32 泣きたい夜空 その1
「まだ駄目です、目を開けて。もう少しで太い血管の出血を止められるから!」
誰かの必死な声がする。
久し振りに聞く優しい声。
身体中がひどく痛む。
もう身体はピクリとも動かせないし、声もでない。
意識も朦朧として、瞼は今にも閉じてしまいそう。
(もう痛いのは嫌だ。このまま眠って、もう目が覚めなければ良いのに)
そう思っている時に掛けられた言葉だった。
泣きながら治癒魔法を掛けてくれる、兎獣人のお姉さんが言葉を続ける。
「詳しい事情は解らないけど、バルデス様を待ってるんでしょ? それまで何としても生き延びないと」
兎獣人のお姉さん、私なんかを助けたら奥様に酷い目に合わされるかもしれないのに。必死に励ましの言葉を掛けながら、治癒魔法を掛け続けてくれている。
「死んじゃ駄目だよ。絶対助けるから、頑張って」
山ほどの回復ポーションを脇に置き、魔力が尽きるとぐいっと飲んでまた魔法を掛け続けている。
(もういいのに…………どうしてここまで一生懸命になってくれているんだろう?)
朦朧としながら考えていると、無意識なのか彼女の独り言のような呟きが聞き取れた。
「貴女を守って亡くなったサンド様の為にも、貴女を絶対に死なせたりしないわ。絶対に、うっ、くっ」
彼女は泣きながら手を翳して、治療を続けている。
サンドが死んだ!!!
嘘だ。サンド、サンド、サンド!!!!!
ああっ。
思い出すサンドの優しい笑顔。
たくさんの思い出。
もういないなんて。
私のせいで? なんで私の為に死んでしまったの?
サンドはすごく強いのに。
(うわあぁ~ん。嫌だよ、嘘だよねサンド!)
声にならない声で叫んで泣いた。
床に横たわり動かぬ身体から、涙だけが頬を伝わり流れていった。
赤眼で銀髪のリコッタは、軍務大臣マーカー・クリンパスの邸でメイドとして働いていた。
小柄で機敏な彼女は、腰まで伸びた癖のある長髪をおさげで結い、大きな瞳が幼い印象を与えるのか敵対してくる者は少なかった(悪い意味でなめられてもいたが)。
ある日主のマーカーにお茶を運ぶ際に、僅かに開いていたドアの隙間から漏れた声を偶然聞く。
アミールとサンドが、キンバリーが連れ出たマーカー直属騎士と魔導師達により殺されたことを。
そしてバルデス邸にいたエルフの子供に、お茶汲みや掃除をさせてきちんと出来ぬと言い放った後に、折檻を加えていると。
どうやらエルフの子供は、バルデスとアミール達が大切に育てていたようで、キンバリーの襲撃に遭った際にアミールとサンドが身を挺して庇ったようだ。
一旦はミストと逃げたがキンバリーに見つかり、ミストはアミール達を殺した魔導師に無理矢理嫁がせ、エルフの子供をここに連れ帰ったと言うのだ。
「ひぃ」と、声が漏れそうな口を両手で無理矢理塞ぎ続きを聞く。
20名の直属騎士はアミール達を弔った後退職して軍を離脱し、エルフの子供は離れの一番奥の部屋で折檻を受け続けていると。
全てが酷い話だが、マーカーが一番に頭を抱えていたことは直属騎士の離脱だった。
殺されたアミールとサンドに対しての情よりも、騎士のことかとがっかりするリコッタだが、戦場を命がけで共に戦う騎士はそれだけ重要なのだろう。
それなら尚更に、夫人に好き勝手を許すべきではないと思うのだが。まあ、こっちもいろいろあるのだろう。
珈琲ポットを魔法で再度暖め、素知らぬ顔で部屋をノックし入室する。
メイド歴4年のキャリアは無駄でなく、表情を変えることなく給仕を済ます。
そして好奇心故に、夜間になってからエルフの子供がいる部屋を訪れたのだ。
そおっとドアを開けると、明かりはなく誰もいないようだ。
薄暗い部屋に目を凝らすと、冷えた床に倒れている人影を見つけた。
その日の折檻は激しかったようで、エルフの子供は血だらけだった。
咄嗟に駆け寄り、頭を膝に乗せて声を掛ける。
「大丈夫? 意識はある?」
この状態で大丈夫も何もあったものではないが、自然と口から発していた。
返答はなく、何の反応も見られない。
ただ心臓は動いているし、呼吸もふーっ、ふーっと浅いがしている。
口の端から出ている血液が顔の横に血溜まりとなり、内蔵の損傷が窺えた。
服やスカートから出ている足に蹴り後が見られ、皮膚の擦過傷からは血が滲み朱に染まっていた。
「子供に何てことを!」
その後はもう何も考えず、治癒魔法を唱え続けていた。
一旦魔力が切れた時にこっそり自室に戻り、あるだけの回復ポーションを持って再び訪れた。
キンバリーの癇癪に堪えているメイド4年目は個室を貰っており、深夜であったことで誰にも会わずにここに戻ることが出来た。
常に他国と戦争をしているこの国の例に漏れず、彼女も戦争孤児だ。
何日も何日も雨水だけで飢えをしのぎ、宛もなく無事な町を目指した。
共に歩いていた友は、力尽きて1人また1人と居なくなりリコッタだけが残ったのだ。
そして偶然にサンドに保護され、この屋敷で働き始めた。
穏やかな気性である兎獣人ということで、雇われたのだろう。
サンドは彼女にとっての救世主だった。
宛もなく町を目指し歩いていたが、彼女の目指した町も戦禍で機能していなかったのだ。
サンドが居なければ、今の生活はなかった。
そして憧れの人だった。
結婚したいとかではなく、アイドル的な感じの。
勿論求婚されれば喜んでだが、そんな日は来ないと解っていた。
でも、こんな形で別れるとは思っていなかった。
初級の治癒魔法しか使えない彼女にとって、アルバのひどい傷を癒すことは普通ならば無理だっただろう。
だが様々な強い思いが重なることで、レベルが上がり中級程度の力が出せるようになっていたのだ。
目の前の幼い子供を救いたい。
戦禍で亡くなった友達と同じくらいの、この子を救いたいんだ。
サンド様が命がけで守ったこの子に会ったのは、サンド様が導いたのかもしれない。
「私の力では足りないかもしれないけど、奇跡でも何でも起こして助けてよ神様。
自分のことでだって、こんなにお願いしたことないでしょ? だからお願いします」
カーテンのない窓から月光が2人を照らし出す。
先程まで覆われていた雲が霧散し、夜空に浮かぶ大きな月がこちらを眺めているようだ。
アルバの瞼は閉じられていたが、青白い頬に赤みが差し呼吸は平静となった。
「だいぶん落ち着いて来たわ。もう少しだね」
額の汗を拭いながら、リコッタは安堵の息を吐く。
夜更けから明け方まで続いた治療は、何とか功を奏してアルバは一命を取り留めた。
リコッタは床に暖かい毛布を敷き、身体にも大きくて暖かい毛布をくるませた。
幸い外傷も治癒しており、目覚めるまで様子を見ることにした。
リコッタもメイドの仕事は休めない。
キンバリーが来ないことを祈るばかりだ。
祈りが通じたのか、キンバリーは来なかったようだ。
既にアルバのことは、死んでいると思っているのかもしれない。
昨日の状態を知っていれば無理はない。
治療しなければ、ほぼ間違いなく息絶えたはずだから。
どちらにしろ、キンバリーの関心がこちらに向かないうちに、アルバを回復させて連れ出すしかない。
リコッタは夜更けに着替えとタオル、お粥と回復ポーションを持ってアルバの部屋へ向かう。
周囲を警戒するが誰もおらず、ひっそりと静まり返っている。
もともと外部との接触を減らす為に連れてきた、奥まった部屋だから余計に人の気配はないのだろう。
今日も月明かりが部屋を照らす。
起きていたアルバは、掠れた声でリコッタにお礼を言った。
「お姉ちゃん、痛いのを治してくれてありがとう」
そう告げて頭をペコリと下げた。
なんて可愛いのだろう。
リコッタは反射的に抱きしめてしまう。
びくっとしたアルバだったが、悪意のない暖かさに身を委ねていた。
ミストと別れてから失くしていた他人の体温で、胸が熱くなるのを感じる。
知らずと安堵の涙が流れ出す。
アルバの境遇を思い、リコッタも共に泣いていた。
この世界は、力の無いものになんて厳しいのだろう。
何も悪いことをしていない子供2人が、抱きしめあい月に照らされている。
リコッタは、アルバが動けるようになったら一緒に逃げようと伝えた。
ア ルバは自分の為に犠牲になる人が出るのを躊躇い、1人で逃げると言う。
リコッタは徐に「私は戦場でサンド様に助けて貰ったの。今生きていられるのも、サンド様のおかげなの。だからサンド様の代わりに貴女を助けたいのよ。大好きだったサンド様の為に」と微笑んでいる。
アルバは驚いた顔でリコッタを見つめた。
「サンドを知ってるのね」
「私の初恋だもの。そしてずっと好きだった人なの。まあ、私なんて相手にならないのは解ってたけど、理屈じゃないのよ恋心は」
そう言ってニコッと笑う。
「お姉ちゃんは可愛いから、サンドもきっと好きになったと思うよ。サンド訓練ばかりして、全然モテなかったから。損したねサンドは」
顔を見合わせて、同時に笑ってしまった。
その後、身体を拭き着替えをする。
アルバはお粥を食べきり、回復ポーションも飲んだ。
出来るだけ早く、体力を回復したかったからだ。
少し無理をしてでも、できる限り急いだ方が良いだろう。
キンバリーがいつ来るとも知れないのだから。
奇跡的なことに、亡き母クロウの禁呪でアルバの回復は思った以上のスピードで行われたのだ。
その為、逃亡日を明日の深夜と決めて今日は別れることにした。
出来るだけの睡眠をとり、移動に備える為に。
しかし無情にも、翌日の日中にキンバリーがアルバの元を訪れたのだ。
死亡を確認し、死体を棄てる為に。
キンバリーと護衛騎士2人が、ノックもなくアルバの居る部屋に押し入ってきた。
キンバリーはアルバを見て、怒りのあまり顔を醜く歪め絶叫する。
「なんで生きてるのよ。私はあんたが惨めに死んでいるのを見に来たのよ。なのに前より元気そうじゃないの。 誰かが手助けしたのね。解り次第殺してやる!」
アルバは顔をひきつらせ決意する。
(ここで捕まれば、お姉ちゃんが助けにきちゃう。巻き込んじゃうのは嫌だよ。ここから1人で絶対逃げ切ろう。そうすればお姉ちゃんも、逃げ切れるはずだから)
そう考えた瞬間、キンバリーと護衛騎士の隙間を狙い走り出す。
まさか、走り出す元気があると思っていなかったのだろう。
護衛騎士達も、死体の処理と聞いていたのだから。
キンバリーも護衛騎士も、一瞬の隙をつかれた形だ。
アルバは邸から外に向けて走り出す。
邸の見取り図とどこに逃走するかは、昨日リコッタと決めていたので走るだけだ。
アルバは走った。
力の限り。
でも、やっと5才になったばかりの身体は、悲しいかな直ぐに追いつかれそうになる。
(ダメ、ダメ、ダメ私が捕まれば、お姉ちゃんが絶対助けにきちゃう。2人とも殺されちゃうよ。そんなの、もう嫌だ!!!)
そう思った瞬間、聞き慣れた声が耳に届いた。
「アルバ、探したぞ。よく無事でいてくれた」
「バルデス様!」
アルバは駆け寄り、バルデスに抱きついた。
バルデスは優しくアルバを抱き上げる。
「これはどういうことですか?」
怒りを込めて母に対峙する。
「帰って早々、何を言っているの? 私は貴方の失態を庇おうとしただけなのに。それを逆らおうとするからあの2人は死んだのよ。みんなこのエルフのせいよ。でも元を正せば、人身売買に手を出した貴方のせいよね」
悪びれもせず言い放つキンバリー。
「咎は俺が受ければ良いはず。何故他者を巻き込んだのですか? 罪なき者に手を出す等、鬼畜にも劣ります。 俺は母上を軽蔑します!」
強い口調でキンバリーを睨み付けるバルデス。
だがキンバリーは怒りの形相で、公爵家の嫡男を守るのは当然のことだと譲らない。
「俺が継がずとも、親族は腐るほどいる。こんな騒ぎになってはもう秘密は守れないでしょう。母上のせいで多くの人に傷を追わせた。身体だけでなく心にもたくさん。俺のことは廃嫡しどうぞお忘れ下さい。
そして他家より賢い養子を貰って下さい。アルバと出ていきます。お世話になりました」
何を言っても響かないと確信し、アルバと共に去ろうとした彼。
背を向けた瞬間、「ドガッ」と鈍い音と共に背後に重苦しい痛みを感じたバルデス。
「くっ、な、何を?」
アルバをゆっくり降ろし屈みこんだ後、脱力し倒れた。
「貴方まで私を裏切ろうとするからよ。貴方が悪いのよ!」
キンバリーの手には拳銃が握られていて、今も発砲したままの状態で固まっている。
震えた手から拳銃が落とされ、キンバリーも力なく膝を床に突けた。
銃声が聞こえ、当主のマーカーも駆けつけた。
惨状に絶句し、血濡れのバルデスを抱える。
「誰か医師を呼べ。治癒魔法が使えるものは来てくれ。バルデスを助けてくれ。頼む、頼むよ!」
嗚咽しながら息子を抱きしめている。
放心状態のキンバリーは、へたりこんだまま動かない。
身の危険も顧みずリコッタが駆け寄り、治癒魔法を掛け始める。
しかし至近距離の弾丸は身体を貫通していたが、心臓に近い動脈を傷つけていてなかなか出血が止まらない。
「死なないでバルデス様。死んじゃやだよ」
アルバは、バルデスにすがりついて泣きじゃくる。
バルデスも横たわったまま、残った力でアルバの頬に手を触れていた。
そんな中、ポリフェノールとスターディネスはクリンパス邸に到着した。
アルバを助ける為に。




