7.“エモい”の圏外
この作品は私たちの楽曲「カルアミルク」(2025年9月以降リリース予定)から生まれた、無数の解釈の一つ。
もし、あなたが、自分の魂のかけらを削って、一枚の絵を描いたとしたら。
誰にも宛名を書かないまま瓶に詰め、世界という名の海に、そっと流したとしたら。
あなたは、誰かが、その瓶を拾い上げてくれることを、心のどこかで、期待してしまいませんか?
たとえ、その絵が、誰にも理解されない、暗く、独りよがりなものだったとしても。
ただ、そこに“在る”ことだけは、気づいて欲しい。
そんな、ささやかで、しかし、切実な祈り。
無数の“正しい”光の中で、たった一つの“正しくない”影が、誰にも気づかれず、消えていく。
そんな、この世で最も静かで、残酷な瞬間に。
どうか、あなただけは、寄り添ってください。
――あの日の展示室は、熱を持った巨大な生き物の胃袋に、よく似ていた。
数ヶ月前の、蒼葉大学の学園祭。年に一度の、無責任な熱狂が許される日。写真サークルの展示室として割り当てられた大教室は、人の汗と、埃と、そして、未来への根拠のない楽観が混じり合った、むせ返るような熱気に満ちていた。壁という壁には、一年間の成果だという無数の写真が、飽和した色彩を放ちながら、ひしめき合っている。
そこにあったのは、祝福されることを、あらかじめ約束された世界のかけらばかりだった。
夏合宿の海辺で、仲間と肩を組んで笑い合う、彩度の高いポートレート。完璧な構図で切り取られた、夕日に染まるキャンパスの風景。恋人たちが、照れながらも幸せそうに顔を寄せ合う、甘いモノクローム。そのどれもが、見る者に分かりやすい幸福と、共感を約束してくれる、正しい写真たち。人々はそれらの前で足を止め、指をさし、「これ、エモい」「めっちゃ良いじゃん」と、安価な言葉で、しかし、確かな称賛を交換し合っていた。
私の写真は、そんな華やかな世界から、追放されていた。
展示室の一番奥。トイレへと続く、薄暗い通路の脇。誰もが、ただの通り道としてしか認識しない、忘れ去られた壁。そこに、一枚だけ、ぽつんと、私の写真が掲げられていた。まるで、見てはいけない秘密を隠すように。あるいは、存在しないものとして扱われるように。
タイトルは、「不在着信」。
それは、夜の、雨に濡れた公衆電話ボックスを撮ったものだった。わざとピントを甘くし、街灯の光が、涙のように、じわりと滲んでいる。電話ボックスの中は、深海のように暗く、受話器だけが、誰からのものとも知れない呼び出しを、ただ待ち続けているかのように、鈍い光を放っていた。ざらついた、粗い粒子。黒く潰れたシャドウ。そこには、幸福も、共感も、彩りも、何一つない。
それは、私の内面そのものだった。私の魂の、解像度の低い、自画像だった。
人々は、その前を、まるでそこに何もないかのように、通り過ぎていく。
楽しそうに笑い合う女子学生のグループ。彼女たちの甘い香水の匂いだけが、私の写真の前をかすめて消える。 手をつないだカップルが、一瞬だけ足を止める。期待、という名の、愚かな鳥が、私の肋骨の中で一度だけ羽ばたいた。 だが、彼らは、写真のガラスに映った自分たちの姿を見て、前髪を直しただけで、すぐに去っていった。
誰も、見ない。
誰も、気づかない。
私の存在証明は、ただの風景として、そこに無視され続けている。
静かで、残酷な現実が、私の輪郭を、薄いガラスの板で、ゆっくりと削り取っていく。痛みはない。ただ、光を透過し始める皮膚の、冷たい感触。 自分が、少しずつ、この世界から消えていく。
お読みいただき、ありがとうございます。
自分の魂の自画像が、ただの壁のシミのように、誰にも見向きもされない。
その、あまりにも静かな絶望は、時として、どんな罵声よりも深く、心を抉ります。
自分が、この世界から、少しずつ透けていくような、あの感覚。
けれど、物語は、まだ終わらない。
もし、たった一人。たった一人だけでいい。
全ての人が通り過ぎていった、その場所で。
あなたの魂の前に、足を止めてくれる人間が現れたとしたら。
その時、聞こえてくるのは、どんな「声」だろうか――。
次回、第二章『君はジントニック』声(仮)
私たちの楽曲「カルアミルク」にも、こんな一節があります。
『誰も見ていないと思っていた/君だけが気づいてた』
その歌詞の意味が、次のシーンで、明らかになります。
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