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26_縁談



 父が訪ねてきた。玄関ホールで黒尽くしのリナを見るなり、「なんてまがまがしい!」と悲痛な声を上げた。


 漆黒のドレスに、いつでも咄嗟に着用できるよう、無骨なガスマスクを首から提げている。さらに今日は「まだ病み上がりだから」と言われて用意された耐魔の絹糸で編まれた総レースの肩掛けも羽織っていた。その繊細なレース編みなど、売れば三ヶ月は暮らせそうな高級品であった。髪飾りも、ラミラや若い使用人たちがいそいそと「これもお似合いですよ」と黒レースの品を選んでつけてくれた。


「……あら、猛毒公爵の妻ですもの。これくらい似合って当然でしょう?」


 リナはわざと気に入っているふりをした。……いや、ドレスや肩掛けは気に入っている。あまりにも黒一色すぎることだけは抵抗感があるが、エドガルドや屋敷の使用人たちが用意してくれた気遣いの証でもあるし、どれも一級品で、デザインも悪くない。唯一気になるのはガスマスクだ。


 倒れたことを反省し、実験中は黒ドレスとガスマスクを着けることにしたリナだったが、乙女心としては、ガスマスク着用で初恋相手の前に立つのは悔しいものがある。エドガルドは「よく似合っているぞ。これで安心だな」と満足気だったので、「彼が嬉しそうなので、まあいいか」となんとか自分を納得させた。


 父が『公爵様には内緒で』と言ったので、玄関ホールでリナは父を相手にしていた。エドガルドは今は温室にいるだろう。


 まるで幽霊屋敷に足を踏み入れてしまったかのように、父はひそひそと主張する。


「リナミリヤ、今すぐ帰ろう! お前をこんなところへ置いておけない! ガスマスクが必要な家なんてまともじゃない!」

,

 父は相変わらず、この結婚に反対している。


「鬱陶しいですわよ、お父様。あと三ヶ月きっちり、『研究』をしてから帰ります。それに、私がガスマスクをつけているのは安全対策のためであって、別に私が劣勢だからじゃないから見くびらないでくださいませ」

「そんなことはどうでもいい!」


 リナは、はあ、と溜息をついた。


「王女殿下にも国立研究所にも期待された研究ですのに、どうでもいいとおっしゃいますの? 我が娘の安全のために、お父様は国に抗議なさりたいと? まあ、勇敢なお父様」

「……い、いやそういうわけでは」


 父はすぐ黙った。そういうところが嫌いなのだ。

 この人が、リナのために行動したことなど一度もない。

 異母兄にいびられるリナを、いつも見て見ぬふりをしていた。リナが父に直接訴えかければ、「どうしてお前たちは仲良くできないんだ。どうして私を苦しませるんだ」と、まるで自分が一番不幸とばかりに嘆いていた。


「で、今日は何の用でいらしたの、お父様」


 リナの様子が気になるから、なんて理由で猛毒公爵の屋敷に訪ねてくるような人ではない。

 そもそも貴族同士はそう簡単に訪ねないし、侯爵家当主である父も、それなりに忙しい。


「実はな、手紙では言いにくい話があって直接来た。お前のことだから手紙では怒ると思って――いや、その、もちろんお前の顔が見たいという気持ちもあって来たんだ。可愛い大切な娘だからな」

「今さらおだてるような前置きはいりませんわよ、お父様」

「――どうか、怒らずに聞いてくれ、リナミリヤ」

「よほど怒られそうな話をするんですのね、お父様」


 父は深く息を吸ってから、言った。


「アスティリオの結婚が決まった」

「……は?」


 それは異母兄の名前である。


「お兄様、見つかったの? 見下していた異母妹に魔法で抜かされそうだとわかった途端にどこかへ行ってしまったあの高慢なクソお兄様が?」

「兄を悪し様に言うのはやめなさい!」

「それで結婚なさると……まあ、良かったじゃありませんの。私が怒るような話じゃありませんわ。あんな性悪と結婚してくださるなんて、お相手は一体どこの女神様? いえ、それとも何か弱みを握って結婚を取り付けたの? それなら私が助けてさしあげないと」

「なんて人聞きの悪いことを!」


 屋敷に引き取られたばかりの頃、ぼんやりと天井を見上げていたリナに「凡人が俺の道を妨げるな」と言い放った兄が、まともに誰かを大切にできるとは思えない。


 リナが疑わしい目で父を見ているので、「言っていいことと悪いことがあるぞ!」と父が非難する。


「だって、心に溜めておくと暴発しかねないから、クソお兄様に関しては何かを思った瞬間に全部言うことにしているの。まともな結婚だとはすぐには信じられないほど、お兄様と心から望んで結婚してくださる方が希少ってことよ」

「何を言う。アスティリオは私にはもったいないほどよくできた息子だぞ」

「顔と魔法だけよ。性格は最悪でしょう。『冷酷そうなところもまた素敵』なんて言うご令嬢たちは騙されているわ」

「どうしてそうお前たちは仲良くできないんだ……」


 人生で何度聞いたかわからない台詞だ。

 完全放置ならまだしも、仲良くできないことを責めてくるので腹立たしい。


「まあ、どなたと結婚するにしても、お兄様を当主にするなんて言わないわよね?」

「……」


 父はそっと目を逸らした。


「私が怒る、ってそういう意味?」

「いや、その……」

「私に継がせるとおっしゃったのに、嫡男が戻ってきた途端、やっぱりそっちに戻すのね」

「それは……お前はもちろんアスティリオより魔法は高位だが、やはりここは嫡男が継ぐ方が問題が少ないというもので……」

「お父様は無難なことがいつもお好きね。でも魔法だけじゃなくて、人格的にも少しは私の方がマシだと思っているわ」


 リナは、兄に継がせたくないと思っていた。

 父も兄も、弱いものを拾って歩いてはいかない人だ。

 父は弱気で、兄は傲慢。――どちらかといえば、リナは父の方が嫌いだった。


 我が子たちの不仲に見ないふりをして、被害者の顔すらする父は、病に伏したリナの母のことも見向きもしなかった。弱く、不幸で、面倒なものを自分の内側に入れないようにして、葬式すら行かなかった。

 こんな性格ではきっと、母の少し前に亡くなった正妻のことも、きちんと看取ったかあやしいところだ。いや、兄だってあの傲慢さでは、自分の母ときちんと目を合わせて暮らしていたかさえ疑わしい。

 一度でも、病床の正妻を励ましたり、背をさすってやったり、花を差し入れたりしなかったのではないか、と一ヶ月も父と兄と過ごすうちには感じ取っていた。


 だからこそ、学園でエドガルドに出会った時は、「ああ、この人は尊敬すべき人だ」と思ったものだ。


「――まあ、どちらが継ぐかは置いておいて、結婚相手は? てっきりお兄様が旅先で出会った方かと思ったけど、当主になるつもりなら、お相手も貴族なんでしょう? 結構きっちりした縁談なのね?」

「ああ、そうだ」


 リナがまともに話を聞く姿勢を見せたので、父はあえて神妙な顔を作って頷いてみせた。


「アンベル伯爵家の末娘、カタリナ嬢だ」

「…………なんだか、ものすごく聞き覚えのある名前だわ」

「お前と同学年だったそうだな」

「いえ、それよりも……」


 エドガルドがつい最近諦めた『初恋相手』なのだ。



       ◇◇◇



 父を帰した。「くれぐれも、頼むからくれぐれも王女殿下に相談したりしないでくれ! 兄とお前が話すための場をきちんともうけるから! お前に義姉ができるんだからな! 喜ばしいことだぞ!」と何度も言われた。どうやら一番の心配はそこだったらしい。リナに知らせるのを手紙で済ませてしまうと、どう行動するか制御できないから直接言いにきたのだろう。リナだって、兄とのことで王女殿下に頼ろうなどと思わない。


(というか、それよりも――)


 リナは緊張しながら屋敷の中を進んだ。

 温室での作業から戻ってきたエドガルドと廊下で鉢合わせる。


「お父上が来ていたそうだな」

「……ええ、ごめんなさい、訪ねておきながらあなたに挨拶もせず帰るような臆病者で」

「俺を怖がるのは正しいぞ。それで、何の用件だった? さっきから君は妙な顔をしているぞ」


 リナの内心を見抜かれているようだった。


「あなたにどう話したらいいか……アンベル伯爵家のカタリナ嬢が、うちの兄と結婚するんですって」

「そうか、おめでとう」

「はい!?」


 彼があまりにもあっさり受け入れるので、リナの方が驚いてしまった。思わず飛びつきかねない勢いで彼を見ると、「なんだ?」と彼も身構える。


「君の兄上が結婚するのだろう……? めでたいことではないのか……? ああ、それよりもまず、消息不明だったのが無事とわかって何よりじゃないか」

「いや、相手が……あのアンベル伯爵家のカタリナ嬢なのよ? あなたの家から支援を受けつつ結局あなたと結婚しなかったカタリナ嬢よ? ……私と同学年で隣のクラスだった、あの美しい、伯爵令嬢よ?」


 彼は、「何度も言わなくともわかっているが……?」と怪訝そうな顔をする。

 リナはまったく納得がいかない。


「あえて平静を装っているのかしら……初恋相手が人妻になる気持ち、私にはわからないわ……やっぱり受け止めたくないくらい、つらいの?」


 おそるおそる訊いてしまうと、彼は呆れたように溜息をついた。


「初恋相手が人妻になる気持ちだと? 何の心配だ。そんなものは去年とっくに――」


 言いかけて、急にはっとした顔になってぴたりと止まった。そして、「なんでもない」と首を振る。


「去年? ……そんな前からうちの兄と結婚するって知ってたの?」

「違う。違うが……まあいい。君の重荷になるから」

「なによそれ。別にあのクソ兄貴がいつから女性と仲良くしてようと私は傷つかないわよ」

「……そうか、まあ気にするな」


 彼はもうそれについて話す気はないようだった。


「ねえ、本当にいいの? 在学中から好きだったんでしょう?」

「……」


 彼がぎゅっと眉を顰める。


 ――その反応に、リナの胸は痛んだ。


(ああ、やっぱり、それだけ好きなんだ)


 三年前からこの公爵家からアンベル伯爵家への援助は続いていた。正式な婚約こそしていないが、あれだけ援助するのだから、将来、家同士の縁を結ぶ前提なのだと、どこの貴族も思っていた。


「プロムナードのパートナーに申し込んだ話……朝一番に花束を持って訪ねたって、すごく噂になったのよ。それだけ本気で好きだったんでしょう? 誰にも取られたくなかったんでしょう?」

「勘弁してくれ……」


 エドガルドは頭痛を堪えるように片手を額にあてていた。


「そんなに好きなら諦めちゃだめよ! うちのクソ兄貴よりエドの方が絶対にカタリナ嬢を幸せにできるわ!」

「……君の兄上とカタリナ嬢の関係を知らないからそれについては何も言うまいが……在学中のことについて、君と話すつもりはない。アンベル伯爵家の援助についても、別に結婚は関係ない。……君も、在学中の俺のことはすべて忘れてくれ」

「でも――」

「在学中、君は俺が『猛毒公爵』だと知らなかったから、気楽に俺と接していたのだろう? はっきり言って迷惑だ」

「…………」


 迷惑だと今までになく、はっきりと言われた。

 明確な拒絶に、息ができなくなる。


 在学中の、あの笑い合った日々。

 リナにとっては宝物のようなそれを、彼は話したくないのだと最初から示されていたが――


(水色の花のことを、やっと話せたばかりだったのに)


 夢の中では、幸せだった。

 現実の彼だって、「見舞いだ」と言ってちいさなブーケを差し入れてくれた。

 それがとても嬉しかったのに。


 幸せな思い出と決別しなければいけないのか。

 苦しい。つらい。

 諦めたくない。――だから、リナは叫んだ。


「……なによ、ケチ!」


 その言葉に、エドガルドの目が丸くなる。

 リナは泣きそうになりながら、叫び続けた。


「そ、そりゃあ私がエドのことを知らなくて、身分違いなのに毎日一緒に昼食を食べたり気安い態度を取っていたのは悪かったと思ってるわよ!」

「いや、それは別に――」

「私が由緒正しいアンベル伯爵家の親戚じゃなくて、平民出の即席の侯爵令嬢だってことも言ってなかったし、なんか嘘言ったみたいになってたのは悪かったけど! 一緒に過ごした思い出を葬りたいほど、許せないことなの!? 私だってわざと騙したわけじゃないわ!」

「リナ……」


 彼が困ったような顔をしている。

 まるで涙をぬぐおうとするように手が宙で止まっていて、リナはもう自分が泣いてしまっていることに気がついた。


「……リナ、泣かないでくれ。君が利益のために身分を偽るような人だとは最初から思っていない。そもそも君は侯爵家の令嬢だ。伯爵家の縁者を名乗ることに利益がない」


 その言葉だけで、彼が当たり前に、庶子のリナを区別していないのはわかった。

 だが、リナはその誤解の恩恵を受けている。

 ――彼はきっとリナと出会うより前からカタリナ・アンベルが好きだった。途中で惚れたのならずっとそばにいたリナは気づくはずだ。そうだとすれば、アンベル姓を名乗ったリナを、『好きな人の親戚かもしれない』と、きっとエドガルドは少なからず気にかけただろう。下心で動くような人ではないが、世話を焼きたくなる気持ちの一割くらいは、『好きな人の従妹かもしれない』という恩恵があったんじゃないかと疑ってしまう。だからリナは自分が許せないのだ。


 そういう自分が悔しくて、泣きたくて、鼻をすすったリナに、彼が痛ましいものを見るような顔をする。


「君がそんな顔をする理由など一つもない。……君はさきほど『親戚』と言ったが、リナ・アンベルと名乗った君をアンベル伯爵家の縁者だと思ったわけではない。アンベル家の令嬢そのものと勘違いしたんだ」

「……? どういう意味?」

「……何度か訂正しようと思ったが――しかし、君が王女殿下の護衛として隣国でも駆け上がっていくのを噂で聞いて、関わらなくて良かったと思った。俺と関わらずに生きていけるなら、その方が良い」

「……」


 一体彼は何の話をしているのだろう。


「なのになぜまた俺のそばに戻ってくる。俺は君に、何も渡せないのに」

「……何も渡せないですって? 選定公の席を譲ってもらおうとか思ってないから安心して。私が本当に欲しいものは決まっているの」

「何が欲しいんだ?」

「……」


 ――初めてのキスを、あなたと。


 それが望みだと、言えたらいいのに。

 もう絶対に叶わないと、リナは気づいてしまった。


 彼から貰える最大のものは、『彼が毒のない水色の花を育ててくれていたこと』だと、昨日気づいてしまった。

 リナと出会ったからこそ、「瞳の色と同じ花だな」と彼は思ってくれた。だからこそあの水色の花を、毒のないものも得られるように育てていたのだと。言ったのは夢の中の彼だけれど、今も彼が毒のない花をブーケにして渡してくれたから、きっと今までもこれからも、彼の人生のそばにはあの花があって、彼があの花を見るたびに、リナの瞳と、リナとの出会いと繋がっているのだと信じられる。


 ――もったいないほどの幸福。

 だけど、彼に恋焦がれてもらいたいと、さらに強欲に願ってしまう。

 あのカタリナ嬢のように、「誰にも取られたくない」と思ってもらえたらどんなにいいか。


(私、結局、未練ばっかりだわ)


 こんな状態で、三ヶ月後に誰かと再婚して誓いのキスができるんだろうか。

 このままでは、どの相手と再婚しても魔法壁で弾いてしまいそうだ。


(いっそ、エドの唇を奪ってやろうかしら)


 まぐれの一回なんて言わず、わからせてやりたい。リナがどんなにエドガルドのことが好きか。そして初恋相手をリナの愚兄なんかに取られそうになっているのに動かないエドガルドに、「さっさとカタリナ嬢のところに行かないと、私に押し倒されるわよ」と言って発破をかけてやりたい。


「……」


 じとりと睨んでいれば、「……なにやら不穏な意思を感じるんだが」と言われた。


「……今日の分の、接触実験、してないわよね?」

「ああ、そういえば忘れていたが……急にどうした」


 リナが寝込んでいたので、昨日も忘れている。


「実験は毎日やるべきだわ」


 首の前に提げていたガスマスクを邪魔だとばかりに後ろに回し、彼の胸倉をつかんで、顔を寄せる。

 エドガルドの目が丸くなった。


「……嫌だったら、あなたの方から避けてちょうだい」


 そう言って、顔を近づけていく。

 彼は驚いたまま動かない。

 彼の瞳の美しさと、繊細な睫毛すら見えるほどの距離。あと少しで唇が触れそうという近さで、彼の瞳が一度瞬く。そして――


 ひょいっと両脇に手を入れられて、リナは彼に持ち上げられた。


「へ!?」

「すまない。解毒が必要だ。……俺は最近、媚薬のような毒成分も出しているらしい」

「はい!?」


 何それ、と目を丸くするリナをよそに、本当に申し訳なさそうな顔をしたエドガルドは、リナを肩に担いで歩き出す。

 これではキスどころか、エドの顔すら見えない。


「何するのよ! ……せ、せめて横抱きにしてよ!」

「すまない、俺が毒体質なせいで、また君に媚薬のような毒を浴びさせてしまったようだ……どう詫びたらいいか……解毒が終わったらすぐに君を侯爵家に帰そう」

「なにその逆に意識過剰みたいなやつ! あなたの毒なんか効いてないんだけど!?」

「すまない、本当にすまない、リナ……」

「エドの馬鹿――!」


 リナはまた寝室に放り込まれた。



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