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48_怒り①



 夜会の当日になった。

 これから彼の実家である光の公爵家の屋敷に向かう。


 着飾ったリナを見て、シルビオは嬉しそうにした。

 シルビオの横に立つにふさわしい姿になるように細心の注意を払い、屋敷の使用人たちにも存分にその腕を振るってもらって着飾った。


「とても綺麗だよ」

「ありがとうございます……シルビオ様も素敵です」


 お揃いの淡い水色の正装。光の公爵家の者と、その伴侶にふさわしい。――リナがエドガルドと居るときには着られない色だ。


 それからシルビオに『弱体化の薬』を渡された。


「自信が無くてごめんね。手を繋ぐだけでも弾く可能性があるから、飲んでくれるかな」

「もちろん飲みます」


 もし今日の夜会で――彼の実家である公爵家主催の夜会で、大勢の前で彼を弾くところなど見せてしまえば、彼にまたつらい思いをさせてしまう。弾く理由が無意識な恋心のせいだとは皆知らないため、いつもどおりにリナの強すぎる防御魔法のせいだと思ってはくれるだろうが、喜ばしい夜会に騒がれるような要素は持ち込みたくはない。彼の両親も悲しむだろう。


 差し出された弱体化の薬は、やはり黒鈍色の粒で――クッキーに混ぜられていた時よりも大きくなっていた。


「今日は食べやすさを気にしなくていいから、大きめになったよ」

「なるほど……」


 リナは水の入ったコップを渡され、その丸薬をごくりと飲み込んだ。


「どうかな?」

「なんとなく、効いているような……」

「早いね」


 今回は飲んだ自覚があるせいか、すでに身体の違和感が気になってきた。


「それじゃあ行こうか。両親に君を伴侶として紹介できるのが楽しみだよ。それに、君は彼とキスができるといいね」


 さらりと言われて、リナは笑顔を作るのに失敗した。


「……本当に今夜、エドは来るんですか?」

「うん、君のお兄さんが補助をするって聞いてるから、何もなければ来るはずだよ。だから絶対にキスをしておいで」

「無理だと思います……」


 シルビオは本気でリナとエドガルドがキスすることを推奨しているようだ。『エドガルドとキスができたらシルビオと結婚する』という魔法契約書にサインをしたが、まさか本当にそれ経由で結婚する気がいるのだろうか。


「大丈夫。失敗したっていいんだ。拒まれたとしても、それがつらければ初恋の未練もいずれ終わるよ」

「…………」


 それはかなり悲しい終わり方じゃないだろうか。


「リナが傷つくのは僕にとっても悲しいことだけれど、でも猛毒公爵は君とキスするか、拒むか、どちらかだから。どちらにせよ、君の恋は終わっていくよね? だから今夜挑戦した方がいいと思うんだ」


 それはリナにしっかり失恋してほしいということだろうか。

 ちょっと困ってシルビオを見つめてしまうと、彼は優しい笑みを返す。


「それにね、少し意地悪なことを言うけれど、彼に無理やりでもキスができたら、君は罪悪感でやっぱり猛毒公爵との恋を諦めるんじゃないかなって思ったんだ――君は優しいから。きっとその恋は終わると思うよ」


 どうして、とただ見つめることしかできない。

 今日のシルビオは、残酷なことを言っているように思える。


「だって終わらせたいでしょう? 僕も終わらせてほしい」


 僕たちの望みは同じだよ、と囁かれた。


 リナだって、この恋を終わらせたい。

 けれど――どんな形でもいいわけじゃない。


「……確かに終わらせたいです。いっそ無理にでもキスを、と自分でも思ったことはあります」

「そうでしょう?」

「でも、やっぱりエドが望んでいないことはできません。だって、エドには幸せでいてほしいから」


 無理やりキスをしたって、それでエドガルドを傷つけてしまうなら、やっぱりやりたくない。彼だって本当に好きな人とだけキスをしたいだろうし、リナの方から奪ったとしても自分自身のことを責めて「すまない」と言いそうな性格だ。そんな思いをしてほしくない。

 エドガルドの幸福が一番だ。


 リナの言葉に、シルビオは珍しく黙り込み――それから、やがて言った。


「……そんなに、そんなに大切?」

「はい」

「君自身の幸せよりも? 僕との未来よりも?」

「……シルビオ様と比べているわけではありません。エドとのキスが無くても、シルビオ様と幸せな夫婦になれるように頑張ります」


 比べたつもりはない。けれど、シルビオからすればそういうふうに聞こえるのだろうか。「でも」とシルビオは何かを言いたそうにした。


「君は、きっと頑張ってくれると思う。でも君の本心は――」


 そこで彼の言葉は途切れて、ふいに別のことを言った。


「そうか、じゃあ仕方ない。君に嫌われそうだから、本当はやりたくなかったんだけど、別の方法で終わらせようか。中途半端に、いつまでもいるから恋が消えないんだよね。準備しておいて良かったな」

「え……?」

「もう二度と会えなくなれば、さすがに諦めがつくよね」


 リナではなく床を見ながら彼はひとりごとのように呟いた。

 何を言っているのだろう、とリナは困惑する。


「二度と会えなくするなんて――それだと、まるで、エドを殺すみたいじゃありませんか」


 リナが少し強張った声で言うと、


「殺すだなんて、しないよ。そうしたら僕が捕まってしまうもの」


 虫も殺せないような顔で微笑んで、「君と暮らせなくなるようなことはしないよ」と否定した。


「じゃあ、一体何を……?」


 エドガルドを殺さず、二度と会えなくする方法とは何だろう。


(――まさか)


 たとえば弱体化の薬の効果を過剰にし、彼が動けないほど常に憔悴させた生活を送らせる。もしくは、その逆――薬の効果を弱らせる。

 もしも、社会的に殺そうとするならば、エドガルドの失態を望むのなら、一瞬ですべてを終わらせる方法がある。

 ――彼に毒魔法を暴走させ、人を殺させる。

 彼は二度と、人前に出ることはないだろう。


「今日の、エドが飲むはずの弱体化の薬……何か細工をしたんですか?」

「リナは察しがいいね」


 『今日の』という部分を否定しなかった。だとすれば今夜のエドガルドの薬には問題があるということだ。次第に憔悴させるのではなく、今夜、何かが起こる。


「今すぐやめさせてください」


 リナの兄も共犯なのだろう。兄たちがエドガルドを利用しないように、リナは兄との魔法契約書にもサインしたのに。


(――どうして防げなかったの)


 エドガルドが本当に毒魔法を暴走させてしまったら、彼は招待客を傷つけてしまうかもしれない。最悪の場合、死人が出る。


(そんなこと、させない)


 怒りが湧いて噴き出すように魔力が満ちる。身体の奥にある弱体化の薬を押し戻すように、全身から魔力が溢れそうだった。


「……僕と戦うの? 防御魔法で、どうやって?」


 シルビオが静かに問うてくる。

 怒りのまま戦っても意味はない。――エドガルドは、もう薬を飲んでしまっただろうか。まだ間に合うだろうか。

 リナは玄関扉へ向かう。


「一人でどこへ行くの?」

「エドのところへ」

「もう遅いよ。前日から調節してるから」


 リナの足はぴたりと止まる。シルビオが平然と言うのが許せなかった。


「どうしてそんなことをするんですか。家の利益のため? 敵対派閥だからってここまでしなければいけないんですか? そこまでエドのことが嫌いなんですか?」

「うん、大嫌い」


 あっさりとシルビオは言った。そう答えられるとは思っていなくて、リナは虚を突かれる。

 この、春の日差しのような穏やかな人が、誰かを大嫌いだと言うなんて、今まで思いもしなかった。


「でもシルビオ様は……嫌いだからってそんなことを平気でするような人ではなかったはずです」


 一年前、半年間は夫婦だった。リナが見てきたシルビオは、誰かを傷つけたがるような人ではなかった。

 困惑したまま見つめるリナに、シルビオは寂しそうに微笑んだ。


「今まではする必要がなかったからだよ。……優しい人のふりをしても、欲しいものは手に入らなかったんだもの」

「え?」


 後半は小声で、うまく聞き取れなかった。シルビオはただまっすぐにリナを見つめ返す。


「本当は君と離婚したくなかった。でも君を苦しめたくないし、君は優しい人が好きだろうから、きっと君に好かれるためには離れなきゃいけないって思って別れたんだ。優しい人ならきっとこうするだろうって思ったから行動したんだ。頑張って、自分の望みとは逆のことをした。――でもそれで君が他の人と結婚してしまうんじゃ意味がないよ。君が他の人を見ているままじゃ、優しい人のふりなんて、意味がないんだ」


 シルビオの言葉には、彼の決意のようなものが感じられた。彼も悩み、そしてもう結論を出したのだと思った。


「私が好きだから、エドのことが嫌いなんですか」

「そうだよ。それ以外に理由なんてないよ」


 ここまでシルビオを苦しませていたのか、と改めてリナは驚く。


「……シルビオ様は、離婚の時には心に嘘を吐いたのかもしれません。でも、それ以外も全部嘘だとは思いません。自然体でも、優しい人です」


 リナは、シルビオに歩み寄って手を取り、優しく包み込んだ。どうか自暴自棄になったりしないでほしい、と。荒んだような道を選ばないでほしい、と祈りを込めた。


「私はシルビオ様と結婚します。だから、私との結婚のために、ひどい道を選んだりしないでください。今まで苦しませてごめんなさい。私のために悪いことをしないでください」


 シルビオは、眩しいものを見たように目を細めた。


「君のためじゃないよ。今夜のことは、僕がやりたいからやるんだ」

「シルビオ様……」

「猛毒公爵を見られるのは今日で最後になるよ。キスがしたいなら今日しておいで」

「どうして、どうしてそんな――取り返しのつかないことを、本当にやるんですか。エドの毒魔法で誰かが死んでしまうかもしれないのに」

「うん」


 シルビオの表情は穏やかだった。少しも揺らいだ様子が無い。


「今すぐ結婚します。だから、やめてください」


 こうなるとわかっていたら、『キスができたら』なんて魔法契約書じゃなくて、結婚のための誓約書にサインをしていた。もっと早くにそうするべきだった。


「シルビオ様と今すぐ結婚します。『キスができたら』だの初恋の未練だのと、難しいことは考えなくていいんです」

「急にどうしたの? それに、結婚式では誓いのキスをしたいって言ったらどうするの?」

「結婚します。キスもします」

「できるかな。また君は泣いてしまうかもしれないよ。本当は好きな人がいるんです、ってまたきっと泣いてしまうよ。……君は結構、泣き虫なんだから」

「……もう泣きません」


 薬さえ飲めば、もう無意識に防御魔法で弾くことはないのだから、あとはリナの気持ち次第だ。キスはもう不可能なことではない。一瞬だけ、この胸の痛みを無視できれば、それだけでキスができる。


「だからどうか、エドにひどいことをさせないでください。この先もずっと、エドを利用しないでください。シルビオ様だけじゃなくて、光の公爵家の他の方も、弱体化の薬でエドに悪いことをしないでほしいんです」

「それは約束できないよ」


 シルビオは苦笑する。まるで子どもの我儘を聞いたような態度だった。


「光の公爵家としても、猛毒公爵家には潰れてもらった方が嬉しいから。今夜僕が起こすことは、父たちも了承しているよ」


 リナは絶句した。


(どうすればいいの……?)


 防御魔法でどうにかしたくても、リナはもう弱体化の薬を飲んでしまっている。もしエドガルドがS級の毒魔法を暴走させてしまったら、彼をコーティングしようとしても防御魔法の質が足りず、周囲への毒魔法の影響を防げない。きっと死人が出てしまう。そしてエドガルドは大罪人として裁かれる。


 光の公爵家に気づかれずに、他の招待客を逃がすことはできるだろうか。何十人もいる人々を、リナが逃がし始めれば、必ずシルビオに気づかれる。ならばエドガルド一人を舞踏会場から遠ざけるしかないが、リナの兄が、シルビオの共犯者としてエドガルドのそばを離れないだろう。リナの思惑はシルビオにすぐバレるに違いない。


「リナ、そんなつらそうな顔をしないで。リナには笑っていてほしいんだ。……本当は、猛毒公爵のことは後で知らせようと思っていたんだ。キスができて、初恋の未練が断ち切れて、リナが退室したあとに猛毒公爵の暴走が起きるようにしようと思ったんだ。リナが現場を見なくて済むように。それに、防御魔法士の君がいるのに惨事が起きたら君の責任になってしまうからね」

「兄は――」

「僕の家が守るよ。たとえ駄目でも、君がいれば侯爵家は保てるでしょう? 君が当主になる近道になるかもしれないね」


 平然と、リナにとって良いことのように言う。

 兄はエドガルドを飼い殺しにしたいと言っていたのに光の公爵家はすぐに潰すつもりでいる。その時点でもう兄の考えは反映されていない。いつも上の者に逆らえないのが貴族の仕組みだ。兄のことなど無視して光の公爵家は進めているのだろう。あの兄も、公爵家にとっては駒でしかない。


(……私が間違っていたわ)


 弱体化の薬になど任せてはいけなかった。兄たちに、エドガルドを任せてはいけなかった。


(退かなければよかった。もっと居座ればよかった)


 絶対にリナ自身の力で、エドガルドを助けるのだと揺るがなければよかった。


 だから絶対に阻止しなければならない。たとえ、リナの何を犠牲にしても。




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