番外編 ジップタウンで
奴隷のレオン。犬のチャーリーと武器屋に行ったときのおはなしです。
ジップタウンに足を踏み入れるのは久しぶりだった。
石畳の色も、人々の声も、記憶より少しだけ賑やかだ。
わたしはフードを深くかぶり、群衆の端を歩く。ここでは、過去も名前も、できるだけ目立たせないほうがいい。
そのとき、前を歩く二人連れに視線を奪われた。
まず目に入ったのは、男の履くブーツ。
手入れが行き届き、歩くたびに無駄な音を立てない。戦う者の足取りだ。背筋は伸び、視線は低すぎず高すぎず、主の半歩後ろを保っている。だが、いざとなれば瞬時に前へ出るだろう。
その首元には、鈍く光る金属――奴隷の首輪。
次に、主である少年。
年は若いが、怯えは薄い。旅慣れてはいないが、好奇心の方が勝っている。
肩から下げたカバンの中を時おり気にしており、布越しに小さな影がもぞりと動いた。犬だろう。可愛くてたまらないのだ。
露店や看板を珍しそうに見回す姿は、無防備そのもの。あれを守りながら歩くのは容易ではない。
親はよほど彼を大切にしているのだろう。あのような護衛をつけるほどに。
二人は武器屋へ入っていった。
嫌な予感がしたわけではない。ただ、足が止まった。
武器屋は、わたしにとって縁の深い場所だ。剣の匂い、油の匂い、鉄と革の混じった空気――それらが過去を呼び起こす。
ほどなくして二人は店から出てきた。男は変わらぬ足取りで、少年は少し満足げな顔をしている。何を買ったのかは分からない。
わたしは道の脇に寄り、二人を見送った。
そして、気づけば自分も武器屋の扉を押していた。
店内は静かだった。壁に掛けられた剣や槍、棚に並ぶ短剣。見慣れた光景のはずなのに、わたしの視線は一直線にカウンターへ吸い寄せられた。
そこに、一振りの剣が置かれていた。
息が止まった。
ありえない。そんなはずはない。
だが、目を逸らせなかった。柄の形、鍔の曲線、鞘の革の色――すべてが記憶の奥に刻まれたままだ。
遠い昔。家を出る弟のために、兄が譲ってくれた剣。
まだ少年だったわたしに、兄は言った。
「わたしがこれを振るう役目は終わった。これからは、おまえを守ってくれるだろう」
無骨な手で頭を撫で、笑って渡してくれた。強くて、優しくて、背中の大きな兄だった。
あの剣と共に旅に出て、仲間に加わり、戦い、そして――囮にされた。
逃げる時間を稼ぐために前へ突き飛ばされ、仲間は背を向けた。
わたしは運よく助かったが、剣は失った。瓦礫の下か、血の中か。二度と戻らないと思っていた。
あの時の剣は傷つき、刃こぼれし、握りには血の跡が残っていた。
それが、なぜここにある。
しかも、あの日のままの姿で。刃に欠けはなく、柄の巻きも締まっている。鞘に刻まれた生家の紋章まで、鮮やかに。
――冒険者になってすぐ、わたしはその紋章を削り取ったはずなのに。
しばらく動けなかった。店主が怪訝そうにこちらを見るのに気づき、ようやく息を整える。
「これを」
声が震えないよう、短く告げた。
「売ってくれ」
「お目が高い。たった今買い取ったばかりです」
値は安くなかったが、迷いはなかった。金貨を置き、剣を受け取る。手に伝わる重みが、本物だと教えてくれる。
店を出たわたしは、先ほどの二人を追おうとした。
知りたかった。彼らがどうしてこの剣を持っていたのか。どこで手に入れたのか。
だが、足は動かなかった。
世の中には、いろいろなことがある。
失われた剣が巡り巡って戻ってくることも。これは、その一つなのだろう。
わたしは剣を背に負い、再びフードを深くかぶった。
兄の声が、遠くで聞こえた気がした。
ジップタウンの喧騒が、人の営みの美しさと儚さを隠すように、わたしを招いていた。
刃の重みは確かにある。だが、それはもう振るうための重さではない。
胸の奥で、兄の声がよみがえる。
あの日と同じ、穏やかな声で。
「これを振るう役目は終わった」
その言葉の意味が、今ならわかる。
剣を捨てろということではない。
剣に生き方を縛られるな、ということだった。
剣は戻った。
だが、戦いに戻るつもりはない。
行き交う人々の笑い声、呼び声、子どもの足音。
ジップタウンの喧騒は、確かに平和の中にあった。
先ほどの少年と、彼を守る男の背中を思い出す。
もう追うことはない。だが、忘れもしない。
いつか、どこかで、彼らの行く末を知る機会があれば幸いだ。
そうでなくても、ただ息災であればいいと祈る。
剣を振るわずに守る力を手に入れた。
わたしの役目は、この平和を守ることだ。
名を隠し、過去を語らず、この世界の片隅で。
今日も誰かが無事に帰り、明日もまた朝を迎えられるように。
わたしは人波の中へと溶け込み、その一部として歩き続けた。
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