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第2話:『悪役令嬢、観察する』

下駄箱での出来事以来、南雲まどかのエルヴィーナに対する態度は、明らかに変わった。


 以前は、エルヴィーナが視界に入ると、怯えたように目を逸らし、足早に立ち去ろうとしていた。だが今は、時折、恐る恐るといった様子で視線を投げかけ、目が合うと、すぐに俯いてしまうものの、その場に留まるようになった。まるで、猛獣を前にした小動物が、逃げるべきか、それとも従うべきか、迷っているかのように。


 (面白いわね)


 エルヴィーナは、そんなまどかの変化を、内心で楽しんでいた。


 彼女にとって、まどかは、99回の転生で出会ったどの人間とも違っていた。聖女のような偽善も、ヒロインのような無垢な残虐性も、悪役令嬢を陥れるための狡猾さも、一切持ち合わせていない。ただ、ひたすらに、臆病で、しかし、その奥に微かな光を宿している。


 「南雲さん、この問題、分かる?」


 ある日の数学の授業中、教師がまどかに質問を投げかけた。まどかは、びくりと肩を震わせ、教科書に視線を落としたまま、何も答えられない。


 クラスの生徒たちが、ひそひそと囁き合う。嘲笑にも似た視線が、まどかに突き刺さる。


 (愚かしい)


 エルヴィーナは、小さくため息をついた。まどかの絵の才能に嫉妬し、陰湿な嫌がらせをする者たちもそうだが、この世界の人間は、なぜこうも、他人の弱みを突いて優越感に浸ろうとするのか。


 「――先生」


 エルヴィーナは、手を挙げた。クラス中の視線が、一斉に彼女に集まる。その冷たい視線に、教師すらもたじろいだ。


 「その問題は、南雲まどかには難解すぎるでしょう。彼女の脳は、貴方方の低俗な問いに、対応できないのよ」


 エルヴィーナの言葉に、クラス中がざわめいた。教師は顔を赤くし、まどかはさらに俯いた。


 「エルヴィーナさん、何を言うんですか!」


 教師が怒鳴る。しかし、エルヴィーナは、まるで耳に届いていないかのように、教師を冷ややかに見つめ返した。


 「それよりも、この問題の解法は、より簡潔なものがあるわ。貴方の教え方は、あまりにも回りくどい。時間の無駄よ」


 そう言って、エルヴィーナは黒板の前に立つと、チョークを手に取った。流れるような筆致で、複雑な数式を、瞬く間に解き明かしていく。その速度と正確さに、教師も生徒たちも、ただ呆然と見つめるしかなかった。


 授業後、まどかは、エルヴィーナの席までやってきた。いつものように俯きがちだが、その手には、丁寧に折り畳まれた小さな紙切れが握られている。


 「あ、あの……エルヴィーナさん……」


 蚊の鳴くような声で、まどかはエルヴィーナを呼んだ。


 「何かしら、南雲まどか」


 エルヴィーナは、本を読みながら、視線だけをまどかに向けた。


 「その……ありがとうございました。私を、助けてくださって……」


 まどかの言葉は、途切れ途切れだった。エルヴィーナは、ふ、と鼻で笑った。


 「助けた? 勘違いしないで。私はただ、愚かしい光景に辟易しただけよ。貴女がどうなろうと、私には関係ないわ」


 冷たく言い放つ。まどかの肩が、小さく震えた。


 「でも……」


 まどかは、それでも食い下がろうとした。エルヴィーナは、その瞳の奥に、微かながらも、感謝と、そして、畏敬の念が宿っているのを見抜いた。


 (……やはり、面白いわね)


 エルヴィーナは、まどかの手から、その紙切れを奪い取った。そこには、拙いながらも、エルヴィーナへの感謝の言葉が綴られていた。


 「無駄なことよ。感謝など、私には不要だわ」


 そう言いながらも、エルヴィーナは、その紙切れを、破り捨てることはしなかった。ただ、静かに、自分のポケットにしまい込んだ。


 その日の帰り道。


 エルヴィーナは、学園の敷地を出たところで、奇妙な気配を感じた。


 それは、この世界には存在しないはずの、しかし、99の異世界で幾度となく感じてきた、禍々しい魔力の残滓。


 (異界の存在……?)


 エルヴィーナは、視線を巡らせる。だが、周囲に、それらしきものは見当たらない。しかし、確かに、その気配は、この学園のどこかに、潜んでいる。


 「……ふふ」


 エルヴィーナは、小さく笑った。その笑みは、獲物を見つけた捕食者のように、愉悦に満ちていた。


 この世界は、やはり、退屈ではなかった。


 「今度は、私が、あなた達を断罪する番よ」


 彼女の瞳が、深紅の光を放ち、東京の夕焼けに溶けていくのだった。

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