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勝負のとき  作者: eight
3/6

客が出て行った後、半分の水が残されたコップを右手の上の盆に載せ、左手でテーブルを拭いた。腕時計を見ると昼の2時をまわっていたから今のが最後の客かと思った海野夏喜は盆を置き店の外に出て店に面する一本道を眺める。

 最近の夏喜の日課だった。目的とする二人の影を遠くにみつけた夏喜は、店に入り厨房の中に駆け込んだ。

「お母さん、二人がきたよ。今日もヤキソバだね、きっと」

 そう言った夏喜は母である海野薫の手元を見た。薫はもうやきそばを作っていた。

「わかってるわよ、そろそろ来る時間だと思ってた、たくさん作ってあげなきゃね」

 作業する手を一旦休め夏喜の方を振り返った薫は頬を緩ませて言った。

『海屋』は夏喜の祖父が始めた店だった。家を改築し、庭に屋根を作り客席にしたその風景は夏の海の家を想像させる。ちゃんぽんを専門にしているが他の料理も売り出しているいわば定食屋だ。

 昔ながらの客が多く、利益の求めない祖父の影響からか、売り上げは芳しくなかったが、地元の人達からは確実に愛されいるのだった。

 夏喜の父が3年前に交通事故で亡くなってからは母の薫がこの『海屋』を経営していくことになった。高校2年生になった夏喜も夏休みなどは手伝うことも多かった。

 このような生活に夏喜から見て母はとても楽しそうだったし、薫も今の生活に満足しているのだった。

「こんにちわ。」

店の入り口から聞こえる二人の揃った声に夏喜は振り返った。いつも通り、坊主頭で制服にエナメルバッグを肩からかけ、顔は焼けて黒く、背の極端に違う二人だ。

「いらっしゃい。」

そう言った夏喜は二人の前に水を置き、続けて言った。

「今日も二人?栄治はさぼり?ていうかひきこもり?」

 モデルのように背が高く、スタイルもいい。その体型と似たような切れ長の目がこちらを向き細く微笑んだ。

「そうなんだよね、夏喜からも言ってやってくれよ。こっちは二人だけでも練習してるんだからさ。」

「でも、今日、ここには来るかもしんない、呼んどいたから。」

 背が低く、足は細いが上半身はがっちりしていて、いかにもすばしっこそうな方が重ねて言った。

 長身の大久保優士もすばしこっそうな広岡修も昔と何も変わらない。幼馴染である夏喜は二人と一緒に成長してきたからわからないが薫はよくそう言っていた。優士も修も日々、野球の練習で鍛えてあるせいか腕は筋肉で盛り上がり、無駄のそぎ落とされた体をしている。そこは確実に成長していた。二人は野球で県内でも有名な実力であるらしいことをよく聞いた。夏喜は野球のことはよくわからないが、二人の性格はほぼ手に取るようにわかっているのであった。

「そうなんだ、来たら私がちゃんとしかっとくわ」

「マジ頼むわ。夏喜が言えば少しは聞いてくれそう」修が言った。

「それどういうこと?」と言った夏喜は軽く修の頭をはたいた。

「まあまあ」長身の優士がなだめ、修も夏喜も軽く笑う。

 そして、水を一口に飲み干した優士は重ねて言った。

「でもさ、まだ俺たち野球できる可能性あるんだよ」

 夏喜はその優士の一言に驚いた。夏喜は二人と同じ高校に通っていて、統廃合のことや廃部のことも知っていたからだ。

「ちょっとそれどういうこと?」

 驚きのあまり声が大きくなってしまった。

「ちょっと夏喜、うるさいわよ」すぐ後ろに盆を持った薫がいた。

「あ、おばちゃん、こんにちわ」

「こんにちわ。今日もやきそばでいいわよね?大盛りで。」

 薫は笑顔を二人に向け、山盛りのやきそばを二つ置いた。まるで自分の子供を見るかのように。

「ありがとうございます」

「いえいえ、毎日来ていいんだからね」そう言った薫は、やきそば口いっぱいに含む二人を愛おしそうに見ていたが、思い出したように、ふと夏喜を見た。

「夏喜、私、明日の分の野菜、甲斐さんちに行って買ってくるから店頼んだわね。」そういうと二人に「じゃあね。」と言ってエプロン姿のまま駆け足で店の外へ出ていってしまった。それが夏喜の母親だった。どこかマイペースで、その笑顔の下にはたくさんの苦労がある。しかし、絶対人には見せない。夏喜の幼馴染にただも同然でやきそばを作り、またその幼馴染の訪問を楽しみしていた。父を亡くしてから女一人で夏喜を育ててくれた、夏喜は本当に母親が好きだ。

「夏喜のかあちゃん、変わんないな。俺、好き」

「俺も」

 二人は頷きあって、またやきそばを食べ始めた。二人のテーブルのすぐ近くに椅子を持っていてそれを眺めていた夏喜はふとさっきの会話を思い出した。

「ねえ、さっきの話なんだけど、まだ野球できるかもしれないって」

 そう言ったところで、店の玄関が開く音がして、夏喜はとっさに振り向いた。運動用のTシャツ、ハーフパンツを穿いた二人の男汗を垂らしながらが立っていた。

 二人とも長身で、一人は筋骨隆々で体格がよく、もう一人は痩せすぎず、太りすぎずの理想の体型をしていた。滝沢栄治と長瀬哲治だった。

「てっちゃん。」驚いて夏喜は思わず言っていた。

「哲治。」修と優士も声を合わせ言って、その後、言葉を失い、口を開けたままになっていた。

「ただいま。」哲治は驚く3人とは対称的に冷静な口調で言った。

 綺麗な目に揃った眉。いかにも異性から人気ありそうなその顔は一年半前、空港で見た時より大人になった印象を受ける。

 栄治と哲治は店の中に入ってきて、まだ驚きを隠せない二人のいるテーブルに座った。

「何してんの?喉渇いたから水頂戴?」

その栄治の言葉で現実に戻された夏喜は水を入れて、二人の前に置いた。哲治はその水を一口飲んで言った。

「みんな久しぶりだな、変わんねえ」

「久しぶりだなって、お前いつ帰ってきてたんだよ、ビビらせんなよ」

 やっと冷静になった修が言った。

「お前、大きくなったな。マジで」優士も言葉を思い出したようだ。その3人に栄治を加えた4人はそこから今まで溜めていたもの吐き出すように笑い、話した。

 夏喜もその話に加わり、ときに笑った。そう、この5人は同じ小学校の同級生でその前から仲が良かった幼馴染だった。

「でもさ、よくこの時期に帰ってこれたよな。アメリカの練習はいいの?」

 ふと優士が言った一言に栄治と哲治の顔が少し曇った。

「そのことなんだけど」そう切り出した哲治はこの一年半の間に自分の身に起きたことを一気に語った。レギュラーを勝ち取ったこと、右足首の怪我のこと、それを庇って負担を負った左足首、退学通告、そして延岡北高校への転入。その話をここ『海屋』にくるまでに聞いていた栄治は、腕を組みその様子を静かに眺めていた。優士、修、夏喜の3人は、喜びそして驚き、悲しみ、これからいつでも会えるという環境に複雑な思いを抱いていた。

「でも、北校っていうことはてっちゃんも高校野球できないの?」沈黙になりかけた空気を夏喜の一言が砕いた。

「ああ、廃部だって。ほんと俺はついてないよな。まあお前らもだけど」悲しそうな顔で哲治はうつむいた。

「北校野球部って何人いるの?」

「俺を入れて5人。監督すごい人なんだって、知ってる?アメリカでも有名でさ、俺のこと話つけてくれたらしいんだ。まだ会ってないんだけど、甲子園も出てるらしい。あとなかなかの双子がいるらしいよ」

 それを聞いた3人はそんな監督が近くにいるということを始めて聞かされて驚いていた。

「そんな監督いたんだ。5人か、ありえるな。」優士が言った。

「ありえるって何が?」栄治の言葉で夏喜は2度も遮られた話を思い出した。

「そういえば、さっきも言えなかったんだけど、さっき優士、まだ野球できる可能性あるって言ってたよね?それどういうこと?」

「ほんとか?優士、それ俺も知りたい」栄治が顔を強張らせて言った。栄治は野球をやりやくてしょうがないのだ。栄治はプロになる必要があった、それを夏喜は知っている。

「ああ栄治、ほんとだよ。まだ俺たちにも野球ができる可能性がある」頷いて優士が言った。

「詳しく教えてくれ」栄治、そして哲治が身を乗り出して優士の次の言葉に耳を傾けた。

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