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44/59

44_秘策①



 ――この夜会の二日前、リナはシルビオの馬車で、シルビオが持っている屋敷に到着した。


 いずれ次男の彼が爵位を譲られるかもしれない伯爵家の屋敷だろう。

 シルビオは屋敷の前に立つと、「ちいさな屋敷でしょう?」と謙遜したが、十分広くて立派な屋敷だった。屋敷の中は白色を基調として、調度品もシンプルだが上品に揃えられており、屋敷の使用人たちの洗練された立ち振る舞いは、一目見るだけで本家の公爵邸で立派な教育を受けたのだろうと察せられた。


(気が抜けないわ……)


 リナの庶民っぷりを見せてしまえば、きっと仰天させてしまうだろう。そして伴侶となるリナのそんな振る舞いは、シルビオへの評価に影響を及ぼしてしまう。


「緊張しなくていいからね」


 見抜いたようにシルビオが小声で囁き、微笑んでくれる。


(優しい人だわ……)


 こんな素晴らしい人がリナと再婚してくれるなんて、本当にありがたいことだ。


 屋敷に入ると、「疲れただろうから」と、お茶とお菓子を用意してもらえた。ケーキスタンドに乗った一口サイズのケーキ、プチシュークリーム、そして大皿にこんもりと盛られたクッキーは様々な種類が取り揃えられていて、花畑のような花束といい、『たくさん用意しておいて、その中にどれか気に入るものがあったらいいな』というのが最近のシルビオの気遣いの仕方なのかもしれない、とリナは思った。


(珍しいクッキーもあるわ……)


 なんとなく最初に手に取ったクッキーは、バジル入りの塩味のクッキーだった。甘くないクッキーもおいしいんだな、と、つい笑顔になる。


「リナはいつもすぐにその場で食べてくれて、笑顔を見せてくれるから嬉しいよ」


 どんどん食べてね、と言われるので、期待に応えるべく全部食べようとリナは思った。


(こっちの黒いのは……セサミクッキーかしら?)


 黒胡麻(ごま)にしては少し大きい黒鈍色の粒がたくさん練り込まれたクッキーもあった。どんな味だろう、と一口食べようとすれば――


 がち、と歯が止まる。


(か、かたい……)


 この黒い粒が、やたらと固い。力を込めても噛み切れる気がしない。どうしたものかとそのまま固まっているリナを見て、異変に気が付いたのか、


「ああ、ごめんね、口に合わないものがあった? 残していいよ」


 と、正面に座るシルビオが声を掛けてくる。


「いえ」


 食べ物を残すなんて、リナにそのような選択肢は無い。

 噛めないのなら噛まなければいい、とそのまま全部飲み込んだ。


 豪快な食べっぷりだねぇ、と言いたげにシルビオはいつもどおり嬉しそうにリナを見ている。


「ちなみに、このクッキーは……?」

「僕が作ったんだよ」

「え、シルビオ様が」


 この物体が何なのか聞きたかったのだが、まずシルビオの手作りであることに驚いた。


「最近練習し始めたばかりだから、おいしくなかったらごめんね」

「とてもおいしいです! ちなみに、この黒い粒は……?」

「隠し味だよ」


(内緒ってこと……?)


 生地自体は胡麻(ごま)の味であるし、大きい粒以外の細かい黒い部分は黒胡麻だろうから、一応セサミクッキーだろうか。

 まあ食べられないものは入れないだろう、と思いつつ、それ以降は他の味のクッキーをつまんだ。



       ◇◇◇



 屋敷の中を案内してもらったあと、なんとなく体がだるい気がした。顔色に出ていたのだろうか、シルビオも「部屋で休んだ方がいいかな?」と言う。


「今日は移動で疲れたでしょう? ゆっくりするといいよ。部屋まで送るね」


 手を差し出されたので、そっと手を握る。

 弾かれずに触れ合えたことに、シルビオは嬉しそうにした。

 彼と手を触れ合うのも、もう当たり前になっている。普通の大人同士は夫婦といえども、そう頻繁に手を繋がない気もするが、リナの場合は『接触できるか』という確認をこまめにするためにも、これからこれが普通になるのだろう。


 手を繋いだまま、てくてくと二人で廊下を歩く。


「こんな時に言うのもなんだけどね、僕は在学中からずっと君を見ていたんだ」

「え?」


 リナが彼を見上げると、彼は気恥ずかしそうにした。


「君のことを遠くから見ていた、ってことは先日言ったと思うけれど……エドガルド様と過ごしているのを知っていたんだ。ずっと君が好きだったから――夫婦生活中、言えなかったんだ。……君が本当は、気持ちの問題で、僕を弾いてるんじゃないかって」

「え……」


 その言葉にどきりとした。彼が最初の結婚生活中にそう考えていたことは知っていたが、リナに直接言ってきたのは初めてだ。

 シルビオは遠くに視線を向ける。


「苦しくて言えなかったんだ。それに、僕が君を好きだって知ったら、余計に困らせてしまうかもしれないと思ってね。ただでさえ君は僕を弾くたびに申し訳なさそうにしていたから……僕の気持ちを知ったら、余計に僕を心配して、苦しくなるんじゃないかって思ったんだ」


 たしかに、好意を寄せてくれる相手だとわかっていて弾き続けるとなると、余計に罪悪感が増していただろう。リナを困らせないように言わないでいてくれたのだ。


(というか、もしかして、私がずっとエドを好きだったってバレてる……?)


 不安になってシルビオを見つめて固まってしまうが、シルビオはいつもどおり、春の日差しのように柔らかく微笑んでいるだけだった。


「でも、また僕の元に帰ってきてくれたね。――最初の結婚とは違う。こうして触れられるようにもなった」


 繋いだ手を、彼は優しく揺らす。

「はい」とリナは頷いた。


 無意識に弾かないことは良いことだ。

 一年前のシルビオとの最初の結婚式まで、誰も弾かずに暮らしていた。ようやく以前の自分に戻れたのだ。エドガルドと手を繋ぐことに慣れたから、シルビオとも意識しすぎずに手を触れ合えるようになったのだろう。


(なのに、どうしてこんなに不安なのかしら)


 先ほどから、身体の奥からざわつくような動悸がしていた。





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