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41_気が早い人②



「そういうわけでお父様、お兄様。シルビオ様と再婚することになりそうよ」


 帰る前に執務室に顔を出すと、父は途端に「素晴らしい!」と声を上げた。


「リナミリヤ、よくやった! それがいい! 猛毒公爵にお前はもったいないと言っていただろう!? ようやく父の気持ちをわかってくれたか!」

「エドの悪口言うのやめてよクソお父様。お父様にクソほど見る目がないだけよ」

「悪い言葉を使うのはやめなさい!」


 父はいつもどおり嘆いていた。


 兄はそのやりとりを冷めた目で見ていたが、リナが兄の方を窺うと感想を言った。


「見下げ果てた愚か者だな。イラディエル公爵と三ヶ月暮らすのではなかったのか」

「……初志貫徹してなくて悪かったわね」

「お前の飼い主はあちらでいいのか」

「飼い主って何よ」


 相変わらず、リナを対等な人間扱いしない兄である。

 リナが睨みつけると、兄は妙なことを言った。


「お前は気が強いから自分が傷つける側だと思っているだろう」

「……? そりゃそうでしょう」


 何の話だろう、とリナは思った。


「だからお前は愚か者なのだ。シルビオ様はお前に傷つけられるような人ではない。仮にも公爵家の人間だ。お前とは比べるべくもない教育を幼少から受けている」

「いえ、教育が立派でも傷付きにくくはならないでしょう。夫婦だった半年間、とても苦しんでいらしたし、今も傷つきながらも私と結婚してくれようとしているのよ。それが演技だっていうの?」

「いや、あの方は演技などしない」

「じゃあ実際に傷付いているんじゃないの。何が言いたいのよ」


 リナの強い視線にも、兄は静かに無表情を返す。


「お前の方からあの方に合わせる必要はほぼない。あちらに合わせ始めたらお前のペースは総崩れになるぞ。お前は好き勝手に動き回り、時々『散歩コースはこっちだぞ』と引っ張られるくらいがちょうどいい」

「なんで人間扱いしてないのよ!」


 どいつもこいつも、リナを犬だと思っている。


「自分のペースが崩れるくらい良いわよ! 結婚ってそういうものでしょ? むしろ最初の結婚で私がシルビオ様のペースを酷いほど崩しまくったのよ!?」

「それに、お前の好きな相手と性格が真逆だが、それはいいのか?」

「!」


 いきなりエドガルドの話をされて心臓が跳ねる。

 父からの視線が痛い。「好きな相手がいるのか!?」と驚いているようだ。それを見ないようにして、リナは兄を睨む。


「べ、べつに、初恋相手と似た人を探してるわけじゃないわ! 余計なお世話よ!」


 それにエドガルドもシルビオも穏やかで優しい。真逆だなんてことはない。


「そうか。まあ、イラディエル公爵とシルビオ様、どちらを選んでもお前の手綱をよく握れそうな男だから、お前の好きな方を選ぶといい。正直、猫を被ったお前とシルビオ様の相性は最悪だと思っているが」

「何の話よ……」

「何度もうろちょろと戻ってこられては目障りだから、次の結婚でこそ決めろ、と言っている」

「本当に余計なことしか言わないわね!」


 リナは勢いよく退室した。



       ◇◇◇



「そういうわけだから、三日後までに引っ越さないといけないの」


 エドガルドの屋敷に戻って、荷造りをする旨を話すと、

「君はいきなり来ていきなり帰るんだな……」

 と、困惑するような顔をされた。


「振り回してごめんなさい……」

「幸せになれそうか?」

「それは――まあ、そうなるように頑張るわ」

「そうか」


 エドガルドは神妙な顔で頷いた。


「俺はシルビオ殿をよく知らないが、君がその目で見て、再婚相手として選んだ相手だ。きっと君を大切にしてくれる人なのだろう」

「うん、私にはもったいないほどの人よ」


 リナが言うと、彼は安心したように微笑み――それから、ふと暗い顔をする。


「だがもしも何かあれば――君一人で解決するには難しいこともあるだろう。立場的にも、相手は公爵家の者だ。君は優秀で勇敢だが、弱い立場になることもあるかもしれない」


 彼は静かに、しかし、強い瞳でリナを見ていた。


「いざという時、俺は必ず君の力になる。俺は――自分で言うのもなんだが、選定公の一席でもあるし、S級以上の毒魔法を使えば、ありとあらゆる魔道具を貫通して、すべての人間に攻撃できる。そうなれば、この地上で最後に立っていられるのは俺と君だけになるだろう」

「さらっと怖いこと言わないでよ!」


 それほどまでに、『やろうと思えばどうにかなる』という意味だろうが、冗談にしては過激すぎる。


「つまり、いざとなればすべてを敵に回しても君一人を選ぶ。たとえ君が嘘をついていようと、君にどれほどの落ち度があろうと、絶対に君の味方をする。それだけは覚えておいてくれ」

「…………」


 なんて恐ろしく、熱烈な宣言だろうか。

 リナは思わず彼を見つめて固まってしまったが、エドガルドは冗談だと訂正することもなく、ただリナを見つめ返していた。


「……お、大げさよ、エド。私が悪者の場合は味方しちゃ駄目でしょう?」

「君は嘘をついたりミスをすることはあっても、悪事をすることはないと信じている」

「……学生時代の友情のために世界を敵に回したりする?」

「友情、か」


 彼は苦笑し、リナから視線を外した。


(え、まさか友達じゃないとか!?)


 学生時代の日々の親愛が、エドガルドにとっても偽物ではなかったとは思っているが、恋でも友情でもなかったら――それこそ犬猫を構っていた感覚だろうか。


「い、妹のように思ってたとか……?」

「まあそんなところだ」


 妹ならば、まあいいか、と思うことにした。本当は『好きな相手』として見てほしかったけれど。


「ねえ、本当にキスとかするのって駄目?」

「また媚薬が……ガスマスクを着けるんだ、リナ」


 すぐに警戒する顔をされた。


「媚薬効果なんてないってば!」

「いや。媚薬が効いている。あとで正気に戻った時に後悔するぞ」

「正気だってば! ……ねえ、本当に駄目?」


 リナがあまりに食い下がるので、彼はしばらく悩んだ末に、

「……俺は記憶を失う毒も作れる」

 と、言った。


「?」

「キスをするなら、記憶を消す。そういう条件なら、考えなくもない」


 彼の提案に、リナは困惑する。


「エド、私とキスをしたら記憶を消したいってこと……? 覚えていたくないほど嫌なの?」

「いや、俺ではなく、君の記憶を消すんだ」

「なんで!?」

「正気に戻ったときにつらいかもしれない」


 彼はリナを心配しすぎだ。


「そうならないし! 覚えていられなかったら意味ないの!」

「……いや、やはり駄目だな。無かったことにしてくれ。すまない、俺しか得をしない卑怯な提案だった」


(え、得をするの!?)


 たとえ片思い相手のカタリナ嬢でなくとも、ラッキーくらいに思うのだろうか。彼にとってもキスが嫌じゃないなら嬉しい。


「わかったわ、その忘れる薬とやらは、あとで飲みたくなったら飲むから! 後悔しそうになったら飲むから! 渡しといて、判断は私に任せてよ」

「記憶を消す薬は、キスの直前に飲むべきだ。記憶を保持した後で、改めて飲むのは並大抵の覚悟では決められないだろう」

「どうしても消したいほどだったら飲むでしょう。飲まないなら平気ってことよ」

「人間はそこまで極端には生きられない」

「私の心配はもういいから!」


 彼は悩ましげに眉を顰める。


「後悔するに決まっている。……君は頑張りすぎる。追い返そうとすればムキになるし、俺の心配を聞いてくれない。だから薬を預けたりしない。俺の前で飲んでもらう」

「…………」


 よほど信用されていないようだった。


「ちなみに忘れる条件なら、キス以上のこととかもしてくれる? どこまであり?」

「…………」


 彼は頭痛を堪えるように額に手を当てた。


「リナ、魔法の制御のために身体を犠牲にするようでは本末転倒だ。魔法に振り回されてはいけない。君ならば焦らずに何年か修行すれば、必ず制御できるようになるだろう」


 心因性だからなぁ、とは言えずに、「犠牲になんてしてないわ」とリナは否定する。だが、彼は聞かなかった。


「それに、たとえ君の防御魔法が暴走したままだとしても、君は君のままで素晴らしい。だからもっと自分を大切にしてくれ。持っていた能力を失おうと、それ以外の何かを、事故や病で失ってしまおうと、君の心の底にある真の素晴らしさは損なわれない」


 まっすぐにそう言われた。

 きっとリナがすべて失っても――魔法も家柄も容姿も、すべて失ってぼろぼろになっても、この人だけは変わらないのだろう。口先だけではない、本気の親愛だ。

 こんなにも素晴らしい人に出会えたことは、リナにとって一番の幸運だろう。その反面、どうしてこの人と添い遂げられないのだろうと苦しくなる。


「……エドのわからずや」


 リナは彼を見ていられずに、そっぽを向く。


「ねぇ、エド。私がシルビオ様と結婚して……それでも、何年も、何年も経っても、やっぱり媚薬のせいでエドのことが好きなままだったら――責任とって結婚してくれる?」


 エドガルドは目を丸くした。そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。

 それから、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「治療する。どんな手を使っても、君を、戻す」


 彼らしい、予想通りの答えだった。


「……でも、十年経っても二十年経っても、エドのことが好きで、エドと一緒じゃないとやっぱり幸せじゃないって思い続けてしまったら――十年経っても苦しくて、次の十年も苦しいのは嫌だって言ったら、そのときは助けてくれる?」


 (すが)るように彼を見てしまう。彼は、リナをまっすぐに見つめ返した。


「……そのときは、君を愛し、君を大切にしながら、解毒の研究を続けよう。媚薬の解毒を諦めはしないが、その間君を苦しめるのも本意ではない」

「本当?」


 その言葉が欲しかった。嬉しくて泣きそうになった。

 嘘でもそういう道があったかもしれないと思えば、心の慰めになる。思い出の一つとして持っていこう――そう思ったのも束の間、彼は衝撃的なことを言った。


「だがリナ、継続的な毒魔法というのは術者が死ねば解決するので、十年も我慢する必要はない。離れても媚薬が持続しているとわかった時点で言ってくれれば――」

「あっ、エドが死ぬのは無し! ごめん、変なことを言ったわ! もう全然エドのこと好きじゃない!」

「……そうか。……解決したのか?」


 好きじゃない、と言われて彼が少し悲しそうな顔をする。


「うん、ごめん、なんかショックで吹っ飛んだかも」

「そうか。そういうこともあるかもしれないな」


 ほっと彼が安堵の息を吐いた。


「あ、あの、好きじゃないっていうのは、もうキスしてとか言わないって意味だからね……? 学生時代から、ずっと、その……好きです」

「ありがとう。俺にとっても君は大切な存在だ」


 大切な存在、と言ってもらえるのは、嬉しいことだ。

 だけど、恋愛感情ではないから、「媚薬のせいでもいいから俺のそばにいてくれ」と言ってくれない。どんな手段を使ってもそばにいてほしい、とリナを囲い込んではくれない。

 それほど愛されてみたかった。


「……優しいだけだとモテないわよ」

「……? 俺は優しくはないし、モテる必要もない」


 彼は怪訝そうな顔をした。


「ねえ、やっぱり今夜、夜這いしてもいい?」

「駄目だ」

「……魔力測定器で私の防御魔法があなたの毒魔法より勝っているって証明できたら、媚薬なんて効いてないことがわかるわよね?」

「君はどうしてそこまで果敢に挑戦しようとするんだ……ああ、媚薬のせいだったな」


 ガスマスクを着けられそうになったので、「荷造りするから!」と言って寝室へ逃げこんだ。



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