33_パーティー①
刻一刻と、兄とカタリナ嬢の婚約披露パーティーの日が近づいている。
エドガルドの初恋が実るように、「カタリナ嬢にいっぱい手紙を書くのよ!」と背中を押しておいたが、これといって進展はないようだ。
自分でも精一杯出来ることをしようと思い、リナはなるべくカタリナ嬢と会ったり手紙を書いたりし、兄の性悪エピソード――悪口になりすぎず、他家にも漏らせる程度のぎりぎりのエピソードをカタリナ嬢に話してみた。
しかし、カタリナ嬢は「まあ、今とお変わりないんですね」と楽しげであったし、さらにエドガルドを売り込もうと彼の良いところをたくさん話せば、「お幸せそうでなによりです。惚気をご馳走様です」とばかりに、リナとエドガルドが仲睦まじい夫婦だと思って嬉しそうにしているのだ。期間限定の実験的結婚なのだと念を押しても、気が変わる様子もない。
「駄目だ、うちのクソ兄貴にべた惚れだわ!」
「良いことじゃないか」
執務室にて、エドガルドの隣で次の作戦を書き殴っていると、エドガルドはのんきに相槌を打った。
「このままだとカタリナ嬢がうちのクソ兄貴と結婚しちゃうのよ!?」
「君が兄君と不仲なのは知っているが……二人が幸せなら、それでいいじゃないか」
「ぐ……」
なんて余裕のある態度だろう。自分の好きな人が幸せになってくれるのなら、隣にいるのは自分じゃなくてもいいということか。だが、エドガルドにこそ恋を成就させて幸せになってほしいリナからすれば、看過しがたいことだ。
「……もしカタリナ嬢があのクソ兄貴と結婚して不幸になったらどうするのよ?」
「その時になったら、手を貸せばいい」
「……」
ますます余裕のある発言だ。困っている時にそっと手を差し伸べれば、カタリナ嬢だって兄への百年の恋も覚めて、エドガルドにときめくに違いない。
「そうよね、一回結婚したらそこで終わりってわけじゃないものね。最近は離婚も珍しくもないし……実際私もしてるし……」
「……何の話だ?」
彼は怪訝そうにした。まあ、つまりここで終わりではないということだ。
エドガルドがカタリナ嬢と幸せになるチャンスはまだある。
少なくともカタリナ嬢が兄にべた惚れの今、短期間で心変わりさせるのは難しい。恋は邪魔が入ると燃え上がってしまうと言うし。
(ともかく、まずはエドの毒体質)
そうでないと彼は、リナ以外と触れ合うこともできないのだから。
「まずはパーティーの参加、頑張りましょうね」
「……」
彼はあまり乗り気でないようだったが、意気込んでいるリナの顔をじっと見てから、「ああ、頑張る」とだけ言った。
◇◇◇
兄とカタリナ嬢の婚約披露パーティーの日。着飾ったリナを見て、エドガルドは固まった。
「美しい……」
彼の心からの感嘆に、リナは嬉しくて、ふふ、と微笑んだ。眩しいものを見たように、エドガルドが目を眇める。
「まるで夜空みたいで綺麗でしょう? 私も気に入っているわ」
彼が耐魔布の黒い衣装しか着れないため、パートナーのリナも彼にあわせて黒色のドレスにしたのだ。だが純黒はさすがに目立つので、透き通った紫色の薄いベールを上から重ねて、黒すぎる印象を弱めてある。銀糸が混ざっているので、光を反射して、細やかに輝く。
くるりとゆっくり回ってみせれば、また彼が「美しい」と褒めてくれる。
「あなたもとても素敵よ、エド」
彼もリナとお揃いで、黒紫の衣装を着ていた。
やはり正装になると、彼が王の次に権威のある選定公であることを誰も疑わないであろう品格を感じる。
リナがにこにこと微笑んでいると、真剣な顔でエドガルドが言った。
「君のためだけに夜会を開きたくなった。……なるほど、これが妻のために誕生日パーティーを開く貴族の気持ちか」
「まるで自分は貴族じゃないみたいな言い方ね」
三年も社交界から遠ざかっていると、そういう感慨が生まれたりするのだろうか。
「……薬、飲んだのよね? 異常ない?」
「ああ、問題ない」
彼は、兄から事前に渡されている弱体化の薬を飲むことになっていた。
初めての試みなので、心配になってリナは訊ねる。
「体の中で闇属性と光属性の魔力が打ち消し合うってどういう感じ? 疲れたりしない?」
「毒魔法の中和みたいなものだな。確かに戦い合っている感じはあるが――そんなに心配しなくても大丈夫だ」
リナを安心させるように、彼が微笑んだ。
「では、行こうか」
彼がまっすぐに手を差し出してくれる。
こうして触れ合うことが自然になってきたことを嬉しく思いつつ、別れる日がつらくなりそうだ、とリナは思った。
◇◇◇
雪のように白銀の髪を持つ兄妹に伴われて、闇夜を纏ったような猛毒公爵が会場に入ると、すべての貴族が息を呑んだ。
あまりの気品と美しさ。そこだけ違う時間が流れる、まるで絵画のような触れがたさがあった。
リナの兄アスティリオがS級の防御魔法士になったことは、すでに公表されていた。この世で二人だけのS級防御魔法が使える兄妹によるエスコートに、異論を唱えられる者はいなかった。
それでも貴族たちの表情には、毒魔法への不安が浮かんでいる。
兄はカタリナ嬢の肩に手を置き、
「私の婚約披露パーティーに、よくお越しくださいました」
と、招待客たちに礼を述べる。
そしてエドガルドについて説明した。
「私と妹の防御魔法によって、毒魔法を完封し、今は妹の夫でもある『猛毒公爵様』にお越しいただきました。――皆様の身の安全は、このカレスティア侯爵家が絶対にお約束いたします」
はっきりと言い切った兄に、会場はどよめいた。
(――ああ、私一人ではきっとできない真似だわ)
リナは素直に、その揺るぎない自信に満ちた兄の顔を見て思う。
これが侯爵家の跡継ぎとして育てられた者の説得力というものだろう。
リナ一人では駄目なのだ。『S級防御魔法士の兄妹二人がかりならば、大丈夫だろう』という目に見える安心と、そして責任を持ち、果たすであろうと思わせる立場。どちらかでも欠けていれば、まず信じてもらうことすらできないだろう。
(……しかも、今日はうちの兄が主催ってところも、復帰の初回としてはかなり良いかもしれないわね)
先日、光の公爵家の招待状が来た時、リナは「絶対に行くべきだ」と主張したが、他家の催しでいきなり「猛毒公爵、もう大丈夫です」の一発目をおこなうのは、なかなかに危ないことだったかもしれない。選定公会議で一度コーティングで参加したとはいえ、その一回だけで他家に招かれるより、今日この場を借りるほうが良いだろう。
いくつかのテーブルには魔力測定器が置いてある。万が一にもエドガルドが暴走した時にすぐにわかるように――そして招待客たちが安心しておくためだ。
感知が得意な者からしても納得のいくレベルまで、今のエドガルドの魔力は落ちている。そしてそれをS級防御魔法でコーティングしているのだ。むしろ過剰なまでの防御態勢だ。
貴族たちにも安堵と感嘆の表情が浮かび――まだ心配そうな者もいたが、この場でそれを口に出す者はいなかった。
パーティーが始まり、賑やかで楽しげな雰囲気が会場に満ちていく。
「……良かった」
エドガルドが糾弾されることなく、夜会に参加することが叶ったのだ。
「弱体化の薬ってすごいわね」
薬のことは招待客たちには内緒なので、小声でエドガルドに言うと、エドガルドはリナと兄を見て言った。
「だが、二人ともあまりそばにいない方が良い。弱いとはいえ、性質が変わったわけではない。もしかすると、リナが防御魔法でも防げなかったあの媚薬成分が――」
「媚薬」
兄が眉を顰め、カタリナ嬢はリナをちらりと見て頬を染める。
「……大変失礼ながら、今のところ、私はイラディエル公爵様には特には何の感情を抱いておりません」
なんでこんなことを言わせるんだとばかりに兄がリナを睨んでから、エドガルドに告げると、エドガルドは安堵した顔で頷く。
「それは安心だ。まったく誘惑されていないということだな? ――そう、たとえば俺にキスをしたいとか」
「……」
兄からリナへ、哀れみの目を向けられた。「お前そんなことをして、しかも媚薬のせいだと思われて」と察せられたようだ。
(もう誰か助けて!!)
リナは話を逸らすことにした。
「エドのことは私一人で大丈夫だから、主賓のお兄様はきちんと社交でもしてきたら?」
「お前こそ、どこぞの男と踊ってきてもいいのだぞ。イラディエル公爵様のことは俺に任せておけ」
しっしと追い払うような真似をされた。
「クソ兄――いえ、お兄様がエドのエスコートをするの!? 兄にとられるの!?」
この世で一番嫌いな相手が、この世で一番好きな人と夜会で隣で過ごすというのだ。あまりにも屈辱だ。リナが学生時代からどれほどエドガルドと踊りたいと思っていたことか。
「妙な言い方をするな」
兄は眉を顰めた後に、先ほどからちらちらとリナがエドガルドの方を見ているのを――踊りたがっているのをわかっているのだろう――溜息と共に言った。
「踊りたければ踊ってくるといい。『猛毒公爵の毒魔法に鉄壁令嬢が勝った』と思わせれば、さらにイラディエル公爵様の復帰を印象付けられる。……ただ、お前がそれでいいなら、だが」
「え、良いこと尽くしでしょう?」
エドガルドに触っていても問題ないリナを見れば、みんなエドガルドの安全性をますます信じるだろうし、リナは好きな人と踊れて幸せだ。
何が問題なんだろう、とリナが首を傾げると、「哀れな頭だ……」といつも通り罵倒された。




