第6話:『悪役令嬢、宣戦布告する』
屋上の夕焼けは、エルヴィーナ=シュヴァルツの深紅の瞳に、不穏な光を宿していた。
目の前の男は、エルヴィーナの魔力の奔流をものともせず、ただ静かに佇んでいる。その姿は、まるで嵐の只中に立つ巨木のように、微動だにしなかった。
「貴様、このエルヴィーナ=シュヴァルツの力を、侮っているようね」
エルヴィーナは、冷たく言い放った。彼女の身体から、さらに強大な魔力が噴き出す。それは、屋上の空気を震わせ、周囲のビル群を歪ませるほどの、圧倒的な圧力だった。
男は、口元に薄い笑みを浮かべたまま、エルヴィーナを見つめ返した。
「侮るなどと、とんでもない。貴方の力は、我々の想定を遥かに超えている。だからこそ、『保護』する必要があるのです」
「保護? 愚かしい。貴様のような下等な存在が、この私を、誰かの掌に収めようなどと、身の程を知りなさい」
エルヴィーナは、手を翳した。掌に、漆黒の魔力が凝縮されていく。それは、空間そのものを捻じ曲げ、周囲の光を吸い込むかのような、禍々しい輝きを放っていた。
「この力は、貴様らの理解を遥かに超えている。そして、貴様らが『保護』と呼ぶものは、私にとっては『束縛』でしかないわ」
エルヴィーナは、その漆黒の魔力を、男に向けて放った。それは、まるで漆黒の竜が咆哮を上げるかのように、轟音を立てて男に襲いかかる。
男は、その攻撃を避けることなく、ただ静かに、その場に立ち尽くした。漆黒の魔力が、男の身体を包み込み、そして――
――霧散した。
エルヴィーナの魔力は、男に届く寸前で、まるで壁にぶつかったかのように消え去ったのだ。
(何……!?)
エルヴィーナの瞳に、初めて驚愕の色が浮かんだ。99回の転生で、彼女の魔力を完全に防ぎきった者など、存在しなかった。
「無駄ですよ、エルヴィーナ=シュヴァルツ。貴方の魔力は、確かに強大だ。しかし、我々の『領域』には、干渉できない」
男は、静かにそう告げた。その言葉には、エルヴィーナの魔力を凌駕する、何らかの法則が隠されているかのようだった。
「『領域』? 戯言を。この世界全てが、私の領域よ。貴様のような虫けらが、何を言っているのかしら」
エルヴィーナは、怒りに震えた。彼女のプライドが、この男の存在によって、深く傷つけられたのだ。
その時、エルヴィーナの背後に隠れていたまどかが、震える声で呟いた。
「あ……あの人……見えない壁があるみたい……」
まどかの瞳には、男の周囲に、透明な、しかし強固な「壁」のようなものが存在しているのが見えていた。それは、エルヴィーナの魔力を弾き返した、男の「領域」だった。
エルヴィーナは、まどかの言葉に、ハッと目を見開いた。まどかの才能は、異界の存在だけでなく、このような「力」の具現化すらも、視覚化できるというのか。
「なるほど。この獲物の才能は、私の想像以上だった、というわけね」
エルヴィーナは、男から視線を外し、まどかの顔を覗き込んだ。その瞳には、新たな発見に対する、悪役令嬢らしい愉悦の色が宿っている。
「南雲まどか。貴女は、私の傍で、その力を研ぎ澄ませなさい。貴女のその瞳は、この世界の真実を暴き、そして、私の『断罪』を助けるための、最高の道具となるわ」
エルヴィーナは、まどかの手を強く握った。まどかの瞳に、エルヴィーナへの絶対的な信頼と、そして、自らの「才能」が、エルヴィーナの役に立つことへの、微かな喜びが灯る。
「貴様。私の獲物に手を出そうなどと、二度と考えるな。貴様らの『保護』など、私には不要だ。この愚かな世界は、私が、この手で断罪する」
エルヴィーナは、再び男に視線を向けた。その瞳は、怒りだけでなく、新たな決意の光を宿していた。
「貴様ら『超常組織』とやらも、私の『断罪』の対象よ。覚悟なさい。このエルヴィーナ=シュヴァルツが、貴様らの偽りの秩序を、根底から覆してあげるわ」
エルヴィーナの言葉は、夕焼けの空に響き渡り、東京の街に、宣戦布告の狼煙を上げた。
最強の悪役令嬢は、現代日本で、ついに「国家の裏にある超常組織」との戦いの火蓋を切った。そして、その傍には、彼女の「獲物」である少女が、静かに寄り添っていた。