◆一章 同窓会の夜
銀座の裏通りにひっそり佇む、昭和の匂いを残したビルの2階。
壁にはワインのポスターが色あせて貼られ、窓の外では冬の街路樹がビルの影を細く落としている。
同窓会はすでにお開きムードで、二十数人いたはずの参加者は、今や半分以下。
残ったのは、二次会というよりは「もう少し飲みたい」だけの数人だった。
武田健司は、壁際の席から窓辺に移り、赤ワインのグラスをゆっくり回していた。
警視庁捜査第一課・特命捜査係長。
本来なら、こんな場では明るく冗談を飛ばし、懐かしい顔に笑顔を見せるべき立場だ。
だが、この数週間の苛立ちと焦りが、その余裕を完全に奪っていた。
——“カーディナル”事件。
東京各所で起きている不可解な連続殺人。
防犯カメラには映らず、痕跡もほとんど残さない。
世論からは「警察は無能だ」と叩かれ、上層部からの締め付けも日に日に強くなる。
現場指揮官である武田の胃は、すでに限界に近かった。
そんな時だった。背後から、懐かしい声が響く。
「……武田くん、だよね? 覚えてる?」
振り返ると、ショートブーツに黒のパンツ、白いニットを着た女性が立っていた。
長く伸びた髪をひとつに束ね、どこか飄々とした空気を纏っている。
佐藤ひかり。高校時代、地理オタクで名を馳せた同級生だ。
教科書の地図を暗記するだけでなく、地形や標識、建物の癖まで覚えるという、変わった才能の持ち主だった。
「おお……ひかりか! 久しぶりだな」
「十何年ぶり? あんまり変わってないね」
笑ってそう言うひかりの目は、学生時代と同じ、好奇心を湛えた鋭さがあった。
グラスを交わし、互いの近況を語るうちに、武田の口が少しずつ軽くなっていく。
彼女がいま、どこの会社にも属さず、プロの「ジオゲッサー」として暮らしていると知った時、酔いも手伝って好奇心が勝った。
「ジオゲッサーって……あの、写真見て場所を当てるゲーム?」
「ゲームって言っても、ほぼ仕事だね。スポンサーや配信で生活できるし」
「へぇ……そんなに稼げるもんなのか」
「才能があれば、ね」
自信ありげに微笑む彼女に、武田はふと、ある思いつきが頭をよぎる。
——いや、まさかな。
だがワインのアルコールは、慎重さを鈍らせる。
武田は、ついポケットからスマホを取り出してしまった。
そして、上層部なら即座に処分ものの機密写真をひかりに差し出す。
「……これ、何かわかるか?」
画面には、錆びついたフェンス越しに映る夜の港湾倉庫。
街灯はなく、月明かりだけが鋭くフェンスの金属に反射している。
普通なら、ただの工業地帯の一角にしか見えないはずの写真。
ひかりはグラスを置き、バッグからノートPCを取り出した。
「ちょっと見せて」
彼女の指がトラックパッドをすべる。ブラウザが開き、Googleストリートビューが立ち上がる。
「フェンスの形状、柱の間隔、背景にあるクレーンの形……あと舗装の継ぎ目のパターン。これだけ揃えば候補はかなり絞れる」
「お、おい……」武田は思わず身を乗り出した。
数分後、画面に表示されたのは、現場と全く同じ構図の映像だった。
地図上のピンは、東京湾岸の埠頭の端を示している。
「ここだよ」ひかりは軽く指で画面を叩く。
武田は息を飲んだ。
48時間かけても現場特定ができなかった場所を、彼女はわずか数分で言い当てた。
「……お前、本当にゲームだけで飯食ってんのか」
「5k取るのが仕事だから」
その言葉が、武田の脳裏に焼きつく。
——この女を使えば、“幽霊”に近づけるかもしれない。