寄生虫
休憩時間中にいつの間にかふらっと立ち去って、仕事が始まっても帰ってこない。電話をかけても出ないしLINEも既読がつかないので慌てて探していると、近くの川に浮いていた。搬送先の病院で亡くなったという報告を、受ける。
さっき飲み食いしたものが一気に喉をせり上がってきそうな感覚を、なんとか喉元でこらえる。亡くなったのは同じ島のデスクに座っていた同僚だ。今日もいつもと同じように朝挨拶して、昨日の会議の資料を渡して、その後。
警察がどういう捜査をするのか、知らない。
彼が人には言えないストレスを抱えていたのか、知らない。
はたまた誰かが殺したのか、知るわけがない。
それに、たとえそんなことを聞かされたからといって、はいそうでしたかと単純に呑み込める気はしなかった。文字通り気休めではあったが、午後の時間を目いっぱい使って、私はその答えをインターネットの中に求めることにした。
冷静に考えれば愚かな判断である。その道のプロである警察が調べた方がよっぽど真相に迫れるはずなのに、誰が書いたかもわからない記事をサーフィンする方に心の安寧を求めてしまう。検索エンジンに「自殺」「突然」「理由」なんてありきたりな言葉をスペースで区切って、それで個別の事例が判るわけないのに。でも、しないよりは幾分かマシだと自分に言い聞かせる。どうして彼が死んだのか、生きている者が知っておくことが死者への供養になる違いない。
一昔前は検索しろやks、なんて汚い言葉が流行っていたけど、今どきは検索してもksである。まともな情報なんて転がってやいない。わかりやすくまとめてみた!じゃないんですよ。まとめないでくださいよ。ちょっとくらい長くなっても良いから、全部教えてください。
驚いたことに、SNSの方が幾分か情報が集まった。私は熱心なSNSユーザーというわけでもないけど、好きなアイドルの情報を入手するためにアカウントだけは持っている。検索欄に先ほどの単語を打ち込むと、こっちの方が私の欲しい情報な気がする。匿名のアイコンが個人情報を垂れ流している。
悩みがあると、解決に動くよりも先にまず呟く人間が増えているおかげだろう。私と似たような境遇に狼狽するアカウントがいくつも見つかった。同僚が、家族が、同級生が、知人が、近所の人が。わずか百文字程度のお気持ち表明では物足りず、いくつもの投稿を繋げている人も多かった。私の知人ならまだしも、知らない人の死について、部外者があれこれ検索して閲覧するのは失礼? 私もちょっとはそう思う。でもまあ、検索できちゃうし。仕方ないよ。できちゃうんだから。
しばらく眺めていると、つい一時間前の投稿を見つけた。日本のどこかに、今まさに私と同じ思いを抱えている人がいることに、何故か少しほっとする。
返信先:@日常垢_11110 さん 1時間前
あー、最近川に飛び込み、多いですね。ばしゃばしゃ落ちて、カマキリかっての
返信1 ♡19 ↺2
だが、何百回と共有され、今後何千人、何万人もの目に触れるであろうその呟きには、同情の声ばかりが集まっているわけではないようだった。いるよね、こういう奴。こっちは本気で悲しんでるのに、捨てアカウントで突っかかってきて、ため口で、びっくりするくらい失礼で、いわゆるクソリプって奴。推しの何気ない呟きへの返信でもよく見かける。その返信を受け取る相手も同じ人間だって、わかってるのかな。
返信先:@捨て垢_444 32分前
なんなんですかあなた。私の大事な人のことを無視扱いして。通報します
返信1 ♡40 ↺1
SNSでは誤字なんてほとんど誰も気にしない。そういう暗黙のルールみたいなものがあるように思う。一度送信したら修正できないし、そこが話の本筋ではないからだ。でも面倒な奴に限って、そこをいちいち指摘したがるもので、案の定。
返信先:@日常垢_11110 さん 11分前
誤字wwww
まあいいですわ。でもこっちはただ「みたい」って意味で言っただけで、カマキリそのものだって言ったわけじゃないですよwww
ハリガネムシ知らないんですか?ウィキペディアのリンク貼っておきますね
返信0 ♡101 ↺50
最新の投稿は、現在進行形で拡散され続けていた。共有と再投稿の数字はどんどん膨れ上がっている。まさに炎上案件である。
動向を見守っていると、冷や汗だらけの上司がやって来た。警察の方が事情を聞きたいそうで、順番に呼び出されているとのことだ。私はリプライ合戦の観戦を一時中断し、パソコンの前から離れた。何か異常はありませんでしたか、いいえ、普段どおりでした、と予定調和のような会話を済ませると、私は帰りがけにミネラルウォーターを買って、席に戻る。例の失礼な捨て垢は、案の定凍結されていた。
今日は誰も彼も業務どころじゃない。私もその一人で、黙々とネットサーフィンを続けている。誰も注意などしない。各々気持ちの整理をつけているとかなんとか、そんなことするのは「冷たい人」だとか。誰が言い出したのか知らないし、興味も無いけど。
次に検索するのは、あの失礼野郎の言っていた「ハリガネムシ」だ。ページを開きっぱなしだったアイツの呟きからリンクへ飛ぶのが少し癪で、わざわざ検索エンジンを開きなおす。
嫌な予感がして画像欄を見なかったのは英断だった。ウィキペディアに載っている画像だけでも気味が悪い。その名の通り茶色いハリガネみたいなものが写っているが、これが生き物なのだという。寄生虫らしい。こんなものがうねうねと身体の中にいるなんて、想像するだけで気持ち悪い。宿主はカマキリ、カマドウマ、バッタ…………。人には寄生しないようだ。よかった。
**
「いるよ、寄生虫。あんたにも」
彼との業務以上の交流は無に等しかったとはいえ、気分は恐ろしく沈んでいた。仕事終わりに同期の鬼島を誘って気晴らしに入ったカフェで、彼女は大きく口を開けて、パンケーキを頬張りながら口に出す。
「サナダムシとか、ギョウチュウとか、聞いたことない?」
「無いわよ。あったとしても、パフェ食べながらする話じゃないわ」
「ハリガネムシの話をしてきたのはあんたの方でしょうが。小学校の頃あったけどなぁ、ギョウチュウ検査」
彼女の言葉を聞いて、思い出した。食欲がすっと失せていく。
「わ、私にはいないもの。そんな汚い虫」
「不衛生だから寄生されるわけじゃないのよ。それに、人間の助けになる寄生虫だっている。寄生虫に対する偏見よ。自分の小さい同居人に謝ったら?」
「死んでも嫌」
死んでも、という言葉をつい不謹慎にも使い、はっと口をつぐむ。私達はなにを理由に、ここに集まっているのか。
「…………絶対、嫌よ。私には無縁だもの」
それとなく言いなおす。
「あんたが毎日熱心に整えてる眉毛にだっているわよ。寄生率、ほぼ百パーセントだっけか」
「うそ…………女優の○○にも?」
「あんたの推しの○○○○だっけ? にもいるわよ。はいそれも偏見偏見。大体ね、現代人は虫を嫌いすぎなのよ。蜂蜜だってハチの唾液が混ざってるけど、こんなに美味しいでしょうが」
パンケーキを次々に頬張る鬼島を横目に、私ははぁ、とため息を漏らす。
鬼島は、いわゆるリケジョであった。有名大学の農学部をトップで卒業して、それでなんのつもりかウチみたいな三流会社にすっと入ってきて、何食わぬ顔でキーボードを叩いている。学生時代に受けたというスカウトにでも乗って、今でもモデルをやってますなんて話の方がまだわかる。
「人間に寄生するハリガネムシ、か。その凍結クソリプ不謹慎野郎、だっけ?」
「そこまで言ってない」
「まあその人の言ったこと、ぶっ飛んでるけど発想は面白い。あ、いや。実際に東郎君が亡くなってるんだし、面白いってのはさすがに不謹慎だったか」
東郎君、とは件の同僚だ。オレンジジュースをストローでちうちう吸いながら、鬼島は声のトーンを落とす。気晴らしだなんだと言い張って、人の死を理由にパフェなんて食べてる時点で私たちは不謹慎の塊なのだが。
「面白いって、何が」
「川に飛び込む自殺が、カマキリみたいだって指摘。ねえ、あんたはカマキリって捕まえたこと、ある?」
鬼島が問う。
「小学生の頃とかなら、たぶん。虫は全般嫌いだけど、カマキリはかっこいいから好きだよ」
「私たちが捕まえられるカマキリって、ほとんどがハリガネムシに寄生されてるんだよね。元々地面をうろつくような種類の生物じゃないんだけど、寄生されて、無理やりそうさせられている」
ストローをくるくると回し、一向に溶ける気配のない氷を弄って遊ぶ鬼島。
「無理やりって…………どういうこと?」
「ウィキペディア見たんじゃないの?」
「見たけど、読んでない」
私はそこでようやく、パフェのてっぺんに乗ったイチゴをつまんで、ちょっとだけ齧った。なんだかんだで食欲は湧くものである。黙って続きを食べる。
「ハリガネムシはね、水中の生物なのよ。成長するまでは宿主の体内で育つんだけど、交尾とかは水中でしないといけない。一方のカマキリは樹の上がメインの住処だから、そのまま上にいられると子孫が残せないでしょ。どうにかして、宿主を水に突き落とさないといけない」
「え、まさか…………」
「そ。寄生したカマキリちゃんを操って地上に降ろして、川とか水辺にダイブさせるの。だからそのへんのアスファルトをてくてく歩いてるカマキリのほとんどは、ハリガネムシにそうさせられてる。で、そうやって水辺まで誘導させられて、ぽちゃんと水に入ったら、ハリガネムシの方はにゅるっておしりから出てきて、カマキリちゃんの役目はそれで終わり」
ぽちゃん。
鞄に入った飲みかけのミネラルウォーターが、ずっしりと存在感を主張し始める。
「カマキリ、どうなるの」
「溺れるか、魚に食べられるか。運よく助かって岸に上がっても、寄生された時点でカマキリは生殖能力を失っちゃってるから、どのみちそいつの家系はそこで終わりね」
「残酷…………」
「それがね、自然なのよ」
鬼島の目は達観していた。私はそれ以上、口をはさむことは出来なかった。
それが自然。その自然がどっちの意味なのかを、尋ねる勇気はもちろん無い。
「鬼島はさ……東郎君の飛び込み自殺が、ハリガネムシの寄生が原因だっていうの?」
私がおそるおそる尋ねると、鬼島はこの世で最も興味のないものを見るような目を上げて、私を見据える。
「……なワケないでしょ。その方がどれだけ単純だったか」