二人の力
両腕を広げて息を吸い込む。鼻いっぱいに草の香りが広がり、太陽は爛々と輝き、暖かい風が心地よい。先ほどの西洋エリアの風は、どこか冷たかったが、ここはそうではないらしい。
「ここがバトルエリアか」
名には似合わない長閑な感じだが、宮里によればモンスターが出現するらしい。
僕は少しの高揚感と、大きな不安を抱えながら歩き出した。
「この世界におけるモンスターというのは、どうやら人間の匂いを頼りにやってくるようだ。だからこちら側から探す必要はないの」
つまりは、木陰でボーッと日向ぼっこをしていても襲われるということか⋯⋯。どうやらここを休息のために使うのはよした方がいいようだ。
「真恋、前方から多数の物体が急接近している」
宮里の体から男の声が聞こえる。これがテュポーンなのだろう。しかしながら気になるのは、その言葉だ。
「神の視界ってどうなっているのですか?」
「ええ、人間の視力と同じく個体差はありますが、私であれば前方ニキロメートルほどであれば、鮮明に見えますよ」
「じゃあテュポーンが言ってる多数の物体ってやつも見えてるんですか?」
「もろちん! あれはあなた方の世界でいうところの牛に、鷲の翼が生えています」
なんとも想像しづらい形相をしているモンスターだろうか。
「強いですか?」
「まあ、そこそこですかね。神の力を持ってしては、敵ではありませんよ。例えるならば、象と子犬くらいの差がね!」
そのモンスターとフォルトゥナの間でそれくらいの差ならば、テュポーンとでは、まさしく象と蟻くらいなのだろう。ここは相手の手の内を知るために、あえて何もしないでおこう。
そう決めた直後、たしかに少し前方から複数の足音と砂煙が上がっている。それを見る限り、かなりの数であると推測できるが、少し前を歩く宮里は比較的落ち着いて見える。
「テュポーン、どうすればいい?」
「あの程度の雑魚ならば、人神化した生身でも倒せるだろうが、そうだな⋯⋯やはりあいつらに格の違いを見せつけるのも良いのかもしれない」
全て聞こえている。僕の長所を挙げるとするならば、それは聴覚が発達していることだ。どうやら宮里とテュポーンはこそこそ話しているようだったが、僕には全て筒抜けだ。
「神には自らの持つ強大な力に名をつけるという決まりがある。まあ我も必死に考えたのだが、今回はその一つである疾風迅雷というのがあってな」
「何照れてるの」
「いやっ⋯⋯別に照れてなどいないが、まあ少々恥ずかしいのは事実だな。いやしかしそんなことはどうでもいいことなのだ」
「まあそうね。それで疾風迅雷はどうやって使うの?」
煽り口調でそう問いかける宮里だが、そんな悠長な時間はない。すでにモンスターのものであろう足音はすぐそこまでやってきているのだ。
「なあに、特別なことは何もいらない。何故ならばお前はすでに我、テュポーンなのだから。我に可能なことはお前にも可能だ。さあ、叫ぶのだ。血肉を貪ることしか能のないモンスターに我の力の名を!」
「疾風迅雷!」
それからは一瞬のことだった。
まず僕が向かってくるモンスターを視認した。そして視線を宮里に移し、変化がないことを確認してから、再びモンスターを見据える。それはたしかに牛の背から二翼の白い翼が生えている。その姿とあまりのスピードに驚きながら、未だ動く気配のない宮里を見ると──すでにいなかった。
そして瞬きのうちに、数十頭にも及ぶモンスターが全て血を流して倒れていたのだ。
「⋯⋯」
それからしばらく僕は呆然としていた。称賛でも驚愕でも恐怖でもなく、ただ立ち尽くしていた。目で追うどころか、何をしたのかすらわからなかった。
「フォルトゥナは何が起こったのかわかった?」
「視界で捉えて、脳で処理して理解することは可能ですが、あれを真似しろと言われれば不可能です。あれは天界でも数限られた神でしかあのスピードは出せません。それにテュポーンは力までも兼ね備えているため、味方である今は心強いですが、敵となればあれほど厄介な神はいませんよ」
「そうなんだね」
子供らしく無邪気に笑い手を振る宮里だが、どうやら僕はとんでもないやつと同盟を組んでしまったようだ。
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倒れた牛たちは、一分後に突如として姿を消し、その代わりと言わんばかりに丸い金貨が落ちていた。
「これがこの世界の共通通貨、確かネセサリー」
「それで、どれくらい集まったの?」
全て拾った宮里の手には、数十枚の金貨がある。
「あなたね。私がなんでも知っていると思ったら大間違いよ!」
「そっ、そうですよね。自分で確認します!」
気づかないうちにそういう流れができてしまっていたため、今回もなんの抵抗もなく、質問を投げかけてしまった。たしかに僕も宮里も、ルールブックを見るために与えられた時間はわずかだ。それに加えて、宮里は早々に行動を開始していたわけだから、僕よりも短かったはずだ。
しかし宮里は早々に状況を理解し、次なる行動をルールブックの読解に移したわけだ。
これはテュポーンの強さも相まって、一番厄介な敵になるのではないかと思いつつ、ルールブックを開いた。
「ええっと⋯⋯」
ルールブックには丁寧にもくじが記されており、その一つの商業エリアというページまでめくり、目を通す。
そうすると、案の定通貨についてのことが記されていた。
「ええっと、それ一枚で百ネセサリーらしいよ。どうやら倒したモンスターの危険度によって、倒した後に落とす金貨の価値や量が変わるらしい」
「へぇー、つまり今私の手には二十八枚の金貨があるわけだから、二千八百ネセサリーがあるってことね。これって多いの?」
「それもちゃんと書いてある。百ネセサリーは、日本円でいうところの百円と同じなんだって」
「おお、じゃあ二千八百円ってことね。でもそれって少なくない?」
たしかに二千八百円では、少々物足りないと思っている。と言葉に出そうとすると、遠くから先ほどと同じ地を蹴る音が聞こえてくる。
「よし、じゃあ今度は僕が力を見せようかな」
ルールブックを仕舞い、耳を澄ます。音を頼りに推測すると、数は先ほどと同じか少し少ないくらいだろう。
「フォルトゥナ、どうすればいい?」
「はい。先ほどテュポーンが言った通り、人神化した人間の身体能力は格段に上がっております。故にあれほどの敵であれば、殴打で倒せるでしょうが、そうですね。テュポーンのように少しばかり必殺技を使うとしましょう」
やはり男たるもの、必殺技という言葉はいくつになっても胸が高鳴る。しかもそれを自分が使えるのならば尚更だ。僕は食い気味に聞く。
「どんな技?」
「それは運命すらも我味方につける技。さあ、叫ぶのですその名は宿命の舵と!」
「宿命の舵!」
そう叫んだ瞬間、少し日差しが強くなったような気がした。しかしそれを確かめることもないまま、次の違和感を感じた。空から一筋の光が僕に当たったのだ。
そんな偶然があるのだろうか? そう思いながらも天を仰ぐと何かが理を無視して、ゆっくりと落ちてきている様子が見えた。
そしてそれは徐々に鮮明に見えてくる。あれは船なんかで見る舵だ。つまりあれが宿命の舵なのだろう。その舵は僕の目の前に降りてきた。
「それを時計回りに回せば幸運が、反時計回りに回せば不安が訪れる。さあ、我に害を為そうとする輩に、不幸をプレゼントしてあげるのです!」
僕は言われた通りに、舵柄を握り反時計回りに回す。
「⋯⋯あれ?」
しかし何も起こらない。それどころか、鬼の形相をした牛のモンスターがスピードを上げて、こちらへ走ってくる。
「何も起こらないじゃないですか!」
「まあまあまだ焦るような時間ではなありませんよ」
焦るなも何も、もうすでに僕とモンスターとの距離は百メートルを切っているのだ。
「やばい!」
もう後がないと、僕は顔を背け目を瞑る。
すると前方、つまりモンスターが走ってきていた方向で何かが次々と倒れていく音がした。それが気になり目を開けると、
「ほら、言ったでしょ」
おそらくドヤ顔でフォルトゥナがそう言う。
目を開けた先で僕が見たのは、十メートルほど先で無様にもモンスターが倒れている様子だった。