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07_メイド①



 彼と別れて、自室に戻った。

「災難だったわね」と専属侍女に話しかければ、「はい」とだけシンプルに返ってくる。

 リナの髪が乱れていたのか、丁寧に梳いてくれた。


「ありがとう」

「……」


 侍女はじっとリナを見ている。


(……なにかしら)


 彼女だけではなく、この屋敷ですれ違うガスマスクの使用人たちからは、昨日から何か物言いたげな雰囲気を感じているのだが――ガスマスクのせいで表情が本当にわかりにくいし、喋らない。


 二人して見つめ合い、無言になると、ガスマスク越しに呼吸する『シュコー、シュコー』という音だけ響く。


(たしか名前はラミラと言ったかしら)


 昨日彼が「君の専属侍女だ」と紹介してくれた時にそう名乗っていた。

 紺色の髪を一つにきっちり結いあげており、どことなく――どことなくだが、エドガルドの持つ雰囲気に少し似ている。


 年もリナと近いだろうし、できれば仲良くなりたいなぁ、なんて思っていると――


 すっと手が伸びてきた。


「お顔にゴミが――いえ、睫毛が」

「あら、ありがとう」


 目元を彼女の指先が掠めていった。

「……」

 睫毛を取ろうと屈んだ時の姿勢のまま、じっとラミラが覗き込んでくる。


「……目の色、お綺麗ですね。閣下のお好きな色だ」

「?」


 閣下というのは、エドガルドのことだろうか。

 リナの目の色はただの水色だ。


「ええと、どうも、ありがとう……?」


 きょとんと彼女を見上げていると、ラミラはすっと姿勢を正して、唐突に言った。


「実は、私どもは普段はガスマスクをしていないのです」


(……ん?)


 なにやら、妙な言葉を聞いた。


「何の話……?」

「すべて演出です。ガスマスクなど、ただの小道具です」


 急に何の告白だ、とリナは目を瞬かせる。


「先ほどの来客への態度を拝見し、リナミリヤ様には正直にお話ししようと思いました。――閣下からのお言い付けなのです。リナミリヤ様を早く追い出すために、この屋敷がいかに危ないか目に見えてわかるようにしろと。つまりあえて危機感を煽り、リナミリヤ様を怯えさせるために、ガスママスクをつけてほしいと頼まれたのです」

「えっ」


 それは聞き捨てならない発言だ。


(そ、そんなことしてたのエド……!)


「じゃ、じゃあ、普段はガスマスクをしていないの……?」

「はい」


 あっさりラミラは頷いた。


「リナミリヤ様がいらっしゃる三ヶ月間だけは必ず着用せよ、と――特別手当もいただいておりますので、まあ皆最初は特に問題ないだろうと思っていたのですが――しかしなんとも息はしづらいし、蒸れるし、重い。これが三ヶ月続くかと思うと嫌になります。二日目にして既にもう口の周りの皮膚がかぶれそうです」

「そうだったの!?」


 ガスマスク生活、実は結構つらかったらしい。

 思わず立ち上がって彼女を見つめた。


「それなら今すぐ取っていいのよ! ……あ、でも本当に、毒ガスは大丈夫なのよね?」

「はい」


 ラミラはガスマスクを外して紺色の髪を揺らした。ふう、と人心地ついたように、息を吐く。

 目元だけでもわかっていたが、クールな美女というのにふさわしい顔立ちだった。ガスマスクのバンドのせいで、頬に痕がついているのがやたら目立つ。リナの視線を察して、彼女は首をすくめてみせた。


「ね、痕も残るでしょう? 最悪ですよね」


 かなり気楽な態度で、彼女が言う。表情はほぼ動いていないので、無表情気味なのはガスマスクと関係ないらしい。


「なんというか、私のせいで、大変な演技をさせてごめんなさい……?」

「いいえ、リナミリヤ様のせいではございません」


 はっきりとした声で否定してから、彼女はガスマスクを小脇に抱えた。

 リナはそれをちらりと見る。この部屋にも他の部屋にも、「いつでも着けられるようにガスマスクを完備してあるからな」と彼から言われていたが――本当はガスマスクなんて要らなかったのか。


「ガスマスクを普段はつけていないってことは……彼は無意識に毒ガスをばらまいてはいないってこと? 制御できているってこと?」

「いいえ、制御はできていません」


 ラミラが首を横に振る。


「たしかに閣下はS級の毒魔法士で、本気を出せばガスマスクなど貫通して 全人類を滅ぼせますが、普段の生活には我々使用人はガスマスクは要りません。閣下がその身に宿す毒体質から無意識に漏れ出る毒ガスは、普通の人間であれば同じ部屋に五分いるだけで頭痛と吐き気、十分で嘔吐、手足の麻痺、一時間もいれば確実に意識喪失となりますが、それはせいぜいB級からA級の毒魔法です。問題ありません」

「……いえ、それは結構問題だと思うし、ガスマスク要ると思うけど」

「ああ、失礼しました。今のは『普通の人』の話です」


 彼女は真顔で訂正した。


「私ども使用人は、国内外から集められた数少ない毒魔法適性者ですので、常に自分で解毒しながら生活しております。さすがに閣下と密室にいれば覚悟がいりますが、広いお屋敷の廊下、玄関ホール、晩餐室で給仕する分には問題がないのです。一般の他の属性のお客様は玄関ホールで少し話すだけでも、やはりガスマスクが要りますが」


 リナは混乱しつつも、彼女の説明を整理した。


「解毒しながら生活……毒は受けているけど、中和できているから、ガスマスク無しでも生活はできてるってことね?」

「はい」


 彼女は頷いた。


「でもそれって疲れない? ずっと魔法を使ってるってことでしょう? ガスマスクをしてたほうが楽じゃない?」

「蒸れるし、重いし、跡がつくので」

「ああ……」


 そこはやっぱり避けたいらしい。


「それに鍛錬にもなります。ここの使用人はA級毒魔法までならぎりぎり死にませんので、貸与いただいた制服と靴――最高級の耐魔布の補佐があって、なんとかやっていけます」

「そうだったのね……」


 猛毒公爵のもとには、希少な毒魔法士が集まると聞いたことがある。毒魔法の統率者だ。毒魔法士は自分の毒体質のせいで短命だったり、暗殺業を期待されて事件に巻き込まれたりするので、『猛毒公爵』というボスがいるのは、かなり大切なことだと聞いた。


「そういうわけで、当家のイラディエル公爵様は、毒体質のせいで会議には出られませんが、この屋敷の住人が我々とリナミリヤ様だけならガスマスクなしで平和に生活できるのです。使用人がみんなガスマスクをしていたのは完全にリナミリヤ様への嫌がらせです」

「嫌がらせ……」


 はっきりと彼から指示が出ていたと思うとなんだか悲しい気持ちにもなるが――


「でも、私のためよね? 彼は毒魔法で誰かを傷つけたくないから、私のことも心配して遠ざけようとしていたのよね?」

「はい」

「そっか。……じゃあ全員、もうガスマスクなしでいいって伝えてあげて。彼には私からそれとなく言っておくから」

「ありがとうございます。寛大な御心に感謝いたします」


 これが彼女の一番の願いだろう。

 侍女の期待に応えられた女主人としては、及第点じゃないだろうか。


(でも、そっか、使用人たちは、普通に生活できていたのね)


 彼が使用人たちにまで恐れられていないようでよかった。

 そして、そこでふと気がつく。


「もしかして、ラミラたち、平気でエドに触れる?」


 毒魔法士のラミラたちならば、彼と結婚できるのでは――と嫉妬しかけたが、彼女はあっさり否定する。


「いいえ、触った瞬間、手の先から腐り落ちます。それはもう一瞬で」

「……本当に? 一般人と同じなの?」

「はい、我々の解毒速度では到底あの方にはかないません。一瞬で侵蝕に負けますので、やはりすべて弾くリナミリヤ様のような高位の防御魔法士だけがあの方に触れられるかと――昨日、お二人が手を握り合っていらっしゃるのを拝見して感動しました。裏で泣いた使用人もいるほどです」

「そ、そう……」


 真顔で言うので、本当なのか少し大げさに言ってくれたのかはわからないが、とりあえず接触実験は続けた方がよさそうだ。


 ともかく、使用人たちが二人の接触を喜んでいて、ラミラもガスマスクの嘘を教えてくれたのなら、少なくとも使用人たちにとってリナは厄介者扱いではなさそうだ。良かったなぁ、と思っていると、


「ところでリナミリヤ様も、閣下に嘘をついていらっしゃいますよね?」

「え!?」


 とんでもない爆弾が投げられた。




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