21_執務室②
それは夜会への招待状だった。
しかもかなり個人的というか、招待カードだけで済ませるのではなく、事前に「このような催しを考えているのですが、どのような配慮をすれば来ていただけるでしょうか?」という、エドガルドの毒体質の事情にあわせて準備しようという気遣いが含まれた文面だった。「妻の誕生日祝いなので日付は動かせないけれど、それ以外ならいくらでも変更できます」とも書いてあった。
「エドが三年ぶりに選定公会議に出られたことを知って、ぜひ会いたいって思ってくれた人がいるのね! なんて素敵なの!」
思わず満面の笑みを浮かべると、エドガルドはげんなりとした顔になる。
「送り主をよく見てくれ。光の公爵家からだぞ」
「えっ」
それはリナの元夫の父であり、つい先日の選定公会議でエドガルドとも会っている人物だ。
「どうしたのかしら。……あなたのリハビリに付き合ってくれるってこと?」
「リハビリ?」
「社交界にちょっとずつ復帰するための」
「……違う。そういう仲ではない」
エドガルドは重苦しい息を吐いた。
「光の公爵は、どちらかというと俺を追い出したがっている方だぞ」
「そうなの? ……まあ、派閥的にはあなたとは敵でしょうけど。なんだか意外だわ」
一応、派閥は二つある。どの国であろうと、昔から穏健派と急進派がいるものだ。エドガルドは古くから王家に仕える穏健派で第一王子を擁立している。光の公爵家は第二王子を擁立する急進派だ。――リナの侯爵家の先祖は元々、光の公爵家に仕えていたので、今でも何かあれば主筋である光の公爵家に従うことになる。
しかしなんだかんだで第一王子が王になるだろうという雰囲気もあって、あまり表立って争ってはいない。
「そもそも光の公爵様はもう選定公の一人なんだから、あなたを追い出したって意味ないでしょう」
エドガルドに「その一席を譲れ」と思っている貴族はたくさんいるが、光の公爵が狙う理由はないだろう。
リナはそう思ったのだが、エドガルドは頷かなかった。
「その空いた席に、誰を座らせたいと思う?」
「? ……自分の派閥の誰か、かしら。会議で多数決になったときに、味方してくれる人がいたら嬉しいんじゃない?」
リナの答えに、エドガルドは溜息を吐きながら言った。
「そう。そしてその候補の一人は、君だぞ」
「え!?」
思わぬ言葉に、リナは身を乗り出す。
「そんなわけないでしょう」
ありえない、とリナは主張した。
選定公は王の次に権威があるのだ。先祖代々その席を守ってきた『猛毒公爵』のエドガルドを退かして、そこにリナが座るなんて、どう考えたって無理である。
――だが、エドガルドはそうは思っていないらしい。
「君は初のS級防御魔法士で、王女殿下からの覚えもめでたい。知名度を考えれば、かなり担ぎやすい人物だ。そして君は光の公爵家の次男を婿にもらう予定だった。光の公爵家からすれば、これほど適した手駒もいない」
手駒、と言われてなんだか悲しいが、厳しい貴族社会では主筋の公爵家に侯爵家が従うのは当然のことである。
「……でも、やっぱり駄目じゃない? 私の、王家への貢献なんて微々たるものだし、明らかに光の公爵様に従うってわかってる侯爵家なんて、選定公にはなれないでしょう」
「それをどうにか捻じ込むのが政治だ」
彼の短い返答には説得力があった。
「……嫌なんだけど、私。……絶対面倒くさいことになるでしょう」
リナは侯爵家の当主になるつもりではあるが、それは「あんな性悪の兄に領主なんか任せられない」という気持ちがあったからだ。リナは領民のことは好きだ。家の名誉だの貴族社会での地位になど興味はない。
露骨に嫌そうな顔をしているリナを見て、エドガルドは苦笑した。
「大丈夫だ。俺が選定公の席を退かない限り、君にその役回りが巡って来ることもない」
「あ、確かに」
リナはほっと安堵の息を吐く。
エドガルドを追い出そうとする動きは続くだろうが、彼は退く気はないのだから、リナを担ぎ出そうなんて企みは絶対に成功しない。エドガルドが昔のように外出できるようになれば、誰も彼が選定公にふさわしくないなんて言わなくなるだろう。
「まあ、ともかく、この招待状は罠だ。光の公爵家が今になって俺と親しくする理由など、『君と俺の立場を入れ替えたい』以外にないぞ」
「罠……」
なんとなく、もったいない気持ちで、手に持ったままの綺麗な手紙に視線を落とす。
俯いたリナを見るエドガルドの表情は落ち着いていた。
「夫婦で来るように書いてあることを鑑みても、絶対にややこしいことになる。……俺たちの関係はあと三ヶ月だけなのだから、のらりくらりと体調不良ですべての夜会を欠席するぞ」
「いや、それもちょっとどうかと思うわ」
あまりにも彼が社交界をサボるのに慣れすぎていて、リナは少し心配になった。
「今後の関係とか……なにか色々と困るんじゃないかしら」
「……君が光の公爵家と再婚する際に支障をきたすことはないだろう。元々良好な関係なのだから」
「いえ、私じゃなくてあなたの心配なんだけど」
「気にするな」
そしてエドガルドは手紙をリナから取り上げ、侍従に突き返していた。
「……本当に行かないの? チャンスなのに、なんだかもったいないわ。あなたが社交界に少しずつ復帰していって、みんなにあなたが問題なく外出できる姿を見せられる機会なのに。この間の選定公会議よりも、もっとたくさんの人に見てもらえるのよ?」
彼が三年ぶりに出席できたことは噂にはなっただろうが、やはり自分の目で見てもらうのが一番だ。実際に目撃できる貴族を少しでも増やすほうがいい。
「見せなくていい。それに俺が出歩けるのは、君が滞在している今だけだ。この先の出席も保証できるわけではない。嘘は良くない」
「私が距離を伸ばせればいいんでしょう?」
「駄目だったらどうする。……それに、俺の毒体質は、年々強くなってきているんだぞ」
いずれリナのコーティングすら効かなくなると思っているのだろう。
リナは大きく息を吸って、胸を張った。
「私を誰だと思っているの? 天才のS級防御魔法士、リナミリヤ・カレスティアよ! 私に任せておきなさい!」
リナは何度でも天才を名乗る。
彼の力になるためには、天才を自称し続ける必要があるからだ。
(それに、エドと夜会に出るの、夢だったんだもの……!)
学園の卒業パーティー。プロムナードで彼と踊りたい。――そう願っていた夢は結局叶わなかった。一回でいいから、彼と夜会に出てみたい。
「もし距離が伸ばせなかったとしても、年に一回くらい私と夜会に出ればいいじゃない!」
「……そうやって一生俺の面倒を見る気か? そもそも夫以外の男をエスコートするな。その頃には君は再婚しているだろう」
彼の重苦しい声に、「まあそうね」とリナも頷く。
「夫以外と夜会でくっついてたら駄目よね」
「……そうだろう」
なんだか纏う魔法壁がびりびりする気がしたので、防御魔法が弱まっているのかな、と思い、リナは彼の真横にぴたりとくっついた。
「……なんだ」
「身の安全のために」
「不調なのか? 離れた方がいいだろう」
彼がすぐに真剣な目でリナを見る。「近い方がいいわ」とリナは答えた。
双方コーティング中に限っては、むしろ離れてしまうと維持できないので近い方が楽だ。
「君の防御だけ維持して、この部屋を出るべきだ」
「近ければ大丈夫だってば」
リナは肩が触れ合うほどの距離に椅子を置いて、エドガルドの隣に居座る。
「もう今日の分の鍛練はやめたらどうだ。朝からずっとだろう。もう休んだ方がいい」
朝の八時から彼にくっついて回り、もう正午になろうかという時間だ。
「そうね。あなたもずっと私がいたら気が散るだろうし、そろそろ退室するわ。最後に一回、大きめに離れてみましょう」
魔力を大きく使うとわかっている実験は、最後に取っておいた。
双方のコーティングを維持したまま、限界ぎりぎりまで離れようという実験だ。朝からやっていたじわじわ距離を伸ばす鍛練ではなく、今日一番の全力を出したらどこまでいけるか、という実験だ。
リナはエドガルドのいる執務机からゆっくりと距離を取っていく。
「……大丈夫か? 無理はするな」
エドガルドが立ち上がって、気が気でない様子でリナを見る。
「大丈夫よ」
言いながらも、リナは緊張していた。
離れれば離れるほど、引っ張られるような、引き剥がされそうな引力を感じる。エドガルドのコーティングを維持するには、やはり求められる魔力や集中力が桁違いなのだ。
(大丈夫、大丈夫、ゆっくりと……)
慎重に摺り足で、後退していく。
しかし――
(あ……)
一瞬で剥がされる気配を感じた。
脆くなった羽根を、うろこを、もがれるように――双方のコーティングが、ばちんと砕け散った。
「リナ! 息を止めろ!」
彼の叫びで、硬直するようにリナは息を止める。
すぐ間近に控えていたラミラによって、ガスマスクで口を覆われる。その間、わずか一秒にも満たない早技だった。
「リナ、大丈夫か!?」
緊張で心臓の騒がしさを感じながら、ガスマスク越しに何度も呼吸し、リナはこくりと頷いた。
エドガルドは壁際に常備されている真っ黒な大判の布を急いで手に取り、リナの肩から全身を覆うように羽織らせてくれた。彼や使用人の服の生地と同じ、毒魔法を防ぐための最高級の耐魔布だ。
「大丈夫、そこまではしなくていいわ」
すぐにリナは自分の防御壁だけ復活させたので、そこまで厳重に守ってもらう必要はない。むしろ自分の防御魔法の方が、ガスマスクや耐魔布よりよほど強い。
しかし、リナは魔法で無茶したせいか、疲労で一歩、二歩とふらついてしまい――それを間近で目撃したエドガルドの顔色が悪くなる。
「大丈夫か!? すぐに部屋で休んで――いや、一瞬とはいえ無防備に空気に晒された。今すぐに医者を――!」
「これ初日にもやったやつ!」
大丈夫だと何度主張してもエドガルドは聞かず、屋敷中の使用人たちに「何事ですか!?」と騒がれながら、リナは寝室に担ぎこまれたのだった。