22_一番欲しいもの①
「君の魔法が不安定なのは知っている。俺が悪かった」
「いえ。……そんなに謝らないでちょうだい」
寝室に担ぎ込まれたリナは、眠くもないのに上体を起こしてベッドの上にいる。エドガルドに謝られて、なんだか申し訳ない気持ちになった。
防御魔法が暴走しているわけではないのだ。今日は新しい実験で無茶をしたせいで、防御魔法が一瞬消えただけだ。
「新しい挑戦に、失敗はつきものよ! 失敗を怖がっていたら成長できないわ! ……でも、今回は私が事前にガスマスクをしていたら、あなたにも屋敷のみんなにも、ここまで心配させなかったのよね。ごめんなさい。私が悪かったわ」
練習中にキスのチャンスだの乙女の矜持だの考える必要は無いのだから、意地を張らずにガスマスクをしておけばよかった。
「そうしてくれると助かる。むしろ、もう常にガスマスクをしていてくれ。実験中でなくとも、二十四時間」
「二十四時間は嫌よ!?」
「耐魔布の服も、最初から着てもらうべきだったな……防御魔法が解けてしまった場合、呼吸を止めても皮膚が毒の影響を受けてしまう」
それはつまり、リナも使用人たちのように黒尽くしの服装になるということだ。
「それはちょっと……いえ、古風なゴシックな装いが嫌というわけではないのだけれど」
「ああ、君のはいくつか趣向を凝らして用意してある。流行りのものと、無難なものと、他にもいくつか」
「?」
彼の言葉に、リナは首を傾げた。
「もうドレスを用意してくれているの? ええと、エドのお母様の遺品、とかかしら?」
「いや、君のために仕立てたドレスだ。君が来ることが正式に決定してから、とりあえず五着ほど用意したが」
「私のために!?」
彼がリナのためだけに用意してくれたドレスがあったなんて――。
嬉しさがこみ上げて、リナは思わず胸を押さえた。
どんなドレスだろうか。デザインも彼がリナに似合うと思って選んでくれたのだろうか。
見たいし、着たいし、できれば記念に持ち帰らせてほしい。
わくわくと目を輝かせてしまうリナを見て、彼の表情は柔らかいものになる。
「嬉しそうだな。……そうか、ガスマスクは駄目でもドレスなら良かったのか。それならば十着でも二十着でも――」
「いえ、そんなには要らないわ!」
止めなければ、世話好きの彼は本当に何着でも用意しそうだ。
「では着替えてくれ。俺は退室する。今日はもう俺から離れて休んでいてくれ」
「……うん、ありがとう」
「本当にすまなかった。……今後はガスマスクをしていない時は会わないことにする」
「ちょっと!? それは困るんだけど!?」
さらりと聞き逃せないことを言われて、リナはとっさに食い付いたが、彼は意に介さず退室してしまった。
(会わない、って本気じゃないわよね……!?)
ベッドの上ではらはらとしているリナをよそに、侍女のラミラが、「ほら、こちらの品々がそうです」と黒いドレスを何着も出してくれた。クローゼットに黒いドレスがあるのは知っていたし、毒対策のための耐魔布製であろうことは察していたが、彼が今回のためだけに用意してくれたものとは知らなかった。
「……綺麗」
広げてみれば、どれも魅力的な品々だった。
繊細なレースや、フリルの豊かなものから、すっきりと洗練されたロングドレスまで。
それに、部屋でゆったりくつろげそうな、袖のふっくらしたワンピースもあった。
どれか一つはリナが気に入るだろうと、彼が真剣に選んでくれたのだろうと思えた。彼はとても真面目で、人を大事にしすぎる性格だから――。学生時代に好きになった時と変わらない、彼の優しさを感じて、胸がじんわりとあたたかくなった。
「ドレスは、今後は無茶な実験をする前に着ようかと思うわ」
「それは閣下も安心なさいますね」
「でも、ガスマスクを二十四時間は……」
ぐぬぬ、とリナはこの部屋の壁際にも五個も常備されている武骨なガスマスクたちを恨めしく睨みつけた。
ガスマスクに罪はないが、乙女として、許容できない難題だ。
「ガスマスクをつけていない時はもう会わないとまでおっしゃっていましたね」
「ねー……」
ラミラの言葉に、あまり元気なくリナは相槌を打った。
「ガスマスクを着けたまま三ヶ月なんて……それじゃあ全然、初恋の未練が断ち切れないわ」
「え、断ち切る?」
きょとん、とラミラは目を丸くして聞き返してきた。
「どういうことですか? ……だって、初恋相手の、うちの閣下が忘れられなくて花婿を弾いてしまったから当家にいらしたのではないのですか? てっきり三ヶ月と言わず、なんだかんだ閣下を惚れさせてずっといらっしゃるご予定かと思っておりました」
「……あれ、言わなかったかしら。初恋を終わらせるために来たのよ」
「ええー?」
ラミラは露骨に不満そうな声を出す。
「あら、私が帰ると何か困るの?」
「困ると申しますか……」と彼女は言葉を選びながら言った。
「私共としましては、リナミリヤ様を早めに帰らせることができれば閣下から報奨金が出るので帰っていただいても得をするのですが……しかし一応、主へのなけなしの忠誠心と言いますか、良心と言いますか……自ら孤独を選ぶ閣下にはリナミリヤ様が居てくださった方が健康的なのでは、という気持ちが無いわけでもなく……」
「……すごく正直なのね」
追い出せたら報奨金かぁ、と呟くと、「結構な額ですよ」とラミラは頷く。
「そして、私はリナミリヤ様のお気持ちを知っていますので。……中立として、閣下には『囲い込み作戦』を進言しておきました」
「囲い込み作戦?」
漁か何かだろうか。
怪訝な顔をしたリナに、ラミラは説明をしてくれる。
「今の閣下は『早く帰れ』と追い立てている状態ですが、それでは意地っ張りで闘志に燃えるリナミリヤ様は帰りません。むしろ甘やかし、囲い込み、『今逃げないと、一生閉じ込められる!』と自ら危機感を覚えて逃げ出すような作戦がよろしいですよ、と閣下に申し上げておきました」
「……」
一体何を言ってくれているんだ。
(いえ、たしかに応援の気持ちを感じるから、嬉しいと言えば嬉しいのだけど!)
あまりにもエドガルドに合っていない――現実的ではない後方支援だ。
困った顔をしているリナに、「もし成功すれば、私は報奨金をいただけますし、リナミリヤ様は閣下に甘やかしてもらえますよ。一石二鳥」とラミラは悪びれもなく言ってのける。
「甘やかすっていうか……囲い込むとか、エドはやらないと思うわ」
「いえ、いよいよ本気で追い出そうと思ったら『俺の愛しい妻』くらいは言いますよ」
「……言うかしら?」
エドガルドが、リナを逃がさぬように囲い込み、甘い声で『俺の愛しい妻』と囁く――想像したら、心臓に悪かった。
「うっ、それは一度でいいから見たいけど……でも、絶対無理でしょう!」
「無理ですかねぇ。頑張ったらちょっとくらい出来ませんかねぇ」
リナたちは「ううーん」と首を傾げ合ったあと、ちいさく噴き出して「やっぱり似合わないなぁ」という結論で一致した。




