39 噂のあの娘(こ)? その2
「ちょっと貴女。 いくら平等を謳う学園と言えど、私に挨拶をしないなんて、失礼ではなくて」
そう言って声を荒げるのは、アガサ・マグダーリン公爵令嬢だ。
背の中央まである、癖はあるが鮮やかな赤い髪。
顔の両サイドはドリルのように巻かれた髪が、強い印象を与えていた。
瞳は濃い茶色で、一重のキリリとした切れ長だった。
鼻筋も通り薄い唇は、美人なのだが男前な感じだ。
背丈もマリアンヌを見下ろす位はある。
その背後には、取り巻きと言って良いのか解らないが、3人の令嬢がこちらを睨んでいた。
元は宿屋で、冒険者や騎士等の荒くれ者を相手に給仕の手伝いをしていたマリアンヌだ。
令嬢の威圧等、どこ吹く風だ。
だが、この手の類いは無視をすると面倒だと解っていた。
平民だと思って暮らしていた時は、如何に上手くあしらうかを店の女将に伝授されていたのだ。
しかし、今貴族になっている自分。
店のようにへりくだることは出来ない。
ここは家庭教師の先生に学んだことを、混ぜ込んで実践してみよう。
「失礼致しました。 私、マリアンヌ・ポリプロピレンと申します。 マグダーリン公爵令嬢様、これからよろしくお願いいたします」
そう言って、礼をする。
更に付け加えて畳み掛ける。
「申し訳ありませんが、まだ私、貴族社会に馴染めておりませんので、いろいろと御伝授していただくと心強いです」
そう言われると、他の生徒の手前これ以上は責められないアガサ。
「よろしくてよ。 何かあればお聞きなさい。 ここは貴女の暮らしていた田舎とは違うのだから」
そして、これ以上は何も言えないとばかりに、表情を崩さず去っていく。
「ありがたいお言葉、痛み入ります」と、さらに会釈をするマリアンヌ。
近くにいた生徒達は、戦々恐々だった。
アガサは顔も態度も苛烈であり、平等と言われるこの学園でも、生意気な生徒達を時々絞めていた。
まあそれも、アガサ基準なのだが。
そして逆らうと、引くほど倍で言い返される。
公爵令嬢と言うことで、後で何をされるか解らない怖さもある。
そんな中、可憐にあしらったマリアンヌは、称賛の眼差しを受けた。
「あのマグダーリン公爵令嬢に、堂々としているの格好良かった」
「私なら、震えちゃうわ」
「すごく洗練されてた。 あの圧に耐えてすごい。 よく言った」
「そもそも、いつも朝に挨拶してたじゃん。 今更なんだろうね?」
等々、マリアンヌに肯定的な意見が溢れた。
負けない気持ちで向かっていたマリアンヌだったが、気が抜けて泣きそうな表情になっていた。
事実だが、本妻の家へ入り込んだマリアンヌとジンジャー親子。
酷い噂もたくさん聞いてきた。
でも、励ます言葉を聞けたから…………………
泣く気なんてなかったのに、頬に涙が伝っていた。
昔はこんなに弱くなかったのに。
すると1人の女生徒が、ハンカチを渡し背中を撫でてくれていた。
サクラ・カザナース侯爵令嬢。
ステナの従者であるドリップの祖父のクレッセント商会と、貿易業で繋がる名家である。
水色の肩まである長い髪を、桃色のシュシュで緩く1つで結び、紅水晶の瞳を切なそうに震わせる。
彼女が囁く言葉は、どこまでも優しかった。
「大丈夫ですわ。 私があの方の好きになんて、させませんから」