【第七章】
【第七章】
僕は、実咲のセーフハウス内に宛がわれた個室のベッドで目を覚ました。
カーテンの隙間から外を覗くと、もうだいぶ日が昇っている。遅刻覚悟で学校に行くべきだろうか。いや、街中の監視カメラは復旧したはずだ。下手に動いて、自分の身を危険に晒すことはあるまい。
しかし。
「ん……」
後頭部をガシガシ掻きながら、僕は思った。
「逃げてばっかりだよな、このままじゃ」
全身に鈍い痛みが走るのを自覚しつつ、上半身を起こす。
同時に、猪瀬の狙いが何だったのか、記憶を脳みそに引っ張り上げる。
あの戦闘人型ロボット、リトルボーイを実戦投入するというのが猪瀬の考えだった。
彼の言葉を鵜呑みにすれば、確かに治安維持に役立つだろうし、紛争地域での死傷者を減らせるかもしれない。
だが、それでいいのか?
猪瀬本人が言っていたことだが、リトルボーイは手先が器用だ。いろいろな武器を換装し、戦うことだってできる。事実、僕は奴の機敏さをこの目で見た。
あんなものが投入されたら、戦場でのパワーバランスは大きく傾くはずだ。
それを見た外国の独裁者たちが、平和維持の名目でこの戦闘ロボを輸入・改良し、国内外での大量殺戮に応用する恐れは拭いきれない。
これほどの兵器を実戦投入するには、まだ早すぎるのではないか。それが僕の考えだ。
しかしながら、話し合いだけでこの問題を解決させてくれるほど、猪瀬は甘い人間ではない。
僕を警備員や尋問官にボコボコにさせたのも、他ならぬ猪瀬高雄その人である。
あんな嗜虐的な人間に、リトルボーイを任せるわけにはいくまい。
問題は二点。どうやってリトルボーイを破壊するか。そして、いかにして大量生産を不能にするか。
これらの問題が解決されない限り、僕たちは猪瀬から追われる身であり続けるだろう。
「畜生……」
僕は我ながら、珍しく悪態をついた。
ちょうどその時、軽いノックの音がした。無造作に『どうぞ』と答えながら、身体をそちらへ向ける。
そっと顔を覗かせたのは、玲菜だった。
「あ、おはよう、拓海くん。目を覚ましたんだね」
「う、うん、おはよう」
玲菜は朝食を運んできてくれた。片手で器用にトレイを手にしている。
「ああ、ごめんね、玲菜さん。わざわざ運んできてもらっちゃって」
「大丈夫。拓海くんは私たちの窮地を救ってくれた、ヒーローなんだから」
「あ、そ、そう、かな」
僕は頬をぼそぼそ掻いていたが、玲菜が退室する気配はない。
「隣、座ってもいい?」
「え?」
玲菜はそっと腕を上げ、僕のベッドの空きスペースを指差す。
「うん、僕は構わないけど」
すると玲菜は小さく頷いた。トレイを枕元の小さなテーブルに置いてから、そっと腰かける。
「昨日、私のこと呼び捨てにしたでしょ」
俯きながらそう告げる玲菜。僕は『あ』と口を開いたが、気づいた時には遅すぎる。こういう事態が発生するのが、世の常である。
「ご、ごめん、クラスでもそんなに話したこともなかったのに、馴れ馴れしかったかな……」
「あっ、ううん、そういうんじゃないの! むしろ、嬉しかったっていうか」
「え?」
今度はちゃんと声が出た。潰れた蛙のような発声だったけれど。
「私も、平田くんのこと、拓海って呼んでもいい?」
「ああもう全然! 好きなように呼んでよ!」
僕は自分の肩の高さで、ひらひらと両手を振った。
「じゃ、じゃあ拓海」
「うん?」
ほのかに頬を紅潮させる玲菜。ヤバい。萌え死ぬ。
「朝ご飯食べ終わったら、食堂に来て。トレイはそのままで構わないから。作戦会議ね」
「分かったよ、れ、玲菜」
どもりながらも答える僕。こちらに頷いてみせてから、腰を上げる玲菜。
だが、釈然としないものを感じて、僕は彼女を呼び止めた。
「ねえ、玲菜」
「うん?」
「僕たちは、君のお父さんの計画を潰そうとしてるんだ。猪瀬理事長は、玲菜の家族でしょ? 大丈夫?」
「そうだね」
玲菜はくるりとこちらに振り向いた。
「家族だからこそ、かな。間違ってることは間違ってるって、言ってあげなきゃ。いくら私の方が年下の子供だったとしても、ね」
玲菜は強いんだな――。しかし、僕は敢えてそれを口には出さなかった。
※
約十分後。
朝食を平らげた僕は、玲菜に指示された通り、食堂へと向かった。入り口のアーチ状の扉は開かれており、女子たちの声が聞こえてくる。
「あたしの鉄拳だけど、やっぱり渾身の一撃でないと通用しないみたい」
「俺にも、拳銃より強い武器があればな。手榴弾も数に限りがある」
「我輩の竹刀も、そうだな、弱点に突きを入れられればいいのだが」
僕はゆっくりと入室し、『ごめん、遅くなった』と一言。
「あっ、お兄ちゃん!」
「おせえよ、拓海。いいから座れ」
「まあまあ、そう急かすな、香澄。身体は何ともないか?」
香澄を諫めながら、僕のために椅子を引く実咲。玲菜は少し離れたところで、ノートパソコンに向かっている。筆記係を買って出たのだろう。
僕は遠慮なく、長テーブルの実咲の隣に腰を下ろした。
「どういう話が進んでたか分からなくて申し訳ないんだけど、僕の考えを聞いてもらえるかい?」
僕は語った。猪瀬の狙い。リトルボーイの汎用性。外国で軍事転用される恐れがあること。
誰も余計な口を挟まず、頷きながら聞いてくれた。
以上です、と告げると、実咲が話題の連携を図った。
「我々は、具体的にリトルボーイを破壊する案を練っていたんだ。拓海、お前からも何かないか?」
「そうですね……」
僕は顎に手を遣って、しばし俯いた。
まず考えられるのは、視覚センサーを潰すことだ。先日見たところでは、音響や電波で周囲の状況を把握する機器は搭載されていなかった。あの眼球のようなカメラ一つを潰せれば、後は死角など気にせずにボコボコにできる。
香澄の援護射撃の下、実咲の竹刀の一突きでカメラを破壊するのがベスト。その前に、梅子がカメラを保護するバイザーを損傷させていれば、さらに作戦成功率が上がる。
「けどよ、拓海。敵があのハゲロボットだけとは限らないぜ? 武装した警備員が随行してる可能性だってあるだろ?」
「うん、そうだな……」
流石、香澄の指摘は鋭い。しかし、
「その点は心配要りません」
と声が響いた。玲菜だ。
「私がもう一つ、通信妨害装置を作ります。ただし、リトルボーイだけにはまともに電波が入るようにしておきます」
「そうすれば、リトルボーイだけを好きな場所に誘導できるわけだな? 我々自身を囮にして」
「仰る通りです、実咲先輩。リトルボーイに搭載されているAIを、他の通信機器とリンクさせないようにしておくんです。そうすれば、リトルボーイを勝手に出撃させてどこに向かったのかも悟らせず、警備員たちが随行してくるのを防ぐことができます。それに、今はデータ管理システムも脆弱ですから、同時にウィルスを送り込んで、リトルボーイの設計図を破損させることも可能かと」
滔々と語る玲菜。すると、梅子が身を乗り出してきた。
「本当、玲菜ちゃんが味方でよかったよ!」
「あっ、うん……」
「やっぱり通信って大事なんだね! ありが――いたっ!」
途中で言葉を切った梅子。どうやら隣席の香澄に足を踏まれたようだ。
反論しかけた梅子だが、すぐに事態を察して口をつぐんだ。僕が先ほど本人に確認したところだが、玲菜は自分の父親の狙いを妨げねばならないのだ。
彼女の複雑な立場については、あまり言及しない方がいいだろう。
「で、どこで戦う?」
再び会話の主導権を握った実咲が、皆の顔を見渡す。
「ひとけがなくて、遮蔽物が多い場所、ですかね」
僕はひとまず、思いついたことを口にした。
「あのロボット、地底から現れましたから、出てきた瞬間に猛攻を加えられれば勝機が見えます。そのためには、やはり物陰に隠れて機を窺うのが一番かと」
「さっすが、我輩の参謀役であるな、拓海!」
かっかっか、と高らかに笑い声を上げる実咲。いや、作戦参謀だったら玲菜の方がお似合いだと思うのだが。まあ、今はむざむざ実咲の機嫌を損ねる必要もあるまい。
「で、具体的にはどこがいいんだよ?」
今度は香澄が声を上げた。
「僕と実咲先輩が戦った廃工場跡はどうだろう? 夜間だったら人通りは皆無だし、壊れて困るものもないだろうし」
「なるほど。今地図を出します」
玲菜がパソコンを操作すると、ダイニングルームの奥の方にスクリーンが展開された。
「廃工場跡となると、ここですね」
地図上に、赤ペンで円が描かれる。校庭の半分ほどの範囲だ。ここで戦い、奴の目を潰す。バランスを崩したリトルボーイに、工事用クレーンの先に取り付けた鉄塊をぶつけ、戦闘不能に陥らせる。
と言った具合に、作戦会議は着々と進行した。
「よし!」
実咲は立ち上がって、皆を見回した。
「迅速に勝る機密保持はない! 作戦決行は今夜だ!」
梅子が『おー!』と腕を上げたり、香澄がシラケた表情をしたり、皆のリアクションは様々だったが、異論は出なかった。
※
同日午後九時。廃工場地帯にて。
《こちら玲菜。リトルボーイ誘導用発信機、セット完了。仮設基地に戻ります。帰還次第、誘導を開始。同時に、高校敷地内の研究本部にウィルスを仕掛けます》
《こちら実咲、了解。玲菜、気負わずに、だが正確にな》
《はーい! 梅子スタンバイ! いつでもいいよ!》
《香澄だ。こちらも戦闘準備よし》
「た、拓海、同じく準備よし!」
皆が超短距離通信用の端末で、現在の状況を報告し合う。どうやらトラブルはないらしい。
各員の配置は、次のようになっている。
まず、廃工場に囲まれた中央の広場に、玲菜の造った機材が置かれている。リトルボーイだけを誘導しうる、特殊な波長の電波を発する通信機だ。
リトルボーイに搭載されたAIは、研究過程にあるため汎用性が極めて低い。だからこそ、狭い範囲の電波にのみ引き寄せられる。
仮設基地(といっても廃工場のうちの一つだが)に駆け戻っていく玲菜の姿が、暗闇の中でぼんやり見える。それから、玲菜は基地内に持ち込んだノートパソコンを操作。ウィルスを研究施設に送り込む。
《ウィルス、送信完了! リトルボーイ、強制起動! 地中をこちらに向かって接近中!》
《了解》
実咲はいつも通りに答える。皆に安心をもたらすような、余裕を感じさせる口調だ。
彼女は現在、建築途中で放棄された鉄骨群の中ほどで身を潜めている。無論、愛用の竹刀は背中に装備済みだ。
視線をずらすと、二階建ての建物の屋上に梅子が待機している。クラウチングスタートを決めるように、上体を曲げて両手を屋上の床面に着いている。
「梅子、まだ早いぞ。最初に仕掛けるのは僕と香澄だ」
かく言う僕たちは、拳銃の最終点検にあたっていた。よし、これで弾が出る。
香澄は一旦、背中に拳銃を戻し、野球ボールのようなものを握りしめた。閃光手榴弾だ。
「拓海、大丈夫か?」
「え? あ、ああ」
すると、香澄は軽く僕の肩を叩いた。意外だな。彼女が他人を気遣ってくれるとは。
《目標接近。地中、深さ約二十メートル地点を潜行中。十メートル……五メートル……地上に出ます!》
その玲菜の言葉が切れた瞬間、多くのことがいっぺんに起こった。
マンホールの蓋が跳ね飛び、損傷した水道管から水が噴き出す。急な地響きが足元を震わせ、アスファルトに亀裂が入る。
そして、あの太い腕がにょっきりと生えてきた。砂塵がぶわり、と巻き上がる。
《目標を肉眼にて確認! 戦闘開始! 繰り返す、戦闘開始!》
「了解、実咲先輩! 拓海、もう撃てるな?」
砂塵の向こう側を見据えながら、香澄が問うてくる。『もちろんだ!』と言って頷く僕。
やがてリトルボーイは腕力を活かし、胴体を、膝を、足先を持ち上げた。
ズズン、という響きと共に、立ち上がったリトルボーイ。あの特徴的な一つ目がギラリ、と光る。
香澄は閃光手榴弾のピンを抜き、叫んだ。
「全員、目を塞げ!」
香澄に投擲された手榴弾は、瞼の隙間から僕たちの網膜に差し込んできた。目を開けたまま喰らっていたら、五、六分は視力を奪われるところだろう。
僕が目を開けると、あたりはよく見えるようになっていた。確かにまだまだ明るいが、周囲を見渡すことはできる。皆、遮光板を兼ねたコンタクトレンズを装備しているのだ。
これで、目くらましを喰らっているのはリトルボーイだけとなる。
「おんどりゃあああああああ!」
怒声と共に、梅子が建物の屋上から駆け出し、跳んだ。綺麗な弧を描いた梅子の身体は、リトルボーイの肩のパーツにしがみつく。そして、縦方向に一回転して首元に飛び乗る。
梅子の存在に、リトルボーイは機敏に反応した。反対側の腕を伸ばし、掴み込もうとする。しかし、その手先は上手く動かない。視覚センサーが機能不全を起こしているからだ。
腕の下を抜けて、梅子が相手の頭部に迫る。そして、
「でやっ! うおっ! はあっ!」
メリケンサックを装備した右の拳で、視覚センサーを覆うバイザーを連打した。
梅子が腕を振るう度に、プラスチックにひびが入るようなミシリ、ミシリという音が響く。
「こんにゃろおおおおおおお!」
叫びながら、梅子が思いっきり腕を引く。しかし、
「ぐあ!」
ついに相手の腕に捕まってしまった。マズい。このままでは、梅子は握りつぶされてしまう。
「梅子っ!」
叫んだのは実咲だ。竹刀を抜いて跳び下り、敵の頭上に鋭い痛打を与える。
彼女はリトルボーイに止めを刺すべく、頭上に待機していたのだが、梅子を見殺しにはできなかったのだろう。僕でもそうする。
ガキィン、と今までにない硬質な衝突音が響き渡る。
実咲は落下しながらも、巧みに剣先をずらしていた。後頭部を直撃した竹刀によって、リトルボーイは前傾姿勢に倒れ込む。
慌てて飛び退く実咲。対して梅子は、バランスを崩した相手に放り投げられた。
「きゃあっ!」
敵も本気で放り投げられる体勢ではなかった。しかし、小柄な梅子の身体は呆気なくふっ飛ばされ、そばに建っていたビルの二階部分に突っ込んだ。
ビルの外壁がボール紙のようにひしゃげる。勢いそのままに、梅子はビルの中ほどまでめり込んだ。
僕は言葉もなく、その様子を傍観するしかなかった。あんな勢いで吹っ飛ばされて、梅子は無事なのだろうか?
「香澄! 拓海!」
リトルボーイの頭部から跳び退いた実咲が叫ぶ。梅子が突っ込んだビルに向かい、リトルボーイが手探りながらも接近を試みている。
いくら異能の力があるからといって、今追撃されたら梅子は危ない。はっと我に帰り、僕は拳銃を抜いて発砲を開始した。
派手な銃声を響かせながら、僕は叫んだ。
「こっちだ、ポンコツ! 梅子から離れろ!」
音響探知装置は未装備のリトルボーイ。だが、装甲板に僅かな衝撃を感知したのか、ゆっくりとこちらに振り向いた。
僕は両手で拳銃を握り、じりじりと後退する。そんな僕のそばに、香澄の姿はない。彼女のための時間稼ぎが、僕に課せられた任務だ。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、とはよく言ったものだが、弾切ればかりはどうしようもなかった。
「くそっ!」
僕は急いで腰元から二つ目の弾倉を取り出し、リロードを試みる。しかし、その時点で敵は僕の位置を正確に掴んでいた。
足元からバシュッ、と白煙が立ち昇る。
「げっ、まさか……!」
僕は直感だけで、勢いよく横っ飛びした。そのまま転がり、素早く立ち上がって疾走。振り返ったまさにその瞬間、凄まじい強風が僕を背中から襲ってきた。
ただの風ではない。砂塵にコンクリート片、細分化されたアスファルトなどが混じっている。
「うっく!」
この期に及んで、僕はようやく敵が突進し、僕を圧殺しようとしていたことを悟った。
「あっぶねえ!」
《伏せてろ、拓海!》
香澄の声がイヤホンに入る。うつ伏せになりながら顔を上げると、前方にまた別なビルと、香澄の背中が見えた。そしてあろうことか、香澄はビルの外壁を、垂直に駆け登り始めた。
作戦会議では『上手くやる』としか言っていなかったが、まさかあんな挙動を取ることが可能だったとは。
「とっ!」
敵を見下ろせる高さに至り、香澄は勢いよく壁を蹴った。すると今度は、彼女自身が弾丸になったかのごとく、やや高度を下げながらリトルボーイに突っ込んでいく。
ぱららららららら、という軽い発砲音が連続する。フルオートで放たれた弾丸は、その一発一発が敵のバイザーに吸い込まれていく。異能の力で威力は上がっているだろうから、きっとバイザーを打ち破るのはもうすぐのはずだ。
それを目視した僕は、計画通り、元来た道を引き返した。建設中に放棄された廃ビルに侵入し、三階まで一気に駆け上がる。息が切れたが、そんなことを言っている場合ではない。
僕に課せられた任務。それは、視覚を失ったリトルボーイに対し、クレーンで吊った金属片をぶち当て、物理的に破壊する、というものだ。
ローゼンガールズの三人は、その前段階として、敵の視覚を奪うために動いている。
「はあっ!」
大きく息をつき、クレーンの操縦室へ。シミュレーション通りにスイッチを入れていくと、がちゃがちゃとあちらこちらに通電する音が響き、クレーンが起動したことが分かった。
ウィィィン、という音を立てて、まるで血が巡るように、クレーンの操縦系統が息を吹き返す。
「こちら拓海、クレーンの起動シークエンスをかんりょ――」
と言いかけて、僕ははっとした。香澄が、リトルボーイに弾き飛ばされるところだったのだ。
「なっ!」
リトルボーイの腕は伸縮性があったらしい。そんな情報は聞いていないが、きっと急ピッチで腕ごと換装されていたのだろう。
真正面から、銃撃しながら突っ込んできた香澄を、敵はロケットパンチの要領で吹っ飛ばしたのだ。
「香澄ッ!」
《我輩が救出する! 拓海、作戦変更だ。直ちにクレーンで、あのデカブツを滅多打ちにしろ!》
「りょ、了解!」
僕は実咲の指示に従い、クレーンの操作レバーに手をかけた。
敵にぶつけるべき金属塊は、既に高強度ワイヤーの先端に取り付けられている。これを、クレーンで自在に振り回すことにより、リトルボーイを破壊しようというのが作戦の主旨だ。
だが、その計画は大きく破綻をきたしていた。何せ、敵の視覚センサーを破壊できていないのである。これでは、せっかく用意した金属塊も捕捉され、回避されてしまう。
それは分かる。しかし、今この作戦を採用しなければ、敵の足元から離脱しようとしている香澄と実咲が危険だ。仕方ない。
「くたばれ、化け物!」
僕は思いっきりレバーを引き、勢いよくクレーンを左右に振り回した。ゴァン、という凄まじい轟音が、この廃工場地帯を震わせる。
「二人共、早く逃げろ!」
思いっきり無線機に吹き込む。リトルボーイは香澄と美咲がいるのとは反対側に向かって、ゆっくりと倒れつつあった。
このまま叩き倒してしまえば。しかし、そう簡単に伏する相手ではなかった。
リトルボーイは脚部から、スラスターを噴射したのだ。その勢いたるや、先ほど僕に突進してきた時と勝るとも劣らない。
倒れていく時とは反対に、リトルボーイはすぐさま直立姿勢に戻った。真っ赤な視覚センサーが、ギラリと輝く。
「あの野郎!」
僕は再度レバーを操作し、敵の背後から金属塊を叩きつけようと試みた。だが。
リトルボーイが、跳んだ。やや膝を折り、スラスターを噴射させ続け、そのまま十メートルほど飛び上がったのだ。縄跳びでもするかのように、金属塊を回避する。
そしてずいっと腕を伸ばし、あろうことか、それを片手で受け止めてしまった。
「あ……!」
最初の金属塊の一撃は、確かに有効だった。敵の胸部は大きく陥没し、配線が露出している。
しかし、これからボコボコに破壊しようという矢先、一発目でこちらの切り札は封印されてしまった。
僕の焦りを掻き立てるように、リトルボーイは高強度ワイヤーをあっさり引きちぎった。そのまま金属塊を放り投げる。
後方でドズン、という鈍い音がした。金属塊がアスファルトにめり込む音だろう。
「な、な……」
何てこった。生憎、次善の策というものは用意していない。これでは騒ぎを聞きつけた警備員たちがやって来て、僕たちは身柄を拘束される――最悪、殺されるかもしれない。
呆然自失の僕。これから一体どうすれば? 逃げるのか? いや、梅子や香澄のことが心配だ。もしかしたら、大怪我を負っているかもしれない。置いて行くわけにはいかない。
そんなことに考えている最中、僕の視界に真っ赤な光が差し込んできた。
はっとして見下ろすと、そこにいたのは、
「実咲っ!」
竹刀を真っ赤に輝かせ、倒れ込んだ香澄の前に立ち塞がるようにして、実咲が立っていた。
問題は、ここから彼女を援護する術がないということだ。異能の力を持たない僕が、ここから銃撃をしても通用するとは思えない。
ぎゅっと拳を握りしめていると、ザッ、と掠れた音を立てて実咲の姿が消えた。
次に実咲の姿が見えた時、彼女は敵の背後にいた。敵の動きは止まっている。
ごくり、と唾を飲む。すると、事態が動いた。敵の片足に、真っ赤な筋が一閃走ったのだ。
実咲の本気が発揮され、敵の脚部装甲を斬り裂いたのだと理解するのに、数瞬の時間を要した。
「やった、のか?」
ゆっくり振り返る実咲。しかし、その顔に苦渋の表情が浮かんでいるのは、この距離でも見て取れた。致命傷にはなり得なかったのだ。
今度は自分の番だ。そう言わんばかりに、リトルボーイは振り返った。その勢いのまま、ローキックを繰り出す。
躱しきれないと察したのだろう。実咲は、咄嗟に竹刀を斜めに構えて防御を試みた。が、呆気なく蹴り飛ばされてしまった。
「ぐあっ!」
そのまま、アスファルトの上を人形のように転がった。
リトルボーイは、関節各部から白煙を噴き上げた。プシューーーッ、という排気音がする。ようやく一段落ついた、とでも思っているかのようだ。
梅子も香澄も実咲も、戦闘不能に陥ってしまった。ローゼンガールズ戦闘員は全滅だ。
作戦失敗、か。
「くそおっ‼」
僕はクレーンの操縦パネルを思いっきり殴打した。がちゃん、と部品が弾け飛ぶ。
頭では分かっているつもりだ。自分たちの敗北は決したと。もう打つ手はないと。
だが、心のどこか、胸の奥から燃え上がってくる熱量を抑えきることはできなかった。
僕はクレーンの操縦室から飛び出し、階段を駆け下りた。血が滴る手で、拳銃を取り出す。
よくも。よくも、よくも、よくもッ!
今、ここで倒れ伏している三人は、この町の平和を守るために戦ってきたのだ。
それが、むざむざこんなところで殺されていいはずがない。だったらいっそ、僕が一矢報いてやる。
「おい、化け物!」
ああ、そうだ。音には反応しないんだったな。僕は両手で拳銃を握り込み、連射。十五発全弾を、敵に叩き込んだ。カバーがスライドし、弾切れを示す。
「畜生ッ!」
のっそりとこちらに振り返るリトルボーイ。僕はがむしゃらで、拳銃そのものを敵に放り投げた。無論、何の意味もない。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
息を切らしながら、僕はその場に立ち塞がった。
殺したければそうすればいい。僅かなりとも長く、梅子や香澄や実咲が生き延びてくれれば本望だ。
ズズン、と聞き慣れた足音がする。地面が揺れているのか、それとも僕の膝が震えているのか分からない。ああ、平凡というものを誰より望んでいた僕が、まさかこんな最期を迎えることになるなんて。
息を切らしながら、僕は瞳を閉じて、自分が圧殺されるその瞬間を待った。
圧倒的質量を有する足音が、無情にも迫ってくる。
ズズン、ズズン、ズズン、ズ……あれ?
おかしい。あの巨木のような腕や足が、今にも僕を押し潰すものと思っていたのに。
さっと目を開けると、目の前にリトルボーイの足が振り下ろされるところだった。飽くまでも『目の前に』だ。
ゆっくり見上げる。すると、敵の頭部は僕から逸らされ、視覚センサーもどこか別方向を睨んでいる。その視線の先を追って、僕は驚きに目を見開いた。
玲菜だ。玲菜が、何かを抱えてリトルボーイを見つめていた。あれは何だ?
ああ、そうか。特殊な電波の発生装置だ。最初の誘導のために使ってからほったらかしにしておいたもの。よくもまあ、あれだけの戦闘が行われた後になっても無傷だったな。
こればっかりは、不幸中の幸いと言えるだろう。
だが、そんなものを掲げて敵を誘導しようという玲菜の意図が分からない。僕が銃撃したのと同様に、ただ時間稼ぎにしかならないのではないか。
そんな疑問、疑念は、盛大な土煙と共に消し飛んだ。
「うわっ!」
咄嗟に腕で目を覆う。僅かにアスファルト片が口に入ったが、お構いなしだ。
一体何が起こったのか。砂塵の中央に目を凝らす。するとそこには、リトルボーイがいた。腰から下が地面に埋まった状態で。
そうか。リトルボーイは、自分が掘り進んできた地中の空洞に足を取られたのだ。これで、大きな隙を自ら呼び込んだことになる。玲菜はそれを狙い、リトルボーイを誘導したのだ。
《全員、伏せろ!》
無線機に声が入る。香澄だ。意識を取り戻したのか。
すると、何の前触れもなしに大きな爆発が起こった。敵の上半身が、爆炎と黒煙に包まれる。
一発ではない。二度、三度と爆発は重なり合い、リトルボーイの巨体を揺らめかせる。
どうやら、金属塊の直撃で損傷した胸部が狙われたらしい。まさに一点突破である。
その黒煙を切り払うようにして、小柄な影が跳躍してきた。梅子だ。いつものキレはないが、それでも十分な速度で敵に迫っていく。
「はあああああああっ!」
不器用に上半身を回転させるリトルボーイ。その腕を回避しながら、梅子は跳んだ。そして、何度も跳躍を繰り返し、ガツン、ガツンとメリケンサックを敵に叩きつけた。
だが、これではまたすぐに敵に捕捉されてしまう。どうする気だ?
実際、そこまで考えてはいなかったのだろう。梅子は無我夢中で、縦横無尽に跳び回り、リトルボーイの胸部の内部構造を情け容赦なく破壊していく。
これには流石にマズいと考えたのか、リトルボーイは俯き加減に、梅子を捕らえようとした。うなじの部分が露わになる。そこに、
「ふっ!」
真っ赤な閃光が走った。実咲の竹刀だ。無防備な首の付け根に、深々と竹刀が突き刺さっている。
苦し気に身をよじるリトルボーイ。だが、操作系統がやられたのか、上手く腕を動かせない。その隙に、梅子の殴打と香澄の銃撃が代わりばんこに浴びせかけられる。胸部の損傷箇所に向かって。
《梅子、キメてやれ!》
実咲の声に応じ、梅子は思いっきり腕を振りかぶりながら跳躍。
「でやああっ!」
メリケンサックが、リトルボーイの胸部エネルギー循環器に食い込んだ。一瞬、雷光のような眩い閃光が走る。だが、既に梅子は離脱していた。
エネルギーを全身に回せなくなったリトルボーイは、あまりにも呆気なく、そして完全に、その動きを停止した。
ズザザザッ! と盛大な摩擦音が響く。梅子は両足をついて引き下がり、片膝を立てる姿勢で停止した。
同時に、香澄が立ったままの姿勢で拳銃をリロードする。リトルボーイに対し、油断なく視線を注ぎながら、拳銃を背中に挟む込む。
実咲はといえば、再度超人的な跳躍をして竹刀にしがみついた。そのまま引っこ抜いて、僕たちのいる方、リトルボーイの前面へと向かってくる。
僕は三人を見渡した。皆が皆、服のあちこちが破れ、血が滲んでいる部分もある。まさに満身創痍だ。
だが、生きている。
別に、僕がその助力になった、というわけではないだろう。彼女たちの命を救ったのは自分だ、などと思えるほど、僕はナルシシズムに浸っているつもりはない。
でも、何故だろう。彼女たちが生きていてくれたことが、こんなにも嬉しい。薄っぺらい言葉だが、とにかく僕には、それが素晴らしいことだと思えた。よかった。本当に。
「おい、皆無事か!」
実咲が声をかけてくる。梅子はすっと立ち上がり、両腕をぶんぶん振り回した。香澄は照れくさいのか、顔を逸らしながらも片腕を上げ、その上で親指を立てた。
「皆さん、ご無事ですか!?」
やや離れたところから、玲菜も駆けてくる。僕はついつい、顔が緩むのを感じた。
『玲菜!』と叫ぼうとした瞬間だった。銃声と共に、彼女が倒れ込んだのは。
「あ……!」
僕はぽっかりと口を開けた。
こちらに向かってひざまずき、倒れ伏す玲菜。その背後で拳銃を構えていたのは――。
「面倒をかけさせるな、小娘」
「猪瀬理事長……!」
誰かが呟いた。驚きのあまり、喋ることを忘れてしまった僕の代わりに。
「な、何をやっているんだ、理事長! ここにはもう敵はいない! あなたが撃ったのは玲菜だ、早く手当てを!」
「慌てるな、実咲くん。君たちを殺すつもりはない」
玲菜のそばに立った猪瀬は、彼女の腕を引いて無理やり立たせた。どうやら、玲菜が撃たれたのは足元だったようだ。
あまり流血が見られないことから、致命傷ではなかったのだろうと思う。だが、いくら冷酷な人間だとはいえ、猪瀬が実の子供である玲菜を撃つとは。
って待てよ? 『君たち』とは、誰のことだ?
純粋に考えれば、実咲を始めとしたローゼンガールズ戦闘員のことだ。もしかしたら僕も含まれているかもしれない。
だが、一つ確かなのは、玲菜がそこには入っていないということ。つまり。
「貴様、玲菜を人質にする気か!」
僕はようやく、喉を震わせた。
「ほう?」
玲菜を引き寄せ、銃口を彼女のこめかみに押し当てながら、猪瀬は片眉を吊り上げた。
「意外だな、拓海くん。君がそんな暴言を吐くとは」
「玲菜を撃ってみろ、僕はお前の計画を暴露してやる! 梅子や香澄や実咲を実験台にするつもりなんだってことは分かってる! それを公表して、必ずお前をとっ捕まえてやるぞ!」
「ふむ。威勢のいいことだな」
しかし、と間を繋ぎ、猪瀬は語った。
「幸か不幸か、ここにいるのは私一人だ。警備員たちは随行していない。彼らにも知られると厄介だからな、この事案は」
聞けば、猪瀬がここにやって来たのは、玲菜がリトルボーイ誘導の際に使った通信装置の電波を逆探知したからだそうだ。確かに、周囲に人の気配はない。
「子供の面倒を見るのが親の務めだ。その逆探知ツールは私にしか使えない。警備員たちや警察、消防がここに駆けつけるまで、まだ時間はある」
未だ余裕を隠さない猪瀬。
「私を見逃してくれ、諸君。そうすれば、小娘は解放する。そして、君たちを軟禁し、人体兵器の開発に協力してもらうという計画はチャラにしよう。代わりに、再度リトルボーイを――いや、それを上回る大型戦闘ロボットを一から開発する」
「そんな戯言を!」
「なあに、リトルボーイ開発チームだって、一枚岩ではなくてな。別な機動兵器を開発したがっていた連中も大勢いる。リトルボーイの設計図が破損したところで、大した問題にはならん」
「ッ……」
自分の手元から、どくどくと流血がある。その生温かさを実感しつつも、僕は拳を握らないではいられなかった。
許せない。自分の娘を道具に使い、学校の理事長という肩書を用い、何もかも支配しようとする。
異能の力を有する三人の身柄の安全の保証。それにしたって、どこからが本当でどこからが嘘か分かったものではない。
そして、今戦えるのは、僕だけだ。
僕は、ずんずんと猪瀬に歩み寄り、
「香澄、借りるぞ」
そう言って、香澄の背中から彼女の拳銃を引き抜いた。カバーをスライドさせ、初弾を装填する。
「ほう? 私と戦うつもりか?」
「いや」
歪んだ笑みを浮かべる猪瀬に、『NO』を突きつける。
「ただ、僕には許せないだけだ。あんたみたいな、他人の将来を食い潰して平気でいられるような大人が。それにな――」
僕は思いっきり息を吸い込み、声高らかに語った。
「僕たちは国立未来創造学園の生徒だ! あんたに未来は渡さない!」
場が静まり返った。
しかし、その沈黙の意味を汲み取る余裕は、僕にはなかった。
ただ一つ、僕が注意を払ったこと。それは敵、すなわち猪瀬から絶対に目を逸らさず、彼を視界の中央に留めておくということだった。
スローモーションになった知覚の中で、猪瀬の腕からするり、と玲菜の身体が滑り落ちる。
僕は呆然としている猪瀬に向かい、ゆっくりと拳銃の狙いを定めた。
そして、パン。