◆第五章 イカロスの翼
練馬区、光が丘公園。
冬の朝の冷気が、プロメテウスに見立てられ惨殺された大学教授の死体を包んでいた。
鑑識の作業を見守りながら、武田はひかりが解析した、被害者の足元にあった金属プレートの情報を反芻していた。
「……円形の広場。半径50メートル。都内に、候補地は二つ」
ひかりは本部のモニターに、二つの地図を並べて表示させていた。
一つは、新宿のオフィス街にある、整備された円形広場。
もう一つは、江東区の工業地帯に忘れられたように存在する、古い円形の公園。
「ひかり、お前の本命はどっちだ」
武田の問いに、ひかりは間を置かずに答える。
「江東。新宿の広場は、縁石が去年補修されてる。経年変化が均等すぎる。江東のほうは、苔の生え方も不均一で、カーディナルの過去の現場パターンと一致してる」
武田は頷いた。「分かった。お前は本部に残って、新宿側の監視カメラを徹底的に洗い直せ。俺は江東へ向かう」
「了解」ひかりは短く答え、キーボードを叩く指の速度を上げた。「こっちのスコアは私が貰う」
午前4時12分。
パトランプを消した武田の車は、江東区の工業地帯へ滑り込んだ。
夜の街は、息を吐くたびに白く濁り、静けさの奥で遠くの港湾クレーンが動く低い唸りだけが響いている。
助手席で地図を見ていた若手刑事の岸本が、半分独り言のように呟いた。
「……こんな時間でも、工場はまだ稼働してるんすね」
武田は視線を前に向けたまま答える。「夜勤シフトだ。港も近い。人の出入りも多いから、奴が『ヒント』を隠すには最適だ」
4時18分、現場到着。
円形広場は半径50メートルほど、中央に低い植え込みと枯れかけた低木が数本。
縁石はひかりの言った通り、部分的に欠けて苔がむしている。
外周には倉庫や工場の壁が迫り、外灯の光が真円のように広場を切り取っていた。
武田は部下たちを集め、低い声で指示を飛ばす。
「外周を四人で固めろ。中央の植え込みは二人で調べる。何か見つけても、絶対に素手で触るな」
「了解!」
足音がコンクリートに反響し、やがて静けさが戻る。
——何も見つからないまま、空がわずかに青みを帯び始めた。
武田は短く息を吐き、視線を地面に落とした。
——外れか。新宿だったのか。
そのとき、中央の植え込みを調べていた隊員が、枯れ葉をかき分けながら声を上げた。
「係長、これ……」
差し出されたのは、手のひら大の金属筒。片端が黒く焦げ、表面に細かい凹みが規則的に並んでいる。
本部でそれをカメラ越しに見たひかりが、低く息を漏らした。
「……モールス信号。焼け跡の並びが符号になってる」
武田が眉を寄せる。「何て書いてある」
ひかりは数秒で解読し、無感情に告げた。
「‘Too slow’——遅かった、ね」
岸本が唇を噛み、「……くそっ。俺たちを嘲笑ってやがる」と呟く。
武田は何も言わず、ただ新宿方向を見やった。ひかりの分析がなければ、二手に分かれたことで、このヒントの発見はさらに遅れていただろう。
「ひかり、その筒、他に情報はないのか」
「ある。筒の内部。焦げ跡じゃない、微細な傷で別の符号が刻まれてる。……これは、次の場所」
武田は無線を掴んだ。
「新宿班は、直ちにこちらに合流しろ」
そして、ひかりに問いかける。
「——どこだ」
ひかりの声が、わずかに興奮を帯びた。
「最後の『点』だよ、武田さん。——都庁前広場」