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27_【間話:水色の花】※彼視点



 学生時代、彼女に出会って、その瞳が美しいと思った。

 自分の屋敷の温室で育てている花に似ていた。澄んだ水色の瞳を愛おしく思った時から、その花のことも、他の花とは違う特別なものだと思うようになった。


 だから、彼女の八月の誕生日には、その花を贈ろうと思った。

 毒をなるべく持たぬように環境を調整しながら種から育てて、毒が薄くなったら、同じものと掛け合わせて、また次の代へ――それを繰り返し、時折生まれる特に毒の薄い花を選んで、彼女の誕生日にちょうど見頃になるよう調整し、改良による弱体化や病気にも負けずにようやく当日に用意できたのは一輪だけだった。


 その一輪にリボンをかけて、誕生日プレゼントの栞と共に渡せば、彼女は嬉しそうに受け取った。


「綺麗な花……なんて名前なの? 初めて見たわ」


 いつものように裏庭で隣に座る彼女は、頬を染めてその花を見つめている。まるで一目惚れをしたように、彼女にしては珍しく言葉少なく、どこか緊張したようにその花を熱心に見つめていた。どうやら気に入ってもらえたようだった。ああ渡せて良かった、と心から思った。


「俺の屋敷で育てている毒花で、一般的には流通していないんだ」

「そうなの?」

「君に渡したくて、この一輪だけはどうにか無毒化した。……君の瞳の色に似ていると思ったから」


 瞳を褒めるなんて、まるで口説き文句だとすぐに気づく。


「いや、その、変な意味ではない。俺はただ――」


 大切な友人として。


 そう言おうとした途端、ぶわりと体内から毒が溢れ出すのを感じた。

 はっとして彼女から身を引いた。


「?」


 彼女は不思議そうにこちらを見ている。


「どうしたの?」

「リナ、平気か?」

「え、あなたこそ、どうしたの?」


 今溢れかけた毒は、どこへいったのか――思わず自分の指先を見る。


「……」


 いつもと変わらない黒革の手袋。

 だが、今この手で花にでも触れれば、一瞬で枯らしてしまうだろうと感じられた。全身がいつもより強く毒を纏っている。これまでは手袋越しであれば、生物に危害を加える心配などなかったのだが。

 この毒体質は、年齢と共に増している。ついに、どの魔道具でも防げないほどになってきたのだろうか。


「……リナ、本当に身体に異変はないか?」

「え? 大丈夫よ?」


 自分としても、毒霧が発生していないことはわかる。それでも心配で彼女を見つめていると、元は毒花だと言って渡したから、花による影響を心配したと思ったのか、リナは「全然平気。ほらね」と花を持ったままの手を揺らして微笑んだ。


 彼女は本当にその花が気に入ったようで、昼休みの間、何度も見つめては「素敵」とこぼしていた。


「大事にするわね。ありがとう」


 嬉しそうに彼女は立ち上がり、「次の授業の準備があるの」と用事があるらしく、いつもは予鈴ぎりぎりまで昼休みを共にするのだが、今日は少し早めに戻っていった。


 その背を見送った後、自分の手をもう一度みつめる。

 触れさえしなければ、そばにいられるはずだった。しかし――


「一瞬、ひどく毒が増していらっしゃいましたね」


 なんてことはないように、平坦な声で、横から誰かが言った。

 いつの間に近くに来ていたのだろう、同じ年頃の青年が立っていた。


 驚くべきは、その人物の顔が包帯でほとんど覆われていたことだ。隙間から見えるのは、さらりとした銀髪だった。

 どこかで見覚えがある気がしたが――おそらくは一度くらいは社交界で見かけたはずで、どこかの跡取りであろうと思われたが、エドガルドは毒体質が増してからここ数年は社交場には出ていない。夜になると闇属性でもある毒魔法は増してしまうので、余計に夜会には出られず、昼間は学園でもあまり交流もしないので、同世代の令息令嬢でもあまり顔を見る機会は少ない。


 見つめていると、青年はあまり温度を感じさせない声で言った。


「ああ、包帯が気になりますか? お見苦しいところを。すぐに去ります」

「いや……大丈夫なのか?」

「ええ。治療のためにあてているので、数時間もすれば治ります」


 治癒魔法のかかった包帯なのだろう。

 貴族にしては珍しいことだ。これほど目立つ怪我をする事故や事件があったとは聞いていないので、おそらくは自己鍛練によるものだろう。魔法の暴発で起こることがある。指先に巻かれた包帯も同じ原因だろうか。顔を覆う包帯の隙間から見えるのは、かなり整った顔立ちで――人によっては『冷酷』とも評するだろう。どこか精巧な人形めいた印象を受ける。治療中の風貌を気にした様子もないことが、余計にそう思わせるのかもしれない。


 とはいえ、それなりに記憶力には自信のあるエドガルドが、一回は社交界で見かけたであろうこの青年の名前を思い出せないのだから、認識阻害の魔法も多少は掛かっているかもしれない。さすがに風貌を気にしない人物だとしても、包帯まみれで令息令嬢の集まる学園内で歩いていれば、要らぬ騒ぎになるだろうから、『存在を気づかれにくい魔法』をかけているのだろう。


 青年は、リナが去った方を見て呟いた。


愚妹(ぐまい)がご寵愛を頂いているようで」


 愚妹、と聞き慣れない言葉に、一瞬戸惑ったが、すぐに理解する。


「……もしや、リナの兄君か?」


 意外だ、と目を見張れば――嫌悪とも言うべきか、心の何かを波立たせたようで、青年は深く眉を顰めた。


(リナ、と二文字で呼んだのはまずかっただろうか)


 エドガルドは反省する。

 この国、特に上流階級では、名前というのは強い意味を持ち、尊重すべきものと言われている。フルネームは何かの決意や儀式で名乗ることに強い意味を持ち、親からのなによりの贈り物とされ、本人の許可なく他人が気安く二文字で呼んでいいものではない。両親、親友、恋人や伴侶などだけが許される。

 ただエドガルドは少し特殊で、「毒魔法が弱くなるように」という願掛けで、幼いころから両親や屋敷の使用人たちに「エド」と縮めて呼ばれていた。

 この学園の温室で働く老爺は、エドガルドの屋敷の庭師も兼ねていて、手伝いに行けば今でも幼子を見るように「エド様」と呼んでくる。リナもそれを真似しているのか、それともあまり気にしていないのか、最初から「エド」と呼んでくれていたのだが――。


(俺もそれにつられてリナと呼んでいたのはまずかったな)


 まるで恋人ぶっているように見えるのかもしれない。


「すまない。気安く妹御の名を縮めてしまった。『カタリナ嬢』の兄君だな。では、マルセロ・アンベル殿か。学園内では初めてお目にかかる」


 よくよく見れば包帯の隙間――かなり見えにくいが――その瞳はリナと同じ水色かもしれない。その瞳が、一度瞬きをする。


 そして、


「……ああ、あれはアンベル姓を名乗ったのですか」


 と、まるで小馬鹿にするように瞳を歪め、「はは」と軽く笑った。


 妙な言い回しだ。思わずエドガルドは彼を凝視する。

 家族扱いしていないのだろうか。その態度だけでリナへの冷遇を感じた。


 日頃からリナは「あのクソ兄貴。絶対いつか負かして泣かす」と父や兄との不仲をぼやいていた。あまり具体的にどう嫌がらせをされているかは言わなかったが、何かとリナのミスを目ざとく見つけては、「歴史上の三大政策も言えないのか。愚か者め。夕食は廊下で食え」くらいは言うらしかった。


(……なるほど、言いそうだ)


 冷えた雰囲気。

 弱き者、遅れた者を、切り捨てて歩む冷淡さを感じさせる。

 ――だが、自身が負傷してまで鍛練をしているのだとしたら、努力の意味と、己の不足を知らない人物でもなさそうだ。


(しかし、本当に仲が悪いのだな。なにか支援できればと思っていたが)


 リナの力になりたいと思ってからすぐに調べたが、アンベル家の末娘『カタリナ・アンベル』は家族全員と仲が悪いらしい。

 だからこそ、どうか支援できるように、と準備していた

 いずれ家から独立するときの手助けくらいはできるだろうと。


「公爵様は、」

 ぽつりと青年が言う。


「自覚がおありですか?」

「何がだ?」

「先ほど、毒魔法が増していらっしゃいましたね」


 話しかけてきた時と同じことを言われた。


「……ああ、年々増していたのは自覚していたが――先ほどのはまずかったな。意図せずいきなり増すようでは、もはや出歩かない方が良い」


 いずれそう遠くないうちに、人前に出ることはできなくなるだろう。

 それは哀しい運命ではあるが、せめて卒業までもってくれればいい、と思い始めていた。

 ぎりぎりまで彼女と過ごせるのなら、もうそれだけで十分だ。


 わずかに哀愁を纏ったエドガルドを見て、青年は静かに言う。


「魔法は精神に影響を受けます。執着と迷いは、魔法を乱すことでしょう」

「執着と迷い……」

「愚妹をお望みなら、さっさと手元に置けばよろしい。そうすればあなたの魔力は安定なさるでしょう」


 予想外のことを言われて、エドガルドは面食らう。

 手元に置け、などとまるでエドガルド次第のような言い方には物申したい気持ちにもなったが、妹を冷遇する兄からすれば、格上の家に差し出すことなど当然とでも思っているのだろうか。


「……精神的な影響がなくなり、一時的な乱れはなくなったとしても、俺の毒体質は年々増していく。……誰かと添い遂げるつもりはない」

「そうですか」


 さほど興味は無いのだろう。却下されても平然としていた。


「公爵様はこの国に必要な御方。なにかご助力をと思いましたが――出過ぎた発言をお許しください」

「いや……こちらこそすまない。話せて良かった。……妹御を傷つけるつもりはない。毒で危害を及ぼしそうだとなればすぐに俺の方から身を引く。……ただ昼食を共にするだけの関係だ。俺が卒業するまでの――友人のようなものだ」


 友人、と言った時、また、毒が増した。


「……」

「……」


 二人して無言になる。


「……気をつける。妹御には、傷一つ付けないから安心してくれ」

「あれがどうなろうと構いません。どうぞお好きなように」


 妹の心配はしていないようだった。

 青年は去ろうとして、「ああ、」と何かをふいに思い出したように振り返った。


「あれは未熟者で、生半可な結果では未練を持つでしょうから――どうぞ振るにせよ、手元にお求めになるにせよ、はっきりとお言葉を伝えてやってください。どうぞ一息に仕留めてください」

「一息に……」


 まるで物騒な話をしているようだ。


「そう、思い切りよく、お願い申し上げます。曖昧な物言いでは理解しませんから、あの愚か者は」

「リナは愚か者ではない」

「……高く評価していただいているようで」


 今度こそリナの兄は去っていった。


(……思い切りよく、か)


 彼女は決して愚か者ではないが、しかしはっきり示すべきだという指摘には、確かにそうだとエドガルドも思った。


 だからこそ、その三ヶ月後、リナが「あの、プロムって……エドも出るの?」と期待と不安の混ざった表情で訊いてきた時――彼女も期待してくれているのかもしれないと思った時、一世一代の努力をしようと思った。

 彼女の期待に応え、彼女の一番の記憶に残りたいと思った。たとえ生涯を共にできなくとも、彼女の長い人生のうちの学生時代の思い出として、どうか持っていてほしいと強く願った。


 彼女の今後の人生に、自分は悪い影響を及ぼすかもしれない。

 猛毒公爵との縁など無いほうがいいだろう。

 けれど、猛毒公爵とはいえ、格上の選定公から求められたとなれば、彼女の家での地位は上がるのではないか。どちらが彼女の利益になるか――慎重に計算し、すべてを天秤にかけた上で、行動すると決めた。


 そして花束を持って訪ねようと思った。喜んでくれた水色の花にしたかったが、数が足りないし、なによりプロムナードならば赤い薔薇を含めた色とりどりの華やかな花束にするべきだ。朝一番にそれを持って屋敷を訪ねることにした。

 絶対に、リナにも、他のすべての人にも、リナを大切に想っているのだと――リナが尊い存在であると伝わるように、と。


 だが、結論から言えば、人違いだったし、アンベル伯爵家の屋敷にリナはいなかった。


 カタリナ嬢には「話したこともないのに朝一番に屋敷に押しかけてくるなんて……」と怯えられ――すぐに誤解は解けたし、詫びもした。『カタリナ・アンベル』が家族内で冷遇されているのは事実でもあったので、カタリナ嬢の「いずれ伯爵家と縁を切って、夢である服飾雑貨店を営みたい」という夢にも協力しようと、エドガルドの家が手掛けているガスマスクやら耐魔布製の装備品やらを優先的に依頼する手配などをして――しかし伯爵家は彼女を駒として手放したがらなかったし、ましてや猛毒公爵のお気に入りだと勘違いしたことで余計に欲が出た伯爵から引き剥がすのにかなり時間は掛かったが――しかも結局、カタリナ嬢はとある令息に恋をしたようで、社交界に残ることに決めたらしい。まあカタリナ嬢が幸せならそれでいいのだが――


 ――あのとき『兄君』がエドガルドの勘違いを正しておいてくれれば、リナに大輪の花束を渡せたのだが。

 そう思わずにはいられない。




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