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カルアミルク  作者: GL!TCHTiara
第一章 いつものおまじない
5/13

5.陽画の傷

この作品は私たちの楽曲「カルアミルク」(2025年9月以降リリース予定)から生まれた、無数の解釈の一つ。


もし、あなたの人生という名の一枚の写真に、

神様の悪戯のような、ありえない偶然が写り込んでしまったとしたら。

あなたは、それを「運命」と名付けずにいられますか?


たとえ、その写真の隅に、ほんの僅かな、光の滲みや、像のズレがあったとしても。

人は、自分に都合の良い奇跡を、信じてしまう生き物なのかもしれません。


彼女にとっての、最初の奇跡。

そして、最初の真実から、目を逸らした瞬間を。

どうか、最後まで、見届けてください。

 一口、また一口と、グラスの中の赦しを、ゆっくりと体に染み込ませていく。優しい甘さが、私の思考を支配していた、硬質な異音の音量を、少しずつ下げていくかのようだった。ささくれ立っていた神経の末端が、まろやかな液体に浸されて、丸くなっていく。自分を守るために常に鎧のように強張らせていた身体が、その芯から、ゆっくりと弛緩していく。ここに来るまでの、あの息苦しいほどの疎外感と自己嫌悪が、まるで遠い昔の出来事のように思えた。


 その時だった。マスターが、ゆっくりとカウンターの奥へと歩を進めたのは。

 彼は、壁一面を埋め尽くすレコード棚の前に立つと、まるで老練な司書のように、その背表紙を長い指先でなぞっていく。そして、無数のコレクションの中から、一枚のレコードを、静かに抜き出した。黒い円盤を、その薄紙のジャケットから滑り出させ、ターンテーブルの上に、まるで大切な幼な子を寝かしつけるように、そっと置く。

 彼がアームを操作すると、繊細な針が、ゆっくりと盤面へと降りていった。


 プチッ、という、温かいノイズ。

 それに続いて、軽快なベースラインと、都会の夜景を思わせる、きらびやかなエレキギターの音色が流れ始めた。心地よいリズム。それなのに、その上に乗る男性ボーカルの声は、どうしようもなく切なく、甘く、そしてどこか孤独の影を滲ませていた。

 その音楽は、この店の空気そのものだった。都会的で、どこかノスタルジックで、そして、一人きりで身を委ねていると、魂のいちばん柔らかい場所を、そっと指でなぞられるような。

 その甘い痛みに、ほんの少しだけ、背中を押されていた。


「あの……この曲、すごく、素敵ですね。なんていう曲なんですか?」


 私の問いかけに、マスターは、レコードジャケットへと視線を落とす。そして、その視線を、ゆっくりと、私の方へと戻した。彼は、私の顔を、じっと見つめていた。まるで、この質問をした私の真意を、その奥にある魂の渇きを、値踏みするように。その、数秒間の濃密な沈黙。


「……カルアミルク、ですよ」


 彼は、そう答えた。

 その瞬間、私は、確かに見たのだ。彼の、常に不動だったはずのその表情に、ほんの一瞬、薄いガラスに鋭い何かが当たった時のような、微細なひび割れが走るのを。その瞳の奥に、痛みの色が、ごく僅かに、しかし、確かに宿ったのを。


 ――え?

 私の心の、完璧な陽画ポジの上に、一瞬だけ、焼き付けられてしまった、像のズレ。

 だが、その違和感は、次の瞬間には、押し寄せた幸福感という名の、あまりに強い光によって、白く、飛ばされてしまった。

 カルアミルク。私が、今、こうして救われている、この魔法の飲み物と、同じ名前の曲。そんな奇跡が、この世界にはあるというのか。

 気のせいだ。きっと、照明の加減か、何かの見間違いだ。こんなにも素敵な、私のために用意されたとしか思えないような、この場所で。そんな、不吉なことがあるはずがない。


 私は、運命の訪れを確信し、グラスの中でカラン、と音を立てる氷のように、一人静かに、そして、深く、微笑んだ。

 彼女はまだ知らない。

 自ら、最初の真実から目を逸らしたことを。


――第一章・了――


第一章、最後までお読みいただき、ありがとうございます。


自分のためだけに用意されたとしか思えない、世界。

自分のためだけに流されたとしか思えない、音楽。

人は、そんな幸福な偶然を前にすると、真実から目を逸らしてしまうほど、

愚かで、そして、どうしようもなく、ロマンチックな生き物なのですね。


甘いカルアミルクと、同じ名前の音楽。

彼女の「運命」の片割れは、もう見つかった。


けれど、物語には、まだ、もう片方の主役が登場していません。

彼が飲むのは、甘いミルクか、それとも――

突き刺すように、苦い酒か。


次回から、第二章『君はジントニック』が始まります。お楽しみに。


私たちの楽曲「カルアミルク」が、二人の運命のテーマソングになります。


よろしければ、ページ下から★★★★★評価や、ブックマーク登録で応援していただけると、私たちの創作の何よりの力になります。

第二章以降は、、、モチベ次第と言う事で。

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