41 眠る獅子には、手を出すな
相変わらず、アマンダとマリアンヌは、ほぼ顔を合わさず日々が過ぎていく。
それもそのはず、1日の生活リズムがそもそも違うのだ。
アマンダは、前伯爵が亡くなり、6才から暗部当主候補へ。
その後、候補から当主となっても、訓練を続けていたからだ。
母は暗部のことは知らず、そして前伯爵が不治の病で余命幾ばくもなくった際にも、知らされることはなかった。
ただ、唯一の後継者であるアマンダには、(前伯爵が)寝込んでいる寝室へ見舞いに行ったある日、ついに伝えられたのだ。
前伯爵は悲しみを滲ませて、アマンダに言う。
「私の人を見る目のなさで、お前には負担をかけることになった」
今にも泣きそうな祖父を見たアマンダは、「そんなこと言わないで、お祖父様。大丈夫ですよ、きっと良くなりますから」と、祖父の手を握り優しく撫でた。
父が不在気味で、母は親と言うよりアマンダの姉のような何だか頼りない存在。
今だ乙女のように、父への執着で自分に酔っている。
まるで悲劇のヒロインのように。
然りとて貴族なら、こんなことはありふれた話で。
寧ろ、自分の好きな男と結婚できた母は、(周りから見れば)幸せな部類であるはずだ。
何と言っても顔が良い。
遥か年上とか、顔がイケてないとか、暴力を振るうとか、そのミックスの高慢ちきのクソ野郎だっているのだ。
金の為に、権力の為に、家の犠牲になる女は多い。
他家に嫁ぎもせず、婚姻後もそのまま愛してくれる実父と愛する娘もいる生家にいるのだから。
だけど、彼女が望む一番は、やはり愛する夫『フェイン』なのだ。
どれだけ父、娘、使用人が尽くそうとも、満たされない心。
アマンダの手を握り締めたまま、「残念ながら脆弱者(お前の母)に、ポリフェノール家は託せない。伯爵家の爵位を返上するだけなら、事は簡単だ。だが、伯爵家が潰れた時点で、ポリフェノール伯爵家に関わる当家、親族、外戚、使用人に至るまで、暗殺者に狙われることになる。
特に私、お前の母エリーゼ、お前、お前の父フェインは、数日以内で亡き者になるだろう。家が王家に優遇されているのは、何となく感じているだろう。
それは家が王家の隠密を行い、秘密裏に問題を解決してきたからだ。王家の始まった頃からずっとな」
エルンストは、アマンダの目を真っ直ぐに見つめ、一気に話をした。
当時6才になったばかりのアマンダだ。
いくら当主教育を受けていたとしても、理解するのは難しいだろう。
だが話さねばならない。
いくら王家からの依頼とはいえ、何百と言う家を沈めてきた家門。
王家の強洗脳の制約で、王族の一部と王家の血を継ぐ侯爵家以上の貴族は、ポリフェノール家のことを理解しており、妨害や他言はできない。しかし、爵位を返上し強洗脳の影響が外された時、王家からも潰してきた家門からも格好の標的になる。
後ろ暗い秘密を知るポリフェノール家は、首輪を放せば忠犬から狂犬に変わると思われている。
否、実際に途方もない権力を与えられていたのだ。その力で裏を牛耳って来たのだから、恐れられるのも無理はない。
王家に逆らえない強洗脳には、実はポリフェノール家も守られていた形となる。
だがそれはポリフェノール家が、王家に利益となると判断された時のみ。
使えないと判断された時点で、誓約は破棄される。
今までは王家に、益ありと認められてきたポリフェノール家。
しかし今、予期せぬ病でエルンストが倒れた。
このまま後を継ぐ者が居なければ、悲惨な形で没落するだけ。
腑抜けの婿には、もう託せないと見切りをつけている。
どちらにしても、何もしなければ破滅するだけだ。
もう少し時間があれば、アマンダに影の教育を施せたのに。
急な病の進行に、選択肢が狭められたエルンストは、悔しさで胸が詰まる。
自分はもうすぐ死ぬ身、今更命乞い等不要だ。
裁かれる覚悟もある。
ただお前と、お前の母には生きていて欲しいんだ。
生きていれば、生きてさえいれば、悲しみは越えていけるはずだから。
卑怯だと言われるだろう。
でも、全てをアマンダに託すよ。
逃げるなら、私が生きているうちに他国に逃がすことも出来る。
それでも色々な勢力に狙われるだろう。
影に潜み、日の当たらない道を歩まねばならない。
「こんなことを言う私を恨んでも良い。でも、今決めて欲しい。お前の望む道を……すまない…………」
「あぁ。何てことでしょう!」
アマンダは一瞬混乱し、理解した後恐怖が体を支配する。
しかし、エルンストが語る嘘偽りのない未来が、瞬時に思考を支配する。
今まで授けられた教え、矜持は、逃げることを許さなかった。
「率直にお聞きします。年若い私で、当主は務まるのでしょうか?」
アマンダは、強い眼差しでエルンストを見た。
「お前次第だと言うしかない。暗部の当主と認められる為には、その素養を判断される。私が認めるのではなく、暗部の幹部達だ。知力・体力・統率力・向上心、最終的には根性か……」
アマンダは、心を決めた。
今逃げれば、全てを失う。
そんなこと、自分自身が許さない。
「では、明日から暗部の訓練に参加し、幹部達に判断を委ねよう。お前が使える人材と判断されなければ、私が死んだ後、ポリフェノール家は爵位を王家に返す。死ぬ前にお前達を逃がす手筈も整えておくから、決して……死ぬな……ああ矛盾だな、無茶をすまん、あぁ、うっ」
顔を覆い、嗚咽を漏らすエルンスト。
自らも受けた暗部の訓練と言う名の、命の選別。
影の命運は、当主に委ねられる。
己の命を賭けるのだから、当主にも賭けて貰うのは当然。
それが昨日まで可愛がっていた、当主の孫だとしても。
見込みありと判断すれば候補として扱い、1年の猶予を与える。
その間に力を示すのが、当主の条件となる。
当主の猶予が1年と言うことは、候補者には知らされない。
成れぬ時は、暗部の秘密(構成員や仕事内容等)を知る落伍者は死ぬのみなのだ。
アマンダは、エルンストに悲しむなと声を掛けた。
アマンダは解っていた。
まだ6才の子供に務まる仕事ではないのだろう。
だが、選択肢を与えずに没落の憂き目にあうことを、時期当主は良しとしないことも、また(エルンストは)理解してくれていたのだ。
「与えられた選択肢、必ず生かして見せます。だからゆっくり養生してください。こちらこそ、最期の時にまで心穏やかに送れず、申し訳ありません」
そう言って、自らの父母の不甲斐なさを謝罪した。
はははっと、気の抜けた笑いが漏れる。
「お前は、産まれた時から大人だな。お前の母エリーゼよりずっと……好きにすると良い。私だけはお前の味方だよ。そしてこの2人をお前に託す。お前が転ければこの2人も一蓮托生だ。守ってやってくれ」
そう言ったかと思うと、突然アマンダの目前に、片膝を着けて頭を下げた男が2人現れた。
恐らく、気配絶ちをしていたのだろう。
1人はリプトン、もう1人はダージリンだった。
「今からリプトンとダージリンは、アマンダの下に着いてもらう。異存はあるか?」
静かに尋ねるエルンスト。
「それが主の命ならば、異存等ございません」
リプトンが答える。
「俺も異存ありません」
ダージリンも答える。
元よりエルンストに救われた命、エルンストの願いなら受け入れるだけだ。
「ありがとう…………そして出来るなら、アマンダを生かして欲しい。勿論お前にも生きて欲しい。未来を生きてくれ。私の見られない平和な未来を。出来るなら皆で幸せに生きてくれ」
勝手な願いと解っている。
でもきっと、こんなにゆっくりと話す機会はもう来ない。
ならば、我が儘を。最期の願いを伝えよう。
暗部と言う裏の仕事、当主を信じられなければ命は張れない。
その信じられる当主に託されたアマンダ。
「「アマンダ様、私達の命を貴女に捧げます」」
エルンストが居なければ、既にない命。
(拾われた時からの全てが、幸福でした。嬉しいことも楽しいことも、苦しみも悲しみさえ)
アマンダも答える。
「私は何もかもが足りないわ。出来るだけ早く当主に成れるように、力を貸して。その為の訓練ならば、弱音等吐かないと誓うから」
その時既に、アマンダはポリフェノール家を背負う者の顔になっていた。
そして翌日から、訓練が開始される。
最初は体力作りから、そして潰した剣先を使った剣術訓練、体術、魔力補助(身体強化は魔力がある者は誰でも使える)等。
本来、成人してからのメニューを6才児が、熟していく。
何度も気絶し回復ポーションを飲み、胃がやられるのか血反吐も時々生じてた。
限界まで使った魔力は、翌日は僅かだが底上げされていく。
毎日リプトンの指導の元、基礎訓練が継続される。
エルンスト現当主が病で倒れたと知る幹部達の中には、アマンダを認められず排除に動く者もいた。
身辺警護はリプトンとダージリンがいて、手出しできない。
次の手段として、食物に毒物を混入した。
毒耐性を獲得していないアマンダは倒れ、3日死の淵をさ迷った。
首謀者は解らない。
解っても裁けない。
当主となる者が、毒を見分けられない愚か者と言われるだけだ。
毒耐性をつける訓練等、普通なら10才を越えた頃からの開始だ。
それだけ年齢の不利があった。
それでも止めることは出来ない。
比較的解毒剤の効く毒であり、殺害目的ではないのは明らかだった。
その日から毒に対する訓練、銀の食器の使用、毒味等の教育も強化された。
リプトンもダージリンも、既にエルンストが不動の当主になってからの入隊であり、毒等の初期の暗殺技には意識が向いていなかったのだ。
教育の難しさを改めて実感する。
だからと言って、甘やかしは出来ない。
何より時間がない。
何より毒に怯えず訓練に食らいつき、アマンダ時期当主が諦めていないのだ。
毒を盛った幹部達もまた、試している。
命を賭けて遣える当主を見定める為に。
日々の訓練に加えて、毒の混入や罠、訓練の苛烈(幹部との剣術訓練)等、日々が走るように過ぎ去っていく。
気をつけていても、数度の毒混入物を口にすることは続いた。
次第に倒れることもなくなり、口先で痺れや微量の臭気で判断ができるようになった。
口にしても直ぐ気づき、少し怠さを感じる程度までになる。
アマンダの諦めない姿勢、たゆまぬ努力、気迫に、徐々に認め出す者も増えつつあった。
しかし認めない勢力も勿論存在する。
暗部当主の権力は、其ほどに魅力のあるものなのだ。
裏社会の王と言っても過言ではないのだから。
何度かの罠や夜襲にあった後、突然に頭を過る言葉の嵐。
暗殺を狙った者の声が聞こえたのだ。
挨拶を交わす時はにこやかも、その実『夜間に手練れ4人で殺る』と言う言葉。
幻聴かと思うも、リプトンに話をすると、固有スキルの発動かも知れないと伝えられた。
その夜実際に襲撃があり、アマンダは初めて人に剣を向け胸を刺した。一撃で絶命には及ばず、リプトンに補助され何とか首を落とした。
襲われて無我夢中であったが、初めて人を殺したのだ。
今日の襲撃は今迄と違い、本気の殺意だった。
脅しではなく命の危機を感じていた。
その時は、生き残ったことで昂っていたが、その夜ひたすら恐怖で震えた。
襲われた時の張り詰めた空気、殺気。
胸を刺した時の肉の感触、呻き声、首を落とした時の骨の固さ、落ちた首の瞳の虚無。
「あぁ、あぁぁぁーーーーっ」
部屋中の物を手当たり次第破壊し、人知れず泣き明かした。
防音魔法を掛けられている室内。
その声は、誰にも響かない。
勿論、アマンダの母エリーゼにも届かない。
知るのは、天井裏で警護を続けるリプトンとダージリンだけだ。
その夜からアマンダは、夜寝られず日中に仮眠を取るようになった。その時なら、襲撃も少なく僅か安心できるからだ。それでも、長くとも3時間くらいしか入眠出来ない。
時々疲れ果て、急激に気絶したように意識を失くす。だから、リプトンかダージリンのどちらかは必ず側にいるようになった。
翌日、暗殺の襲撃者を撃退したことで、時期当主候補と認められた。
アマンダが訓練を開始して半年後。
その前日、エルンストが亡くなっていた。
襲撃はエルンストの葬儀の日を狙い、仕掛けられたものだった。
エルンストは最期まで、アマンダの身を案じていた。
母エリーゼも悲しみを隠さなかったが、その姿を見るアマンダの頭は何故か冷えていた。
『最期まで側に居られて、良かったですね』と思うのみ。
以前とは何処か違う思考だった。
物事を俯瞰で見るような感覚で。
アマンダが当主と認められたのは1年後。
7才4ヶ月になった時だった。




