17_【間話】※彼視点
かつて必死の思いで断ち切ったその執着が、あの光り輝くような存在が、またそばにやってきて、俺は困惑している。
あの柔らかそうな髪が、頬が、すぐ隣にあった学生時代、何度か触れたいと思ったことがある。決して触れてはいけないと自分の心に何度も言い聞かせていた。
それなのに今は彼女の方から近づいてきて、「接触実験よ!」と言って、きれいな手を差し伸べてくる。
……いったいこれは、何の拷問だ。
彼女自身、本気でこんな実験が彼女の防御魔法の暴走改善に繋がると思っているのだろうか。俺はこの実験を王立魔法研究所から持ちかけられた時から「無意味だ」と断り続けていた。彼女はきっと誰かに丸め込まれたに違いない。彼女は少々、人を信じやすいところがある。きちんと周りが見張っていなければ、そのうち何かの詐欺に遭うだろう。
『最強の矛と盾をぶつけたらどうなるか』なんて実験――前提から馬鹿げている。
仮に、俺の毒が彼女の鉄壁を侵蝕できたとして、それが一体何だというのだろう。
最高位の防御魔法を解除できなくなった彼女を、この世で俺だけが触れられるからと言って、それが一体何になるのだろう。
彼女は結局魔法を制御できないままで、そして俺がそれを打ち破ることができた、という、ただその事実だけが記録に残る。
結果が出たところで、その先が無い。
俺と彼女の魔法、どちらが勝ったとしても、彼女の人生の幸福には繋がらない。
だから彼女は、防御魔法を唯一破壊できそうな俺に関わるよりも、自分の屋敷でひたすら解除の練習をする方が百倍は有意義に過ごせるはずだ。
――彼女に、最大級の幸福を。
ただそれだけを願っている。だから一秒たりとも、俺のそばにはいてほしくない。関わる分だけ彼女の損になるのだから。
……だというのに、周りの研究者たちに頼まれたのか、あるいは敬愛する王女に期待されて喜んだのか、俺の屋敷にやってきて、「三ヶ月きっちり滞在する」と主張している。結婚だって、署名なんかする必要がないと俺は何度も言ったのだが、彼女は正式な婚姻が絶対に必要だと思っているようだった。
そのくせに、光の公爵に「いずれ再縁を」と言われたときには、一切の躊躇もなく「ぜひ!」と答えていた。
……その即答っぷりといったら、本当に、一瞬の揺らぎすらなかった。
まるで当然だとばかりに。最初から返事を決めていたかのように。
俺はこの世から消えたのかと思った。少なくとも『夫』として横にいた俺は世界が消し飛んだのかと思った。……君にとって、この結婚は何なんだ? 男女が同じ屋敷にいて日々触れ合うのだから正式に結婚しておいた方がいい――などという、王女が主張した世間体のためだけに、本当に結婚までしてしまったのか?
だとしたら、本当に馬鹿げている。世間体を守るためなら、そもそも俺の妻になど一瞬たりともなるべきではない。メリットといえば、選定公の妻として動きやすいくらいだ。優しい彼女はどうやら俺を連れ出そうと努力してくれるようだから、同伴者として動きやすくなるのは間違いないが――。
多分、俺との結婚について、甘酸っぱい何かを思うところは何一つ無いんだろう。だからそう簡単に署名もしたのだろう。……俺はあったぞ、君との理想の結婚式。求婚も、選ぶ指輪も、溢れるような花束も――それを抱えて、君が微笑んで、俺に応えてくれるその瞬間を何度も想像した。――全部、絶対に叶わないと思いながら学生時代に夢を見て――そしてその心ごと仄暗い腹の中に埋めて殺した。
まあ、つまり、俺の片思いなのだから仕方ない。
……ほんの少しだけ、学生時代、彼女が自分に淡い恋心を向けてくれているのでは、と思ったことがある。やはりうぬぼれだった。
だから、俺はただ、自制していよう。来てしまったものは仕方がない。一刻でも早く彼女が自分から帰ってくれるよう尽力しつつも、俺の方から『夫』として振る舞うことはやめておこう。『逃げられないよう囲い込んで怯えさせて帰らせる』なんて作戦も、できれば俺はやりたくない。――なので、なるべく俺の心を掻き乱さないでくれると助かる。
三ヶ月間は意地でも居座るつもりだと彼女は言うけれど、三ヶ月後にはきっちり帰るのだろう。一切の未練もなく帰るのだろう。俺に一生消えない痛みを残して。
なんて残酷な真似をしてくれるんだ、愛しいリナ。




