第8話:『悪役令嬢、調査を開始する』
屋上に残されたのは、夕焼けの残光と、エルヴィーナ=シュヴァルツの冷たい笑みだけだった。
謎の男が消え去った後も、エルヴィーナの心に、敗北の影は微塵もなかった。むしろ、彼女の魔力を弾き返した『領域』という未知の力は、彼女の征服欲を、かつてないほどに刺激していた。
「逃げ足だけは速いようね、臆病な鼠が。だが、いずれ貴様らは、このエルヴィーナ=シュヴァルツの掌で踊ることになるわ」
エルヴィーナは、小さく呟いた。その瞳は、獲物を追い詰める捕食者のように、鋭い光を宿している。
隣に立つ南雲まどかは、まだ顔色を失っていたが、エルヴィーナの言葉を聞くと、微かに震えながらも、その瞳に、エルヴィーナへの絶対的な信頼を宿らせた。
「南雲まどか。貴女のその瞳は、この世界の真実を映し出す。ならば、その力を、私のために使いなさい」
エルヴィーナは、まどかの肩を抱き寄せた。まどかの身体が、びくりと震える。
「貴女は、あの男の『領域』を見たわね。その『領域』の法則、構造、そして、その根源。全てを、貴女の絵で、私に示しなさい」
エルヴィーナの言葉に、まどかは驚いたように顔を上げた。自分の絵が、そんなものまで描けるのかと、戸惑っているようだった。
「愚かな。貴女の才能は、この世界の裏側を視覚化する力。ならば、あの男の『領域』も、貴女の目には、何らかの形で映っているはずよ。さあ、描きなさい。貴女の描く絵が、私の『断罪』を、より確実なものにするわ」
エルヴィーナの言葉は、まどかに抗うことを許さない、絶対的な命令だった。まどかは、エルヴィーナの瞳に吸い込まれるように見つめ返した後、小さく頷いた。
その日の夜から、エルヴィーナとまどかの「調査」が始まった。
エルヴィーナは、まどかに、あの男の『領域』を視覚化し、絵に描くよう命じた。まどかは、震える手でスケッチブックを開き、エルヴィーナの言葉に従って、あの時の光景を思い出しながら、ペンを走らせる。
最初は、漠然とした、掴みどころのない線ばかりだった。しかし、エルヴィーナが「もっと深く」「もっと細かく」と指示を出すたびに、まどかの絵は、徐々に具体的な形を帯びていった。
それは、まるで幾何学模様のような、しかし、どこか有機的な構造を持つ、複雑な結界の図だった。その中心には、男の姿が描かれ、周囲には、この世界の物理法則とは異なる、奇妙なエネルギーの流れが表現されていた。
「なるほど……これは、異世界の魔法とは異なる、この世界独自の『理』で構築されたもの、というわけね」
エルヴィーナは、まどかの描いた絵を、冷徹な瞳で見つめていた。99回の転生で培った、あらゆる知識と経験が、この絵から得られる情報を、瞬時に解析していく。
「この『領域』は、魔力そのものを無効化するのではなく、魔力の『干渉』を阻害している。つまり、この世界の『理』に反する力を、強制的に排除している、というわけね」
エルヴィーナは、男の『領域』の仕組みを、徐々に理解し始めていた。それは、彼女の魔力を直接破壊するのではなく、その「作用」を打ち消す、巧妙な結界だった。
「愚かな。そんな小細工で、このエルヴィーナ=シュヴァルツの力を、永遠に封じ込められるとでも思ったかしら」
エルヴィーナは、不敵に笑った。彼女の脳裏には、すでに、この『領域』を突破するための、いくつかの仮説が浮かび上がっていた。
「南雲まどか。貴女の才能は、やはり、私の『断罪』に不可欠なものだったわ。この世界の醜い真実を暴き、私の足元にひれ伏させるために、貴女は、もっとその力を研ぎ澄ませなければならない」
エルヴィーナは、まどかの頭を撫でた。まどかは、その手の感触に、微かに頬を染めながらも、エルヴィーナの言葉に、力強く頷いた。
翌日。
エルヴィーナは、まどかの描いた絵を手に、学園の図書館へと向かった。彼女の目的は、この世界の「超常組織」に関する情報を集めることだった。
「この世界の歴史、文化、そして、隠された真実。全てを、私の知識として吸収してあげるわ」
エルヴィーナは、図書館の書物を次々と手に取り、その膨大な情報を、瞬時に脳内に取り込んでいく。彼女の学習能力は、99回の転生で、常人では考えられないほどに研ぎ澄まされていた。
その日の夕方、エルヴィーナは、まどかを連れて、東京の夜景を一望できる高層ビルの屋上へと来ていた。
「この世界の『超常組織』は、歴史の裏で暗躍し、この世界の『秩序』を維持しているようね。そして、彼らは、貴女のような『才能』を持つ者を『保護』し、私のような『異物』を『排除』しようとしている」
エルヴィーナは、眼下に広がる光の海を見下ろしながら、冷たく告げた。
「だが、愚かな。このエルヴィーナ=シュヴァルツが、誰かの都合の良いように操られるなど、ありえないわ」
エルヴィーナは、まどかの手を強く握った。まどかの瞳が、エルヴィーナの深紅の瞳を捉える。
「南雲まどか。貴女は、私の傍で、この世界の真実を暴きなさい。そして、私は、その真実を以て、この愚かな世界を、根底から断罪してあげるわ」
エルヴィーナの言葉は、東京の夜空に響き渡り、彼女の新たな「秩序」の確立に向けた、静かなる宣戦布告となった。
最強の悪役令嬢は、現代日本で、その支配の領域を広げ、真の敵へと迫っていく。