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25_嘘をつく人々



 随分と長く眠っていたような気がする。

 寝返りを打ちながら窓を見れば、夕焼けが終わりかけているところだった。


(……私、半日くらい寝てたの?)


 やたらと重い体をなんとか起こす。昼前に毒で倒れた覚えはあるが――半日どころか、もっと寝ていたような感覚すらある。

 壁際のチェストの上に置かれた木製のカレンダーを見る。数字が彫られた板を組み替えるタイプで、いつもラミラが夜に退室する前に変えてくれていた。


(……一日経ってない)


 朝見た時と日付が変わっていない。ならばやはり半日しか経っていないのだ。


(ええと、ラミラに胸が苦しいって伝えて、口に薬を突っ込まれて、気絶して―――それで――)


 記憶の中では、気が付けばエドガルドに治療されていたはずだ。

 しかし――あまりにもふわふわと現実味のない記憶だった。言うなれば幻想的な感覚。とても幸せな夢だった。

 彼はリナに触れてくれて、とても優しくて、リナが好きだった花の話をしてくれた。


(そうだ、あの花)


 リナは周囲を見渡した。

 夢の中で、リナは黒いドレスを着て、水色の花が敷き詰められていた。

 だが今、寝台のどこを見ても、その花は一輪もない。


(……まあ、夢よね)


 ふう、と小さく溜息を吐いた。


 ――夢の中の彼は、リナに出会ったから無毒の花を育てていると言い、リナの頬に何度も触れていた。毒の中和のためだと言っていたが、あまりにもリナに都合の良すぎる治療法だ。これは絶対に夢に違いない。


 部屋の外へ行こうかと、寝台から足を降ろそうとした時、

「あ、お目覚めになったんですね」

 と、ラミラが寝室に入ってきた。


「おはよう、ラミラ。……あ、朝じゃなかったわね」

「はい。もう夕方です。お加減はいかがですか? 痛みや苦しいところはありませんか?」

「ちっとも無いわ。でも身体が少し重いかしら。私、半日くらい寝てたの?」

「え?」

「ラミラに薬を飲ませてもらったあと、気絶したわよね。……エドが来たりした? それともエドのことは私の夢?」


 ラミラはきょとんと目を丸くした後、

「……ああ、はい、夢かと思います。閣下は来てません」

 と真顔で言った。


(なあんだ!)


 やっぱり夢か、と思いつつ、ラミラの声色が硬かったのが気になった。


「今、ちょっと間が空かなかった?」

「いえ、カレンダーを替え忘れたことをどう言い訳しようかと考えておりまして」

「そんなこと気にしなくていいのに。……あれ、やっぱり、半日以上経っているの?」


 ラミラは壁際の木製カレンダーに近づいていき、日付を一枚入れ替えた。


「はい。看病に気を取られてカレンダーを替え忘れましたが、リナミリヤ様が私に薬液を突っ込まれたところまでしか覚えていらっしゃらないのなら、一日半、経っております」

「そんなに寝てたのね、私」

「なかなかに重い毒でしたから」


 言われて心配になった。そっと胸に手を当てる。


「どこかまだ異常がございますか?」

「大丈夫。すっかり良いわ。ラミラの薬が効いたのね!」


 ラミラは言葉に詰まり、それから「実は――」と言い出した。


「私一人で手に負えるような症状ではございませんでしたので、屋敷の使用人たち総出で治療に当たりました。あとで口裏を合わせて――いえ、うまく言っておきます。リナミリヤ様は、閣下に知られたくなかったんですよね?」

「あ」


 そうだった、とリナは思い出す。


「そっか、私、エドに言わないでって頼んだものね。約束を守ってくれたのね、ありがとう!」


 身体の異常を感じてすぐにラミラに申告しつつ、「エドには言わないで! 毒魔法に負けたってバレたら追い出されちゃう!」と叫びながら気絶した覚えがある。

 この屋敷の使用人たちは毒魔法士だ。きっとエドに隠しつつ、知恵と魔力を集結させて治療にあたってくれたに違いない。


「いえ、約束した覚えはございませんが……リナミリヤ様が追い返されてしまうのはこちらとしても心が痛むというか――中立のつもりでしたが、リナミリヤ様を応援したい気持ちがありまして」

「嬉しいわ。ありがとう、ラミラ!」


 リナは満面の笑みでお礼を言ったが、ラミラは複雑そうだった。


「普通、使用人だけで済まさず、真っ先に毒魔法士最高位の閣下を頼るべきかと……むしろ叱っていただいて構わないのですが」

「叱るだなんてまさか。私のバレたくないって気持ちを尊重してくれたんでしょう? ……追い出されたくないもの。夢で良かった。毒で倒れたってエドにバレてなくて、本当に良かった」

「……」


 ラミラは「まあ、そういう方ですよねぇ」と呟いた。


「で、夢の中の閣下とやらはどんな調子でしたか?」

「……い、言えないわ」


 かなり甘やかしてもらった覚えがある。

 頬が赤くなったであろうリナに、「おやまぁ」とラミラが言う。


「お幸せそうでなによりです。ちなみに、いつも閣下と食事を共になさるリナミリヤ様が起きられないことは誤魔化しが効きませんので、普通の体調不良で一日休んでおられたことになっております」

「え、それはまずいかも……エドのことだから『俺の毒のせいで』って思っちゃうんじゃない?」


 少しの異変でも『医者を! すまない俺のせいで!』と叫ぶのをやたら見ているので心配になったが、ラミラは気にならないようだった。


「いえ、年頃のか弱い女性ともなれば、なんとなく起き上がれない日もよくある、という言い訳で通しましたよ」

「私はそんなにか弱い女性に見えないと思うけれど……」

「大丈夫です。閣下からすればリナミリヤ様は子犬のように守るべき存在でしょうから」

「……」


 それはちょっと物申したい気持ちになったが、毒で倒れたわけではないと思ってもらえるのならいいだろう。


「安心したらお腹が空いちゃった」

「ただいまお食事をお持ちします。夕食の時間には早いですが、いつお目覚めになってもいいようにご用意が」

「ありがとう」


 胃に優しいミルク粥を出してもらい、リナが問題なく食べられるとわかると、「少し出てきます」とラミラは静かに退室していった。



       ◇◇◇



 廊下にて、ラミラはエドガルドと落ち合った。


「どうだ、そろそろ目が覚めた頃か」

「はい、お元気そうですよ」

「俺も様子を見に――いや、その前にやはりガスマスクを着けてもらわないとまずいな。今後はより一層警戒せねば。……いや、やはり家に帰すべきだな」

「そのことなのですが」


 ラミラは、せわしなく心配する又従兄(はとこ)をじっと見上げて言った。


「すべて夢ということになりました」

「何がだ?」


 唐突な発言に、エドガルドは当然、怪訝そうにする。


「閣下が治療したことはリナミリヤ様も覚えていらっしゃるようですが、『夢かしら』とおっしゃっていたので、夢ということにしました。私と使用人たちでリナミリヤ様を治療し、閣下には毒で倒れたことは隠した、という設定になっております」

「……なぜそうなる……?」


 心底理解できない、という困惑をエドガルドは顔に浮かべた。


「リナミリヤ様のためですよ。もし毒で倒れ、さらに閣下みずから治療されたと知ったらリナミリヤ様はどうなさるでしょう。あの頑張りすぎて空回りしそうで、閣下を光の当たる場所に連れ出そうと尽力なさり、それこそ何でもやりそうなリナミリヤ様が」

「……追い出されまいと、ますます頑張りそうだな」

「でしょう?」


 ラミラは頷く。


「失敗して私に治療されたという自覚はありますから、今後は気をつけてくださるでしょう。危なっかしい方ではありますが、同じ失敗を二度する方には見えませんし――それで良いではありませんか」

「今後毒魔法を警戒してくれるなら問題ないが――いや、しかし」


 納得のいっていない又従兄を無視してラミラは続けた。


「他の者たちにも、『夢』ということで口裏を合わせてもらいます。閣下はリナミリヤ様の部屋を訪れていないし、治療は使用人たち総出で閣下に内緒でなんとかした、という設定でいきます」

「そんなふうに嘘をつく必要があるのか?」

「完璧であることに気を張りすぎるリナミリヤ様には――閣下に追い出されまいと無理をしそうなリナミリヤ様には、『一番避けたかった失敗を無かったことにする』のが一番だと判断しました」

「……意外だな、面倒くさがりのお前がそこまで根回しをしようとは」


 その感想に、ラミラは「はぁ」と溜息を吐く。


「閣下にもう少し甲斐性があれば、私が苦労しなくて済むのですが」

「俺の甲斐性?」


 聞き返した又従兄を、じとりと睨んだ。


「あんなにもわかりやすく慕ってくれる方を、よくもまあ追い返したがるものです」

「お前だって追い出すことには反対してなかっただろうに。それが一番リナミリヤのためだとわかるだろう?」

「昨日のあの幸せそうなリナミリヤ様を見なかったんですか。……俺が幸せにする、くらい言えないんですか」


 その言葉には、エドガルドの瞳に剣吞としたものが宿った。


「リナが学生時代、俺に友情を寄せてくれていたことはわかっている。親しかった記憶の分、俺は幾つかのささやかな幸福を与えることはできるだろう。だがそれよりも多くの不幸と苦労も与え、リナは決して逃げないだろう。――それがわかっていて、なぜそばにいてくれと言えるんだ。リナにはこの世で誰よりも幸せになってほしいと思っている。彼女が一番の幸福を享受することが俺の望みだ。そのためには俺のそばにいるべきではない」


 強い意思を感じさせる言葉に、ラミラは一瞬気圧され、そして、ちいさく溜息を吐いた。


「……その情熱的な告白、本人にしてさしあげてくださいよ。花束の話、していたでしょう、あげる時に言ってきてください」


 花束、という言葉に、エドガルドはちいさく眉を上げた。


「ああ、花束を欲しがっていたな……しかし俺の治療が夢ということになったのなら、あの会話もすべて夢ということになるのではないか?」

「そうですけども、花束とかピクニックとか、聞いていないことになっていても普段から叶えてさしあげていいことだと思いますけどねぇ」

「そうか? しかし花束を欲しがっていたとは知らなかったからな。ふむ……三ヶ月後、リナの誕生日なんだ」

「遅いです」


 即座に切り捨てられて、エドガルドは気まずそうにする。


「……三ヶ月後、この結婚の終わりに、滞在中の礼も兼ねて」

「遅いんですよ」


 ラミラは又従兄を睨みつける。


「お別れの花束じゃ意味ないんです。乙女心のわからない人ですね。なんでもない日に贈るんですよ」

「そうなのか? 変じゃないか? ……そういう関係でもないのに、なんでもない日に贈り物をしたら怖くないか?」

「今は夫婦なんだから良いんですよ。というか『囲い込み作戦』については倒れる前にリナミリヤ様にも話しましたから、そういう怖がらせる作戦だということにしましょう」

「作戦で渡される花束はいいのか」

「三ヶ月後のお別れ記念で渡されるよりマシですよ」


 げんなりとした顔でラミラは言った。


「というか、本気で追い出す気があるんですか? 言ったでしょう。『俺の美しい妻に、毎日花を贈ったらいけないのか?』くらい毎日やってください」

「無理だ」

「やれ」

「……」



 ――そんな又従兄妹(はとこ)たちのやりとりを知らないリナは、ミルク粥を食べ切った後に、エドガルドが水色の花を数本束ねたブーケを持って訪ねてきたので驚いた。


「急にどうしたの、エド?」

「……毒抜きをした花だ」


 気まずそうな顔でエドガルドが花瓶に挿して、リナから花の正面が見えるように向きを変える。


 水色の、美しい花。

 リナが一番好きな、この公爵家だけが育てている花だ。

 ちいさなブーケとして、白いリボンでくくられていたのが可愛らしい。

 つい見惚れていると、エドガルドが寝台横の椅子に座る。


「見舞いのつもりだ。目の保養になればと思って……体調はどうだ?」

「ええ、すっかり元気よ」


 答えながらドキドキした。予想外に、好きな花を持ってきてもらえた。そして毒で倒れたことがバレないかという心配と――夢の中で触れた、彼の手の感触を思い出して。


(よく考えたら私、結構はしたない夢を見てしまったんじゃないの!?)


 しかも最後の方など、彼の胸に身を預けていた。男性らしい逞しい身体に、安心感を覚えて、心地よくて――。


「……本当に、大丈夫か? 顔が赤いぞ」

「大丈夫、すっかり元気よ!」


 慌ててリナは背筋を伸ばした。

 そしてちょっと控えめに彼の顔を窺いながら言う。


「……あの、ありがとう。この花好きなの」

「そうか。気に入ったなら良かった」

「……それと、明日の朝食からはまた一緒に食べてもいい?」

「俺は構わないが、無理はするなよ。……そんなに心配そうな顔をするな。食事くらい、いつでも共に摂る」

「ありがとう」


 ふふ、と嬉しくて笑った。


(……毒で倒れたってバレてなくて本当に良かった……ラミラにもう一回お礼を言っておこう……)


 ただの体調不良だと思われているから、またそばに寄っても怒られないのだ。

 そして体調不良だと思っているから、優しいエドガルドはいつもよりさらにリナを気にかけてくれる。たまには寝込んでみるものだなぁ、と不謹慎ながら思ってしまった。


「あまり長居をしても体に障るな。そろそろ俺は退室するが――なにか欲しいものはないか?」

「そんなに甘やかしてくれなくていいわよ。ちょっと休んだだけなのに」


 これではまるで重病人扱いだ。

 笑っていると、エドガルドは「無欲なんだな」という。


「ではまた明日も花を持ってくる。この花とは違う、一般的な花になるが。なにか希望はあるか?」

「え、急にどうしたの。なんでそんなに花をくれようとするの?」

「…………妻に花を贈るのは、夫の嗜み、だろう?」


 かなり小声で、そんなことを言った。


(一体どうしちゃったの!?)


 もしや『囲い込み作戦』が続行されているのだろうか。


 妻と言われたことに喜びながら、それにしてもやはり夢の中のスムーズな甘やかしとは違うな、とリナは少し笑った。妄想の中のエドガルドと現実の彼は違う。


(あ、でも、他の選定公たちの前では『新婚だからか、妻が可愛くて仕方がない』とか言っていたわよね!?)


 リナを庇うためとは言え、あれはかなり滑らかな演技だった。

 公の場と、一対一では、やはり違うのだろうか。


「ありがとう、エド。気持ちだけで嬉しいわ。お見舞いのつもりなら何も要らないから気にしないで。もうすっかり元気だし」

「……見舞いでなくとも、愛しい妻に毎日花を贈るのは、夫として当然の――」

「あはは、それもういいから」


 笑っていると、「怖がるどころか笑っているじゃないか」と小声でぼやいていた。やはり囲い込み作戦だったらしい。ラミラから作戦を聞いていることは言わないでおいた。頑張る彼をもう少しだけ見ていたかったから。



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励みになります。

次話から3章に入り、ほのぼのターンは一旦終わりになります。

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