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【第一章】

【第一章】


 ある日の午後、僕の通う高校の、教室でのこと。

 何の前触れもなく、僕の愛すべき『平凡な日常』は、あまりにも呆気なく崩れ去った。


 ズタタタタタタタッ!


 空を斬る突然の轟音に、僕たちは思わず耳を塞いだ。チリチリという金属質な音が続く。

「なっ、何だ、何なんだよ!?」

 そう声を張り上げたのは、僕の数少ない友人、久米祐樹である。ワックスで刺々しく固めた髪を押さえながら、のけ反るようにして叫ぶ。

「黙れ! 全員静かにしろ! 動くんじゃねえ!」

 僕、平田拓海は、久米の隣席でうずくまった。賢明な行動だとは思うが、決して僕が冷静だったわけではない。教室のほぼ中央でのことだ。

「なあ拓海、これって何が起こって――」

「知らないよ!」

 小声で言い返す。今の轟音は、どうやら教室前方の出入り口からしたようだ。僕だって、何が起こっているのかは気になっている。確かめなければ。そっと顔を上げる。そして、ぎょっとした。

 教室前方から乗り込んできたのは、目出し帽を被った大男だった。数は三人。その手には、なんと自動小銃が握られている。あれが火を噴き、轟音を響かせたのだ。チリチリという金属音は、薬莢の落ちる音だったか。

 視線を動かすと、授業を担当していた古文の教諭は、腰を抜かしていた。ガタガタ震えているのが、ここからでも見える。頼りにできない。

「こ、この学校って、セキュリティ万全じゃなかったのかよ……」

 情けない声を上げる祐樹。

 すると、男三人はさっと身を屈めた。何事かと目を反対側、校庭に面した窓の方へと向ける。

 そこには、新たな人影が降ってくるところだった。腰にロープを巻いた男たち。恐らくは、屋上からロープで降下してきたのだろう。こちらも数は三人。彼らも同型の自動小銃を手にしており、こちらに狙いを定めている。

「全員伏せやがれ! 死にてえのか!」

 先に乗り込んできていた男の一人が叫ぶ。僕が慌てて、再び机の下に身体を捻じ込むと、窓側から銃声が轟いた。流石に防弾ではなかったのか、窓ガラスが撃ち破られていく。

 頭を抱えながらそちらを見遣ると、三人の男たちは巧みに身体の重心を動かし、教室に飛び込んできた。

「目標地点、制圧」

「制圧確認」

 男たちは立ち上がり、自動小銃を構え直しながら声を掛け合う。あたかも軍人のようだ。

 それから一転、リーダーと思しき男が再び声を荒げた。

「てめえらは人質だ! 下手に怪我をさせたくはねえ! このままじっとしてろ!」

 それを聞いた時には、祐樹はお経らしきものを唱えていた。南無阿弥陀仏を繰り返す。

 だが、彼に注目しているだけの余裕は一瞬で吹っ飛んだ。

「小原……」

 思わず、僕は彼女の名前を口にしていた。

 小原玲菜。僕のクラスメイトで、恥ずかしながら片思いの相手でもある。彼女は机の下で膝を抱え、眼鏡の向こうで涙を流している。

 僕は自分の無力さを恥じた。

 せめて彼女だけでも救われてほしい。だが、この窮状をひっくり返すだけの力が、僕にはない。『平凡な日々』を渇望する僕のような人間には無理な相談だ。

 僕に戦うだけの力があれば。だが、こんな連中を相手に戦うとなれば、過酷な訓練を受けなければならないだろう。無論、そんな経験は僕にはない。やっぱり無理だ。僕の存在など、その程度なのだ。

「よーし、そのまま静かにしてろよ」

 男たちは机の間を闊歩し始めた。一歩進むごとに、硬質な足音がする。

 無駄なく僕たちの動きを監視し、反抗心を押さえつける男たち。しかし、身代金を請求する気配はない。集団誘拐でもするつもりなのだろうか。

 そんな考えを巡らせている最中。窓の外に、するっともう一本のロープが下りてきた。

 男たちの仲間が下りてくるつもりなのだろうか。『これ以上緊張感を高めるようなことは、どうか止めていただきたい』などと具申できるはずもなく、僕は再び玲菜の方に目を遣ってから、顔を膝の間に挟み込んだ。

 しかし、僕はすぐに顔を上げることになった。聞き慣れた幼馴染の声が、耳に飛び込んできたからだ。

「はあああああああっ!」

 窓から乱入してきたのは、男たちとは比較にならない小柄な体躯の女子だった。

 

 ――一年三組、木村梅子。

 

 中学生の空手の全国大会で、四位に入賞。その実績で特待生として入学を果たした、体育会系女子である。

 梅子は短めのツインテールを振り回し、果敢に窓際の男たちに殴り掛かっていく。その姿だけでも気迫溢れるものだったが、彼女が手に装備しているものを見て、僕は思わず息を飲んだ。

 梅子は、いわゆるメリケンサックというものを装備していたのだ。指にはめるタイプの金属部品。無論、生身の拳で殴るよりも、遥かに大きな威力を発揮する。銀色に輝くそれは、縦横無尽に空間を切り裂いた。

 まさか背後から攻め込まれるとは思わなかったのだろう。窓際の男たち三人は、大きく体勢を崩した。もちろんこれは梅子の計算通りだったはず。奇襲の初歩である。

 驚くべきは、彼女の拳が有する破壊力だった。

 小回りの利かない自動小銃を振り回し、梅子の接近を拒む男たち。だが、そんなもので梅子は怯まない。

 タン、と床を蹴り、低姿勢でダッシュ。振り回される自動小銃の打撃を回避。斜め下から一人目の男の顎に掌底を打ち込む。掌底とは、文字通り掌で行う殴打だ。

 見事に顎に掌底をくらった男は、気を失って体勢を崩した。

「ふっ!」

 梅子は止まらない。倒れかかってきた男の首に抱き着くようにして跳躍、そのまま捻り倒す。勢いを殺さずに、その背後にいた二人目の男の横面に回し蹴り。しかし、これは男の腕にガードされた。

 無理に攻め続けることはせず、梅子は一旦距離を取った。慌てて退き下がる生徒たち。

 男はすぐさま拳銃を抜き、梅子に向ける。だが、梅子はすぐさま目標を変更、未だ自動小銃を捨てられないでいる男に向かってダッシュ。

「歯ぁ食いしばれえええええええ!」

 一瞬で距離を詰められ、動揺した男の頬に、容赦なくメリケンサックが叩き込まれる。

 あの勢いでは殴殺されてしまうのではないか。と思ったが、僅かに鮮血が舞っただけで、男は呆気なく昏倒した。一瞬、メリケンサックに青白い光が宿ったように見えたが、気のせいだろうか?

 残る敵性勢力は四人。窓際に一人、廊下側に三人。しかし、廊下側にいる連中は、誤射を恐れて銃撃できないでいる。

 それを見越してか、梅子は先ほど仕留めそこなった男に再度突進する。男は拳銃すらも捨て、白兵戦の構えだ。ボクシングでもやっているのだろうか。そんな雰囲気。

 今度は明らかだった。ぶわり、と青白い光が、梅子のメリケンサックから立ち昇ったのだ。

 アッパー気味のその拳を、男は半身を引いて回避。梅子は足払いをかけ、男の体勢を崩そうとするが、男は呆気なくバックステップで再び回避。

 マズい。距離を取られた。瞬発力は梅子に分があるかもしれないが、リーチは大の男に敵うはずもない。予想通り、男はハイキックを繰り出し、梅子の顎を下から狙った。

 両腕を交差させてガードする梅子。だが、男は強引に足を突き出し、梅子を弾き飛ばした。

「ぐあ!」

 したたかに背中を床に打ちつける梅子を前に、男は予備の拳銃を抜いて狙いを定める。次の瞬間、目の覚めるような銃声が響き渡った。

 再び僅かな鮮血が舞い、倒れ込んだ――男の方が、だ。

 同時に、何者かが僕のそばで立ち上がる気配。

「ガキは下がってな。俺に任せろ」

 そんなドスの効いた声が、僕の頭上から梅子に向けて発せられた。


 ――二年五組、石切香澄。


 僕や祐樹のクラスメイト。頭脳明晰でありながら、運動部から助っ人として呼ばれることの絶えない文武両道系女子。一人称は『俺』であり、髪型もベリーショートなので、かなりボーイッシュな印象を与える。

 しかし今重要なのは、彼女が手にしているものだった。妖しく光る拳銃である。

 よく見れば、拳銃が黄色い光を帯びている。ちょうど、梅子のメリケンサックが青く光っていたのと同じように。

「石切先輩……」

「黙ってろ、梅子。後は俺に任せな」

 言うが早いか、香澄は空を斬るような勢いで振り返った。残る男たちは三人。壁際に並んでいる。その中央、リーダー格の男に向かって発砲する。胸に二発、頭に一発。

 見事な軍隊式の撃ち方に、堪らず男は崩れ落ちた。激痛によってか、呻き声を上げている。命に別状はないようだ。

 しかし、先にリーダーを仕留めてしまったのがマズかった。残る二人が恐慌状態に陥ったのである。

「なっ、なんなんだこの女共は!? こんな連中がいるなんて、聞いてねえぞ!」

「お、俺もだ! ええい、くたばりやがれ!」

 ジャキリ、と自動小銃を構える二人。このまま乱射されたら、クラスメイトたちに被害が及ぶ可能性が高い。香澄も慌てて拳銃を構え直すが、どちらの男を狙ったらいいのか決められないでいる。

「死ねえ!」

 二人の男が滅茶苦茶に銃口を向け、引き金に指を掛けようとした、次の瞬間だった。

 男たちの背後で、ピン、と空気が張り詰めた。

「な、何だ?」

 ただならぬ空気感に、はっと振り返るクラスメイトたち。

 次の瞬間だった。廊下側の壁に亀裂が入ったのは。

 ズズッ、と鈍い音を立てて、壁が斜めにズレた。続けて野菜を切り分けるように亀裂が入っていく。

「な……!」

 男たちは慌てて跳びすさる。それと同時に、防音・防火壁が呆気なく崩れ去った。その向こうに立っていたのは――。

「全く、我輩の庭で物騒な真似は止めてもらいたいものだな」


 ――三年四組、大河原実咲。


 自他共に認める、非の打ちどころのない生徒会長。と同時に、剣道部の主将を務め、勉学でも学年トップをひた走る生まれながらのエリート。艶のある黒い長髪をポニーテールにまとめ、右手に握った竹刀でトントンと自分の肩を叩いている。その度に、たわわな胸が揺れる。

 って、それは今はどうでもいい。

 まさか、あの竹刀でこの壁を切り分けたのか? そんな馬鹿なと思いつつ、しかし、梅子や香澄の戦いっぷりをみれば一概に否定することもできないと考える。

 そして、実咲の実力はすぐに披露されることとなった。

「そこの野蛮な男共。ぶっ倒れた仲間を担いで、さっさと失せるがいい。さもなくばこの場で斬り捨てる」

 その言葉を挑発と取ったのか、男二人は銃口を実咲に向けた。

「ま、まずはてめえから死にやがれ!」

 男たちは、今度は迷わなかった。再び耳を聾する銃声が響きわたり、無数の銃弾が実咲の下へ殺到する。しかしその直前、呆れた様子で彼女が肩を竦めるのを、僕は確かに見た。

 そして、カカカカカカカン、と甲高い音が連続した。真っ赤な光を帯びた竹刀が自在に舞って、弾丸を弾いてみせたのだ。それも一発残らず、である。一体どこのジェダイだ。

 実咲は竹刀を正眼に構え、じとっとした目で男たちを睨みつけた。

「それで終わりか?」

 その余裕溢れる姿に、男の一人は何をトチ狂ったのか特攻をしかけた。銃撃しながら実咲との距離を詰めていく。

「うあああああああ!」

「ふん」

 赤い竹刀は残像を伴ってふわりと舞い、再び弾丸から実咲を守る。折れる気配もない。

 その竹刀を、実咲は軽く突き出した。その先端は見事に男の額を捉え、後方へと突き飛ばす。悲鳴を上げる間も与えられない。

「お、おい! ひいっ!」

 残る不届き者は一人。気絶した仲間を見捨てて、窓へ向かって走り出す。逃げるつもりか。

「我輩に背を向けるとは、愚かな」

 そう呟いて、実咲は槍投げの要領で竹刀を放り投げた。そして竹刀は、男の背中中央部を先端で強打した。まるで吸い込まれていくような精確さだ。男は一瞬で意識を奪われる。

 実咲は教室全体を見回しながら、ゆっくりと踏み込んできた。

「誰か怪我をした者はいないか?」

 先ほどまでの喧騒はどこへやら、二年五組は静まり返っていた。唯一聞こえてくるのは、カチャカチャという金属質な音。香澄が拳銃から弾倉を取り出し、残弾を確認しているのだ。

「こ、こえぇ……」

 僕の隣で、祐樹が震えながら声を漏らす。

 僕も同じ感想を抱いていた。幼馴染の木村梅子、クラスメイトの石切香澄、生徒会長の大河原実咲。

 三人共、見慣れた存在ではあるものの、いや、だからこそ、この戦闘を行ったことが信じられなかった。皆、常識人とは言い難い。が、それでも一応常人であるとは思っていたのに。これではアメコミのヒーローのようではないか。

「香澄、怪我は?」

 実咲に声を掛けられた香澄は、仏頂面のまま窓の方を顎でしゃくった。そこには、尻餅をつく格好で梅子がへたり込んでいる。

「大丈夫か、梅子?」

「す、すみません、実咲先輩。屋上にいた連中を倒してからここに来たので、出遅れました」

 実咲は手を差し伸べ、梅子が立ち上がるのを助ける。

 って梅子の奴、『屋上にいた連中を倒してから』とか簡単に言うなよ。本当に化け物か、お前らは。

「先輩、この野郎共、どうしますか」

 抑揚のない声で香澄が問う。

「そうだな、警備員たちが来るまでに、身柄を拘束しておくか」

 そう言って、実咲はやたらと長いスカートのポケットから手錠をいくつか取り出した。その顔には、何とも嗜虐的な笑みが浮かんでいる。ドSだったのか、この人。

 窓際にいた実咲は、早速梅子と香澄が倒した男たちに手錠を掛け始めた。黙って見守る二年五組の一般生徒、及び古文の教諭。

 だが、その光景をぼんやり眺めているうちに、僕は大事なこと、否、大事な人のことを思い出した。ゆっくりと体勢を低くしながら、その机に近づく。

「小原さん、大丈夫?」

 僕はそっと、玲菜に声をかけた。玲菜はまだ恐怖感が拭い去れないのか、机の下で頭を抱えている。

「どうやら助かったみたいだ。安心して」

 自分の手柄でもないのにこんなことを言うのは、身分不相応も甚だしい。だが、そうせずにはいられなかった。どうしても声をかけてあげたかったのだ。恋は盲目とは、よく言ったものである。

 その時、僕は視界の隅に違和感を覚えた。玲菜から目を逸らすと、そこには気絶していたはずの男が一人。意識を取り戻し、拳銃を取り出そうとしていた。これは誰がどう見てもヤバい。皆が油断しているというのに。

「この女共が……!」

 今の僕に、拳銃を手にした大男に飛びかかっていくだけの度胸はない。となれば、早く三人の戦闘少女たちに危機を知らせなければ。

 でも、何て言ったらいいんだ? 

 混乱した結果、僕は百二十パーセントの知恵と勇気を振り絞って立ち上がり、窓の外を指差した。

「あーーーーーーーっ! UFOだ!」

 我ながら意味不明である。ただ、男の気を惹くことができればと思った結果だ。

 突然の大声に、男ははっとして拳銃を僕に向けた。

「ッ!」

 誰か気づいてくれ! と、心の底から懇願する僕。

 しかし、戦闘少女たちのリアクションは驚くべきものだった。

「え、UFO!? どこどこ!?」

「何っ! 俺もついに目撃者に……」

「ほう! これぞ未知との遭遇だな!」

 何言ってんだお前らはあああああああ!

 しかし、結局発砲はされなかった。慌てて振り返った際、実咲が竹刀を自分の背中側に放り投げたのだ。それは見事に、男の頭頂部を直撃。男は再び昏倒した。

「あれぇ? UFOなんて見えないよ?」

「チッ、見間違いかよ」

「誰だ、こんな嘘をついたのは!」

 落胆する梅子、苛立つ香澄、そしてがばりと振り返った実咲。

 一人突っ立っていた僕は、すぐに実咲と目が合った。

「貴様か! UFOだなどと騒ぎ出したのは! 注目を浴びたい若者の気持ちは分かる。だがはよくないな! 名前は?」

「はっ、はい! 平田拓海です!」

 無意識のうちに、僕はビシッ、と背筋を伸ばしていた。

「平田拓海くんか。怪しいな」

「え?」

 じーーーっ、とこちらの目を覗き込む実咲。僕は自分の頬が紅潮するのが分かった。照れているのではなく、実咲の放つ圧迫感に当てられてしまったのだ。

「梅子、香澄、早速理事長室に行くぞ。事の次第を報告しなければならん。拓海くんとやら、我々に虚偽の発言をした真意を確かめさせてもらう。ご同道願おうか」

「は……い……」

 その場で崩れ落ちそうになりながらも、僕はふらふらと廊下へ歩み出た。振り返った時、祐樹が憐憫の情を顔に浮かべているのを見て、僕は胸中で呟かざるを得なかった。

 一体僕は、何をやっているんだ?


         ※


 そう言えば、僕たち一般生徒は、職員室や校長室、理事長室といった部屋がどこにあるのか知らされていない。どうしてそこに疑問を抱かなかったのか、不思議なほどである。

 まあ、当然と言えば当然か。この国立未来創造高等学校は、日本中から選りすぐりのエリート生徒が集められている。入試時点での倍率は、およそ五十倍。入学を許可されるのは、上位二パーセントの生徒のみだ。

 その一人一人がVIP対応なのだから、教職員は言わずもがなである。テロや災害対策のため、彼らの居室が秘匿されているのは当然と言える。

 実咲を先頭に、梅子と香澄、そして僕の四人は、二階から一階へと階段を下りていく。その途中で、これまた物騒な男たちを見かけた。

 彼らの姿は、生活していればたまに目に入る。いわゆる警備員だ。くすんだ緑色のベレー帽を被り、防弾ベストの上から黒い制服を着込んでいる。胸元には紫色のバッジを付けており、それが本校所属の人間であることを示していた。

 紫色というのは、この学校のトレードマークにあしらわれている色だ。古代日本で、身分の高い人々の衣装が紫色だったことに由来しているという。

 彼らには警察を上回る権限が与えられているらしく、一人一人が拳銃を携行している。そんな彼らが、簡単にテロリストに打ち倒されたのは考えにくい。負傷者の姿も見受けられない。一体何があったのだろう?

 やがて僕たちは、一階の最奥部、厳めしい鉄扉の前で立ち止まった。

「大河原実咲、入ります」

 実咲がそう言うと、

《声紋認証完了、網膜認証に移ります》

 とのアナウンス。実咲は軽く腰を折って、鉄扉の横の壁面に顔を近づけた。

《網膜認証完了、入室を許可します》

 すると、鉄扉がガシャン、と重苦しい音を立てて開錠された。向こう側へと開いていく。

「さあ、行くぞ皆の衆」

 実咲に促され、僕たちは薄暗い廊下へと足を踏み入れた。

 淡い間接照明で照らされた、広い廊下。ぼんやりと壁や天井が輝いているように見える。床には赤紫色の絨毯が敷かれ、古めかしい洋館を連想させた。

 ゆっくりと、戦闘少女三人の後に続く僕。ふと目を上げると、廊下の両側に小部屋が並んでいるのが見えた。ドアの上には小さなプレートがあり、教諭陣の名前が書かれている。以前見学に行った、大学の研究棟みたいだ。

 そこまで頭が冷静になったところで、僕ははっとした。

 梅子、香澄、そして実咲。彼女たちは一体何者なんだ? 当然、各々が僕と同じ学校に通う幼馴染、クラスメイト、生徒会長であるのは分かる。分かるのだが、あの戦いっぷりは凄まじかった。

 どこで訓練を受けた? 目的は何だ? そして何より、あの時彼女たちの武器に宿った光は何なんだ?

 僕が顎に手を遣りながら進んでいると、すぐ前を歩いていた梅子が立ち止まった。

「おっと」

 僕も足を止める。顔を上げると、どうやらこの回廊の最奥部に到着したようだ。そこには、二枚目の鉄扉があった。先頭を行く実咲がパスカードを出し、鉄扉のわきのスキャナーに通す。それから『生徒会長、大河原実咲です』と名乗りを上げる。ここでも声紋認証も必要とされているのか。用心深いことである。

 すると鉄扉の上方から、聞き覚えのある声が降ってきた。

《ご苦労だった。皆、入ってくれ》

 この声、この学校の理事長のものだ。猪瀬高雄。去年の四月、入学式の時にしか姿を現したことがない、いわばレアキャラである。教育全般のことは、校長や教頭に任せっきりだというのが生徒たちの認識だ。

 それも無理はない。純粋に、彼は多忙なのだ。生徒に最先端の教育を施すべく、毎日いろんな大学や企業の研究室を訪れ、コネクション作りに余念がない。

「失礼します」

「……」

「失礼しまーす!」

 実咲は慇懃に、香澄は無言で、梅子は楽し気に入室していく。

 僕はおずおずと、小声で『お、邪魔します……』と言いながら彼女たちに続いた。

 理事長室は、廊下を明るくしたような風情だった。廊下よりも明度の高い間接照明が、部屋全体を隙間なく照らしており、観葉植物が壁沿いに配されている。

 ボディガードらしき警備員が二人、部屋の隅に控えていた。

 そして、教室一つ分ほどの広さの部屋の、教壇にあたるところに彼はいた。

 がっしりとした、肩幅の広い身体つき。オールバックにした銀髪と、淡い色のついたサングラス。部屋の雰囲気に溶け込むような、濃い紫色のスーツ。

 間違いなく、猪瀬高雄理事長その人だった。レアキャラとはいえ、見間違いようのない個性的な外見である。

 猪瀬は事務机の向こうにある、皮張りの椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらに近づいてきた。かなりの長身。百九十センチはあるのではないか。

 僕は他の三人を真似て、猪瀬の前に整列した。

「おや、君は……」

 猪瀬がサングラスの向こうで目を細める。

「あ、えっと、僕は、二年五組の、平田拓海です。い、いつもお世話になっております!」

 そのままぐいっと頭を下げる。何だか保護者が言い出しそうな言葉だな。

 それに答えたのは、猪瀬の快活な声だった。

「君が拓海くんか! 確か、全国数学コンテストで、準優勝を獲ったのだったね?」

 僕ははっとした。

「お、覚えていらっしゃるんですか?」

「もちろん! この学校に集まるのは、何かしらに特化した生徒がほとんどだからね。まあまあ、そう緊張せんでくれ。そこのソファにでもかけたまえ」

 振り返ると、僕を除く三人は既に腰を下ろしていた。

 部屋中央にある長いソファ。梅子と実咲はリラックスした様子で座っている。

 それはいい。問題は香澄だ。

「ねーねー香澄ちゃん、お行儀悪いよ?」

「うっせーな、ガキは黙ってろ」

「えー? テーブルに足を載っけるなんて、香澄ちゃんの方が悪ガキっぽいよ?」

 露骨に舌打ちをする香澄。

「あー、構わんよ、梅子くん。我々の授業の安全が保障されているのは、君たちのお陰だ。自由にしてもらっていい。それに、香澄くんに礼節を求めるのが無益だということは、私も把握している」

「おい、何で上から目線なんだよオッサン」

 ぎょろり、と香澄の眼球が動く。だが、猪瀬は笑みを絶やさない。慣れっこなのだろうか。

「さあ、君も座ってくれ、拓海くん」

 そう言って、自分の隣のスペースを叩いたのは実咲である。

「あ、じゃあ、失礼して……」

 僕は軽く一礼してから、いそいそと実咲の隣に着席した。

 すると同時に、実咲はすっと立ち上がった。

「それでは、今回のテロリストによる急襲事件に関しまして、我々から報告を」

「いや、待ちたまえ」

 軽く掌を差し出し、実咲を止める猪瀬。

「今は、彼に状況を説明すべきだろう。なあ、拓海くん?」

「え?」

「気になるだろう? 彼女たちがどうしてあんな目の覚めるような活躍をしてみせたのか。彼女たちが一体、何者なのか」

 言われてみれば、当然だ。まるで彼女たちは、歴戦の猛者のような戦いぶりだった。何か秘密があるのだろう。

 僕が肯定の意を表しようと頷いた、次の瞬間だった。小柄な人影が僕の前に回り込み、こう言い放った。

「あたしたちね、特殊能力持ちなんだ! 他の皆には内緒だよ、『お兄ちゃん』!」

「ぶふっ!?」

 にっこりと微笑む梅子。思わず吹き出す僕。沈黙に支配される他三名。

「あー……。拓海くん、梅子くん。君たちは随分複雑な家庭環境に育ったようだね? それとも拓海くん、君は、その……年下の幼馴染に自分を『お兄ちゃん』と呼ばせる性癖の持ち主なのかね?」

「ち、ちがっ!」

 僕は猪瀬に向かい、ぶんぶんと首を振ってみせる。

「ほう? 我輩は生徒会長として、君を随分高く買っていたのだが……。なかなか興味深い趣味をお持ちなようだな」

「か、会長!」

 僕が振り返ると、豊満な胸の上に腕を組んだ実咲が半目でこちらを見つめていた。

「マジ最低。死ねば?」

「か、香澄さんまで……。しかも死ねって……」

 僕はがっくりとその場に膝を着いた。駄目だ。もう立ち直れない。

 香澄はクラスでは無言だが、実咲は常に校内の情報発信の中心に立っている。学校全体に、この一件が広まるのは必然だ。

 ちなみに僕は一人っ子である。

「ちょ、ちょっと香澄ちゃん! そんな酷いこと言わなくてもいいじゃない! ねえ、お兄ちゃん?」

「お、お前なあ……」

 僕は両の掌を床に着き、ぐったりと項垂れた。もうどうとでも言ってくれ。

 しかし、ふと違和感を覚えた。梅子は先輩であるはずの香澄を呼び捨てにしたな。やはり、この学校を守るチームの一員として、仲良くしているのだろうか。

「ったく、調子狂うなあ。まずは俺たちの素性を明かしてやるのが筋ってもんっしょ、先輩?」

「うむ。我輩としたことが、校内にこんな変質者がいるとは思わなくてな。つい話題を逸らしてしまった。許せ、拓海。……拓海?」

 僕はゆっくりと立ち上がり、部屋の隅へ。観葉植物の鉢の間に座り込み、膝を抱え込んだ。

「ふ、ふふ……。僕が変質者だなんて……。ふふふふ……」

「そう気にするな、拓海。というか、我々の素性に興味はないのか?」

 もうどうにでもなれ、畜生め。

 そう胸中で呟いた、次の瞬間だった。

「ああったく、ウジウジしやがって!」

 そんな罵声と共に、軽い銃声が轟いた。同時に、眉間に激痛が走る。

「~~~~~~~ッ!」

「乱暴なことしないでよ、香澄ちゃん!」

「うるせえ! 全く、こんな意気地なし、見てるだけで反吐が出るぜ!」

 って、彼女たちの会話はどうでもいい。僕はどうやら、香澄に拳銃で撃たれたらしい。それも眉間を。

 それを認識し、ワンテンポ遅れて僕は跳び上がった。

「こ、殺さないでくれ! 僕は良識ある一般市民だ!」

「殺しちゃいねーよ、変態シスコン野郎」

「だって僕、眉間を撃たれて――って、あれ?」

 額に遣っていた手を下ろすと、そこには血の一滴も付いていなかった。

「か、香澄、それ、エアガンなのか?」

「はあ? 実銃に決まってんだろ」

「じゃあどうして、僕はまだ生きてるんだ?」

 と、疑問を口にしながら、僕は気づいた。先ほどと同様、香澄が黒い拳銃を手にしていることに。そして、そこから黄色い光がぼんやりと立ち昇っていることに。

 もしかして、あの拳銃を装備すれば、攻撃力を自在に調整できるのか?

 梅子のメリケンサックだってそうだ。威力を加減していたように見える。実咲の竹刀に至っては、防火壁をバッサリ切り裂きながらも、テロリストに対しては気絶させる程度の威力しか発揮しなかった。

「拓海くん。この三人は、この学校を陰から守り、生徒の健全育成に協力する特殊部隊だ」

「は、はあ!?」

「その名も、『ローゼンガールズ』!」

「どうして薔薇なんだよ!」

 つい猪瀬相手にタメ口になってしまった。しかし猪瀬は気にも留めず、自慢げに胸を張る。

「君も聞いたことがあるだろう? 『綺麗な花には棘がある』と!」

「……」

 確かに、三人共美少女の域だとは思うが。しかし本当に棘、というか、戦闘能力を有しているとは。

 満足気に頷いている実咲に向かい、僕は尋ねた。

「あの、あなた方は、やっぱり特殊な能力を持っているのですか?」

 すると、『ご明察!』と言って実咲が顔を上げた。

「その洞察力! そして先ほどの戦闘で見せた、機転の利かせ方! 素晴らしい!」

 ううむ、確かに巨乳の美少女に褒められるのは悪い気がしない。悔しいけれど、僕も男である。

「時に拓海、君も補助要員として、我々の一員に加わる気はないか? 今はいろいろと事情が立て込んでいてね、君のような頭のキレる人間がいてくれると、我輩も心強いのだが」

 実咲の言葉を聞いて、今度は香澄がやれやれと首を振っている。

「で、でも僕、皆さんのように戦うなんて……」

 そう言い淀んでいると、再び鉄扉が開き、一人の生徒が入ってきた。

 心臓が飛び出しそうになった。何故なら、そこにいたのが小原玲菜だったからだ。

「あっ、玲菜ちゃ~ん!」

 とててて、と梅子が駆け寄る。

「おっ、おい!」

 俺の天使に不用意に近づくんじゃない。って、今はそういう話をしている場合ではない。

「小原さんまで、どうしてここに?」

「平田くん、私もメンバーなんだ、ローゼンガールズの」

「え?」

「黙っててごめんね」

 いやいや。僕がローゼンガールズの存在を知ったのは、たった今なのだ。何も玲菜が謝る必要はない。

「おお、来たか、玲菜くん!」

 満足気に頷く猪瀬。

「理事長、小原さんがローゼンガールズのメンバー、ってどういうことです?」

 僕は率直に尋ねた。彼女は先ほどの戦いに加わらなかった。それどころか、誰よりも怖がっていたように見える。それなのに、この戦闘少女たちの一員であるとは、どういうわけだろう?

「小原くんは、私の秘書のようなものだよ」

 猪瀬は玲菜の肩に軽く手を載せながらそう言った。なるほど、確かに情報処理能力に長けた人物は必要になるはずだ。この学校を守るには、市町村レベルで安全を図る必要がある。

 その点、玲菜はうってつけの人材だったのだろう。中学生の時分から、防犯・セキュリティに関する研究論文を発表していたという話は聞いたことがある。

 俯き、上目遣いで僕の方を見遣る玲菜。萌える。じゃなくて、どこか申し訳なさそうだ。言いたいことがあるけれど言い出せない。そんなもどかしさを感じさせる。

「では玲菜くん、報告を頼む」

「はい」

 きっぱりと顔を上げ、澄んだ声で玲菜は語り出した。

「現在、この街には、非常用通信に対するジャミングがかかっています。そのために、今日もテロリストの侵入を許してしまいました。敵勢力の正体は不明ですが、彼らは独自の通信網を築いているようです。そうでなければ、本校の警備員に偽装通信を流して、気を逸らすことはできなかったでしょうから」

 淡々と、一語一語を口にする玲菜。僕を含めた四人は、じっと彼女を見つめている。

「この状況を打開する方法は一つです。市内に配置されたジャミング装置を、全て破壊すること」

「破壊?」

 何やら物騒な言葉の登場に、僕は唾を飲んだ。しかし、他の皆は平然としている。

「現在、この市内全域をカバーするだけのジャミング装置は、最低三つは必要だという結論に至りました」

「ねえねえ玲菜ちゃん、それってどこにあるの?」

 梅子は立ち上がり、何やらシャドーボクシングのような動きをする。ちゃんと話を聞いていられるのだろうか。

 玲菜は一つ咳払いをして、続ける。

「今はまだ一ヶ所しか確認されていません。市街地から西へ二・五キロ、山岳地帯から、怪し気な電波が発信されているということまでは分かっています。まずは、ここから潰していくのが妥当でしょう」

『早ければ早いほど、こちらが有利です』。そう付け加える玲菜。

 流石に今日は行けないだろうが、明日の朝になら捜索に向かうことはできそうだ。

 そんなことを考えていると、香澄と実咲がなにやら難しい顔をしていた。

「どうしたんですか、二人共?」

 僕が声をかけると、シカトを決め込んだ香澄に代わり、実咲が答えた。

「すまないな、我輩と香澄は、明日は都合が悪いのだ」

「都合?」

 どこか別な場所で戦わなければならない、ということなのだろうか? 

 不意に心配になったが、それは杞憂だった。

「明日、我輩は剣道の練習試合があるのだ。香澄は何用だったかな?」

「べっ、別にいいだろ、俺の予定なんて」

 僅かに赤面する香澄。一体何があるんだ?

 まあ、それを問うては藪蛇になりそうだから、僕は黙っておくことにする。

 状況を把握した猪瀬は、皆に向かって一つ、大きく頷いた。

「それでは、明日は梅子くんと拓海くんの二人に任務を任せよう。よろしいか?」

「はい! はーい!」

 相変わらず梅子は元気いっぱいである。が。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「何かね、拓海くん?」

 再び一人で拳を振るい始めた梅子を一瞥しながら、僕は懸念事項を口にした。

「僕と梅子だけで大丈夫なんですか? ここはもう少し様子を見て、四人で乗り込んだ方が――」

「はぁ? 甘ったるいこと抜かすんじゃねえ、シスコン」

「ぐっ!」

 香澄の反論と罵声に、僕は思わず呻き声を上げた。香澄は両腕を広げ、ソファの背もたれに肘を載せている。どこの不良なんだ、コイツ。

「とにかく、明日は俺も先輩も用事があるんだ」

「で、でも、部活動を優先するのは――」

 そこに割って入ったのは猪瀬である。

「すまんな、拓海くん。香澄くんと実咲くんは、通常の活動を優先してもらわねばならんのだ。敵がどこで見張っているのか分からん以上、用事のあるメンバーにはそちらを優先してもらわなければな」

『でないと敵に怪しまれるだろう?』と続ける猪瀬。

 僕は渋々、頷いた。でも、二人っきりで大丈夫だろうか?

「では、今日のところは解散! テロリストたちの身柄の引き渡しは、本校の警備員と警察の間で行われる。心配せんでくれ」

 すると、全員が立ち上がって姿勢を正し、『お疲れ様でした!』と声を合わせてお辞儀をした。香澄は渋々といった様子だったが。

「皆、気を付けて帰ってくれたまえ」

 実咲、香澄、梅子、僕の順で、ゆっくり鉄扉から退室していく。って、あれ?

「玲菜さん、どうしたの?」

「ああ、気にしないでくれ、拓海くん。私は玲菜くんと、今後の作戦の立案にあたる。彼女の身の安全は保証するよ」

「分かりました。失礼します」

 そう言って、僕も梅子の後に続く。だが、玲菜と共に帰れないのは少し残念だった。


         ※


 そのまま僕たちは帰途に就いた。夕日が目に差し込み、蝉の音が耳に染み込んでくる。

 だが、それを十分に感じる余裕はなかった。僕の頭の中を回っていたのは――。

「で、さっきから何ため息ばっかりついてんだよ、新入り」

「へ?」

「おい『へ?』じゃねえ。自覚ねえのかよ」

 ケッ、と喉を鳴らしながら、そっぽを向く香澄。何を怒っているんだ?

「あー! 分かったあ!」

 ささっと僕たちの前に回り込み、梅子がくるりと振り返る。小動物のような大きな瞳に、好奇の光が宿る。

「お兄ちゃんは、玲菜ちゃんのことが好きなんだね!」

「ぐぼはぁ!」

 全くの不意打ちにして、図星である。

 呆れたように目をつむる香澄と、じっと僕を横から見つめる実咲。

「そうか。君はああいう女子が好みなのだな?」

「わっ、悪いですかっ」

 素直に認め、顔を振り向ける。しかし、長身の実咲と目を合わせるには高度が足りない。代わりに否応なしに目に飛び込んできたのは、張りのある胸元である。

 慌てて目を逸らしたものの、

「ちょっとお兄ちゃん! 玲菜ちゃんのこと好きなんでしょ? いくら実咲ちゃんが相手だからって、おっぱいに見惚れちゃ駄目!」

「みっ、見惚れてねえよ!」

 付き合いの長い梅子の目は誤魔化せなかった。この夕日に紛れて、僕が赤面しているのがバレなければいいのだが。

 中心市街地を通る間に、実咲、香澄の順で別れていく。香澄が何やら鋭利な目つきでこちらを睨んでいたが、何だったのだろう?


         ※


 気づけば、僕と梅子は肩を並べて歩いていた。もうじき、僕が住んでいるマンションと、梅子が両親と暮らす一軒家が見えてくる頃だ。

「何か久し振りだね、こうして二人で歩くのって」

「そうだな」

 僕は半ば上の空で答える。

「さっきは冗談半分だったけどさ、お兄ちゃん」

「んあ?」

「本当にお兄ちゃんは、玲菜ちゃんのことが好きなの?」

「ぐっ……」

 全くコイツは何なんだ。さっきから僕をお兄ちゃん呼ばわりして周囲を憚らないし、人の恋路を平然と口にするし。幼馴染だからって、何でもかんでも許されると思ったら大間違いだぞ。

「なあ梅子、今日は一体どうしたんだよ? 僕が相手だからって、いくら何でもウザいぞ」

 はっきり言ってやった。

 すると、僕の周囲を回るようにおどけていた梅子は足を止めた。ちょうど、僕の真正面で。

 ふっと真顔になる幼馴染を前に、僕もまた歩みを止める。

「ふぅん? あたしにそんなこと言うんだ」

「な、何だよ」

 僅かに身を反らす僕。しばらく梅子の目を覗き込んでいたが、

「べっつにぃ~」

 と言って、梅子はぷいっと顔を逸らしてしまった。そのまま、すたすたと自宅の方へ向かっていく。

「あ、そうだ、お兄ちゃん! 明日は学校休んで、裏山の捜索に行くからね! ちゃんと付き合ってよ!」

「え、あ、ああ」

 中途半端な音を喉から発する僕。すると、梅子はくるりと振り返った。薄暗い中で、眩しいほどの笑顔を浮かべている。いつもの梅子だ。

「じゃあよろしくね、お兄ちゃん!」

 僕はぼんやり突っ立ったまま、玄関ドアの向こうに消えていくセーラー服を見送った。

「はあ……」

 家族がいるなんて、羨ましいな。

 そんな言葉が、実際に口から出たのか、脳裏に浮かんだだけなのか、僕には判断できなかった。


         ※


 階段に足を掛けたところで、共用通路の照明が点いた。梅子と別れて間もなく、僕の住んでいるマンションでのことだ。

 築十年。こまめに点検整備されているお陰で、新築と言っても差し支えない。実家が遠くて通学が困難な生徒や学生が多く利用している。僕の部屋は二〇二号室だ。

「ただいま、っと」

 玄関の鍵を開けて、夕日の差し込むリビングを見遣る。夕日と言っても、太陽そのものはとっくに山の向こうに没し、窓の外はほぼ群青色だ。

 鞄を適当に投げ出し、面倒な服の仕分けを後回しにしてシャワーを浴びる。

「あ」

 リビングの冷房をつけておけばよかった。全く、冴えてない。

 身体を洗い終えた僕は、半袖短パンというホームウェアに着替えてリビングに入り、リモコンで冷房のスイッチを入れた。

 タオルで頭をガシガシと拭きながら、廊下に引き返してグラスに烏龍茶を注ぐ。その場で立ったまま一気飲み。

 ふと思い出し、廊下とリビングの照明を点けた。

「なかなか慣れないもんだな」

 誰にともなく呟く。僕が『慣れていない』と言うのは、一人暮らしに、という意味ではない。僕の帰宅を待つ家族がいないという状況に、だ。

 このマンションには通学困難な生徒が暮らしている。そう言ったが、僕は違う。僕の家は、このマンションの隣の敷地にある。いや、あった。

 だからこそ、学年の違いがあっても梅子と仲良くしていたし、『お兄ちゃん』呼ばわりされているわけだ。

 僕のマンション暮らしは、ちょうどこのマンションができたのと同じ、十年前から始まった。この建物は、一階が家族向けの広い間取りとなっている。

 僕は実家を追い出されてから、お手伝いさん二人と共に、そこで暮らしていた。この部屋に移り、一人暮らしを始めたのは、高校に入ってからだ。

 実家を追い出された、というのは言い過ぎかもしれない。だが、僕に居場所がなくなったのは事実だ。両親の離婚と、それに伴う親権放棄によって。

 離婚と言っても、両親の間で暴力的な事案が発生したことはなかったし、直接的な言い争いがあったわけでもない。

 ただ純粋に、家の空気が冷え込んでいくのは、子供ながらに察知していた。同時に、自分が両親の邪魔者にはなっていることも。そして、自分の力では両親の仲を取り持つことはできないということも。

 明日、梅子と向かうことになる裏山を、僕はぼんやりと眺めた。

 そう言えば、僕がこんな状況に陥った時も、変わらず接してくれたのは梅子と彼女の家族くらいのものだった。

 ふと、梅子の境遇に思い至り、僕はすっとカーテンを閉めた。彼女も彼女とて、大変な目に遭っている。辛いのは、僕だけじゃない。

「ふぅ」

 そこまで考えが至り、僕は背中からベッドに倒れ込んだ。ばすん、と軽く布団が凹む。

 天井の蛍光灯を横切るように、蚊が飛んでいる。だが、今の僕に、その蚊を叩き落すだけの攻撃性はなかった。

 明日は、僕が命を懸ける事態が発生するかもしれないのだ。今更蚊の一匹や二匹、殺めたところで何にもならないだろう。

 そんなことを思っていると、あるリモコンが目に入った。先ほどのエアコン用のリモコンではなく、部屋の反対側に置かれているコンポのリモコンだ。

 最近の若者は、皆ダウンロードで音楽を聴くらしいが、僕は専らCDを購入してこのコンポで聴く。

「誰のCD入れてたんだっけかな……」

 そう呟きながら電源を点け、再生ボタンを押し込むと、八十年代の和製ポップが流れ出した。

 両親どちらの影響かは知らないが、僕は古めの音楽が好きだ。よく祐樹のような友人からは、『それは俺の親父の趣味だ』などと揶揄されるが。

 聴き入っていると、不意に二つの感情が浮かんできた。

 一つは、明日自分が死ぬのではないか、という恐怖心。今日学校に乗り込んでいたテロリストたちは、明らかに実銃で武装していた。そうでなければ、屋上から降下してきた連中が窓を撃ち破ることはできなかっただろう。

 つまり、下手に歯向かえば蜂の巣にされてしまいかねないということだ。

 もう一つの感情は、寂寥感である。

 仮に僕が、明日死傷したとして、誰が悲しんでくれるだろうか? そりゃあ、梅子は泣いてくれるだろう。もしかしたら、玲菜も。祐樹だって、葬儀に参列するくらいのことはしてくれるかもしれない。

 しかし、僕には家族がいない。やはり、知人の涙と、血の繋がった肉親の涙とでは重さが違う。梅子たちには申し訳ないけれど、やはり僕は、どうせ死ぬなら両親に認められてからの方がいい。

「まあ、明日生き延びればいいんだよな」

 ローゼンガールズの一員に加えられてしまった以上、明日の任務が最初で最後だとは思えない。しかし、今はそれを考えないことにした。

 一日一日、大事にしていなければ。

 ガンダムの予告編でも毎回問われているではないか。『君は、生き延びることができるか』と。


         ※


「本当に可愛いわね、この子」

「それはそうさ。やっと授かった命だからね」

「あなた、名前は決めてくれたんでしょう? いい加減、私にも教えて?」

「そうだな」

 これは夢だ。僕は自分に言い聞かせた。

 自分が産まれた直後の記憶など、僕には残っていない。僕の下に残された写真から、妄想を膨らませているだけだ。

「少し待ってくれ。半紙に清書するから」

「全く、もったいぶらないでよ」

 視界の中央に、三十代前半と思われる男女がいる。男性は眼鏡をかけ、女性は肩まで届くくらいの髪を引っ詰めている。

 長身痩躯の男性――父と、赤ん坊を胸に抱いた女性――母。父はくるりと振り返り、立ったまま筆を手に取った。母はといえば、渋々といった様子で、しかし笑みを浮かべながら、赤ん坊――僕を見下ろしている。

 不思議なことだけれど、僕は夢の中にいながら、三人の姿に見入っていた。

「ようし、書けた!」

「どれどれ? たくみ? 『拓く』に『海』で、『たくみ』?」

「そうさ」

 胸を張る父から半紙を受け取り、母は満足気にそれを見つめている。僕は、乳児用のベルトで母の胸に固定されたまま、すうすうと寝息を立てている。

「何だか大袈裟な名前ね?」

 母から返された半紙を受け取りながら、父はやや眉間に皺を寄せる。

「大袈裟って……。第一印象がそれかい?」

「褒めてるのよ」

 なおも難しい顔をする父に、母は微笑みかける。

「だって凄い名前じゃない! 海を拓くって、とんでもないことでしょう?」

「ま、まあね。そういう意味でつけたからな」

 旧約聖書のパクリか。とは思いつつ、誇りの残滓のようなものがこみ上げてくる。

 僕にだって中二病だった時期はある。といっても、五、六歳の頃の話だ。モーゼが海を割ったという伝説は、あまりにも有名だ。それにちなんだ名前なのだと知った時は、胸が高鳴ったものである。

 だがそれも、僕が小学三年生に上がるくらいまでのことだった。

 映像は切り替わる。僕は、写真に基づく妄想から脱し、自分の過去体験に知覚が移行したのを感じた。

「あなた? ねえ、あなた?」

 母の声がする。『母の』とは分かったものの、それは先ほど聞いたものとは似ても似つかない。冷静な、いや、冷淡な声音だ。

 僕は廊下の角から、そっとリビングを覗き込む。母は立ち上がり、こちらに背を向けながら腕を組んでいる。その足先は、苛立たし気にフローリングを叩いている。

 ぱた、ぱた、ぱた、ぱた。

 スリッパが床を鳴らす。

 ぱた、ぱた、ぱた、ぱた。

 一拍ごとに、僕は心臓が不気味に脈打つのが感じられた。

 永遠にも思われる時間が過ぎ、やがて背後から、別な足音が近づいてきた。

「どうした」

 頭上から父の声がした。しかし、そこに先ほどまでの穏やかさは含まれていない。

 代わりに感じられたのは、日々に対する疲れだ。

 母が振り返る。その顔もまた、やつれているように見えた。

 しかし、父と違って声には張りがあった。そして勢いよく、テーブルから一枚の紙を取り上げた。

「離婚届、か」

 無感情に呟く父。

 この光景は、まるで、父が僕の名前を母に書いて見せた時の再現のようだ。しかし、漂う空気が全く違う。そこにある感情があまりにも異質である。そして、子供に対して残酷すぎる。当時の僕ような児童に対しては猶更だ。

「あなたは優秀な工業技術者だったかもしれない。でも、妻や子供に対しては、最低の夫、最悪の父親だったわ」

「その事由は何だ?」

 母は語気を荒げはしなかった。ただ勢いよく顔を上げ、キッと父を睨みつけてこう言った。

「研究のために、ずっと私たちから距離を取り続けたことよ」

 すると、父はゆっくりと母に歩み寄った。僕に背を向けたまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「それはお前だって同じだろう?」

 ダン! と凄まじい打撃音が響いた。母が拳を壁に叩きつけたのだ。

 二人の間で感情が露わにされた、最初で最後のことだった。

「そう言うなら、この子はあなたが面倒を見て頂戴」

 そう告げ、母はそのまま父と僕のそばを通り抜けて、玄関から出て行った。

 そこから先のことは、目の前に霧が迫ったように見づらくなっていく。僕は自分が、夢から覚めつつあるのだと自覚した。


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