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勝負のとき  作者: eight
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 細長く続く畦道。所々見られる農作業している丸い背中。そんな風景で自分が生まれた国、故郷を改めて思い出した長瀬哲治は靴紐を結び直し、また軽いランニングをするために一歩踏み出した。

 哲治が生まれた宮崎県延岡市は県北に位置し歴史が古く自然が多く残る地方であった。今日も猛暑に見舞われ、軽いランニングでも汗がシャツを湿らせていく。昔から変わらぬランニングコースを哲治は約1年半ぶりに走った。全てが懐かしく感じられるが、自分が両足首を気にしながら走っていることは昔とは違っている。

 折り返し地点となる市民の憩いの場、金堂ヶ池に足を踏み入れた哲治は入り口にある公園のベンチに腰をかけた。垂れる汗を拭い、ふと空を見つめ昔の記憶を探った。激動の一年。今、思い返しても激動という言葉が似合う。中学時代、大分のシニアでプレーしていた哲治は打撃の天才と注目され、雑誌、新聞などの取材で忙しい時もあった。厳しい批判をすることで有名なプロ野球解説者も哲治の長打力を絶賛した。哲治の左打席からのバッティングは中学生にして完成形に近かったし、なにより中学野球に残した実績がその才能をよく表していた。そんな哲治を強豪校が見逃すわけもなく、九州を中心に東北の高校からも声がかかった。しかし、全て断わることになる。哲治は小学生の頃からアメリカで野球をすることを望んでいた。やはり、野球といえばアメリカ。そういう意識が強かった。強豪校からの誘いは哲治の心を微塵も動かすことはできなかったのである。

 そして、中学を卒業すると同時に日本での実績を引っさげ単身アメリカ、カリフォルニア州の強豪校に入学したのである。アメリカでも能力を認めれた哲治は一年生にしてレギュラー、守備位置も自分の得意なライトを確保した。本塁打も量産した哲治は自分がアメリカでも通用する自信を発見しかけていた。そんな矢先事件は起こったのだ。

 アメリカの高校生にとって一番重要な大会、つまり日本でいえば甲子園。その州予選、今日のような暑い日だった。いつもどおり4番ライトで先発出場していた哲治は第一打席サードにゴロを転がした。走力にはあまり自信がなかったが思ったより打球に勢いがないのと、哲治の長打力を警戒していた内野が後進の守備陣形をとっていたため内野安打を狙える結果になった。全力で一塁ベースを狙った哲治を着塁と同時に激痛が襲った。

 立ち上がることもできない。右足首靭帯断裂。チームにとって大事な試合、全力で臨んだプレーが招いた悲惨な結果だった。驚異的な回復をした哲治だったが、その驚異的な回復の裏には右足首を庇った左足首の負担があった。右足首が直りかけたときの左足首の靭帯損傷。

 野球を取られた哲治にはなにも残らなかった。9ヶ月以上も野球から離れてしまった哲治に学校側も解雇通告である退学を告げた。退学だけは避けたかった哲治は高校の監督に懇願し、自分の故郷の高校への転校という措置を取ってもらった。成田空港に着いた哲治を待っていたのは、出発のときとは比べにもならないほどの空虚感。報道陣はもちろんいない、出迎えも両親だけという有様だった。

 そこまで一気に思い出した哲治はこれからの自分の野球人生を思うと気持ちが暗くなったが、ベンチから重い腰を上げ今走ってきた道を戻っていく。甲子園の宮崎予選は延岡学園の優勝で幕を閉じた。帰国が試合に間に合わず出場はできなかった。哲治の所属する延岡北高校は1回戦敗退。そして、部員不足と統廃合により今年で廃部の可能性が高いと言った校長の発言。頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。自分は運に見放されているのかと呪った。野球がしたい。もう一度野球でアメリカに挑戦したい。

 いつのまにか自分の家の近くに来ていた。小川が流れるその上を通る小さな橋を渡り畦道を進む。その時、ふと対面からランニングする長身の男が近づいてきた。その走る姿に懐かしみを感じた哲治は思わず頬を緩ませた。まだ、向こうは気づいていないようだった。二人の距離は急速に縮まっていった。

                                   *

 窓から入る暑い日光が眩しい。今日もよく晴れ渡り空に雲の姿はなく綺麗な青色に染まっていた。長い夏休みになってしまった。ベットに横になり漫画を読んでいた滝沢栄治は頭にストーリーが入ってこないことに気づき漫画を閉じ、仰向けに寝返りをうった。

 天井の一点を見つめ、嫌でも思い出してしまう2週間くらい前のことを考え目をつむった。失投だった。相手に投げたカーブが曲がりきらず甘めに入った。バットから繰り出された打球は大きく孤を描きフェンスを越えた。名前は松原秀一。忘れらない北方高校の4番打者だ。あのバッティングは無駄がなく練習の賜物だということはわかっていた。だから集中して投げたが、松原は間違いなく県内有数の実力の持ち主だった。同じ2年生というのが悔しさを倍増させる。

 0−1。栄治の通う延岡南高校は甲子園宮崎県予選2回戦で松原の本塁打、1点に泣き北方高校に敗れた。そして3年生は引退し、統廃合によって1年生を募集しないため野球部は栄治たち2年生の3人だけとなってしまった。2年というのが甲子園を目指す最高学年となるなんて栄治は思ってもいなかった。もしわかっていたらあんな無駄な一年は過ごさなかったと後悔した。目を開け、日光の眩しさに再び目を閉じようとした栄治は机の上でバイブしている携帯電話に気づいた。サブディスプレイが広岡修からの着信をしらせていた。

 「もしもし」

(もしもしじゃないよ、今日も引きこもりか?)

 強い口調の修に少し驚いた栄治は携帯電話を持ち替えて言った。

「ああ、今日も引きこもりだ、そっちはきょうも練習か?」

(練習はもう終わったよ、もしかしてまだあのホームランが忘れられないのか?)

「あたりまえだ。お前らが打たないから負けたんだ。」 

(ばーか、あの北方のピッチャーはかなり打ちにくいんだって。あれで2年っていうんだからビビるよ。)

 延岡南打線を0点に抑えたあの右腕もまだ2年生ということを修の電話から栄治は思い出した。

(でもさ、うちらは北方に負けちまったんだよ。実力で。それは認めようぜ。まだ野球ができる限り野球やろうよ。お前だって野球やりたいっしょ。今、練習終わって学校でるとこだから10分後くらいに『海屋』にランニングがてら来いよ。優士も一緒だからな。絶対来いよ。じゃあな。)

 一方的に切れた電話を置き栄治はトレーニング用の服に着替え始めた。修と大久保優士二人の笑顔をふと思い出し、会いたくなったからだ。栄治と修と優士。延岡南高校残った3人の野球部だった。

 3人は小学生の頃同じ学校に通い同じチームで野球をしていた。中学は栄治が宮崎中央リトルに入団したためバラバラになったが高校に入学し、また同じチームで野球することになったのだ。野球は小学生からでも、世間が狭い延岡では3人は幼稚園に入る前から遊んでいた気心の知れた仲間といえた。長身の優士に昔から背が変わらない修、それに2人の間の栄治が並んだときはとてもバランスよく見えたものだった。延岡南では修がそのすばしこっさを生かして1番を、優士がオールマイティさを発揮して2番を打っていた。この1、2番コンビはその出塁率や実績、守備能力から宮崎でも一目置かれている。

 着替え終わった栄治は玄関を出て、久しぶりに肌で暑さを感じた。この身体にあたる陽が今まで悩んでいた脳を洗い流してくれるような気持ちを覚え、爽快な気持ちになる。

 家の前の道をひたすら学校の方へ向かう。だんだんと家はなくなり静かな畦道へと続く。自分が確実に大地を踏みしめていることを実感し、下を向き、自分の足取りを追う。栄治のランニングのときの癖だった。

 ふと、前から走ってくる人の影を見た。ごつごつした体で、自分よりも身長が大きい。重い足取りでラグビーの選手などかなと思いまた下を向いた。通りすぎる瞬間、声を聞いた。

「栄治。」

 顔を上げた栄治はその声を発した笑顔を見て、驚き、そして呼応するかのように笑顔になった。

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