1-8 自転車でのロマン
「はぁ……何で僕がこんなことをしないといけないんでしょうね?」
「むむっ、彼女のお願いを叶えるのが、そんなにも不服なのかしら」
「……そもそも倉科さんは僕の彼女じゃないでしょ」
一方的に告白をされて、付き合いとか言われてもすぐに『はい』とは言えない。
まぁ、色々と妥協して今の関係になっているけど、とりあず彼女ではないね。
「細かいことを気にしすぎ。私が輝くんの彼女かどうかなんて些細なことでしょ?」
「あなたが、振った話題なんですけどね……」
自分から彼女と言っておきながら、関係ないとはこれ如何に?
「もう……我儘ばっかり言ってないで、キビキビと自転車を漕ぐの」
「……分かりましたよ」
反論をするのを諦めて、大人しく自転車を漕ぐ。ただ普通に自転車を漕ぐのなら問題
はないのだけど、今の状態は普通ではない。
後ろに倉科さんが座っている――所謂、二人乗りというやつだ。
幽霊である倉科さんが後に乗っていても関係がないと思うかもしれないが、倉科さん
にも普通に体重はあるわけで、この自転車には僕と倉科さん。二人の重さが加わっている。
そして、その二人分の重さを感じながら僕は自転車を漕いでいるわけなんだ。
「はぁ……はぁ……やっぱり、二人乗りは大変ですよ」
しかも、特に目的もなく自転車を漕いでいるから、終わりが全然見えない。
いつ終わるかが分かれば、多少は気が楽になるんだけどね。
「男の子でしょ? 我慢しなさい」
「……せめて、何処に向かっているのかだけでも教えてくれませんか?」
そうすれば僕もあと少しくらい頑張れると思うんですよ。
「何処にって言われても、特に考えてないのよね」
「え……?」
「私はただ、輝くんと自転車の二人乗りをしたかっただけなのよね」
まさかの発言。目的もなく自転車を漕がされていたとは……
「目的地はないけど、この二人乗りには意味があるんだよ?」
後ろにいるから表情を読み取ることは出来ないけど、きっと倉科さんのことだからドヤ
顔をしているんだろうね。
「……どんな意味があるんですか?」
「それは勿論――男の子と二人乗りで自転車に乗るのって、なんだかロマンじゃない?」
「ロマン……ですか?」
「そうよ。女の子にとっては、憧れのシチュエーションなのよ。夕暮れの中、好きな男
の子と自転車に二人乗りをする。ゆっくりと、だけど決して遅いスピードじゃない自転車。
その自転車から振り落とされないように後ろから、服をきゅっと掴むの。それって、
何だか素敵じゃない?」
「素敵かどうかは知りませんけど、今は夕方ではないですよ」
倉科さんの言った言葉は、確かによくあるシチュエーションかもしれない。だからと
いって、それが素敵かと問われれば微妙な気がする。
「確かに夕方じゃないけど、輝くんと二人乗りをしてることに意味があるの!」
後ろから、がぁーと吠える倉科さん。表情は見えなくても、怒っているのは分かる。
「輝くんって、ほんと女心が分かってないわね」
「まぁ、男ですからね」
「屁理屈、禁止」
後ろから頭を叩かれてしまった。軽く小突くような感じだったが、出来ることなら
運転中には止めて欲しい。他の人から見れば一人で乗っているようにしか見えないだろ
うけど、実際は二人乗りでバランスと取るのが難しい。
だから転ばないためにも、あまり危ないことはして欲しくない。
……結局は、僕の自業自得なんだろうけどね。
「倉科さん。そろそろ家に戻ってもいいですか?」
「まだダメよ。もう少し、この素敵な時間を堪能させて」
「……でしたら、せめて目的地を決めて下さい」
このままでは、何回も同じ所をグルグルと回ることになってしまう。
「一応、憧れのシチュエーションなんですよね? なら、憧れの場所とかあるんじゃないんですか?」
夕暮れの中、自転車を二人乗りするとか言っているくらいだから、その中に当然理想
の場所とかあるはずだ。あるのなら、そこを目指して自転車を漕いだ方が僕の精神衛生上
楽になれる。
「憧れの場所? 一応、あるにはあるけど……」
何故か、言いにくそうにしている。
「あるのなら、言って下さい。そこを目指しますから」
「本当に言っていいの?」
「いいですよ。目的地があった方が僕自身が楽になれるので」
ですから遠慮なく言ってくださいよ。遠慮するなんて、あなたらしくないですよ。
「……後悔しない?」
「しませんってば。遠慮なく言ってください」
「分かったわ。あのね――」
倉科さんから発せられた理想の場所。その場所は――
「え……? あそこですか?」
「うん。あそこの原っぱに行きたいの」
倉科さんが言っている原っぱ。別に原っぱ自体は問題ないのだけど、一番の問題は距離だ。
自転車を使っても一時間くらいかかるのだ。二人乗りの状態で一時間の運転はかなり骨が折れそうだ。
「やっぱり、キツイよね? 違う所でもいいんだけど」
「いえ、その原っぱに行きますよ」
わざわざ聞いておいて、行かないのは嫌だ。それに倉科さんが行きたいと言っている
のなら行こうじゃないか。
「多少、飛ばしますからきちんと掴まってて下さいね」
「え、あ、ちょ――っ!?」
返事を待たずに勢いよく自転車を漕ぐ。かなり距離はあるが、リクエストされた以上
応えるのが男の子なんでしょ? ねぇ、倉科さん。
「は、早い。輝くん、ちょっと早いわよ」
「はぁ、はぁ……スピードを出してますから、そりゃ速いでしょうね」
とは言っても、もの凄くスピードを出しているわけではない。二人乗りという状態を
考えると速いだけで、ビックリする程速いわけじゃないのだ。
それでも運動不足ぎみの僕からすれば、かなりの重労働ではあるんだけどね。
「倉科さん。きちんと掴まって下さいね」
「う、うん……」
倉科さんが、ぎゅっと服の裾を掴む。遠慮ぎみにだけどシッカリと裾を掴む様は、
とても可愛らしいと思う。
そんなことを思いながら自転車を漕ぐ。倉科さんが行きたがっている原っぱを目指して。
「ぜぇ、はぁ……やっと着いた」
「あははー、かなりお疲れだね」
「そう、ですね……かなり疲れましたよ」
この距離を二人乗りで移動するのは、かなり厳しかった。
「好きな人と原っぱ……」
倉科さんが感慨深そうに原っぱを見つめている。
「なかなかに素敵な原っぱでしょ」
「……そうですね。まぁ、素敵な原っぱですね」
特に何かがあるわけじゃなく、本当に何もない原っぱ。だけどその原っぱも一人じゃ
なくて誰かと一緒なら――
「男の子と……好きな人とこの原っぱに来るのが夢だったの」
「夢だったんですか」
「うん。別に何かをしたいわけじゃなくて、ただ二人でこの光景を見たい。
この光景を見て、同じ感覚を抱いてもらう。そんなのに憧れてるの」
僅かに頬を赤く染め、照れくさそうに答える。
「倉科さんの夢を叶えることが出来てよかったですよ」
ここまでキツイ思いをした甲斐があるってものだ。
「ねぇ輝くん……」
「何ですか?」
「む~わざわざ言わないと分からないのかな?」
ふくれっ面になる倉科さん。わざわざ言ってくれないと分かりませんよ。
「憧れのシチュエーションで、理想の場所に居るんだよ? それですることっていった
ら、一つしかないじゃない」
「それが分からないんですけど」
「……少しは自分で考えて欲しいんだけどね」
「なんかすいません」
女心をまったく理解してなくてごめんなさい。
「私だからいいものの、沙羅ちゃんが相手だったら大変だよ?」
「……そうかもしれませんね」
沙羅が相手だったら、確実に暴力を受けていただろう。お仕置きという名の暴力を。
そういう意味では倉科さんが相手でよかった、のかな?
「沙羅ちゃんほどじゃないけど、あまり焦らされると私も怒っちゃうよ?」
「はは、は……」
それは勘弁してください。倉科さんにまで暴力を振るわれたら、僕の休まる時が無く
なってしまうじゃないか。
「怒られたくないのなら私のして欲しいこと、して欲しいな」
「だから、それが分からな――んむっ!?」
「ん、んちゅ……ぁ」
「な、なな、何を……!?」
いや、何をされたかなんて理解している。倉科さんにキスをされたんだ。
頬や額にではなく、唇に……
「輝くんがしてくれないから、私からしちゃった♪」
ぺろっと舌を出して、お茶目な笑みを浮かべる。
「それに、沙羅ちゃんだけキスをしたなんてズルいもんね。だから私もキス、したかったの」
「したかったって……」
それだけの理由でいきなりキスをするのは。
「輝くんは私にキスされるの嫌だった?」
「……その聞き方はズルいですよ」
そんな風に聞かれたら嫌だなんて言えるわけがない。
「こんなシチュエーションでのキス……やっぱり素敵だね」
「…………」
「むぅ……黙ってないで感想を言ってよ」
「よかったんじゃないですか?」
倉科さんの柔らかい唇の感触は気持ちよかったけど、それを報告するつもりはない。
なんだか負けた気分になるしね。
「まったく、素直じゃないんだから」
「……帰りましょうか」
「あぁん、怒らないでよ!」
「怒ってませんよ」
「本当に?」
「本当ですよ」
ただ照れているだけですから。ええ、本当に照れているだけですから。
「女の子を焦らせるなんて、輝くんは鬼畜だね」
「その言い方は止めて欲しいです」
変な誤解を生んでしまうじゃないですか。僕は普通の男なんですからね。
「あはは、ごめんね? でも輝くんが鬼畜なのは事実なんだよ?」
「何処がですか?」
「だって、女の子がこんなにも君を求めているのに、全然応えてくれないんだもん。
そんなんだったら、鬼畜だって言われても仕方ないよね?」
「他の言い方があると思いますよ」
不本意だけど、鈍感とか朴念仁とかあると思う。
「そうかもしれないけど、鬼畜の方が似合うかな?」
「全然嬉しくないですからね」
そんな言葉で喜ぶ人はただの変態だろう。
「さて、そろそろお家に帰ろうか」
「ちょ――っ、人の言葉を無視しないで下さいよ!」
「早く帰って沙羅ちゃんのご飯を食べましょう♪」
「く、倉科さん!?」
もうすでに自転車に乗りこんでいる倉科さん。どうやら僕の言葉は聞いてもらえないようだ。
それにしても、今から家に帰るのか……面倒だな。
また一時間ほどかけて自転車を漕がないといけないのか。
はぁ……帰ったら、速攻で寝そうだよ。