衣服は気軽に脱いではいけない
「取り敢えず。衣服は気軽に脱いだらいけないんだぞ」
室内の内装はとても簡素で清潔だ。
基本的に国内での住宅や店舗は木造となっているのが基本だ。
この宿は今三代目である主人が管理しているはずなので、それなりに年季も入っている。
しかしきちんと手入れがされているため、自宅のように落ち着くのが売りかも知れない。
宿に到着してから、特別に開けて貰った食堂の個室にて、少女へ言い聞かせる。
手近なところにある木でできた丸椅子を彼女へ渡し、自分は手近な木箱に腰掛ける。
この透明感のある少女は、きちんとこちらの言葉の意味を受け止めているのだろうか。
整った顔立ちだ、美少女と言っても誰も否定しないだろう。
それどころか彼女を表現するのが可愛いとか美形だとか、そんな言葉しか浮かばないのが申し訳なくすらなってくる。
己の持っている語彙の少なさにうんざりする事があるだなんて。
彼女を食堂に連れて来た時に浴びた、好奇な視線を思い出すだけで辛い。
どうせ普段こんな美少女と縁なんてねぇよ。
いつも懇意にしてくれるウエイトレスの、冷たい視線が痛かった。
幼女趣味はないので出来ればそこだけは信じて欲しいと思っている。
例え少女が全裸の上に自分の外套を羽織っているだけの姿だったとしても、だ。
見てないよ!
取り敢えず本当に見てないよ!
と言うか残念ながら? 対象外だからな!
それはともかくとして、でも何というか。
物凄く中身がまっさらで真っ白で……端的に言い表すなら、無知だ。
それでも危な気に感じないのは、彼女が無知である事をすら認識していないからではないだろうか。
人間であるならば。
知らない事に対して恐怖し怯え不安になる……事もあるだろう。
彼女からは、その何れも感じ取る事は出来なかった。
ただただそこに或るだけ。
そう感じ取る事しか出来なかった。
何とも言えない様な胸中を抱え、相手をしっかりと観察する。
何事も先ずは相手を知る事からだ。
少女は丸椅子を受け取ると、ちょこんと腰をかけた。
それから長い睫毛を瞬かせながらこちらを見つめてくる。
紅玉の瞳が真っ直ぐに視線を投げ、その中に自分の姿を捉える事が出来ている。
「何故ですか?」
まさかの反応に思わず目を見開く。
何故? と。彼女はこう言った。
先程の自分の問いに返答して、何故かと問うた。
「何だって?」
因みに先程自分が言ったのは、『衣服は気軽に脱いではいけない』という事。
少し不安になってきた……これって普通だよな?
街中に全裸の美女とかが蔓延っている、だなんていう素敵空間にはついぞお目に掛かった事はないぞ。
普通は衣服を着ているもの、その筈だ。
人前に全裸で出る事は恥ずかしく、男女の営みの時だって恥じらいを持つ位であって。
けれどそのような感覚が、この少女には無いらしい。
しかも、その意味すら聞き返さないと解らない位に、理解すら出来ないらしい。
一体何処の箱入りお嬢様なのだろうか。
胸中で皮肉ってみる。
本当にどこぞの令嬢なのではないか、と思う位には見目麗しい少女であったのも理由だ。
しかし令嬢ならば取り敢えず、男を叩きのめしたりはしないだろう。
どこからともなく颯爽と助けが現れて全員を排除した、とかで無い限り。
……もしそんな事があるとすれば、宿につれてくる前に自分自身が倒されているだろうし。
思考に没頭していると、少女が再び問い掛けて来た。
「どうして服を気軽に脱いでは駄目なのですか?」
「何故って……そりゃあ……えぇと?」
理由を説明しようとして、言葉に詰まる。
そう言えば何故服は脱いだら駄目なのだろうか?
胸中で首を傾げていると、個室の扉を叩いて声が掛けられた。
「どうぞ」
「失礼します、お料理をお持ちしました」
懇意にしているウエイトレスが、両手に料理の皿を持ったまま器用に扉を開ける。
……その頭の料理はどうして落ちないのだろう、とても不思議だ。
「後は、お酒ですね。
流石に一度には持って来られなかったので、もう少しお待ち下さいね。」
両手の皿と頭の皿の計五皿を机に並べて、楽しげにウインクされた。
一度に持って来られなかった、と言いつつも五皿か。
流石に看板娘だけある、自分では二皿が限界……否、二皿持っていた場合扉なんて開けられない。
しかし、やはりどうやって扉を開けたんだろうか……?
新しい疑問が沸いてしまった。
その前に、少女の問いに答える必要がある。
……自分では答えられなかったけれど。
ならば、新しい第三者に一緒に悩んでもらうしかないだろう。
「あの、なぁ。
ちょっと聞いてもいいか?」
「はい、何でしょう?」
大きな焦茶の瞳を瞬かせながら、問い返してくる。
頭の後ろで纏めた髪が、遅れて揺れる。
こちらも可能な限り微笑を返しながら、返答した。
「何で服って、着なきゃいけないんだっけ?」
瞬間。
――首が痛い。
疑問をぽつりと口にした直後、激しい打音が響いた。
頬を朱色に染めた娘が、どうやら平手で自分の頬を打ったようだ。
それも思いっ切り全力でしかも体重をかけての一撃。
路地裏にて首を背けた方向と間逆に顔が向いたせいで、首の筋に鈍い痛みが残る。
それも両側。涙も出ない、痛過ぎて。
変に意識していたせいで木箱に腰掛けたまま一撃を食らってしまったので、衝撃も殺せずにしっかりと受け入れてしまった。
「なっ……何を聞いてんですか、怒りますよ!
寧ろ出入り禁止にしますよ!!」
段々と頬だけでなくほぼ顔面全てがうっすらと赤く染まってくる。
怒っている、どうやら怒っているようだった。
それも激怒という文字に等しい位に。
「まぁ待て、話を聞け」
色々と諦めつつ、ぱたぱたと手を振るう。
そんな様子を見て、娘。
今度は拳を固めた。
「待て本当に話を聞いてくれ頼む」
拳で殴られては堪らない。
今でこそ、結構良い攻撃を貰ったと思う。
自分の頬に鮮やかな紅葉が咲いたのではないかと予想出来る程には。
慌てて腰掛けていた木箱を顔の前に持ってくる。
「……何ですか?」
そんなこちらに対して、半眼で視線を向けてくる娘。
その瞳はどうしようもなく剣呑で、信用も信頼もないのかも知れない。
「其処の、そいつ。
服着てないんだよ」
――娘の動きは素早かった。
さっと少女に駆け寄ると、両の腕で掻き抱くように抱きかかえ、こちらから距離を取った。
物凄く険悪な視線をこちらへ向け……あぁあれは駄目な視線じゃないか?
そこらの害虫でも踏み潰した後の様な視線を向け、吐き捨てた。
「ロリコンとか死ねばいい屑野郎」
やっぱりな。
もう何といって良いのかさっぱり解らなくなって、頭を項垂れ大きく溜息を吐くしか無かった。