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32_慰め



「リナ、顔色が悪いぞ。大丈夫か……?」


 兄と共に応接室に戻ると、一人ぽつんと座っていたエドガルドが、リナの顔を見てすぐに立ち上がった。


 泣きそうになった。

 リナの異変にすぐに気づいてくれる彼も――そして、彼を自分の手で助けられない自分の未熟さにも。


(泣いちゃだめだ……)


 彼に幸せになってほしい。

 ならば、せめて、エドの初恋だけでも守りたい。

 薬のことは時間が掛かる。そしてカタリナ嬢のことは、急がねば兄と結婚してしまう。


「リナ、一体何があったんだ?」


 すぐ近くまで来て彼が訊く。


「なんでもないわ」と首を横に振れば、彼は無言でリナを見つめていたが、

「来てくれ」

 とリナを別室に連れて行った。



「リナ、本当にどうしたんだ? 何があった?」

「なんでもないってば」


 リナが目を逸らすと、彼は真剣な顔で言った。


「なんでもないように見えない。俺はこれでも、君の顔色を見分ける自信がある」

「今まで何回『誤診』したと思ってるのよ……」


 この屋敷に来た初日から、リナに毒が効いていると勘違いしては、「早く医者を!」だの、「俺の媚薬成分がすまない」だのと――彼の診断が合っていたことなどない。


「いや、今だけは確実にわかることがある。君は泣きそうな顔をしているぞ。兄君に何かひどいことを言われたのか? 喧嘩したのか?」

「喧嘩なら……魔法では、勝った、けど……」


 兄を負かす硬度があったって、貴族らしい根回しも立ち回りもできないし、エドガルドを助ける手立ても結局自分では掴めなかった。


「悔しいだけよ。私はあなたの力になりに来たのに……ずっと無力で」


 彼の顔がうまく見れずに、次第に俯いてしまう。

 リナができたのは、エドガルドがなるべく不利益を被らないように、魔法の契約書の条件を厳しくしただけだ。その代わりに、兄の要求も呑んだので、リナの口から弱体化の薬のことをエドガルドに話すことはできない。


「ごめんなさい、あなたには伝えられないの。でも、私がただ自分の未熟さを悔やんでいるだけだから、気にしないで」


 彼は案じるような声で、リナに優しく言った。


「俺のために落ち込んでいるのか? リナ、君は昔から頑張りすぎるところがある。俺なんかのために、心を消耗させなくていい。……君の幸せこそ、俺の幸せだ。君が笑顔でいてくれなければ、俺は息もできない」


 まるで恋人や最愛の妻に言うような台詞だと思った。


「なんでそんな口説き文句を私に言うのよ……もっと大事な時のために取っておきなさいよ」

「今がその時だ」


 彼は優しすぎる。誰にだってこれくらい誠実に向き合ってしまう人だ。

 彼に幸せを諦めてほしくないのに、リナにはどうにかできないのが悔しい。


「そっちこそ、私になんか構ってないで、早くカタリナ嬢を庭から呼んできて、もてなしたらどう? なんなら二人で庭を歩いて歓談したら? 毒が心配なら私と兄でコーティングするから」

「まあ、客を放っておくのは本来良くないが――」


 だが、と言葉を切って、リナをまっすぐに見つめる。


「俺は君が一番大切だ。放っておけない」


 ――ああ、そろそろ勘違いしてしまいそうだ。

 リナさえいれば、カタリナ嬢がそばにいなくても、彼は幸せになってくれるんじゃないか、と。


「なんでそんな誤解させるようなことを言うのよ……」


 恨みがましく、涙まじりに呟けば、彼も困ったような顔をする。


「誤解など何もない。……ああ、あまりこういうことは言うべきではないのだったな。君はいつか帰るのだから」


 そして、ほとんど泣きかけているリナを見て、少し眉を下げる。


「リナ、少しだけ触れてもいいか? 今日の分の接触実験だ」

「……」


 なにをするんだろう、と不思議に思いつつも、こくりと頷くと、彼は手袋を嵌めている手を、そっとリナの頬に添えた。

 そして、涙の溜まっている目元を、ゆっくりと優しく撫でてくれる。


「泣かないでくれ、リナ」


 彼の瞳が、リナを見つめていた。


「君の力になりたい。……俺のために頑張りすぎないでくれ」


 それが慰めるためだとわかっていても、まるで大切な恋人に触れるかのような扱い方に、さらに涙が出そうになる。


 ――離したくない。


 この人を、カタリナ嬢に取られたくない。


 駄目だとわかっているのに、そう思ってしまう。


(ちゃんと、諦めなきゃいけないのに……)


 身体が、勝手に動いてしまう。

 気が付けば、彼に手を伸ばし、彼の服を掴んでいた。

 その胸の中に、閉じ込めてほしい。――無意識に身を寄せてしまうと、彼も腕を回し、リナを抱きしめ返してくれた。


(どうして……?)


 まるで時間が止まったかのようだった。


 彼がリナを抱きしめてくれている。

 リナの気持ちに呼応するかのように、彼が抱きしめる力は強くなり、まるでリナを深く包み込んで離すまいとするかのようだった。

 彼の熱を感じ、二人の輪郭が溶けあうような心地よさを感じた。


「……ずっと、君と二人だけでいられたら」


 彼の静かに呟いた。上手く聞き取れずに、「え?」と顔を上げようとすれば、それを防ぐように「なんでもない」と強く抱きしめられて、彼の顔は見れなかった。


「エド、ちょっと苦しい……」

「……君は無茶をし過ぎるから、こうして閉じ込めておいた方がいいのかもしれないな」

「なんだっけ、それ、『囲い込み作戦』……?」

「知っているのか。……そう、君が逃げてくれないのなら、閉じ込めてしまおうという作戦だ」

「なんだかちょっと目的変わってない……?」


 怖がらせて、自主的に逃げるよう仕向ける作戦だったはずだ。


「何だって良い。君を泣かせたくないだけだ。……愛しい妻のためなら何だってする。リナ、君の意思を尊重したいが、本当に困ってしまう前に相談してくれ。君の夫は、それなりに強いぞ」


「ふふ、すごく囲い込み作戦っぽい」


 リナがちいさく笑っていると、彼はほっとしたように息を吐く。


 そう――これは、リナを慰めるためにしてくれた抱擁と、励ましの言葉だ。ただそれだけのためだとわかっているけれど。

 離れがたくて、兄が呼びに来るまで二人で何も言わずに、寄り添っていた。



       ◇◇◇



 カタリナ嬢を庭から呼び戻す前に、兄はエドガルドに、『弱体化の薬』について話した。光の公爵家との共同開発であるその薬を、そう簡単には公表しないと兄は言っていたが――カタリナ嬢にすら隠しておくようだ。


 エドガルドは静かに話を聞いていたが、最後に、リナの方を見た。


「リナ、君から何か言いたいことはないか?」

「……」


 本当は、兄と光の公爵がエドガルドを囲い込もうとしているのだと伝えたい。だが、魔法の誓約書のせいで、何も言えない。

 そんなものに利用されてほしくない。

 だけど、薬が効くのなら、飲んでほしい。


「……私は、エドに、また何も気にせずに外に出られるようになってほしい。そのためには、この薬が今は一番良い方法だと思うわ」


 それだけは心の底から真実だ。

 そして、もしも彼がひどい目に遭いそうな時は――リナの制約は『言えない』だけ。言えないだけならば――いざというときは、力づくで兄をどうにかできる。


「いざとなれば、私が兄を仕留めれば……」

「……リナ、心の声が漏れていないか?」


 拳を握りつつ、何もないところを見つめているリナを見て、エドガルドは心配そうにし、兄はいつも通り「愚か者め……」と呆れていた。


 エドガルドは、弱体化の薬を飲むことに同意した。



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