表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

【第六章】

【第六章】


 同日、午後八時。

 日はとっくに山陰に身を潜め、夏場にしては珍しく涼しい風が吹いている。空を見上げれば、まさに満天の星。グラウンドの中央からの見晴らしは抜群だ。

 今ここにいるのは、放課後に指示された四人。すなわちローゼンガールズ戦闘員三人、それに僕だ。

 見事な星空に大興奮の梅子、それに呆れた目を遣る香澄、何やら古いフォークソングを口ずさむ実咲。皆、フリーダムだなあ。

 そうこうしているうちに、校舎から人影が近づいてきた。一人だ。体格のよさからして、すぐに猪瀬であると判断できる。

「いやあ、すまないね、皆の衆!」

「どうしたんですか、理事長?」

 僕が尋ねると、猪瀬はやや眉を下げ、『今日はそこの三人に用事があってね』と一言。

「拓海くん、君にも同伴してもらって構わないかね?」

「はい、そのつもりでしたし」

「よろしい。では早速」

 パチン、と指を鳴らす猪瀬。すると、地面が揺れ始めた。細かなグラウンド上の砂が、低く舞い上がる。地震か?

 他の三人も気づいた。素早く自分の得物を装備し、あたりを見回す。何事か異常な事態が発生しているのだ。

「り、理事長、一体何を……?」

 僕の問いかけに対して、返答は為されなかった。代わりに寄越されたのは、ぼごっ、とグラウンドの土が捲れ上がる音だ。

 ぼごっ、ぼごぼご。

 僕が目を凝らすと、グラウンドに亀裂が入るところだった。『少し下がっていたまえ』と余裕で告げる猪瀬。

 亀裂から最初に現れたのは、腕だ。人間の数倍はありそうなほど、太い腕。それに続いて、頭部と思しき部分。しかしそこには、赤いランプが一つ灯っているだけ。頭皮はない。

 やがて、喧しい金属音があたりを満たした。その頃には、そいつは両腕をグラウンドにかけ、胴体を引っ張り上げるところだった。寸胴型の、意外なほどシンプルなボディ。

 それからそいつは、足を持ち上げた。足を引き抜き、グラウンドに接地する。ズズン、と再び地面が揺れた。

 そいつは仰々しい挙動で、ようやくグラウンドに立った。あたりをスキャンするように、隻眼である赤いランプをさっと横切らせる。どこのモビルスーツだ、おい。

「紹介しよう。私が各方面に依頼して完成させた、戦闘ロボットのプロトタイプだ。名前はそう――『リトルボーイ』とでもしておこうか」

 リトルボーイ。太平洋戦争中、広島に投下された原子爆弾の名だ。あまりの不吉さに、僕は寒気がした。

 呆然と立ち尽くす僕たちの前で、猪瀬はリトルボーイのそばに立ち、説明を始めた。

「全高八メートル、重量二十トン。暴徒鎮圧用に開発が進められていた、人型ロボットの試作品だ」

『どうだ、美しいだろう?』。そう言う猪瀬に、しかし僕はとても同意できない。。

「最近は世界中大変だからな。デモ隊を制圧するのに、催涙ガス弾や装甲車からの放水では手に負えんのだ。だから、こいつに大型の、より強力な非殺傷武器を持たせて、世界各地の治安維持を任せようというのが、私の考えだ」

 朗々と語る猪瀬。しかし、僕は先ほどの彼の言葉をはっきり覚えていた。

 口を滑らせたのかわざとなのかは分からない。だが、猪瀬はこう言ったのだ。『戦闘ロボット』と。

「理事長。二つ質問があります」

「おお、どんどん訊いてくれたまえ! 拓海くんも、男の子ならロボに懸ける情熱は分かってくれるだろう?」

 今にもアニメトークを展開しそうな理事長の前に、すっと掌を差し出して言葉を封鎖する。質問させてもらうのはこちらだ。

「一つ目の質問ですが、理事長、さっきあなたはこのロボットのことを『戦闘ロボット』と言いましたね?」

「あ」

 そうか、やはり無意識のうちに言葉に出てしまったのか。

「僕にはまだ、このロボットの細かい仕組みはわかりません。遠隔操縦するのか、AIが搭載されているのか。でも、戦闘を行うということは、こいつは立派な殺人兵器です。違いますか?」

「あっちゃあ! 喋っちゃったよ!」

 眉間に手を遣ったままロックスターのようにのけ反って、派手に後悔する猪瀬。

 その隙に、もう一度ロボットに目を遣り、じっくり観察する。

 ん? 何だ、この既視感は? 僕はこのロボットについて、何かを知っている。だが、思い出せない。それでもこのロボット、リトルボーイの姿から、禍々しい何かが感じられたのは事実だ。

「うん、その話は後だ。で、もう一つの質問は?」

 僕はすっと視線をスライドさせて、猪瀬に目を遣った。

「どうしてそんなものを、僕たちに見せたんです?」

 すると、訊かれた猪瀬は何度も頷き、『そう! それを話そうと思っていたんだよ!』とはしゃぐように述べた。

「流石は拓海くん、目の付け所が――」

「質問に答えてください!」

「おっと、すまんな」

 空咳を一つ挟んでから、猪瀬は語り出した。

「こいつに武器を持たせることはできる。最新式のマニピュレーターを搭載しているからな。だが、こいつには乗り越えるべき壁、というか、実用試験が残っていてね。無用な殺生は避けるよう、動くようにしなければならない」

 ん? 無用な殺生は避ける? と、いうことは。

「そこで君たちの出番だ、ローゼンガールズ諸君!」

 揃って頭に『?』を浮かべる三人。僕にもよく分からない。しかし、次の猪瀬の言葉は強烈だった。

「君たちを研究させてもらいたい」

「なっ!」

 その言葉を飲み込むのは、僕が一番早かったらしい。

 猪瀬は続ける。

「君たちの異能の力については、私も承知している。それを科学的に分析し、こいつが搭載しているAIに学ばせたいのだ。殺害してもいい目標の扱いと、生かしたまま捕縛すべき目標の扱い。その違いを理解させるためにね」

 得意気な顔で淡々と語る猪瀬。

 なるほど、確かに戦場では、殺害すべき敵と人質にすべき敵が入り乱れている。

 だが。

「この国で戦争なんて起きてない! それなのに、どうしてこんな兵器の開発を……!」

 すると、猪瀬は腰を折り、ずいっと僕に顔を近づけてきた。

「甘い。甘いよ、拓海くん。この国が戦争と無縁であったことなど、一瞬なりともあったものか」

「どっ、どういう意味だ?」

 僕は気丈にも、タメ口で尋ねた。しかし猪瀬は、そんなことをお構いなしに説明を続ける。

「日本の高度経済成長の引き金は、隣国での戦争だった。いわゆる特需というやつで、戦後であるにも関わらず、日本人は武器やその関連装備を製造し続けた。輸出して大儲けさ。逆に、遠くの地の戦争で、エネルギーが枯渇して国民が窮状を強いられたこともあった」

 世界は動いている。日本も変わらなくては。そう言って、猪瀬は言葉を締めた。

「で、でも、こんな兵器を街中で開発するなんて!」

「んん? 何も街中で製造したわけではないよ? 厳密には、ここの地下で造ったんだな」

 はっとした。昨日の薬品工場跡地。あそこには、未だに研究を続行できるだけの広大な地下施設があった。それと似たようなものが、学校の地下にあってもおかしくはない。

「本来なら、防衛省技術研究本部で開発されるべき代物だが、今回は私が請け負った。開発設備は整っていたし、何より金になるからな」

 僕は、胸中がふつふつと煮立つのを感じた。

「この野郎!」

 梅子に習ったキックボクシングの要領で、猪瀬に接近を試みる。無論、一発ぶん殴ってやるつもりだ。しかし、一瞬で僕と猪瀬の間に壁ができた。リトルボーイの腕が動き、僕と猪瀬の間に振り下ろされたのだ。

「まあそう慌てるな、拓海くん。何もコイツは、殺人マシンじゃない。必要とあらば標的を殺害するが、少なくとも日本で運用される限り、問題はなかろう」

「そんな戯言を!」

「しかし、だ」

 ゆっくりとリトルボーイが腕を上げる。そこには、相変わらず端整な立ち姿の猪瀬がいた。

「コイツのAIに、過剰殺人を防止するシステムを組み込まねばならんのだが、なかなか上手くいかなくてね。だからローゼンガールズ三人の特性を見た上で、そのコツを伝授してもらおうと思ったのだよ」

 特性を見る? って、まさか!

「この町に通信妨害装置を仕掛けたのは、あんたの自作自演だったのか?」

「ご明察」

 猪瀬は片腕を組み、もう片方の手で僕をビシリと指差した。

「君自身は気づいていないだろうがね、拓海くん。その洞察力、判断力は称賛に値する。もちろん、無理やり君の身柄を確保するような真似はしない。だがそちらの三人には是非協力してもらいたいんだ」

「何が協力だ! 実験動物にするつもりなんだろう!?」

 拳を振り回す僕を前に、『人聞きの悪いことを言わないでくれ』と猪瀬。

「彼女たちの人権は保証するよ。ただ、研究施設で軟禁状態に置かれるであろうことは覚悟してもらいたい」

「貴様、それでも人間か!」

 僕が激した、その直後。

 一つの人影が、さっと僕の横を通過した。梅子だ。右手に装備したメリケンサックからは、青白い光が湧き上がっている。きっと、感情の強さが光の明るさに比例しているのだろう。

 まさにブチギレである。

 梅子は跳躍してリトルボーイの肘に乗り、無理やり上腕を駆け上がった。一瞬で肩にしがみつき、思いっきり拳をリトルボーイの頭部に叩き込む。しかし、

「ッ!」

 効かない。あの梅子の鉄拳が、通用しない。

 リトルボーイの頭部側面はおろか、眼球にあたるカメラにすらも、ひび一つ入っていないのだ。

 リトルボーイはさも億劫な挙動で、反対側の腕を伸ばして梅子の後頭部を掴み込んだ。

「ぐあ!」

 そのまま無造作に地面に投げつける。

「梅子っ!」

「う……」

 意識はある。大怪我を負ったわけでもなさそうだ。だが、まさか梅子の鉄拳が完全に阻まれるとは。

「先輩!」

 その声に振り返ると、梅子から遠ざかるようにして香澄が駆け出すところだった。『先輩』もとい実咲は、香澄とは反対側から後方に回り込もうとする。

 いつの間にか猪瀬は遠方に飛び退き、この戦いを見つめている。不敵な笑みを浮かべて。

 拳銃の発砲音が連続した。黄色い光に包まれた弾丸が、一発も外れることなくリトルボーイの頭部に殺到する。だが、

「チッ!」

 やはり、損傷を与えるには及ばない。

 だが、拳銃が通用しなくとも、香澄の目的、すなわち囮となって敵の目を惹くことには成功した。

 実咲が竹刀を真っ赤に光らせ、跳躍して大上段から斬りかかったのだ。

 ガシィン、という硬質な衝突音が響き渡る。僅かに敵の頭部が傾いた。

 しかしそれは、飽くまでも『傾いた』にすぎない。頭部を破壊し、首を斬り落とすまでには至らなかった。

 空中で停止した実咲の身体は、敵が背後に回した腕によって簡単に掴まれてしまった。

「くっ! 放せ!」

 そう言うと、実咲の指示に従うようにして敵はぱっと手を離した。高さ、約五メートル。

 実咲は、幸いにも足から着地した。しかし、できることと言えば精々がバックステップ。渾身の一閃が通用しなかった相手に、為す術もない。

「全員伏せろ!」

 そんな叫び声がしたのは、ちょうど香澄が姿を消した方からだった。直後、眩い爆光が煌めき、ズドン、という轟音があたりに響き渡った。

 香澄が手榴弾を放り投げたのだ。それも、効果域は狭く、威力は高く。僕たちに被害を出さないようにしつつ、爆風を敵の頭部周辺に滞留させたのだ。

 今や、リトルボーイの頭部は損壊し、装甲が溶けてしまっているに違いない。

 そんな楽観的観測は、すぐさま打ち破られた。敵は何事もなかったかのように香澄の方へ振り向いたのだ。こちらから見える背部には、姿勢制御用のスラスターが見える。

 そこに真っ白な光が集まった、次の瞬間。ドオッ、という短い噴射音を残して、リトルボーイは姿を消した。

 いや、滑空して高速移動をしたのだ。その先にいたのは、案の定香澄である。

 彼女の前で急停止したリトルボーイは、軽く香澄の胴体を指で小突いた。『軽く』といっても、体高八メートルの巨躯から放たれたデコピンである。

「がッ!」

 香澄は腹部を押さえ、数メートル吹っ飛ばされた。

 その時になって、僕は敵の頭部が全く傷ついていないことに気づいた。どんな装甲が施されているんだ、コイツ。

「香澄ちゃん! おのれッ!」

「待て梅子!」

 僕は再び立ち向かおうとした梅子を、何とか引き留めた。

「お前の鉄拳、通用しなかったんだろう? 今の僕たちに、あいつは止められない!」

「ぐっ……」

 涙目で唇を噛みしめる梅子。すぐそばには、竹刀を構えたままの実咲が立っている。

「要求は何だ、猪瀬!」

 実咲が叫ぶと、律儀にも猪瀬は頷き、襟元に仕込んでいたらしい小型マイクに声を吹き込んだ。

「状況終了、滞空中の機をグラウンド中央に降下させろ」

 すると、校舎のさらに向こう側から、バタバタバタバタと耳障りな音が聞こえ始めた。人員輸送用ヘリコプターの飛行音だ。

「ご同道願おうか、諸君! 武装は解除しろ。ヘリの中で暴れでもしたら、流石に君たちでも生存は絶望的だからな!」

 香澄はさっと猪瀬に得物を向けた。しかし、すぐに腕を下げる。

 はっとして僕が振り返ると、ヘリのキャビンからは、学校の警備員と同じ服装の男の姿があった。狙撃用の小銃を手にしている。

 香澄はその殺気を感じ、猪瀬を人質に取ることを諦めたらしい。

 悠々と着陸したヘリからは、七、八名の警備員が、完全武装した姿で降りてきた。怪我の有無を確かめながら、香澄と実咲をキャビンへと連行していく。その姿は、意外なほど紳士的に見えた。

「さあ、木村梅子さん。あなたもだ」

 その声に顔を上げると、やはり警備員が一人、梅子に手を差し伸べていた。慇懃な態度であるのが、逆に気持ち悪い。

 梅子は立ち上がり、香澄と実咲の方を見て俯いた。先輩たちが連行されるなら、自分も仕方ないと思ったのだろう。

「さて、平田拓海くん。君も来てはくれないか? 彼女たちに同行し、その戦いぶりをつぶさに見てきた君なら、特別に言えることもあるだろう?」

 いつの間にそばに来ていたのか、猪瀬が傲岸な態度で見下ろしてくる。

 その時だった。僕の胸が真っ赤な炎で一杯になったのは。

 振り返りざまに、僕は思いっきりフックを猪瀬に叩き込んだ。

「ぶふっ!」

 僕が攻勢に出るとは思いもしなかったのだろう、猪瀬は唇を切り、倒れ込んだ。僅かに鮮血が舞う。

「り、理事長!」

 僕はあっという間に警備員たちに取り押さえられた。しかし後悔はない。一矢報いてやったぞ。ざまあみろ。

「理事長、お怪我は?」

「ああ、気にするな。それより、早速離陸準備だ」

 敬礼してその場を去る警備員。

 僕はサングラスを拾い上げる猪瀬の姿を見遣った。そして、その思いがけない姿にぞっとした。

 猪瀬は、両目が義眼だったのだ。精巧にできてはいるが、生命感というか、生き物としての熱量が圧倒的に欠けている。

 僕が呆気に取られていると、思いっきり後頭部を強打された。

「ぐあっ!」

 どうやら、警備員の自動小銃でぶん殴られたらしい。

 警備員たちからすれば、僕は礼儀を尽くすべき相手ではないということなのだろう。

「ほら、立て! 従わなければ、この場で射殺する!」

「ッ……」

 覚束ない足取りで、しかし強引にヘリに連れられて行く。そのままキャビンに引っ張り上げられた。

 僕の記憶に残ったのは、心配げに僕を見下ろす梅子の涙目、そして義眼の猪瀬の姿だった。


         ※


 気絶していたはずだが、しばしの時間経過は感じられた。随分と気を失うことに慣れてしまったものである。

 薄っすら目を開くと、そこは自室でも保健室でもなかった。薬品臭さはあるものの、それ以上に、何というか『物騒な感じ』がする。

「いててて……」

 ぶん殴られた後頭部に手を遣りながら、周囲を見渡す。が、仕切りのカーテンしか見えない。他の三人はどうしただろう? 推測しようにも、自分が未知の場所にいる以上、お手上げだ。

 僕がきょろきょろしていると、遠くでスライドドアが開閉する音がした。この部屋に誰かが入ってきたらしい。

「失礼するよ、拓海くん」

 許可なくカーテンが引き開けられた。猪瀬だ。

「いやはや、さっきのフックはなかなかのものだ。さては、梅子さんに特訓でも受けたかな?」

 僕は無言。梅子に限らず、香澄や実咲の名前を、その口から発してほしくない。虫唾が走る。

 さて、と言いながら、猪瀬はそばにあった丸椅子に腰を下ろす。

「通信妨害装置の件だがね。確かに自作自演ではあったが、性能は本物だ。そうでなければ、ローゼンガールズ以外の組織に発見・処理された時に困るからね」

 黙って俯く僕。

「そこで、だ。拓海くん、君の見聞きした範囲でいいから、彼女たちの戦いぶりを教えてくれないか? なにぶん、監視カメラも機能停止に陥っていたのでね」

「僕が正直に話すとでも?」

 僕は挑戦的な目で、猪瀬を見返した。

「話すさ。我々とて、手荒な真似はしたくないが。君に身内がいない以上、君自身の良心に訴えるしかあるまい」

「良心、だって?」

「私がリトルボーイの開発を推進した理由は、以前校庭で話した通りだ。納得してもらえるだろう?」

 誰が貴様の戯言など聞くか。あのロボットだって、人殺しの道具じゃないか。

 はっきりそう言うべく、僕は上半身を起こそうとした。しかし、

「わっ!」

 左手が動かず、引っ張り戻された。ベッドの端からチェーンが伸び、左手首に手錠が掛けられている。

「やれやれ。おーい、誰か拓海くんを尋問室に連れて行ってやってくれ。気絶しない程度だったら、暴行も許可する」

「ッ!」

 僕は怯んだ。怖気が踵から背中を走り、後頭部までをも冷やしていく。

 一体僕は、どうなってしまうんだ?


         ※


 僕は左手の代わりに、両手首を拘束する手錠をかけられた。そのまま、猪瀬の付き人である警備員に急き立てられ、医療室から連れられて行く。

 ここは一体どこなのだろう? 窓がない。地下なのだろうか。

「おい、キョロキョロするな」

 そう言われ、腕を引かれる。しかし、それでも僕は気になった。何やら機械工場のような、硬いもののぶつかり合うガンガンという音がする。

 何度か廊下を折れた先で、僕はその光景を目にした。そこには、珍しく窓が配されていた。そしてその向こうには、

「リトルボーイ……」

 件の戦闘ロボが鎮座していた。八メートルに及ぶ巨躯のあちこちに、天井から命綱を着けた工事業者の人々が取り付いている。見たことのない工具を使い、何やらコーティングを施している様子だ。

 僕がそちらに気を取られていると、手錠の鎖をぐいっと引っ張られ、前のめりに転倒させられた。

「ぐっ!」

「ボサッとするんじゃない。キビキビ歩け」

 コイツ、わざとやりやがったな。僕は鼻腔の奥に鉄臭いものを感じながら、視線を警備員の背中に戻した。

「入れ」

 どん、と背中を突かれる。叩き込まれたのは、ごくごく狭い部屋だった。四方と床、天井の全てが金属質丸出しで、中央にはこれまた金属質のデスクと椅子が二脚。天井からは、裸電球が一つぶら下がっていた。

 警備員は、僕に続いてそのまま入ってきた。コイツが僕の尋問を担当するらしい。

 手早く僕の左手首から手錠を外し、デスクのわきにあった突起にかける。これで、もう僕は動けない。

「で、お前、何を見た?」

 そう言いながら、デスクを挟んで反対側の椅子に腰かける警備員。いや、尋問官と呼ぶべきか。そんなことを考えながら言い淀んでいると、容赦なく鉄拳が飛んできた。

「何を見たかって訊いてんだ、小僧!」

 拳が頬にヒットする直前、歯を食いしばったのは正解だった。そうでなければ、奥歯の二、三本は欠けていたかもしれない。そのぐらい、相手も本気だったのだ。

 それでも、唾を飲むのには苦労した。というか、飲み込みきれずに床に垂らしてしまった。それに血が混じっているのを見て、正直ビビった。

 そうだ。梅子も香澄も実咲も、皆血を流しながら今日まで生きてきたのだ。

 梅子は交通事故の被害者だし、香澄は家庭内暴力をずっと受けてきている。実咲もまた、自殺未遂をした。ということは、それなりに身体にダメージが及んだことだろう。

 その間、僕は一体何をしてきた?

 確かに、両親の離婚と子育て放棄はショッキングな出来事だったと言える。だが、暴力に怯えて暮らしたことがあったわけではない。両親が別れた後も金銭的な補助は受けてきた。それを思えばよく分かる。自分がいかに平凡な日常を謳歌してきたか。

 そして、僕の苦悩など、彼女たちの背負っているものに比べれば何と卑小なものか。

「さっきからボサッとしてんじゃねえ!」

「ぐあ!」

 思わず声が漏れた。僕は片腕を椅子に固定されたまま、横倒しにされた。蹴飛ばされたらしい。

 続けざまに、僕の上半身に蹴りが降ってきた。一発や二発ではない。しかも、確実に痛みを感じやすい場所を狙ってきている。実咲との任務にあたる前、訓練を施してもらった際、三人に教えてもらったところだ。

 ということは、今僕を蹴りつけている尋問官も、何かしらの戦いのプロなのかもしれない。まあ、そうでなければ警備員など務まらないだろうが。

 痛みに喘ぎながらそんなことを思っていると、僕はぐいっと強引に引っ張り起こされた。そのまま、今度は反対側に椅子を蹴倒される。僕の半身は、既に十分痛めつけられたということか。

「おらっ、とっとと喋りやがれ! ローゼンガールズの連中の戦い方を教えろ!」

「……だ」

「何?」

「いっ、嫌だ。そう言ったんだ」

 ここで暴力に屈してしまったら、彼女たちに会わせる顔がない。理不尽な運命に立ち向かってきた彼女たちには。

 僕がここで負けるわけにはいかないのだ。

「生意気なガキが!」

「ぐぼっ!」

 尋問官の爪先が、ちょうど胃袋に突き刺さる。僕は堪らず嘔吐した。

 そんな無様な様相を呈しているにも関わらず、尋問官は僕を嘲るようなことはしなかった。怒りを募らせるばかりだ。

 流石に、暴力一辺倒なやり方に、僕も疑問を覚えた。

 何故だ? どうして心理的な駆け引きを行わず、物理的な力ばかりに頼るのか。

 一際強烈な一撃が、僕の肩の神経を痺れさせる。それと全く同時に、尋問官はこう叫んだ。

「何も分かろうとはしないくせに! 猪瀬中佐の理想も、苦悩も!」

 ん? 今、何て言った? 猪瀬『中佐』? 猪瀬は軍人だったのか? それも、外国の。

 どうして日本の自衛隊ではなく、外国の軍人だと思ったのか。理由は簡単で、階級の呼び方が違うからだ。自衛隊で中佐にあたるのは『二佐』。中佐なんて呼び方はしない。

 猪瀬高雄。一体何者なんだ?

 そんな疑問が浮かんだのも束の間、僕は視界の端で、尋問官が一際高く足を掲げるのを見た。

 ああ、あれを側頭部に喰らったら、最悪死んでしまうかもな。そう思った、まさにその時だった。尋問室のスライドドアが、外部から強制開放されたのは。

 尋問官の足がぴたりと止まる。のみならず、その強靭な足はさっと僕から遠ざけられ、キレのいいスタッ、という音を立てた。

 スライドドアの向こうにいる小柄な人物が、しかし強大な威圧感を以て尋問官に問うた。

「あなた、今何をしているの?」

「は、はッ、これは猪瀬中佐……いえ、猪瀬司令からの命令で」

「私が撤回します。すぐに通常のシフトに戻りなさい」

「し、しかし……」

「聞こえなかった? 失せろと言ったのよ」

「は、はッ!」

 ピンと背筋を伸ばした後、尋問官は足早にこの部屋をあとにした。残されたのは、芋虫のように横たわる僕と、小柄な少女。

 僕はこの少女のことを知っている。だが、今のような遣り取りをするなど、とても想像できなかった。

 すると、少女は一歩、部屋に入り込み、僕の手錠を外しながら『大丈夫、拓海くん?』と問うてきた。

 僕はもごもごと口元を動かし、何とか相手の名を呼んだ。

「玲菜……さん……」

「意識はあるわね。今は静かに」

 どうして玲菜がここにいるのか。すぐさま尋問官を追い払った彼女の正体は。気になることは山ほどあったが、僕は黙って、為されるがままになっていた。玲菜に連れ出されたのだ。

 意識があることを悟られてしまった手前、がっくりと気を失うこともできない。ぼんやりとした思考の中で、僕はできうる限りのことを考えた。

「拓海くん、ローゼンガールズ三人の生い立ちは聞いた?」

 静かながら、芯のある声で問うてくる玲菜。眼鏡越しに、僕の横顔を見つめている。

「き、君にも辛い過去が……?」

 一瞬黙した玲菜は、『そうね』と一言。

「それより、また医務室に連れていくから、それまで辛抱して」

「でもそれじゃあ、また理事長権限で……」

「大丈夫」

 自信に溢れた玲菜の声。すると、まさにこの瞬間を狙ったかのように、天井のスピーカーが喚き出した。

《施設内にて通信妨害を探知、各警備員は、第二種戦闘体勢で各部屋の警備に就け。繰り返す――》

 急に慌ただしくなる廊下を、玲菜に肩を支えられながら歩いていく。

「あなたたちが壊した通信妨害装置、私が造ったの」

「へ?」

「まさか同じものが、基地内にあるとは誰も思わないでしょう? 今回の通信妨害は、半日は持つはず。その間に、囚われた三人の救出と、リトルボーイの再起動を阻止することを考えなくちゃね」

 いつになく饒舌な玲菜。いや、もしかしたらこちらが素なのか? いずれにせよ、意中の女子に肩を貸してもらえるというのは悪くない。……って、そんな話ではなく。

「な、なあ玲菜、教えてくれないか」

 医務室の前で、僕は立ち止まった。

「君には異能の力があるようには見えないけど、それでもローゼンガールズの一員なんだろう? どうしてこんなことを?」

「ごめん、長話をしてる暇は――」

 そう言って、僕を医務室に引っ張り込む玲菜。その時だった。

《各ブロック閉鎖。各員、その場で警備作業にあたれ。繰り返す――》

「ああもう!」

 玲菜は髪にさっと指を通しながら、声を上げた。

「これじゃあ、すぐに三人を助けに行くのは難しいわね。今、ブロック閉鎖のプログラムを解除するから、その間だったら話ができる」

「そんな、作業しながら話せるのか?」

「そのくらい、慣れてるから」

 背中のリュックサックから、薄いノートパソコンを取り出す玲菜。

「じゃ、じゃあ、君がどうしてローゼンガールズに入ったのか、教えてくれないか?」

 少しだけ、キーボードを叩く玲菜の手が鈍る。これはマズいことを訊いてしまっただろうか。

 しかし玲菜は、『分かったわ』と言って、作業及び僕との会話を再開した。

「まあ、半分はお父さんの話なんだけどね」

 と断りを入れながら。

「私の父親、猪瀬高雄っていうの。国立未来創造高等学校――私たちの高校の理事長」

「そうなのか、随分と偉いんだな……って、え?」

 こちらを見向きもせずに、玲菜は続ける。

「ちゃんと聞いてた? 私はこの高校の、理事長の一人娘。お母さんは、病気で早くに死んじゃったんだけど、わけあって名字を変えて、この高校に入学したの」

『潜入した、とも言えるわね』。そう言って、玲菜は口元を歪めた。

「わざわざ、自分の父親がいる学校に?」

「もちろん、入試で不正はしてないわよ」

 釘を刺すつもりか、玲菜はそう言った。

「お母さんが亡くなったのが、私が小学二年生の頃。当時から私は、プログラミングとか、ハッカーの真似事とかをやってたんだから、随分と褒められたし、重宝された。当然周囲の大人は、私を手駒にしておきたいと思うでしょうね」

「そうして玲菜を勝ち取ったのが、猪瀬高雄理事長……?」

「ええ。何せ、実の父親ですもの」

 あまりにも淡々と告げられる言葉の一つ一つに、僕の脳髄は揺さぶられた。

「じゃあ、さっきの猪瀬『中佐』ってどういうことだ?」

「そうね」

 ふーーーっ、と長いため息をついて、玲菜は言葉を続けた。

「愛国者なのよ、あの人。体力も精神力も申し分なかったから、どこかの国の特殊部隊員として、中東の方で戦争に参加してたみたい。自衛隊が動くには、あまりにも手間が煩雑だったからね。彼独自の方法で、日本を守りたかったんでしょう」

 そうか。さっきの尋問官は、軍人時代の猪瀬の部下、とでもいったところか。つい昔の『中佐』という敬称を使ってしまった。

「あの人が、両目を負傷して日本に帰されたのは私が小学三年生の秋。お母さんが亡くなってから、一年半は経ってたわね。自分の人生の伴侶の死に目にも会わないなんて、最低。あの人にとっては、家族なんかより国の方がよっぽど大事なんだ。私はそう思った」

『今も変わってないわよ、その気持ち』。そう付け加えられた玲菜の言葉に、胸をえぐられる思いがする。だから彼女は、猪瀬のことを『あの人』としか呼ばないのか。

「そんな時、あの人を救ったのが、この国の先端医療技術だった。拓海くん、あの人が義眼だってことは知ってる?」

「うん、見たことがある」

「あの人は、その研究に自分を使うようにと志願した。実験台にしてくれ、って。今のところ、あの目はちゃんと機能している。生身の眼球と遜色ない程度には」

 しばし、会話を区切る玲菜。その間に、僕は考えた。

「もしかして、あのロボット――リトルボーイの開発を請け負ったのは、理事長が日本に恩を返すつもりで、ってことなのか?」

「ご明察」

 休みなくキーボードを叩きながら、玲菜が答える。

「あの人なら、防衛省や外務省に顔が利く。それに、経済産業省と国土交通省の後ろ盾があれば、こんな秘密基地じみた研究施設も建てられる。問題は、そこで働く人間、研究者たちをどうやって集めるか」

 梅子と戦ったスライム、香澄と戦った超小型カメラと麻酔銃、そして実咲と戦った有毒ガス。これらもまた、研究の成果の一部、というわけか。

「で、誰が造ったんだ、そんなもの」

「生徒の親御さんが多いわね」

 しばしエンターキーを連打しながら、何でもないように対応する玲菜。

「表沙汰にはなってないけど、日本でも高校生を雇い入れる秘密組織はいくつもあるの。大学で学ばせる時間がもったいない、ってね。そういう見込みのある生徒の授業料を免除することで、親御さんの気を惹いて技術協力させる。中には親子二代で研究に従事している人もいるくらいよ」

「そう、なのか」

 猪瀬は根っからの悪人ではなかった。玲菜の言う通り、愛国者だ。だが。

「そうは言っても、生徒の意志も尊重しないで実験動物にするのは違法だろう? 軟禁とか言ってたし、誘拐とか、身柄の拘束とか、何か罪になるんじゃないのか?」

「司法にも根回しは済んでるわ。全く、お金って怖いわね」

 僕が俯くと、ちょうど作業が一段落したのか、玲菜が振り返った。

「それで? 拓海くんはどうしたいの?」

「そ、そりゃあ……」

 僕はしばし、言い淀んだ。崇高と言ってもいいくらいの理想と、血の滲むような情熱。それらを前に、僕は何て無力なのだろう。

 だが――。

「僕は、玲菜のお父さんのやり方は強引すぎると思う。少なくとも、ローゼンガールズの三人は救出しなくちゃ。そしてお父さんに、もっと、その、温和なやり方でどうにかできないか頼んでみるしかないんじゃないか?」

「決まりね」

 僕の返答を予期していたのだろう。玲菜は最後に再びエンターキーを押して、パソコンを閉じた。そのまますっくと立ち上がる。

「リトルボーイともう一戦交える事態になるかも。覚悟は?」

「ああ。僕は僕なりに、何かをやってみせるよ」

 僕は、我ながら決然とした調子でそう言った。中二病もいいところである。

 しかし、玲菜はそれを馬鹿にしなかった。それどころか、『よかった』と呟いて、俯いてしまった。

「あ、あの、玲菜? どうかした?」

 直後、僕は玲菜に思いっきり抱き着かれた。

「え? あ、へえ?」

 狼狽える僕。だがそんなことにも構わず、玲菜はしゃくり上げながらこう言った。

「私のために、そこまで言ってくれる人なんて、いるとは思わなくて」

 普段なら、僕は真っ赤になって相手を引き離そうとするところだろう。しかし今は、今くらいは、玲菜の好きにさせてやりたい。

 四肢が痛くて上手く玲菜を抱き留められなかったけれど、玲菜が体重を預ける柱にならなれる。

「皆の力で勝てるさ。今の玲菜のお父さんは、やり方を間違えてるだけだから」

「うん……うん!」

 僕の肩に顔を押し付け、何度も頷く玲菜。しばらくそのまま突っ立っていると、アナウンスが流れてきた。

《各ブロックの封鎖解除。総員、通常のシフトに戻れ。繰り返す――》

 どうやら、玲菜がブロック封鎖解除のプログラムを仕込んだのが効いてきたらしい。

 玲菜は僕から顔を離し、自分のハンカチで目と頬を拭った。

「私、この建物の構造は頭に入れてあるから。まずはローゼンガールズの三人の救出が先決。行きましょう」

「りょ、了解!」

 僕は再び足を絡ませそうになりながらも、急いで玲菜の後を追った。


         ※


 人のまばらな廊下を駆け抜ける。

「三人はどこに囚われているんだ?」

「もうじき着く。本来は会議室用に増設された区画なんだけど」

 それからさらに走ること数十秒。

「ここよ」

 玲菜が足を止めたのは、何の変哲もないスライドドアの一つ。ただし、一番奥まった場所にある。玲菜はパスカードを取り出し、すっと通した。しかし、

「ん?」

「どうしたんだ、玲菜?」

 再度カードをスキャンさせてから、玲菜ははっとした。

「そんな……。各ブロックの封鎖は解除したはずなのに!」

「残念だったな、玲菜」

 背後から聞き慣れた声がする。僕たちは慌てて振り返り、声の主を凝視した。

「猪瀬、高雄……」

「おっと、目上の人間を呼び捨てにするのはよくないな」

 パチン、と猪瀬が指を鳴らす。すると、ちょうど彼の陰から、自動小銃を携えた警備員たちが出てきた。三人。猪瀬を含めて四人。

「生憎だが、彼女たちの愛用武器は預からせてもらっている。今のローゼンガールズには、戦闘能力はほぼないと言っていいだろう。君たちも投降しろ。悪いようにはしない」

 カチリ、という音が連続する。自動小銃のセーフティが解除される音だ。

「それにしてはあなた、私や拓海くんを殺すつもりのようね。その自動小銃、実弾が込められているんでしょう?」

「ふむ。流石、私の娘だ。よく気がつくじゃないか」

「誰もあんたの子供に産まれてきたかったわけじゃない!」

 僕は自動小銃の銃口から、すっと目を逸らした。スライドドアを見遣る。するとそこには、この近未来的な建造物には不似合いなものが取り付けられていた。鍵穴だ。もし上手くいけば――。

「おい、猪瀬。警備員。あんたたちの相手は僕がする」

「ほう?」

 顎に手を遣り、猪瀬は息をついた。興味津々といった様子だ。

 僕は猪瀬を睨み続けながら、玲菜に呼びかける。

「玲菜、ピッキングはできるか?」

「え、ええ」

「じゃあ、そのドアを開錠してくれ。邪魔が入らないように、僕が君を守る」

 警備員たちの間から、苦笑が漏れた。それはそうだろう。人数、装備、実戦経験の差。どれを取っても、連中が僕より劣っているところなどありはしまい。ついでに、僕の台詞が中二病っぽい。

 ここは、相手が油断しているところを強襲するしかない。奇襲は最早望むべくもないが、僕にだって時間稼ぎはできる。それを証明してやる。

「総員、武装解除。自動小銃を床に置け」

 猪瀬が警備員に命令する。この狭い廊下で自動小銃を振り回すのは、不利だと判断したのか。

「ああ、拳銃とナイフも置いて構わん。ここはフェアに戦わんとな」

 相変わらず興味深そうな猪瀬。彼の前に立ちはだかる三人の警備員。

 僕は時間を稼ぐべく、相手の出方を待つ。

 ――つもりだったのだが、相手は流石プロ、一瞬で距離を詰められた。

 守ったら負ける。こちらも打って出るしかない。

「うおおおおおおお!」

 雄叫びを上げながら、僕は右腕を振りかぶり、最初の一人と拳を交えた。

「ぶはっ!」

 そして呆気なく吹っ飛ばされた。

 殴られる直前、咄嗟に腕を曲げて防御体勢を取ったのは英断だったと思う。

 また、相手が僕を見くびってくれたのも幸いだった。でなければ、僕の腕は肘から先で骨折していたかもしれない。

 猪瀬を含めて四人の敵がいるわけだが、どうやら一対一で勝負をしてくれるらしい。親切なことだ。それに、僕は相手を倒す必要はない。玲菜がピッキングを終えるまで、時間稼ぎをすればいいのだ。

 ローゼンガールズ戦闘員三人の身が自由になれば、こんな連中、すぐに追い返せる。それまで耐えるしかない。

 相手は自分の両腕を顔に引きつけ、連続して蹴りを繰り出してきた。僕の顔面に、腹部に、脚部に。巧みに高さを変えて、僕を牽制する。これでは、リーチの差があって僕からは攻め込めない。

 そのうちの一蹴りが、足を薙ぎ払った。

「ぐあっ!」

 ぐるん、と目が回る。相手の姿が消えて、視界は天井へ。

 駄目だ。相手の姿を見失っては駄目だ。そう三人に教わったばかりではないか。

 僕は無理やり首を起こし、相手の挙動を捉えた。足を振り上げ、僕を踏みつけようとしている。

「ッ!」

 慌てて転がり、踏みつけられるのを回避。床と壁に手をついて、僕は立ち上がった。

 ふーーーっ、と息を長く吐く。

「ほう、お見事!」

 場違いなテンションを誇る猪瀬が、パチパチと両の掌を打ち合わせる。

「これで二十秒は稼いだぞ、拓海くん! もう半分といったところかな!」

 そうか。あと二十秒抑えきれば、玲菜がドアを開錠してくれる。

 安堵したのも束の間、

「ん?」

 視界が歪んだ。というより、眼前にいた警備員の姿が急に迫ってきた。

 次の瞬間、相手は僕の上半身に体重をかけ、無理やりに押し倒した。こちらが防戦一方であることを見切ってのことか。

「ぐっ!」

 肘先で僕の喉を押さえ、もう片方の腕で僕の半身を押さえつける。すると、肘を一旦離した相手は、僕の額を無造作に掴み込み、思いっきり後頭部を床に叩きつけた。

「ッ!」

 これまでにない激痛に襲われ、僕は五感全部が一斉にダウンするのを感じた。また僕は気絶してしまうのか。これでは、警備員は僕を乗り越えて玲菜の妨害に向かってしまうではないか。

 それでいいのか? 意中の人が必死に戦っているのに、僕がここで意識を失っていいのか?

 ――そんなわけ、ないだろう。 

 小原玲菜、僕は君を……!

「守りたいんだあぁああぁあ‼」

 周囲がぎょっとするのが感じられた。僕はそれほどの大声を発していたらしい。

 だが、構うものか。僕は滅茶苦茶に腕を動かし、警備員の片足を掴み込んだ。

 もう片足が引き上げられ、僕の頭部を蹴り飛ばそうとする。ああ、流石にこれを喰らったら、今度こそ僕はダウンだな。

 しかしその蹴りは、いつまで経っても訪れなかった。がくん、と警備員の身体が痙攣し、動きが止まる。

 他の警備員二人と猪瀬が、じりじりと後ずさりする気配。

 何が起こった? それは、頭上から聞こえた声で明瞭になった。

「よくもあたしのお兄ちゃんを……」

「よくも俺のダチを……」

「よくも我輩の後輩を……」

 ひっ! と息を飲む警備員たち。

「許さない!」

「許すか!」

「許すまじ!」

 既に気絶した一人を除き、警備員二人と猪瀬がごくり、と唾を飲む。

「おんどりゃあああああああ!」

 飛び出したのは梅子だ。小柄な体躯を活かし、廊下を縦横無尽に跳躍しながら猪瀬たちを追い払う。

「梅子!」

 香澄の声。梅子に向かって投擲されたのは、愛用のメリケンサックだ。

 どうやら、三人が監禁されていたのと同じ部屋の金庫に保管されていたらしい。これもまた、玲菜が開錠してくれたようだ。

 三人が猪瀬たちを追いかける中、玲菜が駆け寄ってきてしゃがみ込んだ。

「拓海くん、大丈夫……じゃないよね。意識があるなら、私の手を握って」

 すっと差し伸べられる、玲菜の手。僕はそっと、その柔らかい手先に触れながら、

「大丈夫、喋れるよ」

 と囁いた。思ったよりも弱々しい声音に、僕自身が驚かされた。

「歩ける?」

「我輩が背負っていこう」

 玲菜の問いに、実咲が答える。

「今のところ、全てのドアはカードキーで開けられるんだな?」

「は、はい。大丈夫のはずです」

「では行こう。急いだほうがいいな。梅子! 先行してくれ。香澄は梅子の援護!」

 二人が応答するのを聞いてから、僕は実咲の肩に手をかけた。遠慮なく体重を預ける。ローゼンガールズの一員だけあって、実咲はバランスを崩すこともない。

「玲菜は、前衛の二人を脱出口まで誘導してくれ」

「分かりました!」

 既に廊下の曲がり角からは、鈍い打撃音や鋭い銃撃音が響いてきている。その中に、大人の悲鳴が混じっていた。やはり、梅子も香澄も只者ではないということか。

 そのまま僕たちは、気絶したり伸びたりしている警備員たちを尻目に、いくつかの階段を上った。エレベーターはまだ危険だろうという玲菜の判断による。

「ここです! ここから地上に出られます!」

 そうか。脱出できるのか。

 この地下建造物から逃れられる。僕はようやく呼吸ができるようになった気分で、胸をなでおろした。

「み、実咲先輩……」

「どうした? 気分でも悪いのか?」

「ちょっと……寝ます」

 それだけ言って、僕は今度こそ、再び気を失うことを自らに許した。


         ※


 僕が気づいた時には、両脇を香澄と玲菜に支えられていた。

「ん、ああ……」

「気づいたか、拓海」

 ぶっきら棒に尋ねてくる香澄に、安堵の息をつく玲菜。

「あれ、実咲先輩は……?」

「話は落ち着いてからにしろ。まだ俺たちは安全じゃねえ」

 そう告げられて、僕は何とか足元に力を込める。

「二人共、もう大丈夫だ。歩けるよ」

「あ、お兄ちゃん! 気づいたんだね!」

 梅子が振り返る。心配をかけて悪かった、と言おうと思ったが、まだ歩くのが精一杯だ。今は頷いてみせるに留める。

 それにしても、僕たちはどこへ向かっているのだろう?

 空は既に真っ暗で、太陽の残滓も見受けられない。随分遅くなってしまったようだ。時間の感覚がないので、具体的な時刻は分からないが。

「ここだ」

 不意に、実咲の声がした。

「ようこそ、我輩の居城へ!」

 居城と言うにしては、小振りな建造物。だが、鋭利な尖塔や、蔦の張り巡らされ黒い外壁は、確かに城っぽい感じがする。

「ここは我輩のセーフハウスなのだ。我々の移動中は、監視カメラを切っておいたから、猪瀬たちにバレる心配はない」

 実咲は金属製の太い鍵を玄関扉に差し入れ、がちゃり、と音を立てて開錠した。

「しばらくはここに滞在してくれ。安全は我輩が保証しよう」

 その言葉に導かれるように、僕たち五人は実咲のセーフハウスに足を踏み入れた。

「皆、まずはシャワーでも浴びるといい。我輩が夕食の準備をしておく」

 冷凍ですまないが、と付け加え、実咲はダイニングへの扉を開いた。

 僕は、他の女性陣がシャワールームへ向かうのを見届けてからダイニングに入った。

「実咲先輩も一人暮らしだったんですね」

 呼吸を落ち着けながら、僕は尋ねる。しかし実咲は、それを否定した。

「ここは飽くまで、我輩のセーフハウスだ。いつもは両親と暮らしている」

「じゃあ、ご実家に連絡は?」

「詰めが甘いぞ、拓海。スマホで通話すれば、逆探知される恐れがある。我輩の両親は、我輩の立場を理解している。連絡がなければ心配はするだろう。だが、我輩が自分で最善と思われる行動を取っている、ということは分かってもらえる」

 そうか。梅子と違い、実咲は自分がローゼンガールズの一員であることを両親に話しているのか。

 僕は、少しばかりの嫉妬心を抱いた。両親と同じ屋根の下で過ごせるなんて、羨ましいことこの上ない。

 と、その時だった。あの戦闘ロボット、リトルボーイを目にした時の既視感が思い起こされた。

 どうして今、このタイミングで、リトルボーイのことが気にかかるのだろう? 僕の両親と何か関係があるのだろうか?

 僕が黙してテーブルの隅の椅子に座っていると、先にシャワーを浴びた女性陣がダイニングに戻ってきた。

「さあさあ、お兄ちゃんもお風呂にどうぞ!」

「ああ、分かった」

 心ここにあらず、ではあったものの、僕は有難く浴室を利用させてもらうことにした。

 シャワーの蛇口を捻り、頭から冷水を浴びせかける。髪をぐしゃぐしゃと掻き回してみたが、両親とリトルボーイにはどんな関連があるのだろう、という疑問は、流れ落ちてはくれなかった。

 現在の喫緊の課題。それは、

「リトルボーイを止めなきゃな……」

 浴槽に身を沈め、顔を拭いながら僕は呟いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ