36_再婚に向けて
翌日、リナは兄に呼び出されて実家を訪れた。
「光の公爵家から手紙が来ているぞ。再婚について具体的に話が出たのか?」
兄にそう言われて、リナは気まずい思いになる。
(というか、昨日の今日で、もう手紙が……?)
兄にその用件で呼び出された時は冗談かと思ったが、兄の机に置いてある手紙を見る限り、本当に光の公爵家――元夫のシルビオが行動を起こしたらしい。
「昨晩は普通に会話をしただけで、具体的に決めたわけでは――」
と、言いかけたが、良く思い返してみれば、
『僕とキスが一回でもできたら、その時に再婚を決断してくれる?』
と、かなり具体的に条件を提案されていた気もする。
(その言葉だけ聞くと、結構すごいことを言われているような……いえ、でも、また夫婦になろうというのだから、それくらいは考えないといけないのよね)
リナが『相手を弾いてしまうのは防御魔法の暴走のせい』と嘘を吐いたせいだ。触れるかどうかを基準にするのは当然だ。
兄は手紙をリナに渡しながら、顰め面で言った。
「手を握ってくれて嬉しかったと書いてある」
「勝手に読まないでくれる!?」
「接触できているのはどういうことだ? 防御魔法はどうした?」
「……」
リナはそっと目を逸らす。
「……まあ、毎回必ず弾くってわけでもなくて、ちょうど偶然シルビオ様と触れ合えたから、なんかその流れで再婚話が出たというか……」
「……」
兄は深々と溜息を吐いた。
「お前の防御魔法の過剰反応は心因性のものだろう。それは解決したのか?」
「へ?」
「どうせ『好きな人以外には触れられたくない』とかだろう? それはもうどうでもよくなったのか?」
兄はさして興味もなさそうにそう言った。
(な、なんで知って――!?)
初恋の未練のせいで弾いてしまっているなんて、この兄には言ったことが無いのに。
「な、何の話よ。違うわよ。そんな理由で今までシルビオ様や研究員を弾いていたとでも言いたいの?」
「実際そうだろう。で、今回シルビオ様のことは弾かなかったのか?」
「……まあ、そうね、気を抜いてたから」
はあ、と呆れられた。
(いえ、本当にどうして兄にまでバレてるの!?)
ラミラに恋心を見抜かれたのは仕方がないとして、一番嫌いな兄にまでバレているのは受け入れがたい。
「昨晩せっかくイラディエル公爵と踊らなかったのに意味が無かったな」
「何? エドがどうしたの?」
首を傾げると、「お前は本当に愚かだ」と残念そうに言われる。
「噂通りの『鉄壁令嬢』ならば、イラディエル公爵と触れ合って踊れば、『どのように解決したのか』と根掘り葉掘り訊かれるのは目に見えている。だから俺は止めた。それでお前も踊らなかったわけではないのか?」
「え、エドと踊るなってそういう意味だったの? その場で言ってよ!」
「愚かだ……」
改めて兄に呆れられた。
しかし、たしかにエドガルドと踊っていたら、『今日の猛毒公爵は安全です!』という抜群のアピールになるのは間違いないが、そもそも相手が『指一本触れられない鉄壁令嬢』だと、「なんで弾かれていないの?」となってしまう。
猛毒公爵なら侵蝕でS級の防御魔法を壊し、鉄壁令嬢に触れるかもしれない、という実験的結婚のことは、他の貴族たちも知っている。
だが、毒体質を抑えている安全なはずのエドガルドが、鉄壁のリナの防御魔法を崩すことはできない。リナが防御魔法を暴走しなくなったと発表しない限り、二人が踊ると矛盾が生じてしまうのだ。
(め、めんどくさ……!)
自分が吐いた嘘が原因ではあるが、ただ好きな人と踊るのすら邪魔になる『鉄壁令嬢』の肩書きは、やはり早く返上したい。
エドガルドは毒を抑える方向に前進している。
だが、リナはそもそもスタート地点を間違ってその周辺でうろうろしているようなものだ。
その複雑な心境を見透かしたように兄が言う。
「お前は最初から間違っているぞ」
「え、急に何よ」
兄はリナと同じ水色の瞳で、見つめてくる。
「この家に来たのがそもそもの間違いだ。お前は昔から俺の目の前をうろちょろと……欲しいものは決まっているくせに、居たくもないその場に立ち続ける。目障りで邪魔だ。お前の居場所はここではない。お前は貴族社会に合っていない」
「……」
この屋敷に引き取られてから、何度言われただろうか。
「邪魔だ」「俺の道を妨げるな」「お前の居場所はここではない」と。
「うるさいわよ。出て行かないわよ」
リナは胸を張って兄を睨んだ。
「クソお兄様にとっては目障りでしょうけれど、私は侯爵令嬢だし、優秀だし、次期当主は私よ」
「当主になるのは俺だ。俺の道の前に立とうとするな。お前が本当に欲しいものは、そんなものではないだろうに。屋敷も家名も、所詮ただの入れ物だぞ」
「……」
リナが本当に欲しいもの――それは温かい家族であり、そして――
(キスしたい、なんて、言えるわけがないわ)
欲しいものはちゃんとわかっている。それが手に入るかどうかは、別として。
黙ってしまったリナを見て、兄が溜息を吐いた。
「魔法は精神に影響を受ける。心を偽れば、魔法はお前の意思を裏切る。俺を見習え。邪魔なものは邪魔だと言い、欲しいものは欲しいと言って生きているぞ」
「ただ人に気を遣わないだけのクズでしょう。正直に生きてるからって無条件で褒められてすべて許されるわけじゃないのよ」
兄はまったくリナの言葉が響いた様子もない。
「お前は嘘を吐かなければもう少し強いだろうに。その程度で天才を自称していては目も当てられない」
「何の話よ。S級に到達した時点で私は天才だし、これからも伸び続けるわよ」
まあいい、と兄は飽きたように言う。一方的に言いたいことだけ言う振る舞いは昔から変わらない。
「本題に戻すぞ。シルビオ様との『デート』だが、初回なのでこの屋敷でお茶をするだけにしておいた。俺が同席できるように」
「え、なんで兄同席のデートなのよ」
初回もなにも、一年前に結婚し、半年は夫婦としてこの屋敷で過ごした相手だ。結婚式の時は「顔も見たことがない相手と……」なんて心配もあったが、今さら配慮されても意味がない。
「なんだその顔は。二人きりが良かったのか?」
「……そういうわけでもないけれど」
気まずい相手ではある。またうっかり防御魔法で弾いてしまうと申し訳ないし、あまり話していると嘘がバレそうで緊張する。
嘘が一番バレてはいけない相手がシルビオだ。婿として迎えた相手を半年弾き続けていた理由が『好きな人ではないから』なんてひどすぎる。リナが相手の立場だったら、「政略結婚なのは最初からわかってたのに!? なんで呼んだの!?」と泣きたくなるだろう。ただでさえ迷惑をかけた相手にこれ以上心労をかけないためにも、シルビオにだけは嘘がバレてはいけない。『防御魔法の暴走』であると主張し続けなければいけない。
「俺の都合で三日後にしておいた。忘れずに来い」
「いえ、そこがわからないんだけど、本当にクソお兄様も同席するの? 何のために? まさか私が婿を迎えて当主になるのを阻止するためにそこまで?」
「お前がシルビオ様と再婚しようが、次期当主は俺だ」
「私よ」
というか嫡男の兄が戻ってきた以上、次期当主が誰になるかという問題は、仕切り直しになるだろう。そうなると、リナが当主になるかわからないうちからリナの婿になってしまうのは、シルビオにとってはリスクが高いはずだ。
(もっと確実な家の婿に入って、当主の伴侶になるほうが良いんじゃないかしら……)
公爵家の次男であれば、いくらでも良い縁談が選べるだろう。リナとの縁談なんて急いで進めない方がいい。
そのあたりも兄同席で話すべきだろうか、とリナはぼんやり考えた。
◇◇◇
「そういうわけで、また三日後に実家に帰るわ」
夕方、また猛毒公爵邸に戻り、エドガルドに言えば、「そうか……」と玄関ホールまで出迎えてくれた彼は複雑そうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「なんでもない。……いや、ここへ戻ってこないという選択肢もあったんだが、それを君が出かける時に伝え忘れた」
「戻ってくるわよ。きっちり三ヶ月、あなたと実験的結婚をするって決めてるんだから。三ヶ月はここが私の家のつもりよ」
「君の安全のためには、ここにいない方がいいのだが……」
「何度言われても、私の心は変わらないから!」
「……そうか」
まだ浮かない顔のエドガルドに「お腹は空いていないか?」と誘われたので、二人でソファーのある部屋に移り、ラミラが淹れてくれたお茶を飲む。
彼は言葉少なく俯きがちだったが、隣でリナが茶菓子をもりもりと食べているのを見ていると、次第に穏やかな雰囲気に戻っていった。
「……?」
毒魔法も、やわらいでいる気がする。
「弱体化の薬、今飲んでる?」
「いや?」
出かける時に見送ってくれた時や、さきほど玄関ホールまで出迎えてくれた時などはかなり強かったのだが、今は随分落ち着いている。
「君の兄君が、あまり薬に頼らない方がいいと言っていた。それにまだあまりたくさん作れないそうだ」
「え、あのクソお兄様がまともなこと言ってる……」
エドガルドを永遠の顧客にしたいと言っていたのに。てっきり薬に頼らざるを得ない暮らしに持っていくのかと思っていた。
「私も修行して、自力で薬を作れるようになる予定だから待っててね。あのクソ兄貴がいつ梯子を外すような真似をしてもエドが大丈夫なように頑張るから」
「あまり頑張りすぎないでくれ」
彼はまた浮かない顔になってしまった。
リナはなるべく明るい声を出す。
「頑張らせてよ。あなたのために頑張るのが好きなの」
「…………しかし、君にメリットがない」
「メリットとか、どうでもいいわよ」
リナは苦笑した。
「でも、まあ、あんまり私って役立ててないわよね。弱体化の薬に成功したのはあのクソお兄様だし、もはや『最強の矛と盾、どっちが強いか』なんて実験、要らないじゃないの」
昨日のパーティーで、ほとんどの貴族がそう思ったことだろう。
一応兄は『防御魔法が勝った』という演出で進めていくようだが、リナたちは薬のおかげであるという真実を知っている。
「いや、君の方がまだ解決していないだろう? 互いの魔法の困りごとを解決するための結婚だぞ」
「……そうね」
リナの方は、初恋の未練さえどうにかできればすぐ解決するのだが。
「……じゃあ、エドの侵蝕で……全力で私の防御壁を壊せるか試してみる?」
「君に侵蝕を向けるなど……やりたくない」
「結局駄目じゃないの」
当初からエドガルドが拒否しているので、結局『どっちが強いか』という実験にはならないのだ。
「……リナ」
彼が深刻そうに話しかけてくる。
「何?」
「防御魔法で人を弾いてしまう『暴走』は、いずれどうにかしないといけないのか?」
「え、まあ、そうでしょ。このままじゃ再婚できないし」
「…………そうか」
もや、とまた毒霧が漏れだした。
「もしかして具合悪い? どこかつらい?」
身を乗り出して訊けば、「離れてくれ」と言われる。
「防御壁で余裕で防げてるわよ。……で、具合が悪かったりしない? 今日はずっと元気がないわよ?」
「いや……なんともない」
彼が答えた途端に、また毒が増した。
(どうしたんだろう……)
そういえば兄が今日、心を偽るな、と言っていた。心を偽ると魔法に裏切られると言っていた。エドガルドにもパーティーの時に「嘘を吐くくらいならば口を噤んでいたほうがいい」と兄は助言したらしいし――
(嘘を吐くと、毒魔法が出る……?)
今エドガルドは「なんともない」と答えて毒が出たのだから――つまり、実際はその逆かもしれない。
「実は具合悪いんでしょう! もう寝て! お出迎えありがとう!」
ほぼ無理やり、彼を寝室へと送り出す。
「いや、本当になんともない」
「いいから、安静にするのよ! お医者様呼ぶ!? 欲しいものある!?」
慌てながら世話を焼こうとするリナを見て、いつもと逆だな、と彼は苦笑していた。




