もない訳が無い。
思い出した、状況を。
アレッサに挑発されて、我を忘れた。
こんな街なんてぶち壊してしまえ――そう、思った。
可能ならあの男も一緒に焼き尽くしてしまおうと考えたのに、一足先に逃げられ
た。
だから、遠慮は要らないと、思った。
術陣は小さいが密なものを。
術韻はしっかりと発動状態を創造して。
術詞は強く深く何事にも邪魔されない力を込めた。
地中から業火で焼き尽くし、地上の全てを破壊しようと。
可能ならアレッサが逃げた方向にも炎を伸ばしてやろうと。
その上でおそらく無事であろう人形も破壊できればそれで良いと。
「きちんと術式は、消したから」
思考に没頭しかけていたフィアナの耳に、ユノの言葉が届いた。




