五階の鏡
「え? 何、その、映画に出て来たみたいな鏡…」
もうすぐお昼休みが終わる時間、保育園から一緒で同じサッカークラブの蓮が、おかしなウワサを仕入れてきた。望みのものを見せてくれる鏡だって。
…でも、変だなぁ。
「…ねぇ、蓮。この学校、四階までしかないよ?」
「だから、ウワサだって! 夜中の12時に、無いはずの五階が現れて、目の前に鏡が…」
「ヤダー! それ、鏡の中に引き込まれちゃうって聞いたよ!」
あーあ、おんなじ班の詩織ちゃんが怖がってる。
「夜中でしょ? 学校に忍び込んだりしたら、ゼッタイ怒られるよね」
「何だよ、裕人。ノリ悪いなぁ。…まぁオレも別に、見たいモンあるわけじゃないしな。望みが叶うってんなら、話は別だけどさ」
そりゃそうだよね。うん。
…でも、見たいものかぁ。ぼくは見たいもの、実は一つだけ、あるんだよね。
◇ ◇ ◇
ぼくのお母さんは、ぼくが赤ちゃんの時に、事故で死んじゃったんだ。
だけどお父さんが、昔のスマホにぼくとお母さんの写真や動画を、いっぱい撮っといてくれてた。
だからぼく、時々それを見てるんだ。抱っこされてる赤ちゃんのぼく。ちょっぴりうらやましい。いや、これもぼくなんだけどさ。
…お母さん、すごくキレイな人。ものしずかな感じで、すっごく優しそう…。
…今、お母さんが生きてたら、どんな感じでぼくに話しかけてくれるのかな。
ホントにそんな鏡があるんなら、ぼく、お母さんが見たいな。鏡の中からでもいいから、話しかけてくれないかな。
ぼく、お父さんと、ちゃんと暮らしてるよ。
この間は目玉焼きだって、すっごく上手に作れたんだから。
そう言ったら、お母さん、ほめてくれるかな。
…会ってみたいなぁ、お母さん。
◇ ◇ ◇
「え? お父さん、明日土曜なのに仕事なの?」
学校のサッカークラブも、明日は野球クラブがグラウンド使うから、お休みだって言ってた。
せっかくだから、水族館にでも行こうかって言ってたのに…。
「ごめんな、裕人。取引先のお客さんが、どうしても明日じゃないと時間が取れなくなったんだ。…早く帰ってくるから、そしたら夕飯は、外に食べに行こう」
ぼくは、うん、と返事をする。
ちょっと残念だけど、仕事じゃしょうがないよね。
―――お父さんは明日、早く行って早く帰るからって、早く寝ちゃった。
ぼくは何となく、眠れなくなっちゃった。
チッ、チッ、チッ…。
時計の音が、妙に気になる。
お父さんは時々いびきをかいてるけど、今日はお酒飲んでないから静かだなぁ。
時計を見ると、もうすぐ11時半…。
………12時、だったっけ。学校まで、歩いて10分もかかんない。
学校の北口、金網のとこ、今壊れてて子供なら入れちゃうんだよね。うーん…。
…ちょっとだけ、眠れないから散歩だよ、散歩。
夜の道、ちょっとこわいけど。もしおまわりさんに見つかって怒られたら、すぐ帰るから。
こんな夜中に出かけるなんて、お正月の初もうでみたい。でもお正月みたいに寒くない。
学校の中に入れなかったら、すぐ帰るからね。
何だか冒険みたい。ちょっと楽しくなってきた。
◇ ◇ ◇
学校まで、何事もなくついちゃった。ドキドキしてたのに、拍子抜けだなぁ…。
金網…、あ、ここだ。よっ、と…、うん、入れた。
…さて、昇降口、開いてるのかな?
キイ…。
開いてるじゃん。わー、ドキドキする。
………暗いなぁ。懐中電灯とか、持ってくれば良かったかな。でも、そんなの持ってたら、ソッコーバレちゃうよな。
それにしても、やっぱり真夜中の学校って、ブキミだなぁ…。何となく、音を立てないよーに、そおっと階段をのぼって…。
二階をとおりこして、三階のぼくのクラス、5−1も…、うん、だれもいないよね。
逆にいたらヤだよ! こわいよぉ!
…で、四階。音楽室とか、家庭科室とかがあるところ。
フフン、ぼく、家庭科はわりとトクイなんだ。うちでお父さんと一緒にごはん作るもんね。
みんなはお母さんがやってくれるんだろうけど…。いいなぁ、お母さん………。
…階段はやっぱり、ここまでじゃん。上も見たけど、屋上だった。なーんだ、やっぱりただのウワサかぁ…。
コワイ思いして来たのにざんねん…。帰ろ…。
『………裕人』
え………?
…今、声、聞こえた?
『裕人。こっち』
…この声、お母さん? ホントに!? 鏡、あるのかな!? お母さん、…お母さん!
こっちから聞こえた! 五階じゃないけど、そこ! 音楽準備室の前!
『…裕人』
………鏡、…鏡だ! お母さん!?
『…うん。お母さんよ、裕人。今日は、何が食べたい?』
お母さんだ、笑ってる! エプロンつけて、ぼくに話しかけてくれてる!
「お、お母さん! …ぼく、ぼくね! お母さんに会いたくて…」
『フフ、変な子ねぇ。ほら、こっちにおいで、裕人』
…え、そこ、鏡の中、だよね。
はっ! そういえば、詩織ちゃんが、
『…それ、鏡の中に引き込まれちゃうって聞いたよ!』
え、お母さん…、こ、これってもしかして、ぼく、マズい状況?
でも、お母さん、笑ってる。…どうしよう、すっごく行きたいけど…、
「…ねえ、お母さん。…お父さんは…」
『お父さんは、後で来るわよ。ほら、おいで、裕人。…大きくなった裕人、お母さん、抱っこしてみたいな』
あ…、どうしよう。お母さんが手を広げて、ぼくを呼んでる。何かもう、余計なこと考えるの、めんどくさくなっちゃったな…。
お母さん………。
バサッ!
…あ! 鏡が! 黒い、布? 違う、これ、スーツのジャケットだ…、そんなのかぶさっちゃったら、お母さんが見えないよ…、何すんのさぁ、お母さんが………。
………唄? 誰か、歌ってる。どっかで聞いたような、キレイな声…。
何か、すっごく眠くなってきた………。
◇ ◇ ◇
「………これ、一種の照魔鏡ですね。私の知り合いのお寺さんに預けておきますよ」
………ん? だれ?
「本当にありがとうございます、名奈さん。…照魔鏡、ですか。そんな不思議なものが…」
…お父さんの声だ。お父さんの知り合いかなぁ…。
「こういう、いわゆる付喪神って、普段は普通のもののふりをしているんですよ。…これは五戒の鏡、とでも言いますか、殺生・盗み・不貞・妄言・飲酒などをする者を照らし暴くんですけど、裕人さんはどれも当てはまらないですからね。見たいものを見せてあげたみたいですが…」
………そうなの? ごかいって、五階じゃないんだ…。
「裕人さん、鏡に気に入られたようでした。間に合って良かったです」
「助かりました。…裕人は、何を見たんでしょうね」
「…どうやら、お母様だったようですね」
…うん。ぼく、お母さんに会えたんだよ。
「そうですか…。連れて行かれてしまったら、私は………。良かった、本当に…」
お父さん…、泣かないでよ。
…ああ、そうか。ぼくのお父さんも、よそでウワサになってたんだっけ。
『あの人の家族になると死ぬ』
ぼくには、おじいちゃんも、おばあちゃんもいないんだ。お父さんが若い頃、みんな事故で死んじゃったんだって。
ぼくが生まれるずっと前から、お父さんはずっと一人で生きてきたんだっけ。
お母さんと出会って、ぼくが生まれたけど、そのお母さんも死んじゃったから、お父さんには死神がとりついてるんじゃないかって、ウワサされてたんだ。
…ひどいよね。ぼくはちゃんと生きてるのにさ。
「では、私はこれで。おやすみなさい」
「ええ。ありがとうございました」
お父さんの知り合いの人、帰るのかな。
………ん? 玄関、開いた音、しないよ? 変だなぁ…。ちょっと見てみようかな、トイレに行くフリして…。
ガチャ。
「? 裕人、起きたのか?」
「…うん、今、誰か、いたんじゃないの?」
「あ、ああ。…お父さんがお世話になってる人なんだ。もう帰ったよ」
えええ…、いつの間に…。
………ん? お父さんが、…あ、怒ってる?
「………裕人。夜中に抜け出して、一体何を考えていたんだい?」
うう、めったに怒らないお父さんが、すっごく怒ってる。
「………ご、ごめんなさい…」
◇ ◇ ◇
―――朝が来て、ちょっぴり寝坊しかけたけど、お父さんは急いで出かけて行った。
ぼくは、もうちょっとだけ眠って、起きたらお昼近かった。
トーストを焼いて、ミルクを温めて、ゆで卵もあるし…。ブランチってやつだね、コレ。こんなのんびりした朝も、たまには良いよね。えへへ。
…何だか、不思議な夜だったなぁ。でも、お母さんがぼくに話しかけてくれたんだ。本物じゃないかもしれないけど、話ができたんだ。
思い出すと嬉しくて、…でもちょっぴりさみしいかな。
◇ ◇ ◇
お父さんは約束通り、早く帰ってきた。
一緒にゴハン食べに行く途中、ぼく、聞いてみたんだ。
「…ねえ、お父さん。昨日の人、どういう知り合いなの?」
お父さんは、ちょっと説明に困ったように「うーん…」って考えてから、
「…そうだなぁ、お父さんが昔からお世話になってる、ちょっと不思議な人なんだよ。裕人がもう少し大きくなったら、会ってみても良いかもな」
「ふーん…」
…あれ? もしかして昨日の夜、ぼく、あの人に助けられたってことかな? …まぁいいや。
「…なぁ、裕人」
「ん?」
「…もう、昨日みたいなことは、しないでくれよ」
「…うん。ごめんなさい」
ポン、とお父さんが、ぼくの頭の上に手を置いて、撫でてくれた。それから、
「お母さんに、会えたんだね」
「………うん」
ぼくがそう返事をしたら、お父さんが笑った。
「さ、裕人。今日は、何が食べたい?」
…あれ? 昨日の夜も、お母さんにそう聞かれた気がするな。
ハハ、お父さんもお母さんも、おんなじこと言ってる。ぼく、食いしん坊だと思われてるのかな? ま、いっか。
「えーと、お肉! …も良いけど、お寿司も捨てがたいなぁ…」
歩きながらお父さんと考えて、結局今日はお寿司を食べたよ。おいしかったぁ。
◇ ◇ ◇
―――月曜日、学校に行ったら音楽室の鏡が1コ無くなったって、ちょっと騒ぎになってた。
………ぼくのせいかな。
聞かなかったことにしよっと。
知ってても知らなくても大丈夫なようにしたつもりですが、実は連載中の『天使の魂色』のスピンオフ(←ナマイキ)。
もし訳分かんなかった、とかあったらごめんなさいです。
でもこれで、予定の3本投稿終了。楽しかったぁ(*´∀`*)
お読みいただき、ありがとうございました!