表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

保護された後の話

作者: 赤月··

 産まれてすぐの頃から乳児院にいたらしい。流石にそこまで昔のことは覚えていないが、三歳ぐらいにすぐ隣にある施設に移ったことをなんとなく覚えている。そこの施設での生活はそこまで悪い思い出は無い。同い年ぐらいの子と喧嘩したりするぐらいはあったが普通の範疇だと思う。その時はたまに親元に外泊することもあった。

 

 小学校に入学した直後くらいに親元で生活することになった。そこで学校に最初のころは通っていたが、自分も親も担任との折り合いが悪くしばらくすると不登校になっていった。覚えている範囲だと、自分が答えの書き方が他の児童と違うことをクラスで晒しあげられたことだろうか。そのせいで徹底的に折り合いが悪くなった気がする。そして不登校だからといって勉強しないわけでは無く親からある程度勉強を教えてもらっていた。

 

 不登校になったこと、そして親が兄を虐待していたことがあり、虐待ということで小学校二年生の初めごろに一時保護された。一時保護だったがそれ以降親とは会っていない。

 

 一時保護所での生活は三か月ほどだっただろうか。そこでの生活は悪くはなかったと思う。あまり外に出て行くことが出来ない以外は勉強もある程度教えられ、運動もしたり、娯楽もそれなりに有った。そして、小学校で言うと夏休みに入る前ぐらいの時期に一時保護では無く完全に親元から離すことが決まり、児童養護施設と併設された児童心理治療施設(当時は情緒障害児短期治療施設)に入所することになった。

 

 その施設では入所した直後、具体的に言うと入所した日の夕方ごろにはいじめられた。同年代の子では無く中学生から高校生くらいの子供からのいじめだった。叩かれ、馬鹿にされ、新しいおもちゃが来たという感じだった。その日にはすでに泣かされていた。そしてその日から、施設長が変わるまでそこそこ長い間いじめられることになる。

 

 ほぼ毎日いじめられる日常が始まり、暴言を吐かれ、殴られ蹴られ、性的暴行から食事やおやつを取られるといったことまであった。最初の頃は職員に相談した、いやしようとしたと言ったほうが正しいかもしれない。話をしに行ったときの職員の反応はとても冷たいものだったことを覚えている。話をしているから後にしてと言って結局話を聞いてすらしてもらえなかったり、どうせあなたから何かしたのだろとこちらに原因があるかのように責めてきたりした。たまに話を聞いてくれても、対応しなかったりした。さらに職員に相談しようとしたことでよりひどくいじめられた。また学校は小学校、中学校が併設されておりそこの施設児童養護施設と児童心理治療施設の専用といったものなので本当に逃げ場がない。脱走したりしたときはなぜ脱走されたかも職員は考えず、罰を与えるだけだった。

 

 そんな状況で自分がとった行動は、特定の児童の機嫌をとることだった。自分から進んでご飯やお菓子をあげて、命令を聞いた。手で合図を出されればすぐに近くに行き、用が無くなれば離れる。専属のおもちゃという感じだった。そうすることで、他の児童からのいじめは少なくはなった。けれどいじめはなくなりはしなかった。機嫌をとっている児童の近くにいなければいじめられるし、結局のところ機嫌をとっている児童からいじめられることもあった。

 

 そして小学校中学年になったころに施設長が変わった。代わってきた施設長はいじめ問題を解決しようと動き、実際に施設は良くなった。いじめは格段に減り、職員たちの対応も良くなった。 

 

 だからといって、施設での暮らしの問題が全て解決したわけでもなかった。問題のあるルール、児童、職員はある程度存在した。

 まずはルール、施設では親と連絡できる児童のほうが優遇されていた。施設への物の持ち込みはあまり制限されておらず、毎週のようにお菓子などを大量に送られてくる児童がいて、子供心に不平等だと思った。最新ゲームなどの高額なものは持ち込むと施設からでるお小遣いをある程度積み立てで貯金に回さないといけないというルールもあったが、何も持ち込んでいなくても、将来のためにという名目で強制的に貯金させられるので、あまり意味がないルールだった。また電話を使えるのも、親と連絡をとれる児童や高校生のみなので親と連絡の取れない児童は外に助けを呼べないといったこともあった。電話も使えず脱走したときの対応は速く厳しいため本当に外に助けを求められない。

 

 つぎは児童について、問題のある児童は親と連絡がつく児童の方がひどかった。これはひがみとかではなく、職員の対応によるものだった。問題を起こしたときに、親と連絡できる児童には対応が甘く、連絡ができない児童には対応が厳しかった。連絡ができる児童には、暴言を吐く児童、窃盗癖のある児童、差別する児童などが居たが、いずれに対しても対応が甘かった。

 

 つぎは職員について、親と連絡がつくつかないで態度が変わるのは書いた通りで、また問題が起きたとき、被害にあったのが職員か児童かによって対応の速度、厳しさが違う。職員が被害にあったときは素早く行動し厳しく罰する。児童の場合は時によりけりという感じだ。監査とかどうなってるんだという話だが、監査は児童が学校に行っているときに来ることも多く、頻度も高くないため、対して役に立っている印象はない。いじめが多かったときでさえ監査的には大丈夫どころか良い施設だったみたいだ。

 

 自分の話に戻る。

 小学高学年のときは比較的平和だった。しかし、他の児童と喧嘩をしてしまい個別指導を受けることとなる。ただ、喧嘩だったのに、個別指導を受けたのは自分の方だけだった。相手の児童が親と連絡できるのがおそらく関係ある。そして自分がいた施設でいう個別指導というのは、ベッドと机があるだけの小部屋に軟禁されることである。自分の場合、反省文を書かされるといったこともなくただただ軟禁されるだけのことで、これからも何度か個別指導を受けるが、数時間や一晩というわけでなく、数日や長いときは数週間に軟禁される。このとき数日程度だったがかなり参った。

 他にも中学生の児童からいきなり後ろから石を投げられ頭にぶつけられたことがあったりした。病院に連れていかれることもなく、ただ一言謝らすだけで済まされてしまった。親と連絡ができない自分に対しては対応が適当なのを感じた一件だった。

 

 中学生のころの話に移る。

 中学生のときにも個別指導を何度か受けるがそのときの経緯を書こうと思う。

 

 ある日、いきなりある児童から体当たりを受けた。その子は小学高学年の児童で、どけよと言いながら体当たりしてきた。その児童はかなりわがままな児童で、親と連絡でき、その親が児童内でも噂になるくらいのクレーマーで、そのせいもあってかなりのわがままが半ば許さているといった状況だった。その子がいきなり体当たりしてきたのだ。こちらが通せんぼしていたとか邪魔になる場所にいたとかではなく、いきなり体当たりしてきたのだ。それに驚いて押し返したら、その児童はふらついて壁に頭をぶつけて大泣きしてしまった。そして自分は個別指導を受けることになった。正直訳がわからなかった。その児童は病院に連れて行ってもらっていた。幸いたいした怪我ではなかった。しかし、自分はなぜか個別指導を受けることになった。確かに一言謝れと言われれば謝るが、相手からいきなり手を出してきたのに、お前が全部悪いと言われ何日も軟禁された。おそらくこの個別指導はクレーマーの親に向けての罰を与えましたよアピールなのだったと思う。この件に関しては親と連絡できるできないの差によるものだと思う。しかもこの時指導してきた職員はいじめを黙認していた職員だったくせにやたらと強い態度だったのを覚えている。

 

 もう一件個別指導を受けた経緯を書く。この件については自分も反省すべきだとは思うが、やはり職員の対応はひどいものだったと思う。

 

 ことの発端は自分を含めた児童三人が遊んでいて少し揉めたということである。そこまでだとよくあることだったのだが、そこで仲裁に入ったのが新しく入った職員だった。その職員の対応はひどいもので、自分以外の児童から話を聞いたらすぐにあなたが悪いと自分の話を一切聞かずに言ってきた。自分はまずは話を聞いてくれと言ったが、聞き入れてくれずに事情は完全にわかったからあなたが悪いと言ってこちらの話を聞いてくれない。十分程度言い合いというか一方的に言ってくるので暴力を振るってしまった。そこからの職員達の対応ははやかった。あっという間に個別指導を受けることになった。この時の個別指導は特別で一時保護所に行くまでになった。こちらの言い分はまったく聞いてもらえなかった。確かに暴力を振るったのは悪かったが、それまでに話を聞いてもらえなかったことなど一切聞いてもらえなかった。職員達は職員内で話を完結させて自分が全て悪いということになっていた。そして軟禁された後一時保護所に行かされそこで数日過ごすと、お前が反省してるなら戻ってきてもいいという態度で職員がやってきて施設に戻った。余談だがこれが原因で中学校では修学旅行に行けなかった。

 

 他にも強制的に運動部に入れられてやる気がないなら走れと言われ一人だけずっと走らされたりした。サボっていても許される子どももいた中、自分は許さず夏場でも走らされていたりした。

 

 学校の教員も時々やばい人がいた。特に覚えているのは、少し言い合いになった時に、

 「やっぱり親に育てられていないからまともに育たないんやな」と言われたりした。

 

 高校生のころの話に移る。

 高校生くらいになると職員とも折り合いがついてなんとかやっていけていた。はずだった

 

 高校三年生の頃、自分は成績はそこそこ優秀で大学に行きたいと思っていた。そして施設は塾に行かせてくれた。ここまではよかった。しかしアルバイトをしていた自分は塾と学校とバイトを全てこなすのに無理が出てきた。そこでバイトを辞めたいと職員に伝えると駄目だと言われ続けることになったが、無理になってバイトの時間を寝過ごしてしまいそこからバイトに行く気になれなくなってしまいバイトをバックれた。そしてバイトに行かなくなりしばらくするとバイト先から連絡があり施設の職員に無理矢理バイト先に謝らせられた。ここからメンタルが崩れ始めた。勉強が手につかなくなりうまく生活できなくなっていった。そしてそのことを職員に注意されよりメンタルを崩すといった悪循環に入っていった。さらに大学に行くにはお金が足りない、それもお前が全部悪いと職員に執拗に言われ、外に出れなくなってしまった。学校にも行けなくなって、そのことを職員にさらに責められた。

 しばらくすると職員は一転優しくなった。その後鬱病だと診断された。そしてもう勉強とかがどうしようもなくなったときにやっぱりお金は足りたと言われた。そのときは本当に最悪の気分だった。あんなにも責め立ててきたのにと思った。

 

 保護された結果がこんな感じなので、世間では子どもの虐待死に対してなぜ保護しなかったのかと話題になることも度々あるが、もう少しだけ、保護された後のことも考えて欲しいと思ってます。書きたいことを書いていっただけなのでとっ散らかってるかもしれないけどそんな感じです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 投稿ありがとうございます
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ