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【第三章】

【第三章】


 翌日、昼休み。

「おい、拓海!」

「ん……」

「拓海ってば!」

 ぐいぐいと肩を揺すられ、僕は目を覚ました。

「何だよ祐樹、僕ぁ疲れてんだよ……」

「あーったく! これ見ろよ! 地方紙の今日の一面!」

 僕は渋々、重い頭を上げ、顔を向ける。

「どうせまたUFO騒ぎだろ? このネタ、祐樹は散々話したじゃないか、今朝のうちに」

「だってなあ拓海、お前がやたらと眠そうなのが悪いんだぜ? ちゃんと話を聞いて、現実を直視しろ!」

 あまりに喧しいので、僕はやむを得ず上体を起こした。祐樹の手にした新聞の第一面を視界に入れる。

『市内西部の山中で謎の事件! UFOの墜落か!?』とある。

 僕は深いため息をついた。何がUFOだ。いや、確かに一昨日、テロリストに我が二年五組が急襲された折、僕が使ったネタではあるけれど。

「でもなあ」

「でも、じゃねえよ! 拓海ってすげぇんだな! やっぱUFO見てたのか!」

「そんなんじゃないよ」

 僕は再び、机に突っ伏する。

 教室を滅茶苦茶にされてしまった二年五組の面々は、同じく二階の空き教室に移動し、授業を行う体制を整えていた。今が昼休みだから、一校時から四校時までは終わったらしい。

 それにしても、UFOだって? 僕や梅子の活躍ぶりは、そんなデマに塗り潰されてしまったのか。

 もちろん、ローゼンガールズの活動が世間の目に触れないようにと、配慮してのことだろう。完全に意図的なフェイクニュース。大人の都合というやつだ。

 だが、こんな稚拙で好奇心を煽るような情報操作は止めてもらいたい。

「ほら拓海、この写真見ろよ! 警察や消防だけじゃなくて、自衛隊まで出動してるんだ! 化学防護車が派遣されてくるなんて、よほどのことだぜ!」

 しかし、治安維持に関わる公的組織の人々に対しても、秘密は守られなければならないだろう。今頃、緘口令でも敷かれているのではあるまいか。

 こっそり覗けないかなあ! とか、何なら山に侵入してみるか! とか、あまりにも幼稚なことを並べ立てる祐樹。

 こいつの元気を少しは分けてもらいたい。今はそんな気分だ。

 僕は朝から昼休みに至るまでの記憶がなかった。きっと、爆睡していたのだ。

 更に言えば、昨日の夜から既に意識がぼんやりしていたような気がする。きっと疲れていたのだろう。

 そんな態度の僕を、教諭陣は見て見ぬふりをしてくれた。彼らは事情を知っている。だからこそ、僕のことを注意せずに、ゆっくり休ませてくれたのだ。

 感謝すべきか反省すべきか、迷うところである。

 そう言えば、梅子は今頃どうしているだろう? 疲労困憊してぶっ倒れてなければいいが。

 あたりを見回す。学年の違う彼女がここにいるはずはないのだが、それでも心配なものは心配だ。

 しかし、僕の目が捕捉したのは、別な戦闘少女だった。石切香澄である。

 彼女は最前席で、一人でカロリーメイトを齧っていた。味気ない昼食。すると、僕の視線に気づいたのか、ゆっくりとこちらに顔を向け、ジロリ、と睨みを利かせてから大きく舌打ちした。

「うお、こえぇ……」

 震える祐樹。無理もない。あの三白眼で睨みつけられ、何の脈絡もなくガンを飛ばされたら、恐れおののくのは当然のこと。

 しかし僕と香澄には、一定の脈絡、関係性がある。ローゼンガールズの一員である、という細い絆のようなものが。

 そうこうするうちに、あっという間に五校時、六校時が終わり、この日の授業は消化された。案の定、記憶は皆無。相変わらず僕は爆睡していたようだ。

 僕はまだUFOネタを引きずる祐樹を押し退け、鞄を肩にかけるようにして教室を出た。

 向かうは、地下の理事長室である。香澄はさっさと行ってしまったようなので、僕も教室を後にすることにした。


         ※


「ううむ……」

 前方に、階段を下りていく香澄の姿を捕捉した。しかしなあ、声かけづらいんだよなあ。

 下手に声をかけたら、零距離でも蜂の巣にされそうだし。それほどの殺気みたいなものが、彼女の背中から立ち昇っている。

 しばらく行くと、香澄は立ち止まって、先日の実咲同様の所作を経て鉄扉を開いた。ギスギスという擦過音を立てながら、扉が開いていく。

 しかし香澄は、そこから先に進み入ろうとはしなかった。扉の向こうに行く前に、壁に背中を預けてスマホを開いている。

 こうなったら、エンカウントするしかあるまい。

「や、やあ、香澄さん」

 我ながら固い口調で、片手を上げてみせる。香澄はこちらに一瞥もくれずに、再び舌打ち。

 僕がちゃんとついて来たのを確認したのか、今度こそ鉄扉の向こうへと歩み去っていく。

「あ、ちょっと待ってよ!」

 歩幅を広げて、僕は香澄に追いついた。背後で鉄扉は封鎖され、ガチリ、と施錠される音が響く。

 本当なら、僕は無言で、距離を取ったまま香澄と歩いて行きたかった。だって怖いんだもの。だが、同じ治安維持組織の一員である以上、一定の交流は持たねばなるまい。向こうが話しかけてこないなら、僕の方から声を掛けなければ。

「あの、香澄さん?」

「あ?」

 じろり、と音がするような勢いで、僕に目線を遣る香澄。

「昨日は、学校の方は大丈夫だった? ほら、僕と梅子は裏山で、えーっと、仕事? してたから」

 本当なら『戦っていた』と言いたいところである。が、実際問題、非力な僕は囮役を買って出ただけだ。戦ったのは梅子のみ。自分も含めて『戦っていた』というのは、あまりにも横柄だろう。

 すると香澄は目を背け、

「何も起こっちゃいねぇよ」

 と吐き捨てるように言った。よくもここまで徹底して、一語一句に悪感情を込められるものだ。逆に感心してしまう。

 噂だが、クラスの男子の一部には、『彼女に踏んでもらいたい!』という異常な性癖を持つ者たちの勢力が存在するとか。わけが分からん。

 また無言に戻ってしまった。どうしたものか。僕が左頬をぽりぽり掻いていると(右頬は梅子に殴られたため、湿布を貼っている)、意外なことに、口を開いたのは香澄の方だった。

「あんたの方こそ大丈夫だったのか? その顔」

「え? あ、ああ。大した怪我じゃないよ」

 それは一瞬だったかもしれないが、香澄の目には、苛立ち以外の感情が浮かんでいた。少なくとも、隣を歩く僕にはそう見えた。

「あっそ」

 素っ気なく顔を前方に戻す香澄。だが、今なら話をしておくチャンスかもしれない。

「あの、香澄さん」

「何だよ。まだ口が利き足りねえってのか?」

「ありがとう」

「ッ!」

 あれ? 香澄が歩みを止めてしまった。どうしたことか。

「だって、香澄さんは僕が遅れてくるのを待っててくれたんだろう? 悪かったね」

「そっ、そんなんじゃねえよ、タコ」

 切れ長の瞳をギラリと光らせ、再び香澄は歩き出した。

 僕は一刀両断された形だったが、それほど悪い気はしていなかった。


         ※


 理事長室の扉が開く。最初に聞こえてきたのは、梅子の声だ。

「あっ、お兄ちゃん! ほっぺた大丈夫?」

「お前が殴ったんだろうが、馬鹿」

「えー? せっかく心配してあげたのにぃ」

 うるせえ。ほっとけ。

 梅子の隣で腰を上げたのは、実咲だった。今日も今日とて凛々しいお姿である。

「昨日はご苦労だったな、拓海くん! 君の活躍は梅子から聞かせてもらった。流石、我輩の見込んだ男だ」

「あっ、いえ、そんな!」

 梅子や香澄の前なので、僕はさっと視線を逸らした。

 彼女たちとは違い、実咲は実にふくよかな胸部をお持ちである。そこに目を惹かれていると勘違いされては、残る二人にどんな目に遭わされるか、分かったものではない。

 いや、実際惹かれかけたけど。

 そんなアホなことを考えていた、その時だった。

「それでは、昨日の報告会と、次回の作戦立案会議に入ります。拓海くん、香澄さん、座ってください」

「あ、玲菜さん!」

 僕は思わず快哉を上げてしまった。なあんだ、僕の天使はちゃんとここにいるじゃないか。

 しかし、僕が喜びの滲む声を発した瞬間、少しばかり室内の空気が冷え込んだような気がした。

 何故か、凄まじい罪悪感に襲われる。取り敢えず、今は自重した方がよさそうだ。いろいろと。

「よし、全員揃ったな! それでは、昨日の詳細を教えてくれ! 梅子くん、拓海くん」

 猪瀬は奥の執務机に腰かけたまま、どこか楽しそうに僕たちを促した。

 報告は、主に梅子が行った。思いの外、慣れた様子だ。僕は個別に意見を求められた際に答えるだけで、概要は梅子が語り尽くしてしまった。

 玲菜の前で目立つ機会を奪われたのは無念である。しかしそれはそれ、日常生活の中で親交を深めていけばいいだけだ。今、この場においては、状況把握と脳内整理に努める方が賢明だろう。

「それでは玲菜くん、先ほど捕捉した二機目の通信妨害装置について、説明を頼む」

「かしこまりました」

 猪瀬の声に、そばに控えていた玲菜が一歩、前に出る。手には小さなリモコンのようなものを握っていて、それを僕たちの前にあるテーブルに向けた。

  ヴン、という鈍い音と共に、テーブル上に映像が展開された。モニターだったのか、これ。

 そこに映されたのは、この町の地図だ。だが、やや北部に寄っているように見える。中央にあるのは遊園地だ。

「二機目の装置は、どうやらこの遊園地に配されている模様です」

 淡々と述べる玲菜。

「最も有力なのは、一般客の入ることのできないスタッフ専用通路です。狭い範囲ですが、そこに行くまでの間に、何某かの妨害・トラップが仕掛けられている恐れがあります。いえ、確実に待ち伏せされていると見た方がいいでしょう」

「具体的には、どんな妨害工作が為されていると考えられるのかね?」

 長い足を組み替えながら尋ねる実咲を前に、玲菜はゆるゆるとかぶりを振った。

「申し訳ありませんが、そこまでは」

「了解」

 特に落胆した様子もなく、実咲は僕たちの方へ振り返る。

「と、いうわけだ。我輩の疑問はこれだけだが、他に訊いておきたいことがある者は?」

「はい! はーい!」

 威勢よく手を挙げたのは、梅子。ソファの上で、座ったまま跳ね回るという高等テクを披露している。そのスタミナを、一割でもいいから僕に分けてほしいものだ。

「今日その装置が見つかった、ってことは、明日出動するんだよね? 誰が行くの?」

 聞けば、梅子は明日、空手の練習試合があるとか。

「我輩も、出身中学校の剣道部にアドバイザーとして呼ばれている。と、いうことは」

 皆の視線が、僕と香澄の下へと集まった。

 今度は舌打ちではなく、ため息で応じる香澄。どうやら僕は、明日、香澄と一緒に遊園地へ行かねばならないらしい。

 ひとまず僕は、『分かりました』とだけ述べておく。

「香澄くん、いかがかな?」

 猪瀬の声に、香澄はソファにふんぞり返って『はぁい』とだらしなく答えた。精一杯の反抗心を表したというところだろう。自分に特殊な力があることを自覚し、やむを得ず、とも思っているのかもしれない。

 ん? 待てよ。

「あ、あの、玲菜さん」

「何かありますか、拓海くん?」

 すっと玲菜に視線を向けられ、僕はごくりと唾を飲んだ。

「えーっと、あれだ。その、どうして梅子や香澄さんや実咲先輩たちには、特別な力があるんだい? 異能の力、みたいな」

 ふと、室内に緊張が張り詰めたのを感じた。僕は何か、マズいことを訊いてしまったのだろうか?

 そんな中、場を治めたのは、戦闘要員の中で最年長者である実咲だ。

「ああ、それね。まあ、皆いろいろあるもんだよ。生きていれば」

 再び静まり返る室内。あの梅子すら、俯いて言葉を発せずにいる。

「今ので答えになったかね? 拓海」

「え? あ、はい! バッチリ分かりましたよ、実咲先輩! もう何も質問はございませんです、はい!」

 僕は慌てて言い繕った。何か地雷を踏んでしまったらしい。

 この場のギクシャクした空気は、解散の合図が出されるまで変わらなかった。


         ※


 翌日、土曜日。

 学校は休みだ。そもそも、ローゼンガールズの一員である以上、任務があれば、平日でも休みとはカウントされないのだが。

 昨日LINEで送られてきたところによると、どうやら僕と香澄は遊園地ではなく駅前で合流した方がいいらしい。

 直接現場に向かえばいいのに、どうしたことだろう? まあ、いいか。

 僕は機能性を重視し、服装を選んだ。半袖のTシャツに伸縮性の高いスラックス。リュックサックには、やはり水分補給用の清涼飲料水が搭載されている。

 愛用武器がない以上、僕が準備できるのは、ざっとこんなものだ。

 駅前での集合時間は、午前九時。遊園地の開館時刻が九時だから、やはり現場集合でよかったような気がする。しかし、何やら香澄には都合があるようだ。実際に遊園地に乗り込むのは、午後になるという。

「にしても暑いよなあ……」

 一昨日のスライム退治による疲労感は残っていない。だが、それでも日光やらアスファルトの照り返しやらで、体力をごっそり奪われるのは釈然としない。

 太陽め、僕たちに邪魔立てする気か。

 そんなことを考えているうちに、僕は集合場所である駅前のマクドナルドに到着した。このあたりはアーケードになっており、日差しをやや遮ってくれる。スマホを見ると、九時二十分前だった。

「ふう」

 流石に早すぎたかな、と思いつつ、一息ついた。そこまではいい。だが、度肝を抜かれたのは次の瞬間だった。

 横断歩道の反対側に、奇抜なファッションの人物がいる。肩までしかないジャケットに、ズタボロになったダメージジーンズ。耳にはピアスまで装備している。

 それを見た僕は、一歩引き下がった。いかにも香澄らしい、ファンキーな服装だ。っていうか、いつの間にピアスなんかしたのだろう?

 これでは、僕の立場がない。ヤンキー少女に振り回される気弱な健全男子。そんなポジションになりそうだ。

 僕が目をパチクリさせていると、背後から肩を叩かれた。

「うわっ!」

「うわっ、じゃねえよ。行くぞ」

 そこに立っていたのは、石切香澄その人である。

「あ、あれ? 香澄、今横断歩道の向こう側に――」

「はあ? 何言ってんの、お前?」

 香澄に小突かれ、改めて件のヤンキー少女に目を遣った。髪型と背格好が似ていただけだ。

 そうか。僕には香澄に対して、『攻撃性が高い=不良っぽい』という安易な先入観があった。道理で勘違いするわけである。

 しかし、本物の香澄に振り返った僕は、再び驚き、また一歩下がってしまった。

「おい、勝手に引くな」

「だ、だってお前、その格好……」

 僕は香澄の頭頂部から足元に至るまでを、ジロジロと眺め回した。

 白い半袖シャツをきっちり着こみ、ズボンは薄いベージュ色のスラックス。ピアスなんてどこにも着けていない。

「ず、随分とフォーマルな格好なんだな」

「文句あんのか?」

 三白眼で睨まれる。ここまでくれば、僕とて『彼女こそが本物の石切香澄である』と認識しなければならない。

 すると珍しいことに、香澄の方が口を開いた。

「遊園地に行く前に、寄るところがある。お前も来い、拓海」

「あ、ああ」

 寄るところがある。そうあっさり言われても、一体どこへ向かうのか、そして作戦に支障が出やしないか、疑問が次々に湧いてくる。

 ややラフではあるが、香澄はきちんとした服装している。そのことが、向かう場所はどこか、というヒントになっているのかもしれない。

 既に歩み出している香澄の後を追って、僕も歩いていく。駅を挟んで反対側の、東部新興住宅街へと。


         ※


 歩くこと、およそ二十分。相変わらず日光は容赦なく降り注いでいる。しかし僕は、それよりも香澄の向かう先のことが気になった。

 よっぽど尋ねようかとも思ったのだが、今は黙って従順にしていた方が得策だ。そんな気がした。

「着いたぞ」

 足を止めた香澄に倣い、僕もハンカチで額の汗を拭いながら、その建物を見上げた。

「これは、教会か?」

「そうだ」

「香澄、用事があるっていうのは、ここのことなのか?」

「まあな」

 彼女は相変わらずぶっきら棒な返事を寄越す。だが、舌打ちではなく、睨まれることもなく、意思表示をされているのは悪い気はしない。

 アーチ状に組まれた入り口。鉄格子の柵があるが、今は向こう側に開かれている。

 香澄は、入り口わきの壁面に向かい、何やら話し込んでいた。インターフォンか、あれ。

「行くぞ、拓海」

「え? でも遊園地は……」

「じゃあ来るな。一人で行ってろ」

 ありゃあ、いつもの香澄に戻ってしまったか。まあ、仕方がない。

 僕は香澄に同行することに決めて、二、三歩遅れながらアーチ門を潜った。

 教会自体は、より奥まったところにある。三角屋根に十字架が煌めき、外壁は白一色で眩しい限りだ。

 今度は、教会そのものの木製の扉が開かれた。そこで僕たちを待っていたのは、一人の男性だった。

 長身痩躯で、青い瞳をしている。真っ白な口髭を生やし、この暑いのにローブを纏って、にこやかに香澄と相対している。

 二人はどんな関係なのか、尋ねようとした時のことだ。小学校低学年くらいの男の子が、ひょっこり顔を出した。

「あーっ! 香澄お姉ちゃんだ!」

「おう、慧。元気そうだな」

「神父様がね、今日は香澄お姉ちゃんが来てくれるからって、だから楽しみに待ってなさいって、そう言ってたんだ!」

 香澄……お姉ちゃん?

「待ちなさい、慧。香澄さんは暑いところ、わざわざ来てくださったんですよ。まずは客間にお通ししなさい」

 すると、今度は女の子が顔を出し、続けて二人目の男の子。更には、どたどたと喧しい音を立てながら、多くの子供たちが香澄を包囲した。

「皆、元気そうだな! 今日も遊んでやるから!」

 そう言って場を治める香澄。

 正直、驚いた。香澄がこうも子供たちに慕われ、優しい声で応対しているのが、俄かに信じられなかった。

 な、何者なんだ、石切香澄?

 僕はゆっくりと、賑やかな教会入り口へ近づいた。神父がすっと顔を上げ、僕に向かって微笑みかける。

「平田拓海くん、でよろしいですかな?」

「は、はい」

 思わず僕は姿勢を正した。

「そう緊張なさらずに。歓迎致しますよ。香澄さんのご友人だそうですから」

 流暢な日本語が、するすると発せられる。しかしその言葉がなかったとしても、自分が拒絶されているわけではないことは確信できただろう。そのくらい、神父の立ち振る舞いには慈愛の心が表れている。

 それにしても、

「僕が香澄さんの、友人?」

「おや? わたくしはそう聞いておりましたが」

 穏やかな雰囲気のまま、神父が問うてくる。まさか僕が、香澄から友達扱いされているとは思いもしなかった。まあ、どうせこの場を訪れるため、便宜上そう伝えられただけかもしれないが。

 そんなことを考えていると、周囲が静かに、しかしざわついていることに気づいた。子供たちの視線が、無邪気かつ無遠慮に僕に注がれている。

「ねーねー香澄お姉ちゃん、あの人、だあれ?」

「こーら! 人を指差すのは失礼だって教えただろう?」

 朗らかに答える香澄。

「あーっ! 分かった! お姉ちゃんの恋人さんだ!」

「がはっ!?」

「ぶふっ!?」

 これには、僕も香澄も噴き出した。度肝を抜かれたと言ってもいい。

「おい香澄! 子供に何教えてんだよ!」

「お、俺がそんなこと言うわけねえだろう! お前が俺の、こ、ここ、恋人、だなんて……」

 急速にボリュームが引き絞られる、香澄の怒号。最後の方は最早呟きレベルだ。

 あれ? うっかり彼女をファーストネームで呼び捨てしてしまった。まあいいか、『さん』づけではよそよそしいと思っていたし。

 しかし、不覚にも僕は頭に血が上るのを感じた。香澄は背中を向けたまま。それでも、耳たぶが真っ赤であることは見て取れた。

 僕が彼女に好意を持たれた過去はない。少なくとも、僕の記憶には。やはり、子供に『恋人』と誤認されたことが原因だろう。全く、ませたガキんちょがいたものである。

「さあさあ、皆建物にお入りなさい。暑さに参ってしまいますよ。香澄さんも早く。拓海くんはこちらへ」

 神父がゆったりとした口調で、子供たちに呼びかける。素直に室内へ駆け込む子、香澄の手を引いて行こうとする子、相変わらず僕に興味の目を向ける子。いろんな子供がいる。

「おいおい、ちょっと待ってくれよ。今日は何して遊ぶんだ?」

「お姉ちゃんと、プロレスごっこ!」

「早く早く! 香澄お姉ちゃん!」

「分かった! だからそう押すなって!」

 まさか、あの石切香澄ともあろう人物が、あんなにも眩しい笑顔を振りまいているなんて。この場面を写真に収めて祐樹あたりにでも見せたら、きっとショックで気を失うだろう。

「どうかされましたかな、拓海くん?」

「あ、す、すみません。大丈夫です……」

 こうして僕は、神父に促されて教会に足を踏み入れた。向かうは講堂わきの小部屋だ。


         ※


 神父は、名前をトーマス・アンダーソンと言った。日本に来て五十年、各地を転々としながら、孤児を助ける活動をしてきたらしい。十年前からこの町に落ち着いて、正式にNPOとしての認可を得たという。

 この部屋の広さは十畳ほど。木目の床に、木製テーブルと三脚の丸椅子が配されている。風通しがよいため、冷房がないのに十分涼を得ることができた。ブラインドから日光が差し込み、床を横断歩道のように縞模様に染めている。

 養護スタッフと思しき女性が、丸テーブルを挟んで座った僕たちに飲み物を運んできてくれた。僕の下にはサイダーが、トーマスの下にはアイスコーヒーが置かれる。

「あ、ありがとうございます」

 恐縮しきりの僕を、トーマスは相変わらず穏やかな目で観察していた。

「あの、神父さん」

「何でしょう」

「石切さん……香澄はどうしてここに来たんですか? 僕、彼女のこと何も知らなくて」

「おやおや」

 目を丸くするトーマス。

「恋人同士でいらっしゃるのに、ご存じないと?」

 危うくサイダーを噴くところだった。

「あれは子供たちが勝手に言ったことです! ぼ、僕と香澄は、そんな仲じゃありませんよ」

「ははは、分かっています。あなたのようなお優しい方を見て、ついからかってみたくなりましてね。失敬」

 ため息をついてしまったが、何故だか彼の前では苛立ちを覚えなかった。不思議な貫禄をお持ちである。

 しばし黙考するように目を閉じ、音もなくコーヒーをすするトーマス。遠くからは、恐らく講堂からだろう、子供たちの賑やかなはしゃぎ声が聞こえてくる。

「実は、石切香澄さんは、孤児なんです。ちょうど八年前の夏に、わたくし共が保護しました」

「え……?」

 僕はごくりとサイダーを飲み下した。危うく気管に入るところだった。

「香澄さんから許可を頂いていますので、あなたにお話するのです。他言無用でお願いします」

「わ、分かりました」

 再び、椅子の上で姿勢を正す僕。トーマスは冷たいグラスを両の掌で包み込むようにして、語り出した。

「二瓶香澄さん……ご両親が離婚してからは父方の『石切』という苗字を名乗るようになりましたが、彼女のように救いを求めている子供たちはたくさんいます」

「香澄の場合は、何があったんですか?」

 慎重に言葉を紡ぐと、トーマスは僕の目を直視できなくなったのか、ふっと視線を逸らした。次に僕の耳に捻じ込まれてきたのは、あまりにも残酷な言葉だった。

「両親からの虐待です」

「ぎ、ぎゃく、たい……?」

 神妙に頷くトーマス。

「幸い、外傷は大したことはありませんでした。しかし心には、目では見えない傷が無数に刻まれてしまっているのです。今の彼女に、他人を信用しろとか、共同作業をしろというのは、あまりにも酷なことです」

「そんなことが……」

 これで、いつもの香澄の挙動に合点がいった。両親から虐待を受けたがために、人間不信に陥っているのだ。

 幸いなのは、彼女が自分から敵意剥き出しの言動を取っていること。少なくとも、睨みを利かせていれば、学校で虐められることはない。だからあんな毒舌家なのか。演技かもしれないけれど。

「しかし、彼女が高校に進学してから、状況はだいぶ変わったようですね」

「というと?」

 トーマスは手の指を組んで、軽く身を乗り出した。

「香澄さんは、自らNPOの活動に参加させてほしいと頼み込んできたのです。きっと、自分と同じ境遇の子供たちを、ただ見ているだけでは救えないと察したのでしょう」

 それで定期的に、この教会に通っているわけか。

「ふむ……」

 僕は拳を顎に当てて考え込んだ。

 両親に見放されたという意味では、僕とやや状況は似ている。問題は、彼女の場合、心理的暴力行為が伴っていた、ということだ。

「香澄のやつ、僕なんかよりもよっぽど大変な過去を担いで生きてきたんですね」

「それは一概には言えません。人間の幸福の尺度は、人の数ほどありますからね。だが、少なくとも香澄さんは恵まれてはいなかった」

 僕の胸中に、ふと、不思議な熱が宿った。

 香澄を助けたい。援護して、無事に任務を達成させたい。

 そう思い込んだ時には、グラスの中の氷は溶け切っていた。

「確か、今日の午後から用事があると言っていましたね?」

「は、はい」

 香澄が伝えておいたのだろう。

「では、そろそろかな」

 トーマスは腰を上げ、颯爽と小部屋を退室し、講堂へ。僕も後に続く。


         ※


「えー? お姉ちゃんもう行っちゃうの?」

「あたしまだ遊んでもらってないよ!」

「今度はサッカーだよ、香澄お姉ちゃん!」

 そんな子供たちの前で、まあまあとトーマスが手をひらひらさせる。

「香澄お姉ちゃんと、こちらの拓海お兄ちゃんは、これから大切なお仕事があるんだ。今日はこのくらいにしておいてあげなさい」

 すると、香澄は一歩、子供たちの前に歩み出た。

「またすぐ来るよ! それより、皆熱中症に気を付けて! 神父様の言うことしっかり聞くように! 返事は?」

 子供たちは顔を上げ、声を揃えて『はーい!』と威勢よく声を張り上げた。

「では道中お気をつけて、香澄さん、拓海くん」

「分かりました」

 お辞儀をする香澄の横で、僕はきっぱりとそう答えた。

 それと同時に、腹を括った。今回の作戦、必ず僕が香澄を守り切ってみせる。非力な僕だが、子供たちの無垢な瞳に胸を打たれた以上、逃げるわけにはいかない。

 アーチまで見送りに出てくれたトーマスや子供たち。軽く手を振り返してから、香澄の顔を覗き込む。そこには、いつもの仏頂面が戻っていた。

 ま、いいか。責任を背負い込むつもりはないが、できうる限りのことをしよう。

 子供たちの笑顔と、香澄自身の命のために。


         ※


 遊園地はやや閑散としていた。週末であるにも関わらず、だ。どうやら経営状態は、あまりよろしくないのだろう。僕もここに来たのは、小学校の遠足以来だ。

「そこで待ってろ」

 香澄の言葉を受けて、僕は木陰のベンチに腰を下ろした。

 香澄は何やら、受付で話をしている。すると、女性の係員と入れ替わりに、責任者と思しき男性がチケット販売口に立った。ガラス越しに、香澄は自分の学生手帳を見せ、さらに警察手帳のようなものまでチラつかせる。

 しかし、男性が慌てる様子はなかった。既に猪瀬が根回しをしておいたのだろう。香澄に告げられた言葉に対し、了承の意を示すように頷いている。彼女が僕の下に戻ってきたのは、それから間もなくのことだ。

「一番怪しいスタッフ専用通路は、中央広場を挟んで反対側だ。行くぞ」

「お、おう」

 香澄に続く僕。その時、気づいてしまった。いつの間にか、彼女が背中に拳銃を挟んでいることに。

 どれほどの殺傷力があるかは分からないが、大の男を昏倒させるのに十分な威力を有する火器。それに、その使い手である香澄の腕前が一級であることは、先日のテロリスト乱入騒ぎで立証済みだ。

「なあ香澄、あの……」

「可能な限り発砲は避ける。これでいいか?」

 何だ、分かってるじゃないか。そう言おうとした、まさに次の瞬間だった。

 目にも留まらぬ速さで、香澄は拳銃を抜いた。引き金に指を掛ける。しかし発砲には至らない。

「おい、発砲は……!」

「だから避けたんだろ。チッ、殺気は感じたのにな」

 僕を見向きもせずに、拳銃を引っ込める香澄。

 僕は恐る恐る、周囲を見回した。だが、客の視線は僕たちから逸らされている。どうやら、これからパレードが行われるらしい。道理で騒ぎにならないわけだ。

 しかし、異変が起こったのは、まさにパレードが始まったのと同時だった。

 華やかな衣装やキャラクターの着ぐるみに身を包んだスタッフが、有名なファンタジー映画のメインテーマと共に、中央広場に入ってくる。

 それと同時に、短い悲鳴が上がったのだ。

 はっとして振り返る香澄と僕。視線の先には、一組の親子がいた。

 父親が、倒れている。母親が慌てて支えに入ったお陰で、頭部を地面に打ち付けることはなかったようだ。そばで子供が一人、ぼんやり突っ立っている。

「あれ? パパ、パパ?」

「ちょっと、あなた! 急にどうしたのよ!」

 白目をむいて、仰向けに横たわる父親。僕を置き去りにするように、香澄は一瞬で親子の下に駆け寄った。

 呆気に取られる母親と子供。二人を無視して、父親の首筋に手を遣る香澄。

 僕が追いついた時には、腕で額の汗を拭っていた。

「麻酔銃だ」

「麻酔?」

「ああ。敵さんはどうやら、人殺しをする気はないらしいな」

 僕を振り返りもせずに、香澄は立ち上がる。

「あのっ! 主人は? 主人は無事なんですか!?」

「気を失ってるだけ。あと二時間は目覚めない」

 素っ気なく答えてから、香澄はすっと立ち上がり、スラックスのポケットからスマホを取り出した。四桁の番号を打ち込む。その指捌きに、僕は内心『速っ!』とツッコんだ。

 まあ、日頃から火器を扱う者にとっては、当然のスキルなのかもしれないが。

「こちら香澄。玲菜、件の遊園地に救護班を頼む。それから、報道管制を敷くように理事長に伝えろ」

 それだけ言って、再びスマホを引っ込める。

 今度は僕の背後でどさり、と音がした。

「うわっ!」

 そこにいたのは、海賊風のコスプレをした男性だ。パレードの一員だったのだろう、うつ伏せにぶっ倒れている。鼻血が出ているようだが、命に別状はなさそうだ。

 問題は次の瞬間である。振り返り、男性を目にした香澄は、突然僕に跳びかかってきたのだ。

「どわ! なっ、何を……!」

「頭を下げろ! 早く!」

 うずくまる格好の僕に、上半身を載せてくる香澄。ふっと甘い香りがしたが、同時にその身体が柔らかくないことに気づかされる。胸を押し付けられているはずなのに。

 横柄な態度に目が行って気づかなかったが、こいつ、いわゆる『つるぺた』なのか?

 ……こんな時に何を考えてるんだ。最低だな、僕。

 しかし、後ろ襟を香澄に引っ張られて、僕の意識も現実に引き戻された。

「拓海、お前、梅子を援護したんだよな?」

「え? ああ、スライムの弱点に察しをつけて、あと囮役を」

「だったら今回も俺を援護しろ!」

 再び拳銃を抜きながら、香澄は怒鳴った。

「おっさん二人の転倒位置からして、俺たちは包囲されている! 問題は、敵の規模と狙撃場所だ! お前は一旦避難して、周囲を見張れ!」

 まさか香澄に、そこまで当てにされるとは。

「で、でも僕は――」

 と弱音を吐きかけて、はっとした。ついさっき、香澄の手助けをしたい、守りたいと思ったのは僕自身じゃないか。そんな僕が、弱気になってどうする。

 教会で、孤児たちに笑顔を振りまいていた香澄の姿を思い出す。

 彼女だって、両親に祝福され、幸せを享受する権利はあったはずなのだ。それが叶わなかったが故に、荒んだ性格になってしまった。

 だが、今ならまだ、彼女の人間不信を解消できる。何故なら、僕が今頼りにされているからだ。

「わ、分かった! 任せろ!」

 僕はダッシュでメリーゴーランドに向かった。最寄の物陰といったら、ここしかない。

 背後から銃声がする。香澄が、僕が無事物陰に辿り着くまで、援護してくれているのだ。

 幸い、パレードを見る観客たちの間に混乱は起きていない。この発砲も、パレードの一環だと勘違いされているようだ。

 僕はスライディングの要領で、無事メリーゴーランドの陰に走り込んだ。周囲を見渡す。だが、視界の低さも相まって、麻酔銃を構える人間の姿は見当たらない。

 取り敢えず、先日のテロリストが持っていた自動小銃を想像してみる。しかし小銃はおろか、高いところに人影を見出すこともできない。

 麻酔銃で銃撃をしているのは、一体何者なんだ?

 そうこう考えているうちに、三人目の被害者が出た。香澄のそばにあったベンチに腰を下ろし、スマホでパレードを撮ろうとしていた若者だ。

 銃声がしなかったり、出血がなかったりするところを見るに、これもまた麻酔銃で撃たれたらしい。

「畜生、一体どこから狙ってるんだ?」

 僕はそっと頭を上げ、入り口の方に顔を向けた。そこには、鳩に餌遣りをしている白髪の男性がいた。こんな事件が発生していることに頓着せず、パンを千切ってはベンチ前に集まった鳩の群れに放り込んでいる。このおっさんは無関係か。

 しかし、僕は何故か、そのおっさんのことが気になった。この遊園地、何故かパレードには随分経費を裂いているらしく、なかなかの見物である。

 にも関わらずおっさんは、こちらを見向きもせずに、鳩への餌遣りに勤しんでいる。

 人影を感じさせずに、あらゆる包囲から麻酔銃を撃ってくる相手。それに、この敷地上を気持ちよさそうに、何の憚りもなく飛び回る鳩たち。

「まさか!」

 僕は一つの仮説に至った。だが、確証がない。

「ぐぬぬぬ……」

 じっと、おっさんと鳩たちの方を見つめ続ける。その時、何かが鳩の足元で光った。

「ん?」

 何だ、あれは? 僕は、こっそりリュックサックに装備していた双眼鏡を取り出した。顔に押しつけ、鳩たちの足元をクローズアップ。そして、そこに驚くべきものがあることを認識した。

 光学センサーだ。レンズの直径二ミリほどの、超小型カメラ。あれを鳩たちに装着し、映像を俯瞰してるようだ。

 問題は、麻酔銃がどこにあるか、だが――。

「なるほどな」

 更に観察すると、鳩たちには二種類の、異なる任務が与えられていた。

 あるグループの鳩たちは、カメラによる撮影を担当。別なグループの鳩たちには、これまた小型の、単発式の筒状の物体が取り付けられている。あれで、麻酔銃を地上に撃ち込んできていたのか。

 拳銃を抜き、上方を警戒し続ける香澄の下へ、僕は駆け戻った。

「おい馬鹿! 隠れてろ!」

「違うんだ香澄! 奴らの行動が分かった!」

 早く持論を伝えなければ。僕は香澄の手を引っ張って、今度は観覧車の陰に入った。

 香澄が難癖をつけ始める前に、僕は自分の観察結果、それに伴う推論を述べた。

「なるほど、考えたな」

「い、いやあ、それほどでも……」

「お前じゃねえ。犯人だ」

「いやー、照れるなあ……はい?」

 僕が呆気に取られていると、香澄は拳銃の弾倉を交換した。すかさず初弾を装填する。

「ま、待ってくれ香澄! 鳩たちに罪はない!」

「分かってるよ、んなこたぁ! カメラと単発式の麻酔銃だけ潰せばいいんだろ?」

 俺を舐めんな。そう言い捨てて、今度こそ香澄は本領を発揮した。

「拓海! お前はさっきの受付に行って、花火をありったけ打ち上げるように要請しろ!」

「ど、どういう意味だ?」

「いいから急げ!」

 そう言い切る前に、香澄はもう照準を定めていた。パン、という軽い発砲音がする。見上げると、飛行中だった鳩が一羽、驚いたようにバランスを崩すところだった。が、すぐに体勢を立て直し、何事もなかったかのように飛んでいく。

 鳩が豆鉄砲を食ったような、とはこのことか。ちゃんと香澄は銃弾の威力を加減してくれているらしい。

「ほら! とっとと行け!」

 香澄のエルボーを喰らいながら、僕は遊園地入り口へと駆けていく。

 その間に、香澄の意図に気づいた。花火をバンバン打ち上げることで、鳩の群れを敷地上空から追い払うつもりなのだ。

 それが上手くいかなくても、カメラや単発式麻酔銃の働きを妨害することはできる。香澄の銃撃を花火でカモフラージュすることも可能だろう。

 一般の来園客に悟られないよう、そしてパレードを迂回するよう気をつけながら、僕は遊園地を横切る。身を屈めながらのダッシュでチケット売り場へ。腰が痛んだが、泣き言を並べるほどの余裕はない。

「すっ、すみません!」

 受付には、先ほどの責任者の男性が待機していた。

「どうされました? 何か問題でも?」

「鳩です! 敵は鳩を使って、麻酔銃で僕たちを狙っています! イベント用の花火をありったけ打ち上げてください。そうすれば鳩を追い払えます!」

「わ、分かりました! おい、パレードの運営班に伝えろ!」

 遊園地側の対応は、実に迅速だった。

 僕がパレードの方に目を遣ると、色彩溢れる花火がいっぺんに打ち上げられるところだった。しかし――。

「ん?」

 どうしたことか。鳩は動じることなく、気ままな飛行を続けている。精々、ひょいっと軌道を曲げて、火薬を被らないようにするくらいだ。これでは、作戦が成り立たない。

 僕は急いで、香澄の下へ駆け戻った。

「香澄! 駄目だ! 鳩は訓練されてるんだ、この程度じゃ追い払えない!」

「分かったよ畜生! だったら、全部相手にしてやる!」

 お前は伏せてろ! と再び怒鳴りつけられ、僕は観覧車の陰に避難。その間にも、香澄は容赦なく拳銃で狙撃を繰り返していた。

 きっと香澄の持つ能力によるのだろう。弾丸は一発たりとも外れることなく、鳩に装着されたカメラや麻酔銃を破壊していく。

 取り敢えず、香澄の銃撃を誤魔化す、という面においては、花火の打ち上げは一定の効果を上げた。

 香澄もまた、ただ突っ立って銃撃していたわけではない。前転、側転、バックステップ。見事な体術を駆使することで、自分を狙っているのであろう麻酔銃の針を回避し続けていた。

 拳銃だけで、これほど精確な狙撃を繰り返すとは。香澄自身の練度も相当なものだと言えるだろう。

 やがてパレードがフィナーレを迎え、香澄が最後の弾倉を拳銃に叩き込んだところ。

 彼女はふっと脱力し、だらりと両腕をぶら下げた。

「香澄、大丈夫か!」

 観覧車の陰から呼びかける。すると、香澄は珍しく、口角を上げてみせた。っていうか、微笑んだ? さっきの教会で、孤児たちに向けていたのと同じような温かさが、今の香澄からは感じられる。何だ、こんな表情もできるんじゃないか。

 香澄はすぐに笑みを掻き消し、拳銃にセーフティをかけてこちらに近づいてくる。

「鳩のカメラと単発銃は……?」

「全部潰した」

 未だに鳩たちは、のんびりと上空を飛び回っている。だが、香澄が『全部潰した』と言うのだから、きっとその通りなのだろう。あれだけの射撃の腕前を持つ香澄の言葉だ。

 僕が安堵のため息をつくと、ぱちん! という擬音が飛び出しそうな衝撃が眉間に走った。

「いてっ! な、何すんだよ!」

「デコピン」

「分かってるって! だからどうして――」

「俺たちの任務は、電波妨害装置の破壊だろ?」

「あ」

 どうやら香澄は、安易に緊張を解いた僕を戒めたかったらしい。無論、仏頂面で。

「スタッフ専用通路への入室許可は取った。さっさと片づけるぞ」

 拳銃を背中に挟みながら、香澄はパスカードを取り出した。そのまま僕から目を逸らし、ずんずんと『STAFF ONLY』と書かれた扉に向かって歩いていく。僕もまた、鉄柵で区切られたその扉の向こうへと目を遣った。

 待てよ? 何か忘れているような気がする。数秒間考えて、僕ははっと息を飲んだ。

「あのおっさん!」

「はあ?」

 訝し気に振り返る香澄。だが、彼女の不機嫌に付き合っている暇はない。

「鳩に餌を遣って、この敷地に引き留めてたおっさんがいたんだ! テロリストの一味だったのかも!」

「ッ!」

 ぱっちりと目を見開く香澄。だが、気づくのが遅かった。

 微かな唸りを上げながら、一機の回転翼装備のドローンが、彼女の背後から接近していたのだ。

 音に反応し、拳銃を抜きながら振り返る香澄。しかし、僕は確かに見た。そのドローンに、やや大きめの銃が搭載されているのを。

 香澄の腕前でも、命中させられなければ意味がない。そしてそれだけ精密な射撃を行う間がないのは明らかだった。ついさっき、拳銃にセーフティをかけてしまったのだから。

 その後の僕の行動については、記憶が曖昧である。ただ、無意識に跳び上がったこと、香澄に体当たりをかましたこと、首筋に鋭い痛みを感じたことは分かっている。

 そして、視界が暗転し、泥沼に沈み込むような感覚に襲われたこと。

 恐らく僕は地面に倒れ込んだはずだが、その痛みに囚われる前に、意識がブラックアウトしていた。


         ※


 再び意識が僕の脳内に浮かび上がってきた時、真っ先に感じたのは、その場の静けさだ。

 ただ、ピッ、ピッ、という柔らかい電子音だけが響いている。

 続いて覚醒した嗅覚からは、薬品臭さが感じられた。ゆっくり目を開けてみると、広がっていたのは真っ白な壁。いや、天井か。

 僕は他の感覚と前後しながら、自分がベッドに横たえられているのに気づいた。

 って、呑気に寝てる場合じゃない!

「うわあっ!」

 僕は勢いよく上半身を起こした。薄手のブランケットがするりと落ち、自分が患者用の衣類を身につけているのが分かる。と同時に、うなじのやや左側に、僅かだが鋭い痛みが走った。

「そうだ、僕は……」

 すっと首筋に手を遣った時だった。

「ったく、心配したじゃねえか」

 無遠慮にカーテンが引き開けられ、一人の少女が入ってきた。案の定、石切香澄である。

「あ、ああ……」

 僕は香澄と目を合わせた。そばの丸椅子に腰を下ろしながら、じとっとした視線を僕に注いでくる。そうだ、いろいろと確認しなければ。

 そう思った矢先、香澄は自ら状況説明を開始した。

「あの鳩を操ってたおっさんなら、もう身柄を確保した。今は校内で取り調べを行ってる」

「え? あ、そうか」

「電波妨害装置も破壊した。取り敢えず、任務は完了だ」

 ふっと息をつく僕に、流石に今度は香澄も噛みついては来なかった。

「拓海、お前も命に別状はない。あのドローンが積んでたのも、麻酔銃だったからな」

「僕はどのくらいの間、意識を失ってたんだ?」

「まあ、ざっと四時間三十七分だ」

「は?」

 僕は違和感を覚えた。意識が戻ったのはいい。だが、どうして香澄は、そんなに細かく僕が気絶していた時間を把握してるんだ?

「香澄、もしかして僕の看病を?」

「なっ! んなわけねえだろ!」

 香澄は勢いよく立ち上がった。

「梅子や実咲先輩と交代で、この医務室に待機してただけだ! たまたまローテーションで、今は俺がお前のそばにいた、それだけだよ!」

 やっぱり香澄はガミガミさんである。だが、赤面しているのはどういうわけか?

 と同時に、僕は香澄の言葉を反芻する。『俺がお前のそばにいた』か。何だか聞いてるこっちが恥ずかしくなるような台詞だな。異性に言われたとすれば、尚更。

 気づけば、香澄は胸の前で腕を組んで、苛立たし気にスリッパで床をぱたぱた鳴らしていた。

「あの、取り敢えずありがとな、香澄」

「ひっ!」

 僕が告げると同時に、香澄は短い悲鳴を上げた。普段は切れ長の瞳を、真ん丸に見開いている。

「ごめん、何か気に障るようなことを――」

「ち、ちげぇよ!」

 だったらどうして赤くなるんだ。

 そう問いかけようとした頃には、香澄は既にこちらに背を向け、カーテンを引き開けていた。退室するらしい。

「あのな、拓海」

「ん?」

 僅かに拳を震わせ、しかし小声で、香澄は言った。

「お、お前さえよかったら、また教会にでも付き合ってくれねえか」

「ああ、構わないよ」

 我ながらあっさり答える僕。すると香澄は、さっきの僕のようにふうっ、と息をついて、最後にこう言った。

「ありがとよ、その、助けてくれて」

 その言葉を残し、今度こそ香澄は病室から出て行った。

 僕もまた、自分が赤面しているのに気づいたのは、それから間もなくのことである。

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