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19_恐れていること


 研究員はこれで帰るだろうとリナは思っていたが、

「次はリナミリヤ様についてお訊きしますね」

 と言った。


「実験の進捗はいかがですか?」

「え、私はいいのよ」

「そういうわけにはいきませんよ。お二人双方の魔法についての研究ですから」

「……じゃあ、コーティングでも披露しようかしら」


 エドガルドにS級防御魔法のコーティングをしてみせれば、研究員は魔力測定器を向け、

「茶会と同じく、S級の防御魔法ですね。さすがです」

 と、あまり驚くわけでもなくそう言った。


「しかし、『鉄壁』であることは周知の事実ですから……この実験的結婚の目的としては『どうしたら鉄壁が崩せるのか』ということを試していただかないと」

「ああー、それは、ええと、まあ追々」


 リナが誤魔化そうとすると、研究員は身を乗り出す。


「お互いにこれ以上無いほどの最強同士なのですから、どんどん試していただかないと。リナミリヤ様の鉄壁を壊せるのは、もはや公爵様だけなんですよ。――公爵様からも、リナミリヤ様を助けると思って、侵蝕を試してみてくださいませんか」


 その言葉に、ぴくりと彼が眉をひそめる。


「……本気で言っているのか。リナに、侵蝕を向けろと?」


 彼の強い非難の目にも、研究員はひるまなかった。


「はい。こちらの実験的結婚をご提案した際にも申しましたが、公爵様の毒体質には硫酸などの腐食毒や、魔法物質に効く崩壊性攻撃魔法も含まれておりますので、触れたものを意図して破壊させることが可能です。普段は制御できずに微量に漏れているそれを、最大限意識して出力を強め、リナミリヤ様が解除できなくなったS級防御魔法に向けていただいて――」


 エドガルドの表情がさらに険しくなる。


「……俺も最初から言っているはずだぞ。そんな実験には付き合えない。もしリナに侵蝕を向けて、それで防御魔法が本当に崩れたら、その瞬間リナはどうなる? S級の防御魔法を壊すとなると、こちらもS級以上の毒魔法を使わねばならない。触れていない場所すら、俺の手の周辺は毒の濃霧に満たされているだろう。そんな時にリナの防御魔法を崩したら――最高位のガスマスクと防護服すら意味を為さずに死ぬぞ」


「しかし試してみないことには――」


 平然と食い下がる研究員に、エドガルドの赤紫色の目が大きく揺らいだ。


「――リナが死んでもいいと言うのか」


 その言葉を口にした瞬間、エドガルドを包み込むように真っ黒な霧が溢れ出た。


「!」


 びしっと割れるような音が、術者本人のリナだけに聞こえた。リナは必死に魔力を最大限まで彼のコーティングに注ぎ込む。闇夜に覆われるような黒さで、魔法壁内に彼の毒魔法が渦巻いている。やがて、毒魔法は時間経過でゆっくりと落ち着いていった。


(今、危なかった)


 ――彼の毒魔法が、防御魔法を上回りかけたのだ。


 背筋を冷たい汗が流れていく。

 もし、瞬間的にでも毒魔法が勝ってしまえば、防御魔法のコーティングは割れてしまう。


 研究員は術者のリナと違って防御魔法の感知はできないので、エドガルドに測定器を向けて叫んでいる。


「今ご覧になりましたか!? 測定器の数値が凄まじい勢いで跳ね上がりましたよ! ああこれの表示がS級までなのが惜しいですね。今のはおそらくSS級。公爵様が本気を出せばやはりSSS級は行きますよ」


 興奮気味に測定器を何度も指差していた。


(いえ、喜ばしいことではないんだけど……!?)


 エドガルドをコーティングしたままだったから、爆発的な毒魔法も外には漏れなかったが、もしコーティングが無ければ――万が一、SSS級の毒魔法まで行ったら、きっと研究員のガスマスクすら貫通し、死亡していただろう。


 リナが硬直していると、エドガルドがリナを見ながら慌てている。


「大丈夫か!? 顔色が悪い――すまない。また魔力が乱れた。負担をかけただろう。つらいのならもう休んでくれ。俺は離れるから俺への魔法は解いて――」

「いえ、防御魔法の負担はこっちには来ないから大丈夫……」


 おそらく彼は、今、自分が強烈な毒魔法を溢れさせた自覚はあっても、リナがぎりぎり耐えたことはわかっていない。彼に防御魔法の探知能力は無いから、コーティングが壊れない限り、力量の差がどこまであるか、彼の方が気づくことはできない。


 だから、リナの魔法が崩れない以上は、リナを信頼してくれている。選定公会議への出席だって、リナの魔法への信頼があったから、この屋敷を出てくれたのだ。

 そうでなければ、他人を気遣う彼は、他人と会わない。


(強くならなきゃ……こんなんじゃ全然足りない……)


 史上初の防御魔法S級到達者として、もう頂上まで到達した気になっていた。

 けれど、欲しいものは、もっと強大な力だ。

 もっと鍛練しなければ――彼と対等でいられない。


 リナの内心に気づいてない彼は、

「……すまない。やはりストレスで瞬間的に毒魔法が上昇する」

 とリナと、危険に晒した研究員に謝る。


「いえいえ、ストレスで魔法が乱れることは誰にでもあります。無神経な他人の言葉に憤るのは人として当たり前のことですよ」

 研究員は平然と言っている。


「……自覚があるなら、もう少し慎重に事を進めてほしいというか……エドは自分の毒魔法で誰も傷つけたくないのよ」

「それは存じておりますが、我々はこれが仕事ですから」


 エドガルドは頭痛を堪えるように額に手を遣ってうなだれている。


「……今日はそろそろ帰ってくれ」

「しかし、リナミリヤ様の魔法の解決についての打ち合わせが――」


 リナは首を横に振る。


「私は良いのよ。今後の課題にしておくわ。まだ三ヶ月のうち、最初の一週間ですもの。そう急ぐことはないわ」

「さすが天才のリナミリヤ様。自信に溢れていらっしゃる」

「……まあね!」


(……だって、解決すべき問題はわかっているんだもの!)


 この恋心さえどうにかすればいいだけなのだ。

 そうすれば、『花婿を弾いてしまう』なんてことにはもうならないはずだ。


 研究員は「では、また来週も伺います」と帰っていった。



       ◇◇◇



 研究員が帰ると、リナはエドガルドに言った。


「私、これから魔法の鍛練をするから」

「急にどうしたんだ」


 決意に満ちたリナを見て、彼は不思議そうにする。


「ええと、ほら、距離を増やそうかと思って。選定公会議みたいに、部外者の私がいたら困る催しにも参加できるようになってほしいから。いっそ私が街一つ分離れていてもあなたのコーティングを維持できるようになれば、私が自分の屋敷に居たって、あなたは城の会議でも夜会でも参加できるでしょう?」


 実際は強度もかなり上げていかねばならないと今日思ったリナだったが、エドガルドの将来を考えると、距離も絶対に鍛練するべきだ。真横にいないとコーティングを維持できないままでは、彼の日常を取り戻せない。


 しかし、エドガルドはあまり良い顔をしなかった。


「リナ、君は昔から、頑張りすぎるところがある」


 真剣な瞳で見つめられて、リナは面食らう。


「俺のために君の時間を使うな。……君は、君の幸せのために生きてくれ」


 その静かな、願うような声に、どきりと心臓が跳ねる。

 学生時代と変わらない、心の底から労わって、リナの幸せを願ってくれる声。


 ――彼の、こういうところが好きなのだ。


「べ、べつに、私がやりたくてやってるだけだし……私にだってメリットはあるのよ?」

「俺としては今すぐに帰ってほしい」

「嫌よ。一回はこの結婚に承諾したんだから、三ヶ月きっちり付き合ってちょうだい」


 彼は溜息を吐き、少し悩んだあとに、ぽつりと言った。


「……リナ。言いにくいことかもしれないが、君の防御魔法も不安定なんじゃないか? それを周囲に隠しているだろう?」

「え?」


 何のことだろう――というか、どの嘘のことだろう、とリナが目を丸くすると、彼は言葉を選びながら慎重に言う。


「初日から俺と手が触れ合えただろう? ……触れても俺の侵蝕を受けないのだから、かなり高位の防御魔法が効いているのはわかるんだが……S級防御魔法であれば、『絶対に弾かれる』はずだろう? なぜ俺は弾かれなかったんだ?」

「っ!」


 ついに核心に迫られてしまった。


「ええと、その、……A級の防御魔法、だったから」

「……具合が悪いのか? だから君を覆うS級魔法がA級に落ちているのか? ……いや、しかし、昨日も今日も、俺へのコーティングはS級魔法を維持できていたが――」


 思案する彼に、リナは慌てて言葉を足す。


「ちょ、ちょっとだけなら、自分の防御魔法を弱められるの。あ、でも、勝手にいきなり弱くなったりはしないから安心して! あなたへのコーティングは絶対にS級を維持できてるから! 自分の防御魔法は、ええと、わりと人を弾いちゃうのよ……だから『指一本触れられない鉄壁令嬢』とか言われてるけど……常に絶対誰でも弾くってわけでもなくて……」


 苦し紛れの嘘と、わずかばかりの真実を混ぜて説明した。

 彼に向かってそっと手を差し出してみれば、彼はためらいつつも、手を近づけてくる。


「……俺の侵蝕を受けないんだろうな?」

「大丈夫、信じて」


 まっすぐなリナの言葉に、彼が目を見張る。

 今は間違いなく、リナと彼の魔法の程度が合っている。

 その自信が伝わったのだろう、彼はそっとリナの手を握った。


 初日と同じく、どちらも影響を受けず――ただ普通に触れ合えた。


(……また、エドとの思い出ができた)


 こんな些細なことでも、胸がちいさくときめいてしまう。

 人生で二回も好きな人の手を握れた。じんわりとその喜びを噛みしめていると、彼がじっとリナをみつめてきた。


 おそらくは、嘘への焦りと、また手を握っている気恥ずかしさで、心の中がごちゃごちゃになった今のリナは、かなり顔が赤く、『何かを隠している人物』に見えただろう。


 しかし、彼は、リナの手に視線を落とし、


「……俺より、小さな手だ」


 と、ぽつりと呟いただけだった。


 それから彼は、そっと手を離した。


「君の事情はわからないが、俺の事情をわかってくれ。今すぐ帰ってほしい。俺は君を殺したくないんだ」

「……死なないわよ」

「ならばせめて今日からはガスマスクを着用して過ごしてくれ。……君の魔法を信頼していないわけではない。自身への防御魔法をS級からA級に調整できるだけという君の言葉も信じよう。だが何事にも万が一ということはある。一日二十四時間、三ヶ月きっちりと着用してくれるなら――」

「嫌よ!?」

「……」


 即答したリナに、彼が顔を顰めた。


「君の安全より大切なことなど無いだろう? なぜそこまで拒否するんだ。……使用人たちにも三ヶ月ずっと着用するのは不評だったが、時折魔力温存のために自分から着用している使用人も結構いるんだぞ。自分の魔法だけで解決せずに、道具に頼ることも時には必要だ」


「それはわかるんだけど……」


 ただひたすらに、乙女心の問題だ。


 もはや一回のまぐれでいいから『絶対キスして帰る』と思っているリナからしたら、口を覆って暮らすなどありえない。


(だ、だって、なんかこう……夜に男女が二人きりになったら良い雰囲気になって自然と顔が近づいて――みたいなことがあるかもしれないじゃないの!)


 彼が別の令嬢を在学中からずっと想っていると知っているリナからしたら、正攻法で三ヶ月で口説き落とすのはまず無理だ。

 だとすれば、やはり、一秒でも長く、ガスマスク無しで彼のすぐそばに居座り続けて、まぐれの一回を狙うしかない。一途で誠実な彼だって、人恋しい時があるかもしれない。そんなチャンスが来た時に『ガスマスクが邪魔でキスできませんでした』では一生悔やんでも悔やみきれない。


「とにかく、ガスマスクはしないわ!」


 彼は物言いたげな目になり、この応接室の壁にも掛けてある予備のガスマスクに視線を向ける。


「……この屋敷のガスマスクは一応、これでも可能な限り軽量化した最新式だ。俺の親や祖父母の代と比べれば、かなり快適になってきた方だ」

「いえ、あなたの家が日夜研究してきたガスマスクを否定しているわけではなくて――そりゃあ普通に過ごすよりも、重いとか蒸れるとか息がしづらいとかいう問題もあるんだけど、そうじゃなくて……」

「では何だ?」


 リナが俯いてしまうと、エドガルドは、部屋の隅に控えていた侍女――ラミラを見る。

 ラミラは「乙女心です」とさらりと言った。


(あっ、ひどい! 内緒にしてって言ったのに!?)


 放心したリナが言葉をうまく出せずに、ぱくぱくと口を動かしていると、「ふむ」とエドガルドが口元に手を遣る。


「乙女心……では、もう少し可愛らしいデザインにすればいいのか……? 丸みを増やし、ドレスにも似合う装飾をつけるか? ああ、頬に掛かるベルトの食い込みが気になるのか……だとすると素材が……」

「そういう問題じゃないわよ!」

「……ではどうすればガスマスクを着ける?」


 リナはぐっと押し黙った後、

「……必要な時だけ自分で着けるわよ。いつでもすぐ着けられるように持ち歩くわ。それでいいでしょ?」

「……それでも不十分だと思うが……」


 彼はまだ納得していないようだったが、リナは話を切り上げることにした。


「とにかく、私は魔法の鍛練をするから! 協力よろしくね!」

「具体的には俺はどう協力すればいいんだ?」

「そうね、強度を維持しつつ距離を伸ばしたいから――明日から私はあなたのそばを離れたりくっついたりして、魔法の調整をし続けるから、あなたは気にせずお仕事しててくれればいいわ。移動するときは私に声を掛けてね」

「そうか」


 意外と普通のことだな、と彼は頷きかけ――ふと、ぴたりと止まる。


「今、『くっついたり』とも言ったか?」

「じゃあ、そういうことだから!」

「待て、くっつくとは具体的にどういう――」


 リナは自室に逃げ込んだ。



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