第5話:『悪役令嬢、共鳴する』
美術室での一件以来、南雲まどかは、エルヴィーナ=シュヴァルツの影のようだった。
登下校はもちろん、昼休みも放課後も、まどかはエルヴィーナの傍を離れようとしなかった。エルヴィーナが読書をしていれば、隣で静かにスケッチブックを開き、エルヴィーナが窓の外を眺めていれば、同じ方向をぼんやりと見つめる。
「南雲まどか。貴女は、私の視界から消えることを許されないのよ。理解しているかしら?」
ある日、エルヴィーナがそう告げると、まどかはびくりと肩を震わせながらも、すぐに小さく頷いた。その瞳には、以前のような怯えだけでなく、エルヴィーナへの絶対的な服従と、微かながらも「安堵」の色が宿っている。
(この獲物は、私がいなければ、この世界で生きてはいけない。私が、そう仕向けたのだから)
エルヴィーナは、まどかの変化を、まるで精巧な実験の成果を見るかのように観察していた。まどかの才能、そしてその脆さ。それら全てが、エルヴィーナの支配欲を刺激し、彼女の退屈な日々を彩る。
しかし、エルヴィーナの心には、新たな疑問が芽生え始めていた。まどかの才能は、ただの絵画の才能ではない。あの異形が狙ったのは、まどかの「才能」そのものだった。それは、この世界に存在する、何か特別な力と関係しているのではないか。
その日の放課後、エルヴィーナはまどかを連れて、学園の屋上へと向かった。夕焼けに染まる空は、まるで血の色のように深紅に輝いている。
「南雲まどか。貴女の才能について、私に説明なさい」
エルヴィーナは、まどかに背を向けたまま、冷たく命じた。
まどかは、戸惑ったように視線を彷徨わせた後、か細い声で話し始めた。
「あの……私には、絵を描いていると、時々、変なものが見えるんです。普通の人には見えない、色とか、形とか……それが、絵の中に、勝手に現れることがあって……」
「なるほど。つまり、貴女は、この世界の裏側に潜む存在を、無意識のうちに感知している、というわけね」
エルヴィーナは、まどかの言葉に、確信を得た。まどかの才能は、異界の存在を視覚化し、それを絵として具現化する能力。それは、エルヴィーナの魔力とは異なるが、この世界においては、極めて危険な力だった。
「愚かな。そんな力を持ちながら、無防備に晒すなど、死にたいとでも言うつもりかしら」
エルヴィーナは、まどかを振り返った。まどかは、怯えたように身体を縮こまらせる。
「貴女のその力は、この世界の均衡を乱すもの。そして、それを狙う醜い輩が、他にもいるはずよ」
エルヴィーナの言葉は、まどかの心を深く抉った。まどかの瞳に、絶望の色が浮かぶ。
「私……どうしたら……」
「簡単よ。私の傍を離れなければいい」
エルヴィーナは、まどかの手を取った。その手は、冷たく、しかし、確かな温もりを帯びていた。
「貴女の才能は、私のものよ。だから、私が管理し、私が守る。そして、貴女は、私のために、その力を振るえばいい」
エルヴィーナは、まどかの瞳を覗き込んだ。その深紅の輝きが、まどかの心を支配していく。
「貴女の絵は、この世界の真実を映し出す鏡。ならば、その鏡に、私の意志を映し出しなさい。この愚かな世界を、私が、貴女と共に、断罪するわ」
エルヴィーナの言葉が、まどかの心に、強く響き渡った。まどかの瞳に、恐怖とは異なる、新たな感情の光が灯る。それは、エルヴィーナへの畏敬と、そして、共鳴。
その時、屋上の扉が、静かに開いた。
そこに立っていたのは、見慣れない男だった。黒いスーツに身を包み、その瞳は、まるで深淵を覗き込むかのように、冷たく、そして、何もかもを見透かすかのような光を宿している。
男の身体から、微かな魔力の波動が放たれているのを、エルヴィーナは感知した。それは、以前の異形たちとは比べ物にならないほど、洗練され、そして、強大な魔力だった。
(なるほど。ようやく、本命が姿を現した、というわけね)
エルヴィーナは、男を冷徹な瞳で見据えた。まどかは、男の存在に気づき、エルヴィーナの背中に隠れるように身を寄せた。
「おやおや、まさか、こんな場所で、これほどの『異物』と『才能』が共鳴しているとは。これは、我々の想定外でしたな」
男は、口元に薄い笑みを浮かべ、エルヴィーナとまどかを見つめた。その言葉には、エルヴィーナの存在を「異物」と認識し、まどかの才能を知っているかのような響きがあった。
「貴様は何者だ。この私の領域に、無許可で足を踏み入れるなど、死を望むに等しいわ」
エルヴィーナは、男に冷たく言い放った。彼女の身体から、漆黒の魔力が、激しい嵐のように吹き荒れる。
男は、その魔力の奔流をものともせず、ただ静かに、エルヴィーナを見つめ返した。
「私は、貴方方を『保護』するために参りました。我々の組織は、貴方のような『異物』、そして、彼女のような『才能』を、決して見過ごすことはできませんので」
「保護? 愚かな。このエルヴィーナ=シュヴァルツを、誰かの保護下に置こうなどと、身の程を知りなさい。貴様のような下等な存在に、私の自由が奪えるものか」
エルヴィーナは、男に一歩踏み出した。その瞳には、獲物を前にした捕食者のような、強い光が宿っている。
「貴様のような、この世界の均衡を乱す存在こそ、私が断罪すべき対象よ。さあ、覚悟なさい。この愚かな世界で、私の前に立ち塞がったことを、後悔させてあげるわ」
夕焼けに染まる屋上で、最強の悪役令嬢と、謎の男の視線が交錯する。
現代日本を舞台にした、エルヴィーナの新たな「断罪」の物語は、いよいよ本格的な幕開けを迎えていた。