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勝負のとき  作者: eight
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 場内放送で目が覚めた。空からは太陽が容赦なく照りつける。眠気を追いやるため無理矢理パソコンに目を向けた前田美穂は左手で顎から垂れる汗を拭った。しかし、パソコンに向かった目はまた、ゆっくり閉じようとしていた。その時、紫煙の匂いを嗅いだひかりは横に自分の先輩にあたる男がいることを忘れていたと気づき目を覚ますことを余儀なくされた。右打者が打席に入るところだった。

「寝ちゃ、駄目だよー。全て見るのが記者ってもんだ。」

まさしく中年といえる体型で丸顔、酒と煙草と競馬が好きなことが部でも有名な北村徹は煙草をくわえたままいつも通りのゆったりとした口調で言った。

「すみません、昨日遅かったもので。」

 そう言ったひかりは少し苦笑いを浮かべ反省した顔を北村に向けたががうまくできいるか心配になった。そもそも美穂は今、自分がここにいることが不満だった。学生の頃から憧れていたスポーツ記者にこの春なることができた。宮崎新聞編集局スポーツ部記者。自分の生まれたこの地域のスポーツ記事を書きたいと思い、一度は捨てた故郷宮崎に戻ってきた。女性だからだろうか、最初は現場に出ることも許されず、仕事といえば上司のお茶汲み。それを我慢するうちに、念願叶って初めて与えられた仕事が高校野球の取材だった。しかし、取材は過酷なものだった。大手新聞社の競争に打ち負けている宮崎新聞は地元のネタにこだわりを置き読者の獲得を狙うことになる。そうなると記者の足が必要になり、美穂もこの2週間で県内を散々歩きまわった。夏の高校選手権宮崎大会が始まったから忙しくなるのも当然だったが、なにより、この灼熱の暑さが美穂を参らせていた。今日の取材の目的は大会屈指の2回戦宮崎日大高校対日南学園高校。共に甲子園出場経験があり2回戦で当たるのは宮崎日大が春季宮崎大会で2回戦敗退を喫しシードを獲得できなかったからである。

 今日は日曜ということもあって、宮崎市にあるアイビースタジアムの観客は甲子園並の実力を見ようとほぼ満員になっていた。しかし、今やっているのは2回戦の第一試合で、宮崎日大と日南学園は第3試合だ。美穂は第一試合など興味はなく、試合より紫外線を気にしていた。しかも、せっかくの日曜日を朝早くから北村と一緒に過ごさなくてはいけないことに23歳の女性としては少なからず悲しみを覚えるのであった。

 その時、グラウンドに目をやった美穂は驚きで目を見開いた。右打者に向かって獣のように投げこまれた速球はバットをかすめミットに納まった。そんな左腕の投球を見たからでる。球速は電光掲示板を見ずに140キロちかく出ているのはわかったし、まったく非の打ち所のない滑らかな投球フォーム、そのフォームから繰り出される猛獣のような白球。この2週間強豪校を取材してきたが、こんな、人を引き込む球を投げる投手はいなかった。アイビースタジアムの観客も美穂が眠気に襲われる前から気づいており新たな収穫に笑顔をこぼしているものも少なくなかった。

「先輩、あのピッチャーってどうですか?」

 この2週間で自分の目がどのくらい成長したか試したかった。今見ているこの投手は本当に才能ある投手なのか。

「今頃、気づいたか、遅いよー。いい投手だよ。」

「有名なんですか?」

「有名だねー。中学時代は宮崎中央シニアで全国準優勝で日本選抜に選ばれ世界大会も経験している。まだ2年生だよ。」

 北村は新たな煙草に火をつけながら教えてくれた。自分の目は間違っていなかった。180センチちかくありそうな長身から3年生と思っていたが、まだ2年生。美穂は自分の中でスポーツ記者として何かが動きだすのを感じた。左打者がバッターボックスに入るのを横目にみながら美穂は北村に再び尋ねた。

「宮崎中央シニアっていったらその卒業生は日南学園とか、延岡学園とか強豪校に行くのがあたりまえですよね?それがなんで、あんな名前も知られてない学校に行ったんですか?」

 尋ねた美穂は電光掲示板を見た。北方高校対延岡南高校。今攻撃しているのが北方高校だから左腕が所属しているのは延岡南高校だ。あまり聞いたことがなかった。

「それは俺にもわからん。興味があったら取材だ。ただあの投手は1年の時は野球部に所属していない。全国準優勝だから、もちろんその代の宮崎中央シニアのナインは記者の間からも注目されていた。特にあの左腕はね。けど、他のナインが強豪校に進む中あの投手は野球を止めたって話だ。理由はわからん。高校1年の時には相当なワルもやってた噂だ。」

 左打者が凡退し、北方高校の1番打者が左バッターボックスに立った。北村は身を乗り出しその対決を楽しみしていたかのように少し口元を緩ませながら言った。

「あの左打者、俺の甥っ子。なかなかの俊足でいいバッター。練習の虫で中学時代は通算4割越えてた。宗明っていうんだ。北村宗明。注目だよー。」

 たしかに、どこに力も入っていないような構えで、俊足に見られる太めの足。ちょっとオープン気味に構えたその格好は阪神タイガースの赤星憲弘を彷彿させた。1球目は外角のボール。ふと美穂は電光掲示板に違和感を覚えその方向を見た。違和感は当たっていた。負けている。左腕率いる延岡南が1点を取られ負けている。回は7回を回っていた。美穂は自分が寝ていたことを恥じた。

「どうやって1点取られたんですか?」

 一瞬怪訝な表情を見せた北村だがすぐに思い返したような表情になり言った。

「そうだ、寝ていてんだっけ。ホームランだよ。相手四番のホームラン。観客はまぐれと思っているかもしれないが、あれは狙っていたね。いいスラッガーだった。今調べたらこちらも2年生だよ。」

 ホームラン。見たかった。記者として。2球目、3球目をファールにした宗明の当てる技術は目を見張った。

「宗明君、他の強豪校とか行く気なかったんですか?中学で活躍して、あれほどのバッターなら声かかりそうですけどね。」

「どこからもこなかったんだ。自分で受けにいったりもしたが、全部駄目だった。そして、家から近くの北方高に通うことになってしまったんだ。そういえば宗明もまだ2年だ。しかし、今年が最後と言っていたよ。」

 4球目、内角を振らされた宗明は三振に倒れた。

「今年が最後?どうしてですか?まだ2年生なら来年があるでしょう?野球辞めちゃうんですか?」

「いや、違うよ。野球がなできなくなるんだ。高校の統廃合でもう一年生の募集はしていない。高校がなくなる。宗明が最終学年っていうことになるなー。今の3年生が抜けたら野球部は3人しか残らない。少子化なのかなー。」

少子化という問題だ高校野球にも侵食していることに美穂はこの時気づいた。

「そうなんですか、残念ですね、いい打者なのに。4番打ってる2年生も。どこの高校と合併するんですか?」

「お前は4番見てないだろ。」

 少し悲しそうな笑顔を見せた北村は続けて言った。

「驚くな、北方高校と合併するのは、延岡北高校と、今対戦している延岡南の3校だ。」

 美穂は驚きのあまり北村を見つめ動くことができなった。そして記者としてさっき動きだしたものが急速に崩れていくのを感じた。

「つまり、あの左腕も2年生だけど今年が最後だ。延岡南も3年が抜けたら2年の3人だけだ。」

 美穂は混乱していた。あの、人を引き付けるような投球をもう見ることができない。そう思うと9人という野球を行う人数を恨んだ。それからはなにも考えることができなかった。宮崎日大と日南学園の戦いはどうでもよくなっていた。ただ覚えているのは、あの左腕の延岡南が2回戦で負けたことだけだった。

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