メロウの思い
ソフィアの体調は、以前よりかなり回復していた。
「風が気持ち良いわね。やっと春になった。ねえ、メロウ、ラメルはまだ忙しいの? 私ばかり別荘にいるのも寂しいわ。いつお迎えに来てくれるのかしら?」
「そうですね。きっと……もうすぐですよ」
二人とも微笑みながら、いつものようにお茶を飲んでゆったり過ごす毎日だ。ソフィアが未だ歩けないこと以外は、城で暮らしていた時と同じに思える程に。
元王妃ソフィアの記憶は断面的に途切れ、その部分は都合の良い状況に改竄されていた。
夫である亡き前国王は公務が多忙で一緒におらず、終われば迎えに来てくれると本心から思っている。
自分はラメルに愛されているのだとさえ、微塵の偽りなく信じていた。現実ではあり得ないことだったのに。
(ソフィア様がラメルを殺したことは、彼女の記憶から忘却されていた。でも、それで良い。ソフィア様が少しでも穏やかでいられるなら)
メロウは思う。
ソフィアを傷付け続けたラメルは、報いを受けたのだと。
でも……死んでからもなお、主の心を奪い続ける彼に嫉妬さえ感じてしまう。
このまま二人で過ごせれば良い。
けれど……もう、長く続かないだろう。
ラメルが亡くなった直後、ソフィアは夢でその光景を見ていたようで、直後に泣き叫びながら覚醒をしていた。
「い、嫌、死なないで、ラメル。嘘っ、こんなこと、望んでいないの、夢よ、こんな、イヤアァァァーーー!!!」
そして起きた時には、そのことを覚えていないのだ。きっと心に、ロックがかかっているのだろう。
その状態が何度も繰り返されて脳への付加が強くなり、血管にも影響が生じていた。何本かの細い血管に亀裂が入り、脳の出血が確認され、魔法使いに治療を受けていた。
だが既に脆くなった血管は、後数回発作が起きれば太い動脈にも亀裂が入ることが予見されている。
最近はラメル以外のことは、普通に受け答えができるまで回復している彼女。だがそれ故に危険なのだ。
(きっと……近いうちに全てを思い出してしまう。そうしたらソフィア様は、一体どうなってしまうの?)
以前のソフィアに戻ったことは嬉しいが、ラメルや家族の末路を聞けば、もう堪えられないだろう。
車椅子で微笑むソフィアに、泣きたい気持ちを隠して微笑むメロウ。
以前にいたグウェン(グラジラス)はソフィアに同情的で、治療も丁寧に行ってくれたが、魔法師団長となりこの地を去った。
代わりに来た魔法使いはラメルを殺したソフィアを憎んでおり、態度にもそれが滲み出ている。その為全力で治療が行われるか分からない。
(私に治療のスキルがあれば、こんなことで不安になることもないのに……)
以前にグウェン(グラジラス)に聞いた推論は、あくまでも彼の調査したものと憶測が混在していた。だから彼女とポリフェノール家のことを話し合えたのだ。
けれど全てを知ったグウェン(グラジラス)は、国王との誓約魔法が施行され、彼女に真実を伝えられなくなった。
いつしかメロウは、共通の敵を持つ同志として彼に気を許していた。それはいつも気持ちに蓋をしていて生きてきた彼女にとって、大きな救いだった。
真相を知っている彼女が、彼の推論を真剣に聞いて同意する程に。
(独自によく調べたわね。私から真実は話せないけれど、話せばきっと気持ちが楽になるわ。私と同じように……)
◇◇◇
メロウは昔から『盗聴』スキルで、ある程度の情報を得ていた。様々な場所で彼女が得た情報の一部は、公爵家が戦略(交渉や脅し)として役立ててもいた。
だからこそラメルの浮気のことも、王太后ダイアナのことも知っていた。彼女は公爵家の共犯者と言っていい存在なのだ。
ただ公にされていないスキルと、普通の侍女と言う立場で見逃されていた。ソフィアに尽くしてくれたことで、公爵家の者達は彼女を道連れにしようとは考えていなかっただけで。
もしソフィアが死罪だったなら、間違いなく彼女も後を追っただろう。共に地獄まで仕える為に。
ソフィアが刑罰を受けず療養となったことで、生き長らえていた。不敬と言われるだろうが、妹のような彼女を置いては死ねないのだ。
でも逆を返せば、生に執着はない。
(娘は嫁いでいるから、生家伯爵家の籍から抜けている。ソフィア様に会う前に一度見捨てられた生家にならば、少しくらい迷惑はかかっても良いし。
国王死亡時に多くの者が断罪され、漸く世論が落ち着いてきたところだ。もし私が事件を起こしても、内々に処理され世に出ることもないだろう)
「だからこそ道連れが欲しい。正義だと宣いながら平気で人を裁いていく奴らの。何の権利があって多くの人生を狂わすと言うの? あいつらの方が裁かれるべきだわ。権力の傘下に入る国王の犬めが!」
最初からグウェン(グラジラス)のことはおまけで、彼がいてもいなくても結末は同じだった。
◇◇◇
今日、ソフィアが全てを思い出した。
泣きながらラメルに懺悔し、娘達に許しを乞い、激しく嗚咽していた。
「あぁ、許してラメル。許して子供達……。母が間違っていたの。ラメルなんて切り捨てて、母子で紡ぐ絆もあった筈なのに。ひぐっ、なのにどうしても、愛する気持ちが捨て切れなく、あぁ、うぅ」
そしてメロウにも……。
「私のせいなのでしょ? こんな田舎に付いて来させたし、下の世話まで。気が休まらなかったわよね。ごめん、ごめんなさいね、あぁ」
「謝らないで下さい、ソフィア様。私はずっと幸せでした。不敬ですが、あなた様を妹のように大切に思って生きてきたのですから」
メロウはソフィアを抱きしめて、一緒にいられて嬉しかったと。そして王女は生きているし、何れ修道院からも出られることも伝えた。
「そう、なのね。あの子は修道院から出られるのね。それなら少し良かった……。きっと幸せになれ、るわね。メロウ、感謝して、る……ありが、と……………………」
急に脱力して、メロウにもたれかかるソフィア。
「魔法使いよ、治療を! 早く!」
「ああ、分かった」
けれどもう……大量に出血した脳内は回復することはなく、ソフィアは命を落とした。
「あ、あぁ、逝かないで、私を一人にしないで、ソフィア…………う、うっ、ふあぁーーー」
慟哭は止まず、晴れていた空からは雨が振り注ぎ二人を濡らしていく。やっと重荷を降ろせたように、ソフィアの表情は穏やかだった。
最期にメロウが傍にいてくれたことも、きっと救いだったのだろう。
残されたメロウは、何も考えられなかった。
まだまだ一緒にいられると、いや、いたいと心から願っていたから、急に残されてしまうことに気持ちが追い付かないのだ。
けれど……本当は気付いていた。薄氷の上を歩む毎日だったことに、目を逸らして生きていたのだ。
「あぁ、愛していました、貴女は、私の人生の光でした、うあぁ…………」
魔法師団の団員はソフィアの死を確認し、祭壇を作り、彼女の棺を花で飾った。その後王へ報告の連絡をする為にその場を去って行く。
彼女は罪人であり、王族の墓には入れない。団員は彼女が急逝すると思わず、埋葬場所の指示を仰ぐ為に王都へと急ぐ。
ソフィアには冷却魔法がかけられ、遺体の腐敗は進まない処置はしてきたが、メロウのことを忘れていた。
彼女もまた監察対象だったのに、すっかりそれを除外していた。泣き疲れ、憔悴していた彼女を見たせいもあるだろう。
落ち着きを取り戻したメロウもまた、王都を目指した。
ソフィアを丁重に着飾り、王妃として威厳のある姿に施してから。
「私もすぐにお側へ向かいます。その前にちょっとだけ、一撃を入れて来ますわ。では後程再会いたしましょう」
横たわる彼女へ最後に抱擁し、笑顔で小さな家を後にする。周囲に人が近付く場所ではなく、荒らされる心配だけはないだろう。
ある目的を胸に、メロウは王都へ向かう。




