12.フローレンス堂の看板
結局、何者が家の中に侵入したのかはわからない。家の中に何があるのかもわからない。
「単なる物取りではないよな。空き家の中に金目の物があるはずもないし」
「そうね。危険だけ冒して、得られるものは何もない」
「けど、あるとしたらなんだろうな」
「わからない」
「そうだなー」
これ以上話しても結果は変わらないだろう。
「なんとかして中に入れないかな」
「レオンあなたまさか」
「窓を破って入ろうとは思ってないからな。合法的に中を見る。ここの地区の教会経由で依頼して、この家の様子を見たいって業者にお願いするんだ」
「ああ、なるほど」
エドガーならここ教会の神父とも知り合いだろうし、なんかそれっぽい理由をつければ協力を得られるだろう。
そもそも、ここは売出し中の空き家だ。購入を検討しているから入りたいと言えば入らせてもらえるだろう。わたしとレオンみたいな、小娘とクソガキだと無理があるかもしれないけれど。
街のみんなから尊敬を集める神父様なら、そこの言い訳もなんとでもできるというわけだ。
「後で相談しよう」
「ええ。中に入らなきゃ、これ以上なにもわからないしね」
「外からわかる情報は少ないな。行くか」
私たちは踵を返して、建物から離れていく。まだ早い時間帯だし、ミオラのいる孤児院にも行こうかと話しながら。
「……?」
「ルイどうした?」
「いえ、なんでもないわ」
ふと、視線を感じた気がして振り返った。けれどそこには誰もいなくて。
気のせいだな。
ミオラの生家から孤児院までは、結構歩かないといけない。途中で大通りに戻って適当なお店で昼食を食べてから、またしばらく大通りを歩く。
「そうだ。いきなり押しかけるわけだし、何かお土産でも買っていくべきじゃない?」
「それもそうだな。ちょうどあそこに、いい店がある」
「いやいや。高すぎるでしょ」
レオンの視線の先には高級菓子店であるフローレンス堂の看板。さっきの精肉店と違って行列はできていないけど、それはここが高級店だからだ。庶民が大挙して押し寄せるようなことはない。選ばれた客だけが入れる。
その看板だけど、ちょっと違和感を覚えた。これまで何度か、この通りでこの店を見たことがある。けど、いつもと様子が違っていて。
「看板が新しくなってるな」
「あ。本当だ。綺麗になってるわね」
フローレンス堂は金持ち御用達の店だけど、歴史あるお店というわけではない。創業して三十年ほど。
何百年も続くような老舗なら、創業当時の看板を後生大事に掲げていることが多いけれど、フローレンス堂は看板や歴史ではなく製品で勝負する店。だから定期的に看板の入れ替えをしていると聞く。
もちろん、いずれ老舗になった時のために、歴代の看板を保管はしてるかもしれない。
新しい看板には、店の名物であるレモンタルトの絵が描かれていた。
通りに並んだ店の中でも目立つ色彩をしていて、なおかつ高級店の格式は損なわない控えめなタッチ。一番見せなきゃいけない店名を邪魔せず、引き立たせるように端に描かれたその絵柄は、さっきも見かけたものだった。
「あの精肉店の絵と同じ人が描いたの?」
「そうだよ。近所の小さな店の看板描きから高級店の担当だ。出世したよな」
「……レオンあなた、これを描いた人を知ってるみたいな口ぶりね」
「知ってる。ヘラジカ亭の客だ」
「え?」
「ほら。前に来てただろ? 仕事がうまく行くか不安で深酒をしてた客だ」
「あー。霊絡みじゃなかったから、レオンが雑に励まして追い出したあの人」
確かに画家だと聞いている。看板を新調するから、そこに絵を描いてくれという仕事だということも。
そうか。フローレンス堂の看板だったんだ。王都を代表する人気店だし高級店だしで、プレッシャーも大きかったことだろう。
どうやら、大事な仕事を見事に果たしたようだ。
「これであの男は一躍有名画家になった。他の店からも依頼が殺到するだろう。フローレンス堂の仕事を果たしたとなれば、貴族の間でも有名になる。うちのために絵を描いてくれ。家族の肖像画を描いてくれって依頼も多く来るだろうさ」
「夢のある話ねー」
「ヘラジカ亭で飲むような庶民ではなくなったな」
「飲みに来てほしいけどね」
「そうだな。うちでも依頼を出してみるか? 店内に飾る絵が欲しいって」
「それはサマンサたちに相談ね」
万が一、うちに飲みに来たら頼んでみようかな。
お金持ちに気に入られて、パトロンの支援を得て仕事をするようになったら、貴族の屋敷に縛られて街に出ることはなくなるかも。
けど、元はヘラジカ亭で飲んでたような人だ。あと、プレッシャーに弱い面もある。上流社会の窮屈さに参って、来てくれたら嬉しいな。
会話をしながらフローレンス堂を通り過ぎ、この王都の中心部を通り抜けて孤児院へ向かう途中に、ちょうどいい価格帯の菓子店を見つけた。人気店ではないが高級品を扱ってるわけではない。
子供たちに配れるように、小さな菓子パンを足りるだろうと思われる数購入した。これなら子供たちも喜ぶだろう。