49_怒り②
会場でリナは倒れそうな思いで、シルビオの隣に立っていた。
着飾った紳士淑女が華やかなシャンデリアの下で楽しそうに歓談している。
もしシルビオが好きなタイミングで、エドガルドの中の『弱体化の薬』を操れるのだとしたら――エドガルドの弱体化の薬の中に満たされているのは、シルビオの光属性の魔力のはずだ――どこまで操作できるのか、リナには見当もつかない。
(どうすればいいの)
考えても、リナの防御魔法では、会場の全員を守って回ることなど不可能だ。
いっそ叫べばいいのか。光の公爵家が、みなさんを殺そうとしています、と。
そんな馬鹿なことができるわけがない。
リナでさえ、まだ疑っている。本気でそんな惨事を引き起こすのか、と。エドガルドがいなくなれば五大選定公の一席が空き、光の公爵家はそこに自分の派閥の人間を座らせることができる。そしてシルビオは恋敵がいなくなる。
だが、そのために人を死なせる選択肢を、本当に取るものか、と。
(いえ、最悪の状況を考えて動かなければならないわ)
良心を取り戻してほしいと願っても意味は無い。
(エドが、毒魔法を暴走しないためには――?)
思い浮かんだのは、単純で、そしてリナにとって都合のいい方法だった。
――たとえ、他の貴族に、どんな目で見られようと。
どんな嘲笑を受けようとも、構わない。
だから、リナはシルビオの隣から駆け出した。
周囲が、走り出したリナに驚愕の視線を向ける。令嬢らしからぬ、走る姿に嫌悪を向ける者もいた。だが、なりふりなど構っていられない。シルビオが真意に気づく前に、エドガルドの元に辿り着かなければならなかった。
エドガルドは、目を見開いたまま、自分に向かってくるリナを見ていた。
(あと少し――)
シルビオが事を起こす前に、エドガルドのそばに行かなければならない。
飛びつきに向かうようなリナの勢いに、エドガルドは一瞬だけ戸惑い――すぐに彼の方からも走り出した。
「リナ」
願うよりも早く、彼はリナを受け止め、リナはその腕の中に飛び込んだ。
驚いたように、彼は短くリナの名前を呼ぶ。その顔をまっすぐに見つめてリナは言った。
「今夜は私のそばから離れないで」
祈るようなリナの言葉に、彼はちいさく息を呑んだ。
この方法しか浮かばなかった。
惨事を防ぐには、リナが絶対にエドガルドから離れなければいい――それがリナが出した結論だった。
シルビオの言葉を信じるなら、シルビオはリナのことが好きなはずだ。
だから、リナがエドガルドのそばにいる間、毒魔法が暴走してリナが死んだら困るはずだ。
リナは今、弱体化の薬を飲んでいる。弱い防御魔法では、エドガルドの暴走した毒魔法から自分の身を守り切れるかわからない。ましてや、一番近くにいて絶対に離れなければ、最も被害を受けるのはリナになる。
シルビオが本当にリナのことが好きなら、リナが死ぬような真似はしないはずだ。
「お願い、ずっと私のそばにいて」
シルビオがエドガルドの『暴走』を諦めるまで。
薬の効果が切れるまで。
――もし、薬の持続効果にまで細工がされていたのなら、一生、彼のそばを離れない。シルビオの悪意が届かないほど遠くへ逃げたっていい。
エドガルドはリナのその振る舞いを拒絶するかもしれない。あらゆる人々から侮蔑されるかもしれない。それでも絶対に離れない。そう決めた。
「ごめんなさい、エド。どうかそばにいて。それしか方法がみつからなかったの。ごめんなさい」
泣きそうなリナを見て、状況がわからないであろうエドガルドは――怒気を見せた。怖くてもっと目頭が熱くなりそうだったが、リナに怒ったわけではないことはすぐにわかった。
「――君にそんな顔をさせるやつは誰だ」
リナの震える手をエドガルドが強く握り、引き寄せる。
守るようにリナに寄り添った。
「大丈夫だ、リナ。必ず俺が守る。俺に話せることか?」
説明をしようとした。だが、どうしてか、言葉が出てこない。
まさか兄との魔法契約書のせいだろうか。兄たちの企みをエドガルドに話せない制約に、これも含まれていたのか、と愕然とした。
「リナ、どうしたの、走ったら危ないよ」
シルビオが背後から追いついてきた。
びくりとリナの肩が跳ね、それを見てエドガルドがまた怒りを見せる。
「……シルビオ殿、リナに何を?」
「人聞きが悪いよ」
シルビオはいつもどおり、柔和な表情でエドガルドに微笑みかけるだけだ。
「リナの顔は蒼白だ。何かを恐れている。あなたが原因か?」
シルビオは答えない。
必死に話そうにも言葉が出てこないリナに、エドガルドは囁いた。
「リナ、前にも言ったが、俺は君のためならばすべてを敵に回してもいい。他の何よりも君一人を選ぶ。だから安心して俺を信じてくれ」
「エド……」
願うように、ぎゅっと彼の服を掴んで、彼を見上げた。
「ごめんなさい、私、防げなかった。――でも、絶対に、守り通すから、終わるまでそばにいてくれる? ……たとえ二人で逃げることになっても、いつ終わるかわからなくても、どこまで逃げることになっても、ずっとそばにいてくれる?」
不安に揺れるリナの瞳を、まっすぐにエドガルドが見つめ返した。
「ああ、そばにいる。この世の果てへ行こうとも、百年掛かろうとも、ずっと君のそばにいる」
――ああ、これでもう大丈夫だ、と安堵が心から湧き上がった。
エドガルドの言葉なら信じられる。
絶対に、この人を守り切ろうと思った。
間近で見つめあう二人に、周囲がざわめき始めていた。リナはエドガルドに駆け寄ったし、エドガルドがリナに向ける熱い視線は、まるでエドガルドがシルビオから婚約者を奪う横恋慕をしているように見えるだろう。彼の名誉を傷つけないためにリナは少しだけ距離を取ろうとしたが、エドガルドはそれを止め――まるでシルビオから庇って、リナを自分の中へ囲い込むようにした。
「俺のそばを離れないでくれ」
その強い瞳。――ずっとこれが欲しかったのだと、こんな時なのに思ってしまった。
感傷に浸っている場合ではない、と視線を正面に向ければ、シルビオが傷ついたような顔をしている。
「もう仕方ないか。少し早いけれど……もっと盛り上がったところで、悲劇が起きた方が効果的なのにね。――リナ、君はちゃんと、自分を防御魔法で守るんだよ?」
周囲の貴族には聞こえぬよう、リナたちだけに聞こえるように囁かれたシルビオの言葉に、はっとする。
このまま決行しようというのだ。
「待って、やめて――」
シルビオは聞かずに、エドガルドに向かって微笑んだ。
「さようなら、猛毒公爵」




