6
朝から高鳴る気持ちを抑えることができない。テレビでは夏の甲子園の模様を放送し、大会5日目が開催されていた。延岡も蝉が大声を張り上げ、帰省する人や旅人などでいつもよりは賑わっている。その延岡の南西に位置しする西階運動公園の駐車場に一台の車が止まった。
近くには自転車が数台止まっており、周りには犬の散歩をする人やランニングする人がいる。時間は午前9時になろうとしていた。
車の後部座席から取材道具を取りドアを開けた前田美穂はあまりの暑さに一瞬たじろいだ。しかし、ドアを閉め一歩外に出た。スタンドで囲まれた野球場を後にして歩きはじめ補助グランドに向かった。
今日は宮崎県に新しい野球部が誕生する日だった。北方高校、延岡南高校、延岡北高校の3校の連合チームが西階補助グランドで初めて顔を合わせるのだ。甲子園の取材は先輩記者が独占し行くことができなかったが美穂はそれ以上の興奮を今日この時感じていた。
グラウンドにはもう選手全員と監督3人、部長などが揃っていて円形に並んでいる。その中で話していた背が低く初老の男性がこちらを降り向き軽く会釈した。取材のアポイントメントは取っていたからそれが自分であるとわかったのだろう、美穂も軽く会釈した。
野球練習用ユニフォームを来た選手は全部で11人だけだった。
*
顔を右から左に動かす。円形に並んだその顔達は今日ここに誕生した新しい野球部だ。そう考えた滝沢栄治はもう一度顔を右に向ける。
右隣には小学校からの幼馴染で足が早い広岡修、そしてその隣は同じく小学校からの幼馴染の大久保優士。ここまでが延岡南で修と優士は県内でも有名な1,2番コンビだ。
そして、その隣からは延岡北高校だ。長瀬哲治。中学時代は全国屈指、その才能は誰もが認めるプロ級。しかし、度重なる怪我で野球から離れアメリカ大リーグを目指していたが無念の帰国。まだ怪我は完治していないようだ。
その横の二人はよく似ている。以前哲治が言っていたなかなかの実力を持つ双子だろう。二人とも恵まれた体格をしており背も高く、上半身と下半身のバランスがいい。そしてその横は眼鏡をかけ、やせ気味だが、目はじっと見開き精悍な顔をしている。大人の雰囲気を感じさせている。そして延岡北5人目は隣の北方高校の人とさっき笑顔で話しをしていた。二人は同じ中学の出身らしい。延岡北では引退した3年生に次ぎ2番手の投手をやっていたと哲治から聞いた。
そして、その投手と話をしていたのが、北方高校の1番打者だ。北方高校とは夏の予選で対戦したからよく覚えている。栄治が決勝点となる本塁打を打たれたのはその右にいる松原秀一だが、北方高校で一番の能力を持っていたのはこの一番打者だった。もともと中学でも名が知れていたこの1番打者だったが、栄治は対戦してみてその能力を知った。しかも、俊足で最も投げにくい相手であった。
その横に目を移すと忌まわしい記憶が蘇る、北方高校4番の松原。夏の時よりか体格が大きくなったように思える。北方高校は夏の予選ベスト16入りしていて、その準々決勝の延岡学園戦でも本塁打を放ちその実力を証明し県内でも注目された。その手にはたくさんのマメが見える。その横は栄治はあまり目線を向けたくなかった。
先ほどからこちらを険しい目で相手側から見てきていたのだ。敵意を感じるその目は北方高校右腕のエースだ。栄治の延岡南は零封され北方高校ベスト16入りの立役者といえた。栄治から見てもいい投手だった。中学時代は打者として名が売れ高校から投手を始めたらしい。視線に耐えられずその横にずらす、もうすぐ1周しそうだった。
3人の部長が並び栄治達の監督で親身になって指導してくれる高倉宗平。次に無名チームをベスト16まで導き県内でも指導者として名を馳せた北方高校の監督。しっかりと日に焼け、皺を寄せ厳しい顔をしている。 そして最後、つまり栄治の左にいるのが、背が低く、初老で、いつも笑顔に近い優しい顔をしている延岡北高校監督。哲治の話では甲子園出場も経験しているらしいが本当のところはわからないままであった。
*
30分くらいだろうかずっと円のなったまま話していた。美穂はただ待つしかなかった。自己紹介でもしているだろう。あの左腕も時々なにか話していたし、先輩の甥である北村宗明もときどき笑顔をちらつかせていた。
美穂にはたくさんの疑問があった。監督は誰がやるのか、ユニフォームは、学校名はどうなるのか、それを今日聞いてみたかった。
ふと、円形がばらけ選手達が並び、ランニングを始めた。監督達も散らばりアポイントメントを取った延岡北の監督が歩いて来る。
「こんにちわ、お約束していた宮崎新聞の前田です。今日は無理いってすみませんでした、よろしくお願いします。」
「どうもこんにちわ、監督の野口です。よろしく。」
優しい顔立ちをしていて口調も静かで頭には白髪が目立つ、背は低い。美穂は好印象を受けた。
「監督というと?」
「はい、私がこのチーム、延岡連合の監督をさせていただくことになりました。」
「あっそうなんですか、野口監督ですね。」
美穂は、今年の夏無名のチームを宮崎ベスト16まで導いた北方高校の監督がこのチームの監督をつとめるものだと思っていたので驚いた。
「この連合チームは延岡連合というチーム名なんですか?」
「そうです。強いチームですね。」
ゆっくりとした口調だがどこかしっかりとしていた説得力がある。帰って先輩記者にこの野口監督を知っているか聞いてみようと美穂は思いついた。
「たしかに強そうですね、あの滝沢君なんか素晴らしいと思います。」
「彼は素晴らしい投手。だけどまだまだ、でも将来はいい投手になりますよ。」
やはり、美穂が感じたあの投球は間違っていなかった。美穂はこの連合チームの結成が決まってから徹底的に3校を調べ上げた。そこで思ったことはキャッチャー経験者がいないというこのチームには決定的な問題が浮上した。
野球をやるものとってキャッチャーの存在はとても大きな役割を果たす。判断力、守備力、統率力全てが要求されるポジションなのだ。
「あの、監督、その滝沢君をリードするのは誰になるのでしょうか?」
「それはもうさっきみんなに言い渡しました、彼はとても捕手としての、判断力、リード、肩全てを備えていて、彼以外は考えられません。これから延岡連合の捕手として練習を積んでいくことでしょう。」
*
さっき、監督が言っていたことは本当だろうか。ランニングが黙々と続く中、栄治はまだ信じられなかった。あの監督は何度か甲子園に言っていると哲治が言ってたから選手を見る目は確かなのだろう。
斜め前に走る自分と同じくらいの身長で鋭い目をしながらランニングする姿はどこか沈んで見える。
栄治達の延岡南を完封し、延岡県大会を2年生エースとしてベスト16まで進出したエース、その投手としての実力は確かなものだった。
藤井啓太。
さきほど自己紹介で聞いた名前は一生忘れないだろう。これから高校野球生活、この藤井に白球を投げ込むことになった。