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40/62

40_気が早い人①



 次のシルビオとの逢瀬について、また実家経由で手紙が来た。

 さすがに一時的とはいえエドガルドの妻であるリナと縁談のやりとりをするために、エドガルドの家に手紙を送るわけにはいかない。


 実家の侯爵邸でシルビオを迎えると、彼はまた豪華な花束、菓子、服飾品をたくさん持ってきた。

 とりあえずリナはクッキーを頂く。今日は兄は同席していないので、シルビオと二人きりだ。なんとなく緊張を誤魔化そうと、もぐもぐと食べていれば、正面に座るシルビオは「おいしい?」と、とても嬉しそうにしていた。


(いえ、なにも毎回頂いたものをその場で食べなくてもいいのよね……)


 しかし、紅茶と共に出せばシルビオも食べられるし、なにより彼はリナの反応をすぐ見たそうなので、ついついその場で「おいしいです!」と言いながら食べている。


「リナミリヤはすぐ食べて笑顔を見せてくれるから嬉しいよ」


 シルビオはにこにこと嬉しそうだ。

 やはりこれで合っているらしい。夫婦生活中も買ってきたらリナの反応を気にしている節があったので、贈り物はすぐ開封して、食べたり、身に着けたりしていたので、その延長でもある習慣と言えるだろう。半年の夫婦生活で積み上げた二人だけの習慣も無くはないのだな、とリナは思った。


「あの、シルビオ様」


 リナは今日の本題に入ることにした。


「この縁談は、シルビオ様にもメリットがあるのでしょうか? 今の段階では、わたくしが当主になれない可能性もあります。兄とわたくし、どちらが当主になるか決まってからシルビオ様とお話するのでも遅くはないのでは、と思いまして」

「そんなことを気にしていたの?」


 シルビオは意外そうにした。


「そうだね、最初の結婚は確かに『次期当主の婿』という大きなメリットがあったけれど……また結婚を申し込んだのはね、ただリナミリヤが好きだからだよ」


 彼はそう言って微笑んだ。

 花がほころぶような、綺麗な笑顔だ。


 大抵の乙女なら、ときめいて「まあ嬉しい」と素直に受け止めるだろうが――縁談相手となれば社交辞令と取るべきだろう。嘘を吐くような人ではないけれど、優しいからこのくらいは言うだろう。


「あれ、疑ってる?」

「う、疑ってなどおりませんとも!」


 彼が少し心配そうな顔になったので、つい反射で否定したが、リナの内心の戸惑いなど見抜いているだろう。彼は困ったように眉を下げる。


「リナミリヤ。一度は逃げちゃってごめんね。本当は好きだよ。……好きだから、つらかったんだ」


 ――嫌われているから拒まれているのかもしれない、と、結婚中彼はリナにも言えずに悩んでいた。


「つらくて逃げるのは当然です! 謝らないでください!」

「……今度は逃げないから、結婚してくれる?」


 その問いに、リナは迷う。


「でも、またつらい思いをさせてしまいます」

「大丈夫、ちゃんと待てるよ。それに、今はもう秘策があるって言ったよね」

「あ、そっか、秘策が……」


 そのようなことを言っていた気がする。


「秘策って何ですか?」

「まだ内緒。秘密だから秘策なんだよ」

「なるほど……」


 リナに教えてしまうと意味がなくなるような秘策なのかもしれない。


 どんな秘策だろう、と真剣な顔で悩んでいるリナを見て、彼はそっと目を(すが)める。


「……ねえ、リナミリヤ。結婚を躊躇(ちゅうちょ)する理由が、僕がつらい思いをするんじゃないかっていう心配だけなら……もう結婚しようか」

「え」


 唐突な言葉に、リナは戸惑う。

 彼はまっすぐにリナを――観察するように、見つめていた。


「猛毒公爵との結婚はやめて、僕の屋敷においでよ。……魔法の実験のために一緒に暮らしているんでしょう? 将来僕と結婚するための魔法実験なら、僕とやろうよ。きっと猛毒公爵は、君に侵蝕なんて使わないでしょう? そういう性格じゃないだろうし」

「よくご存知で……」

「猛毒公爵の方は、僕の家と、君の家で作る『弱体化の薬』で解決するから、もう君を手放しても困らないんじゃないかな」

「ごもっともです……」


 リナがエドガルドと『実験的結婚』を継続する理由は、傍から見れば、もう残っていない。


「だからもう離婚して、うちに引っ越しておいでよ」

「……あれ? 今度は婿にいらっしゃるのではないのですね……?」


 なぜか彼の方にリナが行く話になっている。


「あの、シルビオ様、わたくし、当主の座を兄に譲るつもりはありません」


 いざと言う時、エドガルドの力になるためにも、権力は少しでも持っていたほうがいい。


「ああ、ごめんね、わかっているよ。僕はどちらの家でもいいんだ。またここで一緒に暮らすのも楽しいよね。でも僕の公爵家でも、ちょっと君がいる暮らしを体験してみたいなって、つい気が(はや)ってしまって……もし君が当主にならなかったら、僕は父が余らせている伯爵位をもらおうと思っているんだ。ちいさいけれど領地と屋敷もあるからそこで君と暮らせたらいいなって」

「伯爵位……?」


 そういえば古くて高貴な家ともなると、爵位を複数持っている場合もあると聞いたことがある。


「あれ? じゃあ最初からうちに婿に来る必要なんてなかったのではありませんか……?」


 リナの家は侯爵ではあるが、婿と伯爵家当主本人だったら伯爵本人になる方がいいだろう。最初の結婚は何のためにしたのだろう。弱体化の薬の共同研究がしたかったとしても、リナと結婚までする必要はない。


 不思議に思ってシルビオを見つめていると、

「君が好きだって言ったでしょう? もう忘れちゃったの?」

 と、少しからかうように言われる。


(……? 最初の結婚のときは、顔も知らなかったのに?)


 リナは怪訝に思った。最初の結婚をするまで、リナは彼と話したことがなかったのだ。


(いえ、これはもう社交辞令よね! そこは揺るがないのね!)


 彼が「好きだから求婚しているんだよ」という演技をしてくれるならリナも合わせるべきだろう。試しに、「もしかして学園でわたくしをお見かけになって?」と言ってみれば、


「よくわかるね。……そう、一目惚れだったんだ」


 と、照れたように、はにかんでみせた。


(演技? 演技よね……?)


 でもあまり平然と嘘を吐ける人ではなかった気がする。少なくとも結婚中の印象では、とにかく自然体の人だった。


「……猛毒公爵は、話したことのないカタリナ嬢が好きだったらしいね」


 急に片思いの傷をえぐられて、リナは「ぐっ」と胸が痛む。


「そ、そうみたいですね……?」

「僕も同じなんだ。君に話しかけられずに、遠くからずっと見ていた。……やっぱりこれも、嘘だと思う?」

「……」


 シルビオの目には、わずかに不安が浮かんでいる。

 エドガルドがカタリナ嬢を見ていたように、シルビオも、リナを見ていたのだろうか。


「……いえ、信じます。そういう恋も、あると思います」

「よかった」


 彼は安心したように微笑んだ。


(……ということは、本当に私が好きなの?)


「あの……そうなると、まさか結婚中も……半年も、好きな人に触れないっていう苦しみを……」

「そうだねぇ」

「ぐ……っ」


 あまりの申し訳なさに、リナは呻いた。


 新婚なのに触れないで生殺し。あげく「僕は嫌われているから拒まれているんじゃないだろうか」と思わせていた人がまさか自分に恋をしていたとは――余計に酷いことをしてしまった。


「ほ、本当に、知らなかったとはいえ、苦しませてしまって――」

「謝らないでってば。でもごめんね。本当に好きだったからこそ、余計につらくて耐えきれなくて……離婚なんて、馬鹿なことをしてしまった」


 彼は、強い意思を込めた目で、自分の握った拳を見ている。


「次は結婚したら、もう二度と離婚はしないよ。そうじゃないと他の誰かと結婚されてしまうからね。しかも接触実験……妬けるなぁ」

「あ、あはは……本当に、申し訳――」

「謝らないでってば」


 リナはとりあえず笑みを作っておいた。


「でも、あの……わたくし、シルビオ様に好きになっていただく理由がわかりません。どうしてわたくしのことが好きなんですか?」

「可愛くて、一生懸命で、表情がくるくる変わるから目が離せないんだ」

「えっ」


 間髪入れずに答えられて驚いた。


「ずっと見ていたんだよ。結婚してからは――僕を見てくれて、一緒に頑張ったり、僕のことを知ろうとしてくれるから、ますます好きになっていった。もっと僕だけを見てほしかったけれど、君は本当は――」


 そこで言葉を切って、

「ううん、本当に、そばで君と過ごせるだけで嬉しいんだ」

 と、微笑んだ。


(本当に、本当に、シルビオ様に好かれているの……?)


 兄には「目障りだ」といびられ、初恋相手のエドガルドは毎日昼休みにそばにいたリナよりも、話したことのないカタリナ嬢にずっと惚れていた。そんなリナのことをずっと好きだったと言ってもらっても、すぐにはうまく受け止めきれない。


「じゃあ、あの、本当にシルビオ様はわたくしと結婚すると嬉しいのですね……?」

「そうだね、すごく嬉しいよ」


 結婚するだけで誰かを幸せにできるなんてすごいことだ。


「まだ信じられない?」


 シルビオは微笑んで、「可愛いなぁ」と呟いた。


「じゃあ、キスを試してもいいかな?」

「え!?」

「好きでもないと、キスしたいなんて言わないでしょう?」

「そ、そうかもしれません、ね……?」


 唐突に衝撃的なことを言われて、リナは一気に緊張してきた。


「あの、まだ弾いてしまうと思います」

「でも試してみたいな」

「これ以上シルビオ様の心の傷を増やすわけには……」

「だめかな?」


 寂しそうに見つめられては、リナのなけなしの良心が疼く。


(シルビオ様を傷つけないためには……ええと)


 悩んだ末に、リナは言った。


「わ、わたくしから、します」

「え? いいの?」


 リナのことが好きな彼から近づいて弾かれるのでは、あまりにも深く傷つきそうだ。それならば、まだ、リナから近づく方が良いだろう。


 彼は、とろけるような笑みを浮かべた。


「嬉しいなぁ。君からキスしてくれるなんて……すごく幸せだよ」


(き、期待されている……!)


 この純粋な笑顔を、これから防御魔法で曇らせてしまうかと思うと心が痛い。今日いきなり防御魔法を制御できるとは思えない。無意識に弾いてしまうからこそ、リナはずっと困っているのだ。


 彼のすぐそばへと近づいていくと、

「リナミリヤ……リナ。僕も、リナって呼んでもいいかな。ずっとそう呼びたかったんだ」

 と、優しい声で言われる。


「はい。どうぞリナとお呼びください」


 リナとしても、父が世間体を気にしてつけた『リナミリヤ』という名前よりも、リナという名前の方が気に入っている。亡くなった母や祖父母を除いたら、今はもうエドガルドくらいしか呼んでくれる人はいないけれど。


(あれ?)


 そこでふと疑問に思う。

 今、シルビオは『僕も呼びたかったんだ』と言ったけれど、他に呼ぶのはエドガルドだけだ。先日のパーティーで、リナとエドガルドが話しているそばにシルビオはいなかった。


(あ、学生時代に、見かけたのかしら)


 昼休みに裏庭でしかエドガルドと会ったことはなく、滅多に人も来ないし、誰かが近くに来たこともなかったが――まあ、シルビオも通りすがったことくらいはあるかもしれない。『ずっと遠くから見ていた』と言っても、近くまで来たことが無いとは言っていない。


「リナ」


 どこか緊張したように、彼が名前を呼ぶ。


「はい。シルビオ様」


 返事をすれば、嬉しそうに表情をゆるめる。

 二人で名前を呼び合って、見つめ合う――今がキスのタイミングだろう。


 どうか今日こそ、弾かれずにキスができてほしい。これ以上、彼を傷つけたくない。

 ――できてしまえば、これが初めてのキスになるけれど。


(いえ、それが何だというのよ。私の気持ちより、シルビオ様の幸せが大事だわ)


 そっと彼の肩に手を置いた。――まだ防御魔法は発動していない。


(このまま、いける――)


 顔を近づけていき、あと少しで、唇が触れ合う、というところで――  


 ばちん、と防御魔法が発動し、二人とも転びそうな勢いで弾かれた。


「リナ!」


 支えようとシルビオが手を伸ばしてくれたが、さらに魔法で弾かれ、リナはよろめきながら二歩、三歩と後退し、壁までたどり着いて、寄りかかった。


「も、申し訳ございません!!」

「謝らないで。覚悟はしていたことだから」


 彼は寂しげに眉を下げる。――新婚中、この表情を何度見ただろう。

 その罪悪感のせいで、リナは彼に対して申し訳なさが先に来てしまい、恋のときめきだのを感じる余裕がない。


「それよりも、怪我はしていない?」

「はい。シルビオ様は?」

「大丈夫だよ。……僕のために頑張ってくれてありがとう」


 彼は微笑んだ。そしてさらりと言う。


「もう結婚の準備をしようか」

「え!?」


 失敗したのに?とリナは目を丸くする。


「あ、あの、シルビオ様……? キスができたらそのとき結婚を、ってお話だったのに……今、失敗しましたよね?」

「できるよ。きっとできる。だから結婚しよう? ……僕の気持ちをもう伝えたから言うけれど、好きな人がずっと別の男の屋敷にいるのは、つらいんだ」

「な、なるほど……!」


 たしかにそれはそうだろう。


「でもわたくし、まだエド――イラディエル公爵様のもとで、やらねばならないことがありまして……」

「どんなこと?」

「……」


 初恋の未練を断ち切るために唇を奪わねばならないのです、とは言えずに黙ってしまう。


「防御魔法のことなら秘策があるから大丈夫だよ。それに――」


 彼は少し、躊躇(ためら)いながら言った。


「実はもうすぐ母の誕生日を祝うために、父が夜会を開くんだ」

「まあ、素敵。おめでとうございます」


 そういえば招待状がエドガルドのもとに来ていたはずだ。エドガルドがすぐに燃やせと言ったやつだ。


「できれば母に君を、僕の生涯の妻として紹介させてほしいんだ。母はあまり身体が丈夫な方ではなくて……安心させてあげたいんだ」

「……!」


 十四歳で母を亡くしたリナからすれば、母親に心労をかけたくない気持ちがよくわかる。リナを遺していくことを案じていた母に、「私はもう大丈夫だから心配しないで」と――リナが成人する姿を見られないであろう母に、「もう立派なレディよ」と、少しでも大人びた姿を見せて安心させたくて――それでこの侯爵家に飛び込んだようなものだ。


「その気持ち、とてもよくわかります……でも、本当にわたくしでよろしいんですか?」

「もちろんだよ。ぜひ僕の正式なパートナーとして夜会に参加してほしいんだ」

「わかりました」


 リナは力強く頷いた。


「それじゃあ、あと三日で猛毒公爵とは離縁してくれる?」

「三日!?」


 早いな、と驚いたが、なによりシルビオと、その母君の方が大事だ。


「あの、本当にわたくし、まだ防御魔法が制御できていないのですが……それでも本当によろしいんですよね……?」

「うん、大丈夫だよ」


 これだけ何度も確認して大丈夫だというのなら、これ以上シルビオを待たせるのもまずいだろう。実際に結婚して、もしシルビオの方が「もう諦めよう」と言ってきたら、そのときは離縁に応じればいいだけだ。


「では御母君のお誕生日までに準備してまいります」

「ありがとう」


 彼がそっと手を差し出す。

 恐る恐るリナも手を近づけてみれば、弾かれずに、無事に握れた。

 また彼は嬉しそうにしていた。




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