魔王様とワライタケとわたし~夜魔ヴェローナの記録~
暗雲が空を覆い一筋の光すら絞め殺し。
代わりに、幾条もの雷が天を裂いて影の世界を照らした。
絶叫のような雷光と共に浮かび上がるのは、光を浴びせられてなお暗い影。
暗闇を凝り固め悪夢が形作り、深淵の静謐をたたえたそれは、巨大な城の形をしていた。
その、天頂。
暗雲を串刺しにする尖塔のバルコニーにて、雷鳴さえも圧してその声は響いた。
「ふはははははは!!」
ピシャーン、ビカビカッ!!
男の笑声に同調するように、雷が光った。その完璧なタイミングに、まさしく付和雷同と彼が思ったかどうかは定かではないが、とにかく刹那、影の国にその人影がなお暗く浮かび上がる。
「くははははははッ!!」
漆黒の外套と闇色の長い髪を不吉の風になびかせた、美丈夫である。
夜闇色に底光りする双眸が炯炯と地を睨め付け、自らの君臨する影の国に渦巻く、その欲望と悪徳のギラついた輝きを映した様でもある。
それは正しくこの地の絶対者。放出される圧倒的な魔力。数多ある異形異相の怪物共の中で、その頂点に君臨するに相応しい存在。
「はーはッはッ・・・・ ぐッ!?ゲふッ、げほッ!!カふッ!!」
げーほげほげほッ!!
ふと、闇色の青年が苦悶に咽ぶと、先刻からひっきりなしに響いていた雷鳴が戸惑うように止んだ。ぴしゃーん、と小さくうかがう様に落ちた一条など、可愛さすら感じさせるほどである。例えその落雷がうっかり数人の人影をまとめて直撃していたとしても。
「はいはいストップストップ!」
突如響いた、パンパン、と乾いた拍手と女の声に、今度こそ完全に雷が止んだ。
弾礫の様な雨も降り止み、ただ湿気をおびた風だけがゆるやかに渦巻いている。
「ちょっと大丈夫ゥ?魔王サマ。」
女の、賛否の分かれそうな独特の艶のあるイントネーションで呼ばれた先には、うずくまる黒髪の美丈夫。その言葉に、彼は――――・・・
「ケふっ、かふッ・・・・・ッ!ッ・・・!!」
ひたすらにむせていた。高笑いで咽喉を痛めた上に、気管に雨水が入ったらしい。
うずくまりまるで不法投棄のゴミ袋のような背に負う名をこそ、ペテルギウス・カルトス・イルマーニ・バルゼドット。
実に三十六代魔王、“闇色のペテルギウス”その人(?)であった。
もっとも。
「死ヌッ・・・!!」
このままでは、すぐさま三十七代目の襲名争いが起きかねない有様であったが。
声の主、艶やかな黒髪をショートボブにした少女が呆れたように軽く手を上げると、そこへ真直ぐに盃を乗せた銀盆が黒雲に抱かれてやってきた。よく見ると、その黒雲は無数の蝙蝠である。
「ハイ、どォぞ。」
その声を最後まできくこともなく。
魔王ペテルギウス・以下略は、差し出された盃をひったくるように受け取ると、なみなみと注がれた清水を一息に飲み干した。
ゴッゴッゴッゴッ・・・
「ぷハァッ、死ぬるかと思ったぜ・・・!危うく親父の二の舞だ!!」
むせただけで大げさな、とは言い切れないのが彼の先代の死に様である。
現魔王の脳裏には、血を吐いて崩れ落ちる父、三十五代魔王カルトスの姿が浮かんでいた。
誇り高き魔王カルトスの最期は、勇者に倒されたわけでも腹心の部下に裏切られたわけでもなく――――それはそう、去年の魔王城年忘れ大宴会にて、カラオケ熱唱中のクモ膜下出血であった。その最期の言葉は
『 変わるわヨ☆ 』
――――――その一声と共に第二形態に変化する、ラスボスならではの芸であったが、いかんせん変わったのは“世代”であった。
ちなみに“金眼のカルトス”の変化形態は108式まであったと言う。
多くの勇者が10~20形態のうちに「やってられっかァッ!!」の悲痛な叫びと共に散っていったものである。
たまに死に際に、「この変態野郎!!」と吐き捨てられ、
「変態って・・・確かに生物学的には形態変化を変態とは言うけどさぁ・・・これじゃ“HENTAI”の方の意味みたいじゃないか・・・」
と凹んでいた父の、どこか寂しそうな後姿さえ鮮明に思い出せた。
閑話休題。
「あらァ、いい飲みップリ♪」
パチパチと軽薄な拍手を送る少女に目をやることなく、現魔王ペテルギウスは大きく息をついた。
「助かったぜ、ヴェローナ。」
「同じシチュエーションで、お酢の入った盃を渡された事もあるのに躊躇わずわたしの手から受け取り一息に飲み干す貴方のタンジュ・・・純粋さが好き♪」
にこりと、唇の端に邪悪さを隠そうともせず微笑んだ夜魔の少女に、ペテルギウスは無言で明後日の方向へ盃をブン投げた。
キラキラと無駄に美しい軌跡を追って、『昨日の俺のバカ野郎!!』という叫びを人外の少女はきいた。気がした。
聖水だろうが毒薬だろうが然程ききもしない彼だが、気管に入る酢はそれなりに苦しいものであるらしい。
勇者一行は聖灰やら聖水やらの前にお酢を一瓶装備するべきであろう。
盃の残光がすっかり消え、ぜーはーぜーはーという過呼吸がすっかりおさまるほどの間をおいた後。
「あー・・・・・・
でも、悪い。
嵐止めちまったな。」
言葉に応えるように、チュンチュンとのどかな小鳥の声が響いた。風もすっかり凪ぎ、曇天からはわずかに薄い光が差し込んでいる。
「まァ、でも天候操作魔法も安定してきたし、高笑いと雷精霊のシンクロ率も順調に上がってきてるわ。演出力や迫力もなかなか。
十分じゃないかしら?」
黒い蝙蝠傘をパラボラアンテナ代わりに、空間から収集した情報を元にそう評するヴェローナに、新米魔王は厳しい顔で首を横に振った。
「いや・・・まだまだだ。もっとこぉ、笑い声だけで勇者共なんてカッ飛ばせるようなッ!
むしろ天候魔法抜きで勝手に雷鳴が轟くような、そんなゴージャスかつ邪悪な笑いをッ!!」
「魔王サマ、高笑いの訓練好きよねェ。」
「あぁ、大好きだぞ!なんか楽しいし。」
「・・・魔王サマの最終形態って、ワライタケ?」
なんつー事言うんだ!!と、何故か赤くなる魔王陛下をほうって、さらに大気の情報を選別――――蝙蝠傘をくるくると回転させていたヴェローナは、ふと、ひっかかった風聞にその気だるげな眉を上げた。
「あらァ?
ねェ、ちょっとちょっと魔王サマ。」
「待てよ、俺は断じてワライダケじゃねぇからな!?あんな菌類!!
あれと俺の共通点なんて、マントの黒さとひだの黒さが同じな事くらいじゃないか!
あ、あと笑うとことか生きてるとことか傘の水玉とパジャマの水玉とか!意外に共通点多いとかショック受けてないからな!?」
「ワライタケは笑いませンわ魔王タケ・・・もとい魔王サマ。
いーからきいてちょうだい。
勇者一行が、この国に侵入したみたいですワよ?」
「なにぃッ!!?」
その一言に、魔王の顔が厳しく引き締まる――――どころか、あからさまな喜びに崩壊した。
「ついに、ついに来たか俺の代で初めての勇者!!
毎日このために高笑いやら悪役笑いやら嘲笑やら無慈悲な微笑やら百万ドルの笑顔やらを練習してきたんだ!各国への代替わりを知らせる書状にも俺の不適な笑みのビジョンを同封したしな。
奴らは今どこにいる?夜魔ヴェローナよ!」
俺の渾身の初めてをくれてやるわ!!
などと余計な台詞を吐きながらも、漆黒のマントをばさりと翻し威風堂々と問うたペテルギウスに
「個人的には百万ドルの笑顔が一番気になる感じだわ、魔王タケ。あと初めてには突っ込みませんことヨ。
ちょっとまっててェ、う~ん・・・・・・・」
ヴェローナは紫色の双眸を閉じると、代わりに腰から展開した蝙蝠の羽と、黒い蝙蝠傘を微細に震わせはじめた。
一筋の光も差さぬ夜にこそ生きる“夜魔”は、その超高性能のアンテナ二つを駆使して、遥か地上に満ちる情報から目的の風聞を捕らう。
「ふはははは!来るが良い、無力な人間ども!!
・・・・・・・・・・・・・
くはははは?いや、やっぱフハハハハ?」
はーっはっはっはっはっ、げふォッ!えほッ・・・!!ック、やるな勇者め・・・ッ!!
一人盛り上がり、ついでに勝手に自爆し予想外のダメージを受ける上司に微塵の動揺を見せることもなく完璧な仕事をこなしたヴェローナは、あらまァ、と自身の捕らえた情報に呟いた。
「勇者一行、なんか全滅しちゃったみたいですワよ?魔王サマ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ッ、なにィイイイイイイ!!?」
思わず絶叫するペテルギウス。微細な超音波を扱うヴェローナは微かに顔を顰めると、とりあえずやかましい上司をたたんだ蝙蝠傘で一突きにした。
「ぐふっ!!?」
「魔王サマ、うっさい。」
「っうるさっ、って・・・突くな!せめて叩け!!
なんでだ!?なんでだよ、ここまで辿り着くくらいレベルの高い勇者だったらそうそう全滅なんて・・・!
ほら、街の入り口に初回特典で前代勇者の伝説装備一式と救急箱いれといたし、体力回復に高級スイート宿泊券もいれといたんだぞ!?
あと路地裏でいじめられてるスライムを助けると魔王城迷宮ショートカットルートの地図がもらえるイベント付き!!」
色々な意味で涙目で訴える魔王を、その要望通り傘でべしべしハタきながら、ヴェローナはさほど困ってもいない困り顔で答えた。
「なンだか、雷に全員いっしょくたに直撃されちゃったらしくって。」
「・・・・・・・・
雷?」
「そ、カミナリ。」
――――――・・・彼らの脳裏に同時に浮かんだのは、一条の雷。
突然の天候魔法の解除に、ぴしゃーん、と、いじらしくつつましく、「え、あの、とまっていいんですか?ていうか大丈夫ですか?」とうかがうように落ちた一条。
「あれかぁああああああああああ・・・・!!」
まさかその真下に勇者一行がいたとは。
ずるずるとへたりこみ(小声で)叫んだ魔王に、不幸な事故でしたわァ、とヴェローナはしみじみとコメントする。そして。
「―――――・・・で、どうすんのォ?魔王サマ。」
カツン、と傘の石突きでバルコニーを打ち、先刻まで魔王陛下をばしばしと叩いていた夜魔は、こんな時ばかり忠実な臣下の態でひかえた。
漆黒の髪を石造りのバルコニーに散らしてへたりこんだまま数秒、ヴェローナがそろそろ駅のサラリーマンの伝統芸能傘フルスイング(ゴルフ版)を披露してやろうかなどと考え始めた頃、ようやく魔王はゆるゆると顔を上げた。
「・・・・ふっ、所詮は勇者なんぞ、この俺が手を下すまでもなかったということよ。
ふ、ふふ・・くはは・・・はーははは・・・・っ!」
そのまま何とか立ち上がり、ふらふらと城内へ入ってゆく。
虫けらめー、だの、下等な人間めー、だの、人はなんですぐ死んでまうのん?だの悄然と呟く魔王の背に付き従いながら、ヴェローナは眷属の蝙蝠に勇者一行の装備の確保を命じる。迷宮の宝箱にはまだいくつか空きがあったはずだった。当面の歓迎、否、警戒体制も解かせ、あとは、どうすれば魔王陛下をお慰めするかだが。
「沈んでらっしゃいますね、魔王様。」
ふと、心配そうに声をかけてきた三本角の近侍に、ヴェローナは悩むように軽く首を傾げ。
「そーねェ。」
そして、思いついた名案に隠しもしない邪悪な微笑を浮かべると、近侍の耳元で愉しげに囁いた。
「魔王サマの御夕食には、とびっきりのワライタケを盛って差し上げて♪」
――――――――――・・・
その晩、勇者を撃退した喜ばしさにか、魔王城には魔王の哄笑が響き渡ったそうである。
【完】
続くような続かないような。